川崎フォトエッセイ  その1046  美的       HOME

 程よいアップがある。抜きすぎると周囲が分からなくなる。そのものは何処かにあるわけで、その何処かが見えなくなると、舞台が見えなくなるからだ。

 しかし、見たくない周辺もある。そのものはよいのだが、そのものの周辺が邪魔な場合だ。

 しかし、そのものや周辺は、見る側と関わりなく存在している。見る側の勝手で、優遇したり無視したりする。

 美的な感覚は結構我侭だ。それが個人的な感性の中だけでやるのなら、然程問題はないが、それがポリシーとなり、他のことでもその文法を使い出すと、面倒なことになる。

 美的なものは余裕の産物だ。それがなくても暮らしていける。

 しかし美的なものは、幻惑を誘う。それに乗ってしまうのは自由だが、惹きつけられる側の原因を考えるのも興味深い。

 醜い者ほど美しいものに憧れる…などという言葉もある。

 

 

川崎フォトエッセイ  その1046  美的       HOME