川崎フォトエッセイ  その973  門前       HOME

 昔なら、一般の人が訪れることもないような場所がある。そこに建物があり、人が暮らしていることが分かっていても、立ち寄る用事がないためだ。そういう場所や建物ほど、観光地としては賑わう。

 昔の人たちの痕跡が、今の人たちを観光で潤しているのだが、周辺の観光地目当ての商売は、その建物とは何ら関係がない。

 しかし、寺社仏閣をメインにした観光地は昔からあり、珍しいことではない。特に宗派を超えて、人々がお参りできる建物は、昔から綿々と続き、そして賑わうことが多い。

 観光地は信仰がなくても出入りできる。つまり、信仰そのものが観光なのだ。信仰している人たちを見る観光でもある。

 日本には厳格な意味での宗教がないと言われているのは、よい意味での曖昧さの恩恵だろう。論理の筋道が西洋哲学とは違っているのは、近所のおばあさんとかの生き方や、物言いを聞けば、見えてくる。

 有り難ければ、何でも良いと言うのは、ある意味で健全だ。