川崎日誌   フォトログ HOME       20

 

■2012年2月5日 日曜日 15時28分
 
 起きると少し遅い。曇っている関係からか、夕方のように感じられる。実際にはまだ早いのだが。
 寒さはややましになっている。
 立春というのがあり、その日はもう過ぎたようだが、日常の暮らしでは何の意味もない日だ。意味を失っているのだ。
 冬の底を過ぎたあたりで、寒くなるのではなく、そこから上へ向かうときが立春だろう。まだ、冬だが、春に向かっているからだ。これを立夏とは言わないのは、春が先のためだ。確かに冬から夏へ向かっているとしても、その前に春があるのだ。温度的には冬も夏もない。数値があるだけだが、天気は温度だけでは決まらない。太陽の位置や雲、湿気などが加わり、雨の多い梅雨や、蒸し暑い夏がある。温度だけでは、これは表現できない。温度と湿度だけでも駄目で、やはり全体が変化する。
 立夏とは呼ばないで、夏立ちぬ、などという。その季節の雰囲気で、言い方が決まり、四季平等ではない。
 
「ポストモダンエレジー」のPDF版を作ったのだが、ウェブ版も作っている。
 PDF版は一太郎で版をこしらえ、ジャストPDFで落としたのだが、ウェブ版はドリームで弄っていた。毎日使っているので、慣れているからだ。バージョンはMXと古い。このソフト、マクドメディア時代は安かったのだ。
 ホームページビルダーは動作が重いので、さっと更新し、さっとアップしにくい。
 HTML5などを意識して、フルスタイルシートで作ろうと思い、ソースネクストのホームページZEROを使う。ゼロとは、今後アップしても、0円だという意味だ。
 フルスタイルシートという言葉があるのかどうかは分からないが、要するに外部スタイルシートに定義して、本体のHTMLはすっきりさせたものだ。
 それよりも、見た目のレイアウトが違う。スタイルシートで作ったものは、どれも似たような画面になるのは、ブログ風画面が多いためだ。ポータルサイトのような、あの感じだ。
 それよりも、「ポストモダンエレジー」をPDFで作ったものに近い感じで、HTML版というか、ウェブ版にするのが目的だ。新たにサイトを立ち上げると言うことではない。ただのページだ。
 気になるのは、最近のウェブページは、結構横幅が広い。そのため、それを読むとき、ブラウザの画面を大きい目にしている。窓を大きくして見ている。その状態で、テキストだけのウェブページへ行くと、非常に長い桁数になる。HTMLだけならインデントで両端を挟み込んで、桁数を少なくするのだが、それでは追いつかないこともある。
 古典としては表を使い、表を固定し、その中に文章を流し込む。しかし、表は表なので、行間隔などは、難しいことになる。
 だから、表で左右の幅を狭めたり、インデントで挟み込むのも、まあ、仕方がないのだが、もう少し、すっきり出来ないものかというのが課題だった。
 それが、スタイルシートによる段組だ。ブログなどである、二段組みや三段組みの、あれだ。
 また、一段でもいい。文章の桁数が、あまり長くならない程度の幅で、箱を作ればいいのだ。
 この一つの箱、ブロック、コンテナ、というのを作るテンプレートがホームページビルダーにはない。なぜなら、これはテンプレート以前のものだから。
 この一つの箱だけ、ブロックだけを作れるソフトがホームページZEROだ。
 ヘッダ、タイトル、段組、フッタと縦方面に、箱を積み重ねるのだが、メインの箱一つだけでもいい。箱組レイアウト画面があり、そこで調整できる。箱はチェックを外せば、表示されない。だから、非常にシンプルなスタイルシートレイアウトも出来るし、段組もいくらでも出来る。
 それらは、外部スタイルシートファイルとして書き出されるので、それを使えば、テンプレートを得たのと同じだ。
 後は、ドリームや、ビルダーで、外部スタイルシーとして、そのファイルにリンクを張ればいい。
 と、最初は思っていたのだが、ドリームや、ビルダーが持っているスタイルシートエディタのようなものは視覚的ではない。だから、作っている最中に、段組を変えたり、段を増やしたり、段の幅を変えたり、その段というか箱内のフォント指定などを、変えたいとき、スタイルシートエディタでは項目が多すぎて、何かよく分からない。何に対しての命令なのかを認識していないので、汎用性が高すぎるのだ。
 だから、自分で作ったレイアウトの箱の並びを視覚的に表示させ、任意の箱の書式を指定できるのが、好ましい。
 テンプレートで、ブログのデザインを変更するような感じで、作るのではなく、まずは白紙のページを見せてくれ、というのがいい。
 白紙から画面分けをする。そのほうが、そのコンテンツに合ったデザインが出来る。
 巨大なサイトを作る場合は、ドリームが軽快だが、バージョンが古いので、スタイルシートで作ったものを読み込むと、崩れる。ビルダーは、まあまあ合っている。
 だから、ZEROで作ったものは、ZEROで修正したり、更新したほうが間違いが少ない。
 ただ、ZEROの規模は、サイトの一フォルダ程度なので、大きなサイトを作る場合は、アップするサーバー上で継ぎ足すことで、可能だ。つまり、FTPソフトが内蔵されているので、サーバー上の任意フォルダに狙い撃ちして、転送すればいい。その設定は簡単にできる。
 それで、電子書籍風なPDFで作るより、HTMLで作ったもののほうが読みやすかったりする。それは、ハイパーテキスト性が強いためかもしれない。そして、画面の大きさを気にしなくて済む。ただ、それを本という感じでは認識できない。
 いつの間にか本の画面より、インターネットブラウザの画面に慣れ親しんだためだろうか。いつもの枠がそこにあり、操作も手慣れているためだろう。
 
 
 

■2012年2月4日 土曜日 13時13分
 
 最近は起きる時間が安定している。寝る時間も安定している。寒いので動きが鈍っているためだろう。そして、安定して寒いこともある。
 今日は、晴れているのか、曇っているのかがわかりにくい。どちらとも言えない。起きた時間の空模様なので、その日、一日の天気ではない。晴れのち曇りだと、晴れており、やがて曇ってくると言うことだろうが、また晴れてしまうのは、どういう天気だろう。晴れ時々曇り、または曇り時々晴れだろうか。行きつ戻りつだ。
 昨夜も自転車では手が冷たい夜だったが、天気予報によると、少し温度は回復するようだ。どちらにしても2月が真冬だ。まだ、底に向かっており、真冬に向かっている。決して春に向かっているのではない。底を通過しないと、春は見えない。
 
 正月用に買っていた白味噌で煮物を作る。小さな味噌のパックで、値段は見ていないが、正月用食材で、高かったのかもしれない。雑煮を作るためだけの白味噌だ。甘くて、普段は使えない。この白味噌は餅を入れた雑煮にはよい。そして、最近の味噌はよく溶ける。この白味噌だけかもしれないが、溶けやすい。
 醤油も味噌も大豆だ。大豆が大活躍しているのだが、大豆畑など見かけない。枝豆のあれが、大豆なのだろうか。あぜ道に植えられているのを、昔、近所で見たことがある。
 細いサツマイモが百円で数本入っていたのを買う。ライターの幅ほどの細さだ。いつものように蒸かして食べると美味しかった。蒸かし時間も短いのですぐに食べられる。
 蒸かし時間は曖昧だ。水がなくなると、湯気が上がらなくなる。それまでに取り出す。何分かは分からない。三十分少しだろうか。たまに串で突いてみて、出来ているかどうかを確認する。それも時計で時間を計るわけではない。電気鍋なので、視界に入る。これをガスコンロでやると視界に入らないので、忘れてしまうことがあり、鍋を焦がしてしまう。それで、いくつも鍋を焦がして、捨てないといけなくなる。そのお金で、電気鍋が買える。
 昔は、部屋の中に火鉢が入っていた。暖房用だ。練炭火鉢だ。これで煮炊きをしていたように思う。
 
 ニコンP500望遠端撮影。
 810ミリ望遠が値打ちなので、そこが駄目なら、意味が殆どなくなる。
 それで、望遠端の写りはどうなのかを、確認してみた。
 810ミリというのは、非常に厳しい撮影領域に入る。カメラの機能だけの話ではなく、広角で写すより、条件が悪いのだ。
 例えば、電柱を普通の画角、つまり24から100ミリほどの標準ズームで、写したものよりも、数十メートル離れたところから、810ミリで写すのでは、画質が悪くなるのは分かっている。だから、単に遠くから写すだけのことだけではなく、同じような画質にはならない。
 まずそれを前提にしての話だ。
 画質が悪くなるのは分かっているが、どの程度までかと言うことだろう。
 結果的には、そこそこいけることが分かった。
 ただし、ぶれやすいので、構え方や、押すタイミングが大事だ。これは、標準ズーム系ではあまり神経を使わないのだが、810ミリだと、いくら手ぶれ補正があっても、シビアだ。
 遠方で、810ミリでも、ピントは結構早い。ただ、二枚目を写すとき、ピントを合わせ直すので、ややゆっくりだ。最初の一枚目は、ピントが合いやすい場所を狙い、その後、構図を変えるので、二枚目は、その位置スタートのAFになるため、合いにくい場所だと、ややもたつくが、ピントが行ったり来たりはしない。それをするのは、暗い場所で、このカメラ、あまり暗所は得意ではないようだ。しかし、AFを広い範囲に設定すると、何とか探し出してくれる。真ん中だけでは無理な場合は、こちらの方が合いやすい。
 ピントに関しては、それほど心配はいらない。ただ、標準レンズで写すときのように、適当に合ってしまうようなことはない。それはピント幅が浅いからだ。810ミリだと、30メートル先のものを写すと、背景は完全にぼける。見事なものだ。そして、100メートルと、その後ろ側との違いもはっきりあり、遠方はぼける。
 このピントの浅さは久しぶりに普通のカメラで写したときのような感じで、ピントが浅いことを気にする写し方になる。
 コンパクトデジカメでの200ミリは、これは広角レンズではないかと思えるほどピントが深い。やや遠くも、さらに遠くも、同じように見える。僅かにぼけているのが分かる程度だが、望遠レンズと言うより、トリミングレンズに近い。圧縮感はあるが、ぼけないので、引き離せない。それはそれで、絞り込まなくても、ピントが合う良さがあるのだが。そして、絞り込むと言っても、コンパクトデジカメの絞りは二段式だったりする。あとはNDフィルターだが、これは、深度とは関わらない。
 また、デジタルズームもトリミングなので、ぼけ具合は、同じだ。
 望遠端の鮮明度のなさが、写真の味になる。ソフトなのだ。
 元々ソフトな上、さらにぶらして、ソフトになることもある。もっと言えば、ピントがやや甘く出てしまい、ソフトに繋がっていく。ぎりぎりのところで、勝負しているような感じなので、逆に写真らしい迫力を感じたりする。絶対に鮮明に写っているとは限らないからだ。
 よく晴れて条件のいいときの広角での撮影は、どんなカメラで写しても鮮明だ。しかし、810ミリと、無理をした状態だと、そのレンズの欠点が出る。その欠点が味なのだ。だから、どのカメラも似たような写り方ではなく、個別の癖が出る。これが、レンズの味ではないかと思える。
 ニコンP500のようなネオ一眼タイプではなく、旅カメラでも最近は400ミリや600ミリまで来ている。当然、それらのタイプはアイレベルファインダー(電子ファインダー)はない。手かざしでも写せるのだが、超望遠に関しては、背面液晶での撮影では、ターゲットが掴みにくい。徐々に望遠側へ寄せていけば別だが。
 だから、800ミリ超は、ネオ一眼の聖域でもある。聖なる領域ではなく、スペック的な特徴にすぎないのだが、ネオ一眼でしか出来ない領域が写せる。ネオ一眼でもアイレベルファインダーがないタイプもある。出来れば、アイレベルファインダーで覗いたほうが、写しているような気になるので、気分の問題としても楽しいはずだ。
 ニコンP500のアイレベルでの電子ファイダーは、ドット数が少ないので、ぼけ具合などは見えないが、それは、深度が深いコンパクトデジカメのためで、よほど近距離でないと、背景のぼけなどは確認できない。だから、解像力の高いファインダーでも似たようなものだろう。ただし810ミリとなると、ぼけ具合はよく見える。ピントの合っているところと、そうでないところが、結構分かる。
 35ミリフルサイズの一眼レフでも、広角レンズを付けて覗くと、全部ピントが合っており、ピントの山など至近距離でも写さない限り確認できない。それにレンズが暗いと、ピントの山はさらにわかりにくい。気分がいいのは50ミリF1.4のレンズだろう。
 以上、望遠端でも、十分な画質が得られることが分かった。
 排気ガスや、スモッグ、空気の揺れ、霞、などが当然、遠方では出るので、望遠はコントラストの低い画質になるというのは、被写体によるものが含まれている。だから、天気などに左右されるので、いつでも何処でも綺麗に写るとは限らないのが、超望遠の世界だ。
 逆に言えば、見たまんまが写ってしまうのだが、コントラストとの低下は修正できるので、問題はない。
 
 

■2012年2月3日 金曜日 13時23分
 
 昨日は寒かったが、今日は少しましなようだ。晴れているためだろう。昨日は久しぶりに雪が降っていた。雨ではなく、雪なので、確かに寒い。
 夜も自転車で走っていると手の指が冷たい。これも久しぶりだ。指は上着の中に隠して、それを手袋のようにして、ハンドルの上にのせているが、だいたいはこれで大丈夫なのだが、昨夜は冷たかった。だから、今冬一番の寒さような気がする。大阪周辺で雪が降るのは希なことだ。ただ、積もるようなことはなかった。雲が少なかったのかもしれない。
 寒いと動きが確かに鈍る。動きたくなくなる。ホームゴタツから離れると震えるほどなので、そこから出られない。これも出て、動けば体も温まるのだろうが、流し台に立つのはさすがに寒い。台所で汗をかくほどの運動をするわけではないので、掃除でもしない限り、体は温まらない。しかし、部屋の中では、薄着だ。そのため、そのまま暖房のないところにいるから寒いのだろう。外と同じ服装でなら、それほど寒くはないかもしれない。
 
「ポストモダンエレジー」の電子書籍風なものができた。漫画雑誌ガロで、連載していたフォトエッセイだ。電子書籍風というのは、これは書籍だろうかと思うからだ。PDFで綴じたファイルではないか。それに対し、書籍という重い言葉を使うのは、その言葉がいつの間にか流通したためだ。
 最近では、電子書籍をHTMLで作る云々の話などもあり、それなら、ウェブである。ウェブを書籍とは言わないだろう。
 電子書籍のイメージは、メディアブックだ。
 これは本屋で売っており、本だ。紙の本の付録に、DVDなどが入っているというスタイルだ。一応本というガワがある。そのDVDだけを抜き出せば、紙は消える。しかし、DVDは裸のままでは傷つきやすい。だから、袋やカバーがいる。それさえも取り払い、さらにDVDという容器も取り払ったのが、電子書籍だ。もう手に取ることは出来ない。
 この容器が大事で、テレビも、実際には電波で届けられる。アンテナやチューナーがあれば、パソコンでも見られる。しかし、テレビはやはり、テレビで見て、テレビだろう。パソコンで見ると、テレビなのだが、それは動画というジャンルになる。ライブ動画のような。
 ご飯を食べる茶碗とお茶を飲む茶碗は違う。味噌汁を飲む椀は、また違う。しかし、どんな容器でもご飯もお茶も味噌汁もカレーも入れられないわけではない。それをしないのは、習慣だろう。そういうものだと思っているからだ。
 本は読まないが、テレビならよく見るような人と、電子書籍との接点に親しみがあるかもしれない。本と言うのは重々しく、勉強しているような感じが嫌なのだ。真面目な態度で学ぶような雰囲気が本にはある。それは子供のころ教科書という本が真面目な物だった印象があるためかもしれない。そして、本を読む人は賢い人、というイメージがある。子供には絵本という馴染みやすい本もあったのだが、すぐに漫画になる。それよりも、テレビやゲームになる。
 漫画のほうが読者対象が広いのだが、その漫画雑誌の売り上げもよくないらしい。漫画の単行本が、よく売れるのは、小説に比べてだ。売れるというより回転が速い。すぐに読んでしまえるため、次の本を買いに行くからだ。小説は読むのに時間がかかる。だから、回転が遅い。
 読書人と呼ばれている人たちは、インテリだ。当然、それほど人口が多くはない。ただ、そういう本は、あまり売れていない。
 社会問題なども、テレビのドキュメンタリー番組を見たほうが早い。毎日やっている。本に書かれていたコンテンツを、テレビが取っていった感じだ。
 そのうち、家庭用の普通のテレビで、電子書籍が読める時代になるかもしれない。
 そういう感じなので、電子書籍を出しましたとは、何となく気恥ずかしい。やはり、電子書籍風なものというレベルだろう。
 ホームゴタツの中で、ごそごそやっているだけで、作れてしまうのだから。
 ただ、ガワの問題で、ガワだけで、電子書籍と呼んでもいいような物がある。それはテレビはテレビで見て、テレビのように、電子書籍は電子書籍端末で読んで、始めて意識として、電子書籍だと認識できるかもしれない。単純な話だが、ガワが大事だ。
 
 

■2012年2月2日 木曜日 13時15分
 
 中途半端に晴れている。昨日は風が強く、寝起き、老婆の喫茶店へ行くまでの道で、自転車が風で持って行かれそうになった。台風でも滅多にこんなに強い風は吹かない。まして、そんな予報は出ていない。ただ、強風注意報などは、登山にでも出かけないと、注意しないだろう。
 台風が来ている。は意識している。来る前から何とか分かる。しかし、強風というか、いきなりの突風は予測していないし、その身構えもしていない。風が強い程度に思っているからだ。しかし、台風並みの風がいきなり来ると、これは驚く。さらにビル風と重なると、自転車が横に走りそうだ。
 突風や竜巻は予測しにくい。ずっと風が強く吹いている状態だと用心するが、そうではなく、突然の突風は、予測できない。
 そういうとき、情報化社会で、こういう風が吹くことは予測できたはずだと、考えてしまうかもしれない。しかし、そこまで予測できないのだ。予測できるとすれば、確率だろう。突風が吹く可能性がある程度だ。台風でも近づいていない限り、晴れているか雨か程度のことで終わるはずだ。
 しかし、突風は突然やってくる。だから、突風なのだ。突然なので、そのままだろう。
 
 一太郎からパブーへは無料。
 一太郎の今度の目玉はイーパブ3変換だが、それは電子書籍が個人で簡単に作れる。そして、販売は、パブーで行う。それが一太郎側での図式だ。
 パブー内でも電子書籍、この場合イーパブとPDFだが、パブー側のエディターで作れる。修正加筆も出来る。そのエディターで作ると、PDFとイーパブのファイルを自動生成してくれる。このファイルは、自分で作って、自分でダウンロードできる。だから、簡易PDF、簡易イーパブ作成変換ソフトのようなものだ。
 ただ、ネット上で作るパブーのエディターはわかりにくい。いろいろと、うろうろしないと駄目だ。
 そのパブーのエディタ部を、一太郎というワープロ側で作ってしまおうということだ。しかし、よく考えると、小説などをパブーでアップする前は、個人的には実は一太郎で作っていたのだ。だから、一太郎で、既に出来上がっている文章を、何でまたもう一度パブーのエディターで作り直さないといけないのかと、疑問に思っていたが、それは一般的な話ではない。自分が偶然一太郎で文章を書いていただけの話だ。ここで、実は完結しているのだ。
 ただし、印刷向けに。
 ただ、最近は印刷などしていない。発表場所、フィニッシュがネット上のためだ。
 それで、何が無料かと言うと、パブーで有料となっているエディターを使わないで、いきなりPDFやEPUBフィルをアップするのが、無料なのだ。これは月額500円ほど必要だった。パブーのエディターを使うのが面倒なだけで、その不精費が500円はしんどい。有料だと、他にも無料では出来ないことが少し加わるが、月間500円をパブーで稼ごうとしても、まあ、無理だ。だから、それが目的での損得計算ではなく、面倒なので、500円払うということだ。しかし、電子書籍はそれほど売れるものではない。紙の本もそれほど売れるわけではない。商品としての本は、そんなに儲かるものではないのだ。だから、パブーでも本が飛ぶように売れるわけではない。
 余談だが、本が売れないのは、買わなくなった人がいるからだ。以前は買っていたが、ぎりぎりの生活の人は、本代を節約する。本当は買いたいのだが、それをすると、食費を節約することになる。
 本代に変わるものとして、ケータイ、スマートフォン二台持ちでの通信費、その他、パブー有料版ではないが、ネット上でのサービスで、定額契約しているケースもある。それらは、本に代わるものに近い。だから、本や雑誌を買わなくても、知的好奇心は結構満たされているのだ。
 さて、パブー有料版だが、年間1万円を超える年貢はきつい。月に何十冊も出版するのなら別だが。
 だから、これは個人から見ると、たまにアップするだけなら、パブーのエディターでもよい。ただ、たまだと使い方を忘れてしまうが。
 月額500円はまあ、パブーへの寄付としてなら、いいのかもしれないが。そこまで肩入れできるほどのお大尽は少ないだろう。
 さて、今度の一太郎は、そのユーザーなら、500円払わなくてもいい。ただし、それはどの期間なのかはまだ分からない。つまり、一太郎の今回のバージョンを買った人が一年間。ということになる可能性が高い。二年目からはどうするのかとなると、これは、次期バージョンの一太郎を一年後買うということだろう。これで、自動延長。そういう感じになるのではないかと、想像している。これは予測だ。
 パブーへ飛ぶとき、一太郎側のどこかから、飛ぶのだろう。この橋渡しするプログラムのようなものが、今回の一太郎に入っているはずだ。
 いきなり、パブーへ行き、一太郎ユーザーですがと、名乗っても駄目だろう。
 書式の整合性も想像でしか分からない。
 一太郎で作ったPDF書式、EPUB書式を、パブー側のPDF・EPUBに合わせてくれるのだろうか。または、より自由に作ったものでも、アップできるのか。まだ、分からない。
 一太郎側が持っているジャストPDFで作ったものをパブーで、うまく填まるのだろうか。別にジャストPDFではなく本家のアドビで作ってもいいはずだ。ファイルだけ用意すればいいと思う。
 また、漫画をPDFにした場合、パブーが推奨するサイズがある。サイズというか比率だ。それを一太郎側でも作れなくはない。少し考えにくいが、ワープロ側に画像として漫画を埋め込む方法だ。サイズは適当でいい。大きくてもかまわない。書式内に入るためだ。
 ただ、これも、パブーエディター〜作った場合の推奨サイズで、何でもありかもしれない。自分で作るのなら。
 余談だが、一太郎でも漫画ページは作れる。本当はグラフィックソフト花子や、花子フォトレタッチの世界だが、ワープロで作るというのが面白いのだ。
 台詞は、画像側のネームを消し、一太郎側で写真の上にレイヤー的に書き出す。一太郎はDTPソフトではないが、レイヤーが使える。そのレイヤーに花子を重ねると、かなりの種類のファイルを読み込めるので、DTPソフトとしても使えるのだ。
 電子書籍のおかげで、一太郎がよみがえるのではないかと思ったりする。それは、一太郎はあくまでも紙への印刷向けソフトだ。だから、ワープロソフトなのだ。しかし、紙への印刷ではなく、ネット上でのコンテンツではなく、ダウンロードして読む電子書籍書式で出力できるとなると、非常に気楽なのだ。
 要するに、普段、日記や、小説や、請求書などを書いている一太郎画面上で、電子書籍も作ってしまえるので、ステージを変えなくてもいい。ステージとは、同じソフトで、という意味だ。同じ画面で、いろいろ出来るほうが、馴染みが深い。
 しかし、一太郎で電子書籍が作れ、販売できるからと言っても、それは技術的に出来る、出来る、出来る、と言うことだけで、完成しても、シラーとした世界が待っているだろう。
 電子書籍や、販売サイトとはそんなもので、自分の本が何処に並んでいるのか、さっぱり分からない。それを発見できるのは、本人だけだったりする。
 電子出版、個人出版、そのあたりで頭を悩ませているのは、作った後のことで、作るのは、一太郎でも作ってしまえるほど簡単なことだ。問題はその後だ。
 個人が勝手に作った有料電子書籍は、まず売れない。可能性が少しあるのは、タイトルだ。タイトルだけで、見に来る人がいる。気になるタイトルのためだ。しかし、そこまでだろう。それを書いた個人が何者なのかが分からない。信用ならんと言うことだ。
 しかし、実用書や、マニュアル書で、特殊な分野での解説書なら、需要があるかもしれない。もしかして、その電子書籍が虎の巻のようなもので、その電子書籍を発見したことが貴重な宝箱を開けるような感じで。
 しかし、そんな貴重な情報はないと思う。ネット上を調べれば、出てくるだろうし、特殊分野では、そういったフォーラム系で、深く掘り下げられているだろう。
 課金して、誰も読まないか、無料にして、少しでも多くの人に読んでもらうか、どちらを取るかとなると、後者だろう。
 その中の数冊程度は課金物も、入っており、少しはお金をくださいと、まあ、寄付のような感じで、買ってもらえる程度でいいのではないか。
 だから、売れる売れないは、後で考えることにして、点数をそこそこ出し、よく手入れすることだろう。
 また、電子書籍からの収入はなくても、別の仕事が来るかもしれない。それはコンテンツの力だ。
 本を売って儲ける時代ではなくなっている。また、本という形も、崩れてきている。
 紙の本は出せないが、電子書籍でなら安く出せると言うことだけではなく、従来の本とは、ちょっと別のジャンルになるようだ。
 それは、もう本ではないのかもしれない。
 本に関わっている人は、儲けるためのビジネスだけではない。それなら、本ではなく、別の商品やビジネスをやるだろう。本に関わるのは、利益を得る以外のものがあるからだ。利益は、継続的に本を出していきたいため、必要なのだ。
 ただ、最近は本という箱がつぶれかけており、その中身を覆う物、運ぶものが、ちょっと変化している。中身とは、文章や絵や漫画や写真だ。これは本を作るときは原稿だが、パソコン上ではソースのようなものだ。
 パブーなどで、期待しているのは、本屋では、あまり置いていない本だ。
 適当なたとえではないが、よく旧家や庄屋や寺院の蔵から古文書が発見される。こう言うのは出版するつもりで、書かれたものではない。公家は書いたような日記などもだ。
 また、洒落で書いた読み物や、読書日記など、紀行文風覚え書き。
 それに近い物を、今も民間の普通の人が書いているはずだ。
 一太郎ユーザーは年寄りが多い。その書斎のパソコンで一太郎で、何かごそごそやっているはずだ。そう言う人が、パブーに電子書籍としてアップすれば、結構豊かな本の並びになるのではないかと思ったりする。決して、それらは売れるような本ではないし、売るための本でもない。
 本のための本ではなく、コンテンツのための本なのだ。
 昔の和綴じ本は、自分で一冊だけ、本を出していた。これも本なのだ。紙がばらけるので、綴じたのだ。
 そこまで先祖返りというか、戻って考えのもいいかもしれない。
 ただ、個人が作った本は、流通には乗りにくい。特にネットでは、非常に難しい。作者と読書が、直接結びつくことは希だ。だから、その間を繋ぐ、何かが必要だろう。出版社、版元は、元々その役目をしていたはずだ。
 個人の書斎から出た「書き物」をチョイスし、よく目利きのできる人が、いい出物を集めてきて、並べるのも面白い。出版社カラーは、そのあたりで決まる。
 決して、ゴミ屋さんではないが。ターゲットは古書ではなく、個人の書斎にもあるのかもしれない。ゴミなのだが、宝の山にするのが編集マジックだ。
 と言うようなことを、一太郎でパブーから、本を出すのニュースで、連想した。一太郎を使っている老人が、手慰みで、パブーを訪れる姿を。
 
 
 

■2012年2月1日 水曜日 13時12分
 
 曇っているのか、晴れているのか分からない。どちらかというと曇っているほうだろう。日差しも曖昧だ。太陽の位置が分かる。しかし、雲の向こうだ。それでも結構眩しい。そして、空は暗くはない。だから、曖昧な天気だ。そのせいではないかもしれないが、風が強い。そして、寒い。
 寒いと固まってしまい、外に出るのが嫌になる。暖房のあるところから、ないところへ出るのが嫌なのだろう。それは非常に単純な話で、ただただ寒いと言うことだ。動物的な話だ。動物が寒さをいとい、あまりうろうろしないと言うことではなく、寒いと食べ物が少なくなるのだろう。だから、外に出ても、仕方がない。それで、冬眠する動物もいる。
 人間の社会は暑くても寒くても、ビジネスはある。ただ暇な季節があり、そのときは、あまり動かないのかもしれない。寒いとあまり来ない観光地もある。
 用事があれば、暑くても寒くても人は動く。この用事は、仕事がメインだろうが、趣味性の高いことでも動ける。この場合、非常に濃度のある、つまり、濃い趣味のネタなら、仕事以上によく動くだろう。当然、人間模様でもよく動く。
 金魚も水温が下がると、じっとしている。ヒーターを入れてある水槽の金魚はよく動く。寒いと辛いので動きが鈍るし、下手に動くとエネルギーを使う。それを補給する餌がないと、無駄な動きになる。だから、魚も冬眠する。鮒などは泥の中に潜り込んでいる。
 しかし、餌があっても、この場合、人間が餌をまいても、金魚は寒いと動かなくなる。餌があるのだから、無駄な動きにならないし、エネルギーも補給できる。しかし動かない。これは、そういう習性が残っているためだろう。
 寒いとスイッチが切れるような体になっているようだ。
 
 外出のお供にノートパソコンを持ち歩いているが、そこに重い目のカメラも鞄に入れると、結構重い。
 それで、ポメラ時代を懐かしく思ってしまう。
 ポメラは3万弱の値段だ。非常に高い。それは、富士通ノートパソコンよりも高いからだ。まあ、一番安いのを買ったのだが、その値段の逆転はどういうことだろうかと考えてしまう。
 ノートパソコンの価格が崩れているのだろうが、高いタイプはやはり高い。しかし、その高さは、それほど必要ではナイスペックで、さくさく動く速さなどで高くなるのだろう。必要ではないというのは、ワープロを使う程度なら、そんな高速性は必要ではないと言うことだ。だから、低スペックのノートは安い。
 表側から見た価格では、ポメラよりノートパソコンのほうが高い。だが、実際の価格は、価格破壊が起こっている。少し古くなると、がくっと下がる。ところがポメラは値崩れしない。だから、ポメラのほうが高くなる。値崩れした安いノートパソコンに比べて。
 ただ、慣れというのは恐ろしい。ポメラの画面は狭い。小さい。だから、文字数は少なめの表示になる。ノートで、それなりの広さで見ていると、ポメラのモニターが狭すぎるように感じるだろう。
 しかし、タイプライターのように、単にタイプするだけなら、今入力し、今変換中の文字が見えれば、それほど気にならないかもしれない。
 ノートパソコンなら、Evernoteが使える。このソフトは、今もずっと使っているが、それを後で読み返すことはなく、記憶だけをインプットしているような感じだ。その記憶は取り出すことで、意味があるように思えるが、読み返さないのなら、意味がない。そして、あまり読み返す用事がない。本当に必要なメモというか、テキスト情報は、探さなくても、一つのファイルにまとめて書き込んである。
 複雑な検索をしなくても、エディター側の単純な検索で出てくる。まあ、それよりも、スクロールすれば、どの辺りに、その文字列があるのかが、何となく分かる。
 鞄が重い。それだけが理由で、ポメラへ戻るというのは、知的ではなく、体力の問題だ。
 
 

■2012年1月31日 火曜日 13時34分
 
 晴れており、日差しがある。しかし、寒い。
 寝起きの喫茶店は老婆の店が続いている。昼過ぎ起きだが、まだ夜型ではないためだ。
 決して同じ時間には起きてこれないが、それほどずれ込むことはない。日によっては数分早く起きていることもある。ちょうどそのとき、目が覚めたためだろう。それでも早い目に目が覚めると、これはまだ早いと思い、二度寝してしまうことがある。そのため、早く起きたときのほうが、遅く起きてしまう。せっかく早く起きたのに残念だ。しかし、起きたのではなく、目が覚めただけで、何もしていない。ここですることは、起きることだが、寒いと、なかなか布団から出たくない。それでも一日の中で一番暖かい時間に目覚めるので、冷え切っているわけではない。
 最近は鍋物が多い。野菜とタンパク質系があれば、それで済む。タンパク質系は最低限卵があれば、何とかなる。
 野菜が高い。それでもキャベツは量が多いので、お得だ。しかし、硬いので食べにくい。炒め物などはキャベツは便利だ。焼きそばもそうだ。細かく切ればいいのだが。
 それで、キャベツだけを湯がくことにした。湯がくと言っても、結構煮る。すると、嘘のように柔らかくなる。鍋で他の物と一緒に煮ていると、溶けそうになる。
 ラーメンのスープで、キャベツの芯を煮込み、どろどろにする作り方もあるらしい。確かに葉の柔らかいところは、溶けそうなほど柔らかくなっていた。
 タンパク質は冷凍された細切れのイカが残っていたので、それが活躍している。高かったが、量が多かった。だから、安い冷凍イカの細切れだ。破片のようなものだ。これが意外と柔らかいイカだった。いつでも取り出せる魚介類と言うことだ。イカはその中でも安い。
 だから、イカとキャベツがあれば、何とかなるが、それで三食、毎日だと嫌になるだろう。ただ、ご飯だけは嫌にならない。炊きたてのご飯は、それだけで美味しい。元々おかずは、ご飯を効率よく食べるためでよい。だから、塩だけでもいいのだ。それがおむすびだ。
 黒澤明の七人の侍を見ていると、ご飯が美味しそうだ。白いご飯の価値を、ここで見いだせたりする。また、「用心棒」で、居酒屋で、白いご飯を食べていたり、鍋のおかずをつついているところがある。これも美味しそうだった。その鍋は、客に出すおかずだが、皿か、椀に入れて、出すのだろう。しかし、用心棒はいきなり鍋に箸で芋のようなものを突き刺していた。ああいう鍋物が食べたいような気がする。
 映画「用心棒」はグルメ映画ではないので、食べものに関しては、何かを食べている程度で、詳細は分からない。それがもし、しっかりと料理を写していれば、それほど美味しそうだとは思わなかったかもしれない。つまり、鍋もアップはない。中身の抜きカットもない。だから、見る側が想像で補っている。ここが、美味しいのだろう。だが、逆に出ることもある。想像で補っているのだから。
 また、この映画を映画館で観ているとき、ちょうどお腹がすいていたときだと、さらに美味しそうに見えただろう。
 
 
 

■2012年1月30日 月曜日 13時45分
 
 曇っており、肌寒い。真冬中、ということだろう。
 しかし、雲の一箇所に明るいところがある。日はそこにある。しかし、薄い雲がとろろ昆布のように空に張り付いているので、日が出ることはないようだ。
 温度的には、日があると、日差しで昼間はそれなりに暖かい。当然の話だが、雲が暖かいものを遮っているのだ。
 昨日は久しぶりに食パンを買う。百円少しで6枚ほど入っている。夜中なのでコンビニにで買ったのだが、百均で一斤買えばよかった。それだけでは味気ないので、ジャムを買う。パンより高いが、何度か使える。しかし、この甘い蜜のようなものは、おやつだろう。
 喫茶店のモーニングでトーストが出る。大概バターかマーガリンが塗ってある。それをジャムにしてくれという客が必ずいる。確かにマーガリンより、ジャムのほうが食が進む。ただ、そのとき、コーヒーが甘いと苦しい。ジャムパンと、砂糖入りコーヒーを飲むというのは、逃げ場がない。
 
 一太郎のバージョンアップが近い。今、予約すれば、少し安く買えるのだが、夏前にアップ版を入れたばかりなので、少し早い。しかし、イーバブ3変換などを、早く見たいものだ。
 イーパブ3で、電子書籍、個人の本を売ることも出来る。という一太郎側からの言い方だが、それはパブーとの連携を指すのだが、パブーはまだイーバブ3に対応していないように思う。
 逆にパブーでイーパブ3ファイルが作れるのなら、一太郎はいらなくなる。ただ、パブーでテキストを流し込むのは面倒だ。それを、一太郎側から、自動的にやってくれるのならありがたいが、そんな仕掛けは、ちょっと想像できない。
 一太郎で作った書式付きファイルをパブーでアップするとしたら、パブーは無料版では出来ないはずだ。だから、一太郎で電子書籍のファイルを作っても、パブーで課金されてしまうことになる。ここはどうするのか、見てみないといけない。
 一太郎画面から、パブーを呼び出せるのなら、面白いのだが。つまり、パブーの裏口というか、特別なトンネルを開けてもらい、そこから進入する感じだ。
 一太郎ユーザー様は、どうぞ無料で、お手持ちのイーパブでもPDFでも、そのままアップしてください。とは、ならないと思う。だが、それは使ってみないと分からない。
 パブーは、アンドロイド端末からもオーケイだ。つまり、グーグル系なのだ。そちらのほうが、スマートフォンユーザーが多いためかもしれない。当然、大きい目のアンドロイド汎用機もアンドロイド機のほうが数が多い。だが、アンドロイド端末には一太郎は入らない。ATOKは入るが。
 要するに一太郎はイーパブ3を入れても、出す場所がないので、パブーに目を付けたのだろう。ただ、一太郎ユーザーはそれほど多くはない。ワードのほうが多いだろう。
 だから、イーパブ3に変換できても、持って行く場所がない。自分で見ようとしても、ビューワーは何処にあるのか、探さないといけない。
 一太郎のイーパブ3変換向けのテンプレートが、一太郎側に出来ているようだ。よく見ると、横書きのように見える。写真で、少し見ただけなので、詳細は分からないが、これはイーパブ2対応ではないかと思ったりする。横書きでイーパブ2に合わせたテンプレートではないかと、思ったりする。これは、すぐに分かることなので、この憶測はすぐにばれてしまうが。つまり、間違いだったと。
 ただ推定するのは、今だけの楽しみなので、勝手な解釈を続ける。そのテンプレートは、パブーへ持って行くためのものではないかと。そして、イーパブ3が入っていない端末、つまり、ソニーリーダーの初代などでも読めるように。
 3まで、対応していますが、現状はまだ2ですよ。ということだろう。
 3の特徴は、日本語の縦書きだ。2で、横書きなら、ソニーリーダーへは普通のテキストファイルでもいいのだ。
 ネット上にある長文をコピペでテキストファイルで保存し、そのファイルをソニーリーダーへ送れば、ゆっくり読める。
 テキストファイルや、PDFは強い。
 文章だけの電子書籍を買い、開けてみると、TXTファイルだった。というのも、ありだろう。それならHTMLではないメールでもいいのだ。
 メルマガというのもしつこい。ゴキブリのように強い。何処にでも入り込める。メールさえ受信できれば、端末を選ばない。
 そのうち、メーラー側もHTML5になれば、縦書きのHTMLメールを出せるようになる。これで、雑誌風マガジン発行も出来るではないか。
 ただ、メーラーの設定で、HTMLメールは開けない設定にしていることが多い、だから、広告メールで、HTMLを使っているタイプはタイトルだけで、本文は表示されない。だから、タイトルだけで削除している。HTMLメールは損だ。
 電子書籍の際を見ていると、どこかで先祖返り現象で、ばらけてしまうのではないかと、逆に昔からあったツールに戻りそうな雰囲気がある。
 それは電子書籍の読み方が多様で、よく分かりにくいためだろう。だから、もういいからソースで配布してくれ、という感じになるのだ。
 テキストファイルなら、ポメラで縦書きで読める。TXTファイルは強い。
 
 

■2012年1月29日 日曜日 14時43分
 
 晴れている。暖かい。真冬にしては、暖かい。しかし、夜は寒い。底冷えするので、下手をすると腹が痛くなるほどだ。
 冷蔵庫に入れている飲み物より、水道の水のほうが冷たい。同じ水道の水でも夏場に飲むと、気分が悪くなるほど生ぬるい。白湯だ。
 水道の水は夏冬逆転すれば、ありがたいのだが、これは有り難いだろう。つまり、ないと言うことだ。
 寝起き入る老婆の喫茶店は、日差しが届くので、ひなたぼっこをしているような感じだ。暖房も入っており、快適だ。暑くはない。
 冬場は日照時間も短いし、日も弱いので、貴重な日光浴だ。ビタミン何とかを、合成するためにも。
 
 富士のミラーレスデジカメX-Pro1が興味深い。形がライカだ。
 それよりも、レンズが35ミリF1.4などが期待できる。その期待とは、この受光しサイズだと、50ミリ前後になる。期待しているのは、背景ぼけだ。35ミリは、広角気味なので、それほどぼけないが、F1.4ならボケは期待できる。
 さらに50ミリマクロレンズもある。こちらは85ミリほどになり、F2.8だが、35ミリF1.4よりぼけるだろう。だから、85ミリあたりの画角で、35ミリフィルムカメラの場合の、50ミリF2.8のレンズで写したときのボケに相当するはずだ。
 単純に50ミリレンズで写すという感覚だと、35ミリF1.4レンズが豪華でいいのだが、ボケは35ミリ分しか期待できない。それでいて、画角は50ミリなのだ。これが、ミラーレスを含めて、フルサイズではない一眼レフデジカメの世界なので、35ミリフィルムカメラに相当しないところが、今ひとつなのだ。
 それを少しでも似せようとするには、明るいレンズを付けて、ボケを稼ぐと言うことになるが、やはり、フルサイズ、つまり50ミリは、50ミリ。35ミリ換算しなくても50ミリになるデジカメが安くならないと、本来ではない。
 逆に広角レンズを付けて、写すのなら、どうせボケは期待しないのだから、ピントが深い写真を写したいのなら、非常にお得だ。
 ただ、そうなると、普通のコンパクトデジカメのほうがさらに有利で、そして、写りは一眼レフデジカメと広角ではそれほど変わらない。言うほどの受光素子の大きさの恩恵はないのだ。それを言うと、高い目の一眼レフデジカメを持っている人には失礼なので、これは言ってはいけないことだが。
 コンパクトデジカメで800ミリの望遠だと、35ミリフィルムカメラの140ミリあたりになる。これはぼける。望遠レンズのためだ。そこまで伸ばさないと、望遠らしいボケが出ない。800ミリで写しているのだが、実際には140ミリの中望遠で写しているのだ。600ミリ望遠で100ミリほどだろうか。100ミリの望遠レンズで写すというのは、そこそこぼける。しかし、ぼけやすい距離にすると、超どアップになってしまう。
 これで、分かるように、コンパクトデジカメは、マクロに強いと言うことだろう。そのときは、完全にぼける。近寄りすぎのためだ。そして、最短撮影距離が1セントなどがふつうのなので、一眼レフデジカメには出来ない芸当で、今まで寄れていたのに、一眼レフで本格的に写そうと思うと、とたんに寄れなくなる。
 コンパクトデジカメらしい撮影としては、望遠マクロがある。これは望遠端が超望遠でも、40センチまで寄れたりする。
 料理の写真や、小物の写真、つまり、テーブルの上に乗っているようなものを写すとき、広角で1センチまで寄れたとしても、形が歪む。見た感じの形ではない。35ミリフィルムサイズでは85ミリ画角や100ミリ画角を使う。フォルムが、ほぼそのまま再現されるからだ。だから、望遠接写が出来るコンパクトデジカメがありがたい。だから、高級コンパクトデジカメはズーム比はないが、80ミリや100ミリまではあるはずだ。それでいてレンズは明るい。ただ、よくスペックを読まないと、最短撮影距離10センチは広角の場合、望遠端は1メートルとなっている。ただ、それは端なので、広角から少しでも離れると1メートルになるわけではなく、ズーム比に合わせて最短距離が違うタイプもある。また、広角端から少しでも出ると、1メートルになってしまうカメラもある。
 コンパクトデジカメから一眼レフに乗り換えた人が、不満を感じるが、それが言いにくいのは、接写だろう。マクロレンズやクローズアップレンズを付ければ解決するが。一眼レフの概念は、システム一眼レフとして、持っていてこその一眼レフなのだ。特価で買った標準ズーム付き一眼レフだけでは、足りないのだ。
 そして、マクロレンズを買おうとしても、その値段で、デジカメがもう一台買えたりする。
 
 
 

■2012年1月28日 土曜日 14時44分
 
 晴れており、温かい。天気予報は当たっていた。ただ、それを信じたので、得をしたわけではない。天気予報の予報が当たったという程度だ。予報された予報を予報する感じだ。それが当たっていた。だから、天気が当たったのではなく、予報が当たったわけだ。天気そのものは当てられないだろう。
 狭い範囲の予報が当たった程度である。その範囲は日常範囲内だ。暑いとか寒いとか、雨とか曇りとかの。傘がいるかいらないか程度の。
 老婆の喫茶店で、ノートパソコンを開けると、ウインドウズの更新が終わっていた。ノートは終了しないで使っている。そのため、ウインドウズの起動をするタイミングは、強制的な再起動を促されるときだけだ。幸いフリーズはしないので、再起動する機会もない。
 ウインドウズ機のノートパソコンで、モバイルパソコンとして使っている場合、さあ、何か始めようとすると、ウインドウズが勝手にお仕事を始めることがある。
 特にお仕事などで、誰かに画面を見てもらおうと、まあ、プレゼンのようなものをしているとき、ネットに繋ぐと、いつ、自動更新ものが動き出すか分からない。
 部屋で充電しているとき、ネットに繋げている。そのとき、入ってくるのだ。その更新プログラムファイルをため込んでいると、外出先で、なかなかパソコンを使わせてくれない。
 
 フォトエッセイ「ポストモダンエレジー」デジタル化寸前だ。ほぼ出来上がりつつある。
 一太郎で電子書籍風なのを作る、という今までやったことがない作業だ。いつもなら、ウェブ用に作る。だから、使うソフトはホームページ作成ソフトと言うことになる。こちらは慣れているし、似たような書式をそのまま使える。
 一太郎からPDFへの変換は早い。できたPDFを見ながら、修正する。
 ほぼ一太郎での画面と同じものが、PDFで出来ている。だから、作っている画面と、それを見せる画面が同じだと、修正もしやすい。
 同じように、一太郎からHTMLをはき出せる。一太郎で300ページ近いものを、一ファイルのHTMLにしてくれるが、これは巻物としては長すぎる。スクロールしきれないだろう。
 これはオプションがあり、一太郎の1ページを、HTMLの一ファイルに分割し、前ページ、次ページを入れてくれるタイプだ。
 また、HTMLはぐにゃぐにゃで、レイアウトが崩れやすい。そのため、画面幅を固定するかどうかのオプションがあったり、改行、階段、表系のタグの形式も指定できる。
 電子書籍を作るとき、それは本だというイメージがあると、作成ソフトは一太郎になるのは、何となく便利なためだ。印刷するためのワープロのためだ。ページ数という概念があるためだが、ウェブにはページの概念はなく、ページにしたければ、細かくファイルを作る必要がある。300ページなら、300枚のフィルが必要だ。これはさすがに編集しにくい。
 ただ、300ページのウェブコンテンツというのは、あまり見かけない。いつの間にか、300枚になっていたと言うことはあるが。
 一太郎ではなく、ワードでもPDFははき出せる。というより、印刷できるソフトなら、ほぼ、出来る。
 HTMLで作ると、ファイル数が多くなる。画像もそのまま枚数分はき出さないといけない。ワープロで使う画像は、中に隠してある。だから、外からでは見えない。PDFもそうだ。これが書類として便利なのは、ファイリングしてくれているからだ。一ファイルの中に、全部詰まっている。
 HTMLになると、ファイル数が多いので、フォルダ単位で動かす必要がある。それを圧縮ファイルにし、一ファイルとして、やり取りするのだろう。ダウンロードでは、このやり方になる。
 ウェブ版になると、レイアウトが崩れるというか、見る側の画面の大きさや、ブラウザの窓の大きさにより、桁数が変わったりする。
 しかし、ネットを見ていて、文字が小さいページでは、拡大して見る。だいたいコントロールキーと+キー、−キーで、伸び縮みするので、多用している人も多いだろう。当然、タブレットタイプだと、指先で拡大縮小し、今、どのぐらいの倍率で見ているのか、分からなくなる。
 桁数を固定させないと、見る側が全画面で、大きなモニターだと、大変長い桁数になる。まあ、それは見る側が、調整するしかないということだが、これも好みの問題だ。読みやすさ、見やすさの好みはばらばらだ。
 電子書籍となっているものが読みやすいのは、文字サイズを変えることが出来、しかも桁数はそれに追従する。この一点だけかもしれない。しかし、それをすると、ページ数も伸び縮みする。
 写真に関しては、ページ内に写真を入れるため、写真が小さくなる。ウェブなら、原寸も表示できる。そこまで大きな写真は必要ではないが、もう少し大きくないと、その写真の意味が薄くなることがある。だから、写真集の本の判型は大きい。
 漫画もそうだ。あまり小さい画面だと、その絵のよさが削がれる。細かいところの描写が見えていたとしても、そのサイズでは、本来の見え方ではないような気がする。作者が見せたかった大きさの絵というのがある。それは書いたときの紙の大きさだ。モニター上でその紙の大きさになるようにして見れば、問題はない。
 雑誌の漫画が、いきなり文庫本、豆本のような小ささになると、がっかりする。電子書籍端末の枠が、棺桶のように見えたりする。
 デジタル化され、永代供養なのだ。
 その意味で、縮小されても、ちょうどいいような絵や写真が好ましい。意外と、あらが見えないので、よかったりする。
 写真は動画にして、全画面で、見てもらうほうがいいかもしれない。その人が見ているモニターいっぱいだ。動画を見るとき、そういう見方をしているはずだ。
 だからスライドショーと言うより、停止ボタンが押せるタイミングだけのタイムラインでいい。動画なので、しばらくすると次の写真が表示されるので、もう少し、その写真を見たいときは、停止ボタンを押せば止まる。
 また、先送りというか、ランダムに、タイムライン位置を押せば、順番に見る必要もない。
 動画がいいのは、クリックしなくてもいいからだ。そして、止めたいときは、いつで止められので、その写真をじっくり見ればいい。
 電子書籍も、動画で作る方法もある。ニコニコ静止画のように。
 文字は画像なので、何とでもなる。
 しかし、スライドショー的に表示させるのなら、ぎっしり詰まった文字画面より、ゲームのナレーションや台詞の表示方法のほうが、読みやすいかもしれない。
 それをパッケージ化して、見せる方法は、RPGツクールや、ノベルゲーム作成ソフトだろう。ただ、プラグインというか、ビューワーがいるし、オフラインで見るため、ネット向けではない。
 小説を動画にしてしまえば、ユーチューブやニコニコ動画の恩恵を受けられる。ネット上に張り倒せたり出来る。
 要するに、よくあるツールで、多くの人が親しみのある画面で、そして、誰でも簡単に作れ、取り回しのいいものを考えることも必要だ。
 テレビで小説を読む。と言うのもある。リビングの大きなテレビで、遠くから活字を追うのは、黒板を見ているような感覚かしれない。
 電子書籍端末が、実は家庭のテレビだったりするほうが、寝転がっても読みやすいのではないかと思える。
 
 
 

■2012年1月27日 金曜日 13時43分
 
 曇っており、寒い。天気予報では、昨日よりは今日のほうが温度が高いようだ。その昨日から今日になったのだが、昨日とそれほど温度は変わらないのだが、予報を聞いているので、暖かく感じたりする。これは暗示に近い。
 実際、今日の温度はどうかと考えると、これは考えることではなく、感じることでいいのだが、寒い。決して暖かくなっていない。予報は外れることはあるが、だいたいは信用している。ほぼあたるからだ。多少ずれたりする程度だ。天気がどちらへ向かっているのは当たっている。これは、雲の動きや風の動きで、気象台がなくても、昔から分かることではないかと思えるが。だからだいたいのことは、気象庁がなくても分かるのだろう。そうでないと、やっていけない職業が多い。
 夕焼けや朝明け、夜の星の見え方。月の輝き方、山にかかる霞や動植物を見ていると、何となく分かったのではないだろうか。長期予報は、いつものパターンにならないので、昔からの漁師などは当たらなくなったと言っていたが、数日先までの流れなら分かるだろう。
 天気が悪くなる。つまり低気圧が近いと、体調が悪くなる人なら、すごい予報士だ。
 パナソニックのアウトドアカメラは位置情報を得ることもできるが、何と気圧計が内蔵している。今のその場所の気圧が分かる。これがあると、体調が悪いとき、気圧のせいなのかどうかが、分かるかもしれない。当然、経度、緯度、標高も分かる。これは山に登ったとき、今何メートルほどなのかが分かったりするし、平地だと思っていたのに、50センチほど高い、などが分かったりして、段差があることが証明されたりする。気圧計は欲しいところだ。
 位置情報が得られるデジカメはいいのだが、地図も欲しいところだ。後で、パソコンで地図を見るのではなく、その場で見たいものだ。
 ただ、地図よりも、目で見たほうが、わかりやすいことがある。地図ではわかりやすいのに、リアルでは、わかりにくい場所がある。
 ちなみに、そういうカメラは、コンパスも付いている。いつ使うのだろうか。山の中で遭難したときかもしれない。
 
・ニコンP500の続き
 数日使ってからの感想となる。
 結局アイレベルで写せる小さなデジカメと言うことだろうか。これが欲しかったのだろう。
 そのメリットとして、堂々と写せる。これは大きい。コンパクトデジカメでの手かざしは軽快だが、あまり堂々としていない。
 それは場所にもよるが、カメラスタイルのカメラは、いかにも写しているように見られる、というように見てしまう。本当に他人がそういうものとして見ているかどうかは分からないが、本人がそういう風に思われて見られているという主観的事実が大事なのだ。この事実はすぐに崩れるかもしれないが。
 つまり、写真をきっちりと、趣味としてやっている人のように思われる。だから、コンパクトデジカメに比べ、ネオ一眼は、もうあきらめたように、ゆっくりとした動作で、カメラを取り出し、しっかりと写すことになる。
 要するに、コンパクトデジカメだと、何かこそこそやっているように見られてしまうと、自分で見ている。
 それで、主婦の多い自転車置き場などでも、堂々とカメラを取り出し、偉そうに写せる。いかにも難しい機材を操作しているかのように。
 しかし、見る人が見れば、それはネオ一眼で、形だけはカメラの形をしているが、実は、値段は非常に安いカメラで、一眼レフが買えない人が使っていると、カメラに詳しい人は思うだろう。ただ、そういう人は滅多にいない。スーパーの駐輪場でウロウロしていないのだ。つまり、ちゃんとした撮影地へ行き、そこで写しているのだ。
 それで、P500だが、殆どアイレベルで写している。貧乏臭く荒い電子ファインダーだが、このクラスでは一割ほどファインダーは大きい。ピントなど見えないのだが、構図がよく見える。そして、音もなく写してしまう。その静けさは、何とも愛想がない。
 一眼レフでは横にいる人を盗撮できないが、ネオ一眼なら音もなく出来るという話ではない。この静かな音のなさが、頼りなさになり、いいのだ。
 そして、何よりも軽い。
 ニコンの昔のカメラで言えば、EMだろうか。名前は忘れたが、ニコンF3時代、つまりマニュアルフォーカス時代の最終機種時代に出たカメラで、非常にコンパクトなオート機だった。それに形が近い。そして、標準ズームを付けたよう出っ張りだ。非常に小柄なカメラだった。これは中古で買ったが、何処かへ行ってしまった。
 P500は写真で見るよりも、小さく、持ってみると軽い。すかすかなカメラで、機械としての重さを感じない。これよりも軽いコンパクトカメラのほうがズシリと手に来ることがある。それは、大きさに対しての予期せぬ軽さのためだろう。
 そのため肩にかけると、安定しない。ズシリと下に重みが掛からないためだ。
 そして、カメラそのものが非常にオーソドックスで、夜景二枚撮り以外には魔法的な技はない。
 結局夜景は、夜景モードに入らないときがあるので、感度を3200にして、シャッター優先で写すのが好ましい。ノイズはあまり感じられない。夜景と言うより、薄暗い夜の道や、路面を写したいのだ。夜景とは光っている明かりを撮るようだが、そうではなく、路面や、薄暗い路地を撮りたいのだ。街灯の光で、うっすらと見えているのだから、暗闇ではない。
 これは、それほど難しくはないが、それを望遠で写すというのが、今の課題だ。光源だけなら写せるが、光源を外した路面だけを望遠で写すとなると、タイム露光に近くなる。しかし、それを自転車の上から手持ちとなると、少し難しい。
 
 さらに、その後ニコンP500の話。
 夜景は感度を3200で写すほうが、好ましいことが分かった。二枚撮りよりも、感度あげというオーソドックスに攻めたほうが早いようだ。
 ただ、このデジカメ、アイレベルの表示が暗い。それは半押しにするまで、露出を合わさないためだ。少しだけ、半押しすると、電気が付いたように明るくなる。しかし、この画面はかなりリアルで、実際に写った状態に近いのか、やはり暗い。
 それよりも液晶で見るよりも、アイレベルで見たほうが、確実に構図が取りやすい。
 夜景モードの反則を使わなくても、感度上げで、結構いい勝負をする。他のデジカメに比べ、夜景や暗い場所が苦手ではない程度だが。夜景モードよりも、感度上げのほうが、明るい目に写る。
 昼間の撮影では800ミリがやはり効いている。人物だけではなく、遠くにある物体を抜くことが出来るのだが、かなりピントが浅いことが分かる。そのため、ソフトな描写が得られる。その被写体が、800ミリに来る状態にして写すと、手前ぼけも背景ぼけもOKだ。ただし、ピントが同じ位置にあるものでは無理だが、手前ぼけは効く。非常に浅いピントを得ることが出来。ピントの当て方が微妙になる。そして、描写が甘くソフトで、非常に柔らかい。ただし、無茶なズーム比のレンズだからといって、像が乱れたり、偽色が出たりとかは、見た目はない。輪郭に妙な偽色も出ない。つまり、像は崩れない。特に鮮明ではないが、まあ、普通だ。質感はよく出ていると言うより、それなりに鮮明な被写体なら、鮮明に写る。ただし、あまり強調されていないようで、描写は大人しい。だから、柔らかなタッチの好きな人にはお勧めだ。
 こういうコンパクトレンズの中で、綺麗に写るような感じのものではなく、味のあるレンズが好みだ。レンズ性能を極限にまで引き出したとしても、それは似たような写りになってしまう。
 コントラストが強い場所での、階調上げだが、これを使うと、色目が落ちてしまう。確かに白飛び、黒つぶれは緩和されるが、色が薄くなる。これは、単に明るく修正しているだけのことではないかと思える。明るく修正したときは、コントラストも上げないと、無理にこじ開けたタッチになる。黒ベタがないのだ。
 階調は暗い目に写す露出補正側が好ましい。または、後で、暗い目に修正すればよい。手前は日陰で、背景は太陽光を満々と受けているような場所では、どちらも犠牲になる感じだ。写っていても、絵が薄っぺらくなる。どちらかに合わせるほうがいい。
 
 

■2012年1月26日 木曜日 13時35分
 
 起きると、昨日よりは、少し早い。そして、寒くなっている。室温が10度になると寒い。冬の初めの、あの寒かった日に近い寒さだ。いよいよ冬の底へなだれ込むのかもしれない。
 寒いがよく晴れており、日が眩しい。
 いつも、寝起き、喫茶店へ行くとき煙草を買う。ちょうど切れているのだ。数本残っているが、喫茶店で切れそうなので、その前に煙草屋へ入るほうが段取りとしては好ましい。コンビニは二軒がある。近くのコンビニは最近パネルをタッチしないといけないのが、嫌な感じなので、避けている。年齢確認だが、見れば分かる。それが、嫌な感じというか、これは、店員のためなのだ。それが分かっているので、協力するのが、何となく鬱陶しい。それで、遠いほうのコンビニで買うことにしている。
 または、スーパーのレジ近くにある大きな煙草コーナーで買うようにしている。
 煙草が品不足の時期は終わったので、もう売られていても、ありがたみはない。
 スーパーのレジにも煙草が置かれてるが、銘柄が限られている。ここで買うのが一番手頃だ。電池などがよくレジ近くに置かれている。あれと同じで、買いやすい。
 昔なら、煙草を買うだけで、煙草屋まで行っていた。煙草を買いに行くという、よくある風景だった。今は、何かのついでで買うことが多い。そして、煙草屋の代わりがコンビニだ。自販機もあるが、カードがないので、買えない。自販機でもいいのだが、腰をかがめて煙草を取り出すのが面倒だし、ボタンを押すのも面倒だ。店売りは、声を出せば銘柄が出てくる。釣り銭も手渡しだ。店により、何も言わなくても、無音でもいつもの銘柄が出てくることもある。しかも一つではなく二つ。いつも二つ買うので、個数まで覚えている店員がいる。
 店売りでは当たり前の話だが、長く自販機で買っていると、これがありがたく、そして便利なことが分かる。
 昨日はスーパーでアルミ鍋カレーうどんを買う。寒いときはカレーうどんが温まる。普通のうどんの場合、汁まで吸わないが、カレーうどんは汁を吸わないと損だ。天ぷらうどんは天ぷら、きつねうどんは揚げが入っているが、カレーうどんにはカレーの粉が入っているだけだ。だから、具はカレーなのだ。従って吸わないと損だ。
 このアルミ鍋のカレーうどんは、スープは濃縮ではなく、そのままだ。だから、鍋に水を入れなくてもいい。こういう出汁はもったいなので、吸ったほうが好ましい。粉末出汁では、そのありがたみがない。
 また、このカレーうどんは珍しく麺が柔らかい。最近のうどんは硬くなっている。それは以前も触れたように、日本のうどん用小麦を生産しているオーストラリア産小麦の柔らかい目小麦が不足しているためだ。この小麦が柔らかいのだ。そのため、硬いうどんは、腰が強いのではなく、元々小麦粉が硬いのだ。うどんはふにゃふにゃなほうがいい。なぜなら、腹具合が悪いときなど、うどんを食べる。この場合、ご飯より、柔らかく消化がよいためだ。それが、硬いうどんでは意味がないのだ。
 
 最近はフェースブックやグーグル+が興味深い。自分のホームページや自分のブログなどは、アップするとき、一度確認するだけで、その後、見ない。
 ところが、フェースブックやグーグル+は、その後も見たりする。なぜなら、フォロー関係にある人の記事が表示されるからだ。そこで、面白い記事やウェブページの紹介がある。何となく、その人がテレビ番組を紹介しているような感じで、ガイド役となっている。いつもなら、見ないようなウェブサイトへ誘導してくれる。それをやっている人は業者ではない。その場合の業者とは、一方的に誘導するだけのロボットのような人だ。
 つまり、少しは関係のある人が紹介するウェブ上の記事がランダムに出る。別に適当に出しているわけではないが、見る側としては、何が飛び出すのか分からない。だから、それを読むために、フェースブックやグーグル+を見に行くのだ。ブログではそれはない。あっても、そのコメントはほぼ広告だ。
 最近のミクシーはそんな感じになっているので、記事を止めている。広告勧誘員の餌場になっているだけに近い。コミュニケーションサイトで、コミュニケーションをしないと、そう言うことになる。他の書き込みはないので、広告勧誘コメントだけが目立つためだ。
 ツイッターはやっていないが動いている。ただ、誰もフォローしていないので、自分の記事しか載らない。だから、ブログと同じで、見に行く必要はない。変化がないためだ。
 ツイッターはやっていないが、ブログで投稿すると、それがツイッターにも表示される仕掛けを使っている。だから、ツイッター画面上で書いていない。それどころが、ツイッターのIDやパスワードが上手く伝わらないのか、入れない。
 フェースブックはフォローし合っている人が紹介する記事を読むのが楽しみだ。記事へのリンクだけでは、飛ばないが、その頭の数行が表示されるので、中身が少し見えるのがよい。
 また、いつもの人が、いつものネタで何かをやっているのも、慣れてくると、日常風景になる。
 フェースブックやグーグル+で、日記風、ツイッター風につぶやいている人もいる。これも毎日見ていると、慣れてきて、これも日常風景になる。ネットは大海だ。だから、いくらでもそう言った記事や、文章や絵や写真や動画は見られるのだが、自分から進んで見に行くより、自分の場に引き寄せられるところに特徴がある。
 チェックしたいブログなどを、あらかじめ設定しておいて、更新されれば、それを見に行くという仕掛けもあり、そちらのほうがより役立つのだが、宿題を溜め込んでいるような雰囲気になる。
 ネット上では目が疲れるので、長時間読めない。情報も多すぎる。
 フェースブックなどでは、その人物の別の趣味というか、本命以外の側面も見られるので、専門知識だけのお披露目ではなく、その人物の好みや世界観のようなものまで、何となく、見えてきたりする。つまり、半ばプライベートな面も分かるので、本命の記事でも、その背景なり、指向性が、何となく分かる。
 普段、こう言うことを考えている人が、とある記事に対して、どうコメントするのかが、分かりやすくなる。
 ツイッターでもフォローしたという報告メールが来るが、それを見ていると、最近広告系が多くなっている。広告でもいいし、商品やサービスを伝えてくるのは、何の問題もないし、協力してもいい。しかし、名を名乗れ、ということだ。名前を明かし、普通の記事を書いている人なら、広告マンでも、馴染みが出来る。しかし、その人のページへ飛ぶと、全面広告では、何ともし難い。店と客だけの関係のためだ。人柄が見えない。これはロボットだ。
 フェースブック、グーグル+。結構役立つので、それに近い物がないか探している。実際はコミュニケーション的なことは何もしないのだが、そういうタイプの人でも、気楽に参加できる場が好ましい。
 フェースブックは普通の検索にはかからないはずだが、グーグル+では、グーグルの検索でかかるようにならしい。こちらのほうがお得かもしれない。
 フェースブックやグーグル+は自分の視野からでは探せない、またはわざわざ探さない記事を、自分の代わりに探し出してきて、紹介してくれることだ。しかも自分の場というか、自分のページ内で、それが表示されるため、家にいながら、報告を聞くようなよさがある。ネットは広いが、ある絞り込んだフィルーから覗けるところが好ましい。
 
 

■2012年1月25日 水曜日 14時48分
 
 風が強いのか、寒い。よく晴れている。日差しも強い。暖かいはずだが、基礎温度が下がっているようだ。
 まだ、一月だが、もう春が来るのではないかと、最近暖かいので、そう思ったほどだ。まだ、真冬には達していないし、冬の底も通過していない。しかし、このままフラットな状態で春に至るのが一番好ましいだろう。そして、今のところ、フラットだ。
 昨日は百均で200円キャベツを買う。実際には210円だ。
 それを焼きそばに入れて食べるが、硬い。
 次のキャベツの出番は、キャベツをメインにした。硬いので、食べにくいため、煮た。
 ロールキャベツのキャベツが柔らかく、美味しいので、煮るのが一番だと考えた。それと、百均で買っていた三割引のシューマイを入れる。ロールキャベツとシューマイは近い。皮一枚だ。だから、シューマイをキャベツで巻けば似たようなものができるが、シュウマイはすぐに煮崩れする。キャベツを長い時間煮込む必要がある。だから、一緒には煮られない。だから、キャベツが柔らかくなったあたりでシューマイを入れる。しかし、あっという間にシューマイの皮が溶け、分解するところだった。シュウマイの皮は餃子の皮に似ている。
 そういえば、百均では餃子とシュウマイが同じ場所にある。お隣だ。シューマイのほうが具が多そうなので、こちらのほうがお得だ。そして、シューマイは食べたい分だけ、すぐにレンジで温められる。
 葉物野菜が高いので買えないが、キャベツは意外と安かった。本来なら、キャベツも100円で一玉あるはずだ。だから200円は高いが、他の青い葉物よりも量が圧倒的に多い。
 
 ネット上での文字を読みやすくすると言うのは、作る側としては、それなりの努力が必要だ。ただ、ブログなどに流し込む場合、何ともならないこともある。いじれないこともないかもしれないが、さっと流してアップしたいものだ。そんなところで、時間を掛けたくない。
 以上の文章を読みやすくしたのが、下の改行だ。

 ネット上での文字を読みやすく

すると言うのは、作る側としては、

それなりの努力が必要だ。

ただ、ブログなどに流し込む場合、

何ともならないこともある。

いじれないこともないかもしれないが、

さっと流してアップしたいものだ。

そんなところで、時間を掛けたくない。

 以上。
 これは、ブログなどでよく使われる例だろう。改行後一行開ける。それよりも、行間隔を広くすればすむ話だ。いちいち空行を入れる必要はないが、ブログの場合、スタイルシートで、行間隔が定義されている。そこを変えればいいのだ。パーセンテージで変えると、わかりやすい。400パーセントかに。
 しかし、その定義されているスタイルシートが何処にあるのかが分からないだろう。ブログのスタイルシートは、誰かが作ったものをそのまま使っていることがある。そのため、その誰かの流儀で、スタイルシートの並び方が違うのだ。だから、定義場所を探すのが大変だ。
 こういうときは「%」で検索すれば、出てくる可能性がある。ただし、行間隔などを、パーセントではなく、ピクセルなどで指定されている場合もある。このあたりが流儀で、作った人の好みや癖で変わるので、統一感がない。中には、日本語のコメントを入れて、ここから記事の文字の大きさ、などと入れている親切なスタイルシートもある。
 桁数を強制改行して、横幅を狭くすると読みやすいが、切る場所が問題だ。句読点の多い文章なら、切りやすい。長いと、句読点がないのに、引き裂くことになる。
 フィニッシュがウェブなら、問題はないが、後で、二次使用する場合、千切れた行をくっつけないといけないので、面倒だ。
 また、ベタベタのHTMLで文章を流し込むと、ブラウザを広い目に開けている人は、非常に長い桁数になる。
 それを両脇をインデントで狭くしようとしても、画面が広すぎると効かない。
 嫌われ者の表を使い、そこに流し込み、表を固定してしまえば済むが、表は嫌われ者だ。
 しかし、表のレイアウトなら、すぐに出来る。
 これをスタイルシートで作るとなると、面倒くさい。
 要は三段組みのようなレイアウトにし、左右を何も表示させなければいいのだ。
 そうすると、真ん中の段が本文段となり、桁数が固定する。
 そのスタイルシートを、簡単に作る方法がある。コードなど覚える必要はない。
 そのソフトはソースネクストの「ホームページゼロ」だ。そこで、スタイルシートによる画面レイアウトを画面を見ながら微調整しながら作れるので、それだけを抜き取り、テンプレートして使うのだ。
 テンプレート言うより、それで保存すれば、外部スタイルシートをはき出すので、そのスタイルシートファイルを使い回せばいいということだ。
 要するに、そういうものを駆使して、電子書籍風の画面レイアウトが作れる。だから、そこで弄っているのはスタイルシートであり、電子書籍の書式も、その親戚のようなものだ。イーパブと、スタイルシート、これは同じではないか。
 しかし、自分でインスタント的に作ると、掘っ立て小屋になり、何かの拍子で、どさっと小屋が潰れたりする。
 そこまでやらなくてもいいから、ネットがフィニッシュなら、出来る範囲内で、読みやすい工夫をすべきだが、人ごとではない。
 文章を書く頭と、レイアウトをする頭は別なのだ。
 
 
 

■2012年1月24日 火曜日 13時49分
 
 晴れている。昨日よりは少し早い目に起きる。
 寝起き、老婆の喫茶店へ行くのだが、その道順がある。いつも同じ道だが、煙草が切れたとき、煙草屋経由で行く。実際には煙草屋はコンビニを指すことが多い。煙草屋そのものが少なくなっている。
 そのコンビニへ寄るため、道順を少し変える。これが意外と落ち着かない。寝起きなので、あまり頭を働かせたくない。変化が欲しくないのだ。昨日と同じ場所を見ながら行くのが好ましい。
 喫茶店を出てからは、どの道でもかまわない。いつもの道でなくてもいい。それは、もうこの時点で目が覚めているからだ。寝起きは目覚めで、目は覚めているから出かけられるのだが、ただの目覚めでは目が開いているだけなのだ。体も動いており、営業中だが、まだ準備中なのだ。起動しているが、起動中なのだ。
 だから、寝起きはあまり頭が働かないので、刺激は避けたい。だから、寝起き、老婆の喫茶店までの道は、静かにぼんやりと自転車で走るのが好ましい。
 
「ポストモダンエレジー」の電子書籍作成の続き。
 電子書籍云々ではなく、一太郎でレイアウトしているだけのことだ。昔なら、それを電子書籍作成などとは言わなかっただろう。ただのフォトエッセイ作成だ。ただ、以前なら、それは原稿で、フィニッシュではなかった。原稿は、編集者に渡す。それで終わりだ。だから、当然だが編集作業はしなくてもいい。
 作者が雑誌などの編集作業に関わらないのは、その雑誌の主旨をあまりよく知らないからだ。編集者は、それに沿った当てはめ方でレイアウトする。デザインと言うほどではないが、ページ割りする。いろいろと配慮している。それは、著者とは別の世界で、編集者の世界だ。まあ、八百屋で食材を案配配置するというような感じだ。
 PDFによる電子書籍は一太郎などのワープロで書いた原稿なら、そのまま本にしてしまえる。ただ、それに表紙を付けたり、などを考えると、とたんに面倒になる。つまり装丁だ。そんなことは考えたことがないだろう。
 だから、パブーなどの電子書籍作成サイトでは、あらかじめ表紙のテンプレートのようなものがある。画像が用意できない人向けだ。イメージに合う画像を探すだけでも大変というか、それを省略したい人向けに、文字だけで表紙が出来るツールが起動する。
 本の装丁と、作者が原稿を書いているときの頭とは、違う使い方であり、違う才能が必要なのだ。器用で、まめな人は、問題なく自分で装丁までやってしまうだろう。決まったイメージが既にあるのなら、話は簡単だが、画像を探したり、貼り付けたりする作業が面倒な人は、無理だ。嫌仕事になるからだ。
 それで、ポストモダンエレジーだが、これはフォトエッセイのようなものなので、写真が多い。しかも細々とある。それをレイアウトするのは面倒だが、あるパターンがあり、それに沿って、やれば、それほど難しくはない。そのパターンとは、読みやすくなるようにだ。写真も文字も読みやすく見えるような妥協点を見つける。これだけだ。
 写真は小さいと見づらい。しかし、大きくすると、文字数が足りなくなる。
 文字の桁数は、短すぎても読みにくいし、長くても読みにくい。しかし、規定の文字数内に規定の枚数の写真を収めないといけない。さらに、ページ内に収める必要がある。ウェブなら、ページ概念がないので、押し出していけばいいだけなのだが。
 いずれにしても、電子書籍風なものを作るという程度のことで、目的は完成させることだけかもしれない。
 

■2012年1月23日 月曜日 15時20分
 
 起きるとかなり遅い。いつもより早く目が覚めていたのだが、二度寝したためだ。相撲の立ち合いのように、まだ立てないという感じだった。
 雨はやんでおり、晴れている。日が出ている。眩しいほどだ。そして暖かい。一月末あたりから真冬に入るはずだが、その気配がない。このまま行ってしまいそうな雰囲気だ。つまり、それほど寒くないのだ。その証拠に、冬の入り口で着ていた服装と同じで済む。本来なら、中に分厚い目のものを着込み、ズボンも薄い中綿の入っている防寒ものを履くはずだ。その必要がまだない。もうすぐするとあるかもしれないが。
 百均で買った大根が意外といける。最初触ったとき柔らかいため、賞味期限切れで、しなびかけているのかと思ったのだが、そうでない。賞味期限切れ台ではなく、普通の野菜コーナーで買っている。この柔らかいというのがポイントで、煮えるのが早い。大根はなかなか煮えないし、煮えたと思ったら、まだ芯のようなものがある。筋だろうか。
 しかし、その大根。野菜が高いので、百円の野菜候補でたまたま大根だっただけなので、大根が欲しかったわけではない。しかし、これが美味しい。まるでじっくり煮込んで柔らかくなったおでんの大根そのままだ。しかし、煮込んでいないのに、柔らかいのだ。非常に得をした気分だが、年中このタイプがあるとは限らない。百均の大根だけではなく、同じ生産地の大根が年中あるとは限らない。だから、安定してこの大根が買えるわけではない。ただ、言えることは指で触って柔らかいのがいいということだ。
 
「ポストモダンエレジー」一太郎版を作っている。一太郎版というのは、印刷するためのファイルだ。ワープロソフトなので。
 実際にはPDFにするために、一太郎でレイアウトしている。
 PDFファイルを、PDF作成ソフトだけで作るというのは希だ。一太郎から見ると、PDFへ印刷するという意味だ。プリンタとPDFは似たようなドライバーなのだ。だから、一太郎で印刷するのと同じように、PDFに印刷するような感じだ。実際にはプリンタへの出力ではなく、ファイルへの出力になる。
 一太郎はレイアウトソフトでない。家庭用DTPソフト的にも使えるが、それは簡易DTPで、見た感じは似ているが、一太郎の場とは行単位の場なのだ。
 つまり、ワープロソフトなので、ピクセル単位の用紙ではなく、行単位で、行間隔のあるシートなのだ。
 そこに写真を挿入すると、簾の上に写真を置くような感じになる。行が磁石のように吸い付く。このあたりは調整できるようだが、普通の図形ソフトより、難しいだろう。
 さらに一太郎は紙に印刷する書類がメインなので、紙に余白がある。さらにヘッダ、フッタがある。最近はプリントしないので、普通の文章の印刷もしないので、ワープロでの印刷は忘れている。ただのエディターとして使っているためだ。
 しかし、細かいことを考えなければ、一太郎で文章と写真を組み合わせたレイアウトは簡単にできる。写真をドロップすると、用紙幅以上の大きさでは挿入されない。また、用紙幅以上の拡大もできない。そして、画像は大きなサイズでもいい。縮小されて表示されるので、あとで、リサイズすればいい。
 写真の位置は、ワープロ風だ。そして素朴なHTML風だ。
 文章の中に写真を投げ込むと、湯が溢れたように文章が溢れ、次のページへはみ出す。これがワープロだ。
 久しぶりに一太郎で、レイアウトしたので、全くの初心者だ。HTMLなら、細かい技で、いろいろ対処できるが、一太郎はどんな機能があるのか知らないので、単純な方法を使っている。
 そのヒントは、シートがあることだ。レイヤーだ。このレイヤーを使いこなせるようになれば、一太郎熟練者になれるのだろう。ただ、早く、すぐに作りたいし、単純に文章と写真が組み合わさったレイアウトなので、高等技を使うまでもないという感じだ。光と技を使いすぎると、あとでの修正が面倒だと思う。
 一太郎からPDFへ変換できるが、HTMLへも、変換できる。オプションはごくわずかだ。100ページほどの長いものでも、HTMLに変換できる。その場合、一太郎での1ページが1ファイルになる。だから、HTMLファイルが100枚出来る。リンクも自動的に付けられる。このリンク文字が、前ページ、次ページで、何とも言えない。少ないながらも、HTML変換時でのオプションがある。これを最大限に使うことだろう。既製服は既製服のよさがある。多少サイズが違っていても、中間の色がなかっても、買って、その場ですぐ着て帰れる。
 ネット時代は一太郎のようなワーププロソフトは、それほど出番はなかったのだが、電子書籍が注目され始めると、一太郎を見直す感じになる。例えば長編小説などは、エディターでも書けるが、一太郎やワードで書いている人が多いはずだ。それは印刷するためだ。原稿用紙に合わせた書式で印刷していたのではないだろうか。プリントして読んでもらうためだ。だから、それをPDFに変換すれば、すむ話なのだが、残念ながら、一太郎のジャストPDFには見開きでの右綴じはない。すべて左綴じだ。そのため、PDFで縦書きで出力するときは、見開きしないように、一太郎の用紙設定を用紙横置きにする。横にすると、最初から見開きのようなものだ。それをPDF側で見開きで見る人は、まずいないだろう。そして、PDF設定で、初期画面を単票か、連続単票、つまり、単一ページ表示か、連続ページ表示にチェックを入れる。見開きにさせないためだ。それをやっても、PDF側でどうとでも表示切り替えは出来るのだが、こちらのディフォトを教える必要がある。縦書きPDFで段組がないタイプはモニター上では見にくい。桁数が長く伸びすぎるためだ。そのため、用紙はA5やB6まで落とし、本文余白も大きい目に取るとことで、桁数が短くなり、読みやすくなる。小さなモニターでも、スクロールしないで読める。
 PDFは画面を拡大すれば、読みやすくなるが、桁数や行数が追従しない。だから、画面からはみ出してしまう。
 これがうっとうしいので、電子書籍フォーマットがある。
 だから、次の一太郎で、その電子書籍フォーマットの一種であるイーパブ3変換が出来ることで、PDFより、見やすくなるのだが、PDFの汎用性、使える端末の多さに比べ、イーパブ3でファイルを吐きだしても、それを受け取った人は迷惑するだろう。
 だから、一太郎側から見れば、イーパブ3ビューワーが普及するまでは、PDFで行きましょう。ということだ。一太郎ファイルで保存しておれば、いつでもイーパブ3変換は出来るのだから。作り直す必要はない。ということは、一太郎は中間フォーマットとして、使えるのではないかと思う。
 
 
■2012年1月22日 日曜日 13時56分
 
 晴れている。これも久しぶりのお日様のように思える。そして、暖かい。この時期、この暖かさなら、やはり暖冬だろう。関西は暖冬でも、北国はそうではないようなので、平均を取れば、平年並みと言うことになる。
 老婆の喫茶店は窓側が明るいのだが、日差しがあたる。カーテンはあるが、それでもノートパソコンのモニターが眩しい。いつもは液晶の明るさを一番低くしているが、晴れているときは中程近くまでバーを上げないと、文字が読めない。これを上げすぎると、明るく、よく見えるのだが、バッテリーを食うので、何となく上げたくない。戻れば充電できるので、滞在時間分は十分残っているのだが、たまに充電を忘れている日があり、そのときは電池のアイコンがぐっと減っているのが見えるので、HP減少で、体力不足になったような気になる。
 パソコン方面は、去年の夏前に買った富士通ノートの安いのが生きている。これで、不自由なく使えるので、スマートフォンやアンドロイド端末を買う勢いにはならない。
 ネットも、通信カードがあるのだが、最近は使っていない。外出先からネットをするような用件はないのだ。ただ、デジカメを見に行き、作戦会議で、喫茶店内で、その候補デジカメをネット上で調べるときは重宝するが、それは、別にしなくてもいい。そう言うところで、決まるような話ではないためだ。
 逆にデジカメの使用説明書などを、ダウンロードしたPDFで読んでしまうと、買ったとき、説明書を喫茶店で読む誇らしさがなくなる。もう知っているのだから。そして、同じものを、読んでいるのだから。
 ネットは印刷ではないかと、最近思ったりする。書いたものをプリンをアウトする代わりに、ネット上に表示させることが、印刷というか複製をネットに置くという意味で。
 ネットを印刷だとすると、部数はどうなるのだろう。自分しかアクセスしなければ、一部だ。十人の人が読めば十部だ。ブラウザ上で、読むにしても、覗いているだけではない。一度ダウンロードしないと、覗きもできない。つまりブラウザで読むと言うことは、ダウンロードしていると言うことだ。ただそれを保存しないし、そのファイルがどれなのかは、見えにくいところに溜まっている。
 だから、アクセスした人は、読む、読まないにかかわらず、そのページを、その人のパソコンの中にファイルとして入り込んでいるのだ。このファイルは一時ファイルなので、そのうち入れ替わる。
 ネット上で、ファイルのダウンロードするのと、アクセスして、ホームページやブログを見るのも、同じダウンロードだ。
 だから、ネット上のどこかに、書いたものをフィルではなく、文字列をアップした場合でも、コピー元を置くようなものだ。
 昔のネスケが、ホームページをアップすることを、出版するという翻訳だった。出版と翻訳した人は電子書籍のことなど、まだそれほど一般的ではなかった。このネスケ(今のFirefox)はブラウザ上からホームページの更新ができるバージョンだった。今見ている自分のホームページを、すぐに更新したり、修正したりできた。
 最近は個人ホームページ、ここではレンタルサーバー上に作った、所謂ホームページのことだが、あまり注目されなくなった。ホームページ的なものはブログで作れる時代になったためだ。
 個人ホームページよりも、コミュニケーションツールとしての使い方に変わった。要するにホームページを自分で作っても、ネタがないので、そのまま終わることが多い。あるまとまったコンテンツがないと、なかなか更新できないのだ。ネットを印刷だとすれば、有意な情報でないと、印刷する価値がないという意味で。
 ブログ、フェースブック、ツイッターなどでも有意な発言はある。だが、原稿用紙的には単文だ。断片のようなものだ。その断片を集めれば、あるまとまりのある内容になるのだが、かなりスクロールしないと、全文読めないとなると、しんどいので、後回しになるだろう。
 だから、断片と言わずに、連載だと思えばいい。そして、読む側も、毎日、その人の記事を読むことで、何となく流れが分かってくる。その文字列ではなく、それを書いた人の名前を知っていることで、同じ文字列でも、文脈が分かる。こうなると、もう、それは本を読むようなものだ。
 それならば、その人が、ネット上で断片的に書き込んだ日々の記事を、まとめて本にしようかと、思うようなことになる。だが、この場合の本は旬の電子書籍への道ではなく、まとめて読みたいという程度だ。ただ、これには編集力が必要だ。電子書籍は簡単に作れても、この編集力は簡単なものではない。コピペだけではできないからだ。
 複数の人の記事を集める「まとめサイト」がある。断片的に、あちこちにある同じネタやテーマに関する情報を集めた場所、集めたページだ。こういうまとめたり、整理したりする人が、好きな人がいる。これをある一人の人の記事だけをまとめるというのは、ダイレクトすぎるのだろう。
 ネット上で書き込む文章は、情報系になりがちなのは、そこに自分の主張を入れすぎると、それで気が済んでしまい、新たに書き下ろすとき、もう書いてしまったので、書く気が失せてしまうためかもしれない。
 だから、ネット上で書いてしまい、もう一度同じことを書く気を失せた人は、自分で、その断片を集めて、編集することになる。これは本人にしかできないだろう。繋ぎの文章を挿入しないといけないし、同じことを繰り返して書いていることもある。もうそれで、編集が面倒になり、それをやるより、書き直す、書き下ろす、ほうが早いと感じてしまうだろう。だから、一度書いて発散したとしても、それは下書きで、草稿だと思い、清書すると言うことだろうか。
 
 

■2012年1月21日 土曜日 12時16分
 
 雨が降っている。しかし、小雨だ。傘を差さなくてもいい程度だ。それほど寒くはない。寒いのなら、雪となるだろう。
 年が明け、あっという間に一月も残り少なくなっている。年末が近いと思ったのは一月前だ。そろそろクリスマスが来ると思っていた時期がある。そこからワープするように元旦を越えている。
 しかし、一ヶ月前と温度はそれほど変わっていない。真冬の底に近づいているというのに。
 しかし、日本の北側は厳しい寒さのようだ。北と言うより北東だろう。北海道は零下何十度になっている。信じられない。関西でマイナスになることはほとんどない。
 しかし10度を切ると寒い。それが零下になると、冷蔵庫に入っているようなものだ。零下三十度なら冷凍室だろう。ほ乳類というのは、熱を持っているので、それがよく冷めないものだ。自家発電しているのだろうか。
 歯が痛いので、硬いものが厳しいので、サツマイモを蒸かして食べる。前回買った物より、質が悪い。変に芯があったりする。
 百均で餃子を買っていたので、それを作る。
 量も数も多くて100円だが、食べてみると小麦粉の塊だった。中に何か入っているはずだが、歯も舌もそれを感知できなかった。水を多く入れすぎたので、すいとんを食べたような感じだ。これなら、ご飯はいらなかったのではないかと思える。小麦粉の団子のような餃子だった。これなら、シュウマイのほうが、まだ中に何か入っていそうだ。
 
「ポストモダンエレジー」の文章を修正していると、カメラの話がよく出てくる。フォトエッセイなので、写真がらみの話も多いのだろう。カシオのデジカメで写した写真がある。25万画素のカメラだ。それをプリントアウトし、写真として入稿した。それを編集者も写真としてレイアウトし、印刷所へ渡したようだ。25万画素なので、印刷は名刺サイズ程度で何とか見られる。それを結構大きい目に印刷した。それを渡したので、その大きさで、雑誌に載せている。だから、非常に粗い。そのあたりがポストモダンの悲しさがあるような気がする。写真もアナログからデジタルに変わる過渡期だった。デジタルの気楽さはあるのだが、画質が粗い。それを我慢すれば快楽が得られる。
 しかし、それは25年ほど前の話で、今はフィルムカメラで写した物と遜色はない。しかも一万円以下のデジカメでも叶う話になっている。もう誰もデジカメだから駄目、とは言わない。それは見た目は変わらない画質になっているためだろう。見てくれの問題だ。さらにフィルム時代には叶わなかったことが多く得られる。それはフィルムを買わなくてもいいことだ。さらに最近は写真をプリントするより、モニターで見る時代になっている。またフィニッシュがネットでの公開なら、印刷する必要もないのだ。
 メカ的にはアーサー感度を撮影中変えられる。これは今はそれほどありがたいことだとは認識されない。むしろノイズ問題で、アーサー感度は悪者になっている。そして、アーサー感度が自動的に変わっていることも知らないこともある。それは、ノイズ取りが上手くなり、もう昔のデジカメのようにノイズ問題はないような写りになっている。
 それで、カシオの25万画素の写真だが、今見ると、明治時代に写した写真のように見えてしまった。
 画像の修正と、文章の修正とでは、疲れ方が違う。文章のほうが疲れる。それは、画像の修正は絵など見ていない。修正箇所だけを見ている。ところが文章の修正は、読まないと修正できない。読むと言葉が飛び込んでくる。それを解読するので疲れるのだ。つまり、ある程度集中力がいる。
 絵がアナログで、文章はデジタルだ。絵はいろいろな見方ができるが、文章は書いたときと同じように一から見ていかないといけない。それは部分的に読む場合でもだ。何処が間違っているのかは、読んでみないと分からない。一本道だ。絵は全体を見るのは一秒もかからないし、部分を見るときも瞬間だ。目で一瞬にスキャンしてしまえる。文章は録音を聞くように、ある時間が必要だ。テレビとラジオの違いのようなところもある。
 だから、電子書籍端末などは、文章の場合、小さなモニターでも十分だ。大きなモニターでも、読むときは同じだ。絵の場合は小さなモニターでは細かい箇所が読み取れない。だから大きなモニターが必要だ。絵は見えているのだが、細かいところがよく分からない。ある程度の大きさで、細かいところも見える状態で、大きな画面であることが望ましい。
 大きなモニターで活字だけだと、量の多さで読むのをたじろぐ。ケータイ小説が流行ったのは、一ページの量が少ないためで、小さなお椀なので、ご飯も少ないので、その量なら食べやすかったのかもしれない。
 文章は音でも聞けるが、絵は見ないと話にならない。音で聞く絵とは、絵を言葉で解説したものだろう。文章を書くとき、難しいのは、そういった絵では一発で分かることを、言葉に置き換えないといけないところだ。これは語りきれないので省略する。また、実際には何も書いていないことがある。どういう場所なのかを言えば、もうそれで十分というか、特にそれ以上説明する必要がなかったりする。
 ライトノベルの書き方を読んでいると、このあたりを上手く説明してある。作家のはき出す、言霊ではなく、読者が面倒なく読めるようなサービスが施されている。作家の言霊も、そのコードに乗せないと、読む側が迷惑する。逆にわかりやすいコードに乗っているのだが、結構奥深い語りになっている場合もある。
 
 
 

■2012年1月20日 金曜日 13時57分
 
 曇っている。雨はやんでいる。降っていない。しかし、空は真っ白で、曇天だ。雨雲というか、雲の形がない。ガスのようだ。
 山に行くと、こういうガスが発生する。それを雲とは言わない。やはり雲は、形があっての雲だ。形があるには、背景がいる。それが青空だ。青空がないと、雲の輪郭が分からない。
 ただ、山でも背景に山があるので、それを覆うような形でガスがある。さらに近いと、視界が狭くなる。遠くまで見えなくなる。
 しかし、空はずっと青空ばかりだと気持ちが悪い。雲の一つや二つがないと、逆に落ち着かない。
 
 アップルから電子書籍自主出版ツールのようなものがいろいろ出るようだ。
 iBooks 2、iBooks Author、iTunes U マックのパソコンがないと、いかんともしがたいので、非マックユーザーとしては、高見の見学だ。
 個人でもアップルの本屋で販売できるらしい。
 電子書籍元年当時、電子書籍イコールiPad向けの図式が多かった。電子書籍イコールタブレットスタイでの読書、という感じが旬だった。それで多くの人が、iPadアプリを作ろうとしていたのだが、これは個人では無理だった。また、審査もある。何ヶ月もかけて作っても、倫理的審査に落ちると全てパーだ。
 最近はタブレット端末は、倍ほどの売り上げがあるらしい。アンドロイドタブレットなどを含めての話だが、確かに板状のパソコンのようなものは、個人だけではなく、いろいろな現場で実用性があるため、遊びではなく、真面目な使われ方をしているのだろう。
 アップルの教科書作るアプリは学校の先生が、自分でガリ版で作った副教材のようなものが作れるかもしれない。
 ただ、日本では、低学年向けは携帯ゲーム機が、それをやっているのではないかと思える。しかし、そんなものを生徒に与えると、ゲームばかりするだろうが、そう言う子は、最初から持っているので、与える必要はないかもしれない。
 さて、電子書籍の話だが、電子書籍元年の電子書籍とは、本と同じようなもので、その電子化だったように思える。
 その本とは、漫画だけではなく、普通の一般書の電子化だった。ところが、個人出版となると、何でもありになる。アップルのツールはどんな仕掛けかは分からないが、マルチメディアの匂いがする。要するに、ウェブコンテンツに近いものだ。つまり、普通の活字本のようなものではなく、もっと遊びの要素の強い、動画や音楽を取り込んだものになるような気がする。これは個人で作る場合も、本の内容ではなく、内容の見せ方が作品になる。
 当然技術書や、真面目な本も簡単に出せるのはいいことだ。ただ、iPadでしか見られないとなると、アンドロイド系タブレットを買った人は、iPadも買わないといけない。先月買ったばかりなのに、となると、買えないだろう。
 さて、ツールがあると、本文だけでは芸がないので、いろいろ凝った表示をしたくなるだろう。
 それに対し、日本での個人出版は、まだ、その道での大きな箱ができていない。ツールだけではいかんともしがたいのだ。作者と読者をどう結びつけるのかが問題だ。
 アマゾンはまだ上陸していないので、そこにある自主出版ツールは使えない。米国版は使えるが、よく分からない。作り方が。
 そうなると、キンドルではなく、似たようなものを取り込んだ楽天が、自主出版サービスを作るかもしれない。
 要するに、ここではタブレットタイプ端末絡みの電子書籍作成ツールと言うことになる。やはり、電子書籍端末で見る電子書籍が、一番電子書籍らしく見えると言うことだろう。板版なので、紙に近い持ち方となるからだ。
 ただ、タブレットにもいろいろあり、10インチは重いので持ち歩きたくないので、スマートフォンでいいのではないかと思ったりするし、7インチなら、何とかなると思ったりもする。それよりも自宅でくつろぐながら見るのなら、大きなパソコンモニターで、じっくり見たいとかもある。
 活字物電子書籍は、文字を拾うだけなので、小さな端末でも十分だが、マルチメディア的なものになると、また別だろう。
 漫画の場合は、ページものではなく、ケータイ向け漫画のように、コマ単位でスライドショーのように演出付きで表示されるタイプのほうが読みやすいかもしれない。小さな端末では台詞を拾えないのだ。そして、見開きページ云々を言い出すと、大きなモニターがいる。
 小説も、ウェブ小説時代は、ハイパーテキスト的な、ウェブの特性を活かした読み物が流行った時期がある。サイレントノベルだ。テキストタイプの選択肢付きゲームのようなものだ。しかし、面倒くさいので、読むのが面倒だった。
 そして、ビジュアルノベルと呼ばれ、アドベンチャーゲーム形式も流行った。しかし、活字だけで読ませる、読者のイメージで見せる小説本来の良さが、少しなくなってしまった。絵物語に近いからだ。
 電子書籍作りとウェブ作成とはどう違うのか、曖昧な時代になっている。核になっているのはHTML5ではないかと思える。これを簡単にこなせるツールが本命かもしれない。
 自主出版系電子書籍が簡単に作れる時代になると、膨大な個人出版物が現れるだろう。しかし、それは出版と呼べるものかどうかは疑わしい。
 出版とか書籍とかの敷居が下がってしまい、本になっている価値が薄まる。
 昔なら「本を出している」と言えば、誇れた。本を出してもらったり、本を書かせてもらうというのは、小手先では出来ないからだ。
 個人による電子書籍出版は一番消極的に考えると、その作者に興味のある人に向けてのサービスだ。電子書籍版でも読めますよ、程度のものだ。
 このときの作者や読者は、既に関係が出来ていることが前提だ。
 例えば、ブログの作者と読者の関係だ。本を出す前から関係が出来ているのだ。
 個人出版の場合、まずその関係を作ってからでないと、そのタイトルはネットの闇の底に沈殿するだけになる。
 または、大学の先生のように、リアルである程度の関係を持っている人だ。趣味のサークルでもいい。snsなどで、常に記事をアップし、コメントを付け、活躍している人だ。ただ、これは本を売るためだけで出来る行為ではない。
 電子書籍自主出版をやる前に、作る前に、やることが先にあるだろう。リアルでの人間関係がないのなら、ウェブ上で身の丈にあった根城のようなものを作るのが、先だろう。
 
 
  

■2012年1月19日 木曜日 14時34分
 
 雨が降っている。久しぶりだ。傘を差すのが久しぶりなので。最近は雨が降っていなかっただけで、天気がよかったわけではない。
 しかし、今日は本格的な雨だ。といっても強く降っているわけではない。それでも冬の雨は、自転車移動では辛い。傘を差すため、手が冷たいのだ。手袋をはめればそれまでの話だが、上着の袖の中に手を入れ、それでハンドルが握れる。このほうが手袋よりも暖かい。
 だから、真冬物の上着は、袖がない、つまりサイズを一回り大きいタイプを買うのがコツだ。これなら指まで隠れる。または、引っ張れば伸びるタイプがよい。
 
「ポストモダンエレジー」のレイアウト書式を作っている。まずは電子書籍風のPDFだ。それを一太郎でレイアウトする。
 写真をドロップすると、文字列の中に入り込むのが面白い。サイズ的には適当でいい。書式の横幅より大きな写真でも、桁数と同じサイズに縮小されて挿入される。その場合、左右の文字の回り込みはないので、画像は上下移動だけだ。コピペでもよい。文字列に穴が空き、そこに写真がネジ開けられて出てくるのが面白い。
 写真サイズ調整が面倒なので、スキャンした画像を半分にリサイズする。これで、横800ピクセル程度になる。これでもまだ縮小されて表示だれている。小さい目の写真もあるし、写真サイズそのものが一枚ずつ違うので、ここは曖昧でいい。小さいサイズでも、桁数一杯でも、まだ縮小されていることもあるし、回り込む大きさの写真サイズもある。
 とりあえず、写真を置いてみて、紙面を見る。ほぼ一ページに一枚ほど写真が入ることになる。しかし、写真がないページもできる。そこは文字だけなので、やはり寂しいが、PDFならスクロールして読むので、それほど気にすることはないだろう。ウェブ版でも似たような表示になる。
 ウェブ版のほうは、まだよく考えていないが、一ページを一ファイルにすると、クリックが面倒だろう。それに画面内に一ページ全体が入らないので。これは複数ページで、HTMLの一ファイルとし、長尺物、つまり巻物、スクロール物にした方が読みやすい。
 漫画でも、一ページタイプより、数ページ繋げたタイプのほうが読みやすい。スクロールすると、ページの境目を通過するのだが、これが慣れているだろう。これを絵物語の巻物のように、左側への横スクロールになると、面倒だ。
 ウェブ上で見る電子書籍でも、縦書きになると、左右へのページ送りがある。どちらへ進んでいるのか分からなくなる。上下だと、下へ下へ行けばいいので、わかりやすい。それは、ウェブを見ているとき、その方式でウェブページを見ているからだ。
 それで、「ポストモダンエレジー」も横書きにする。読みやすさを優先してのことだ。
 一太郎で、編集する場合、ページ数が多い場合、アウトライン編集が効く。しかし、これが曲者で、初期設定ではタイトルに相当する目印の行が、インデントされている。それがそのまま紙面レイアウトになってしまうので、それを消さないといけない。これはスタイルシートのようなもので、スタイルセットのようなものがあり、アウトラインのレベルにより、細かく見出しを装飾できる。だから、ベタ文章を読み込んで、タイトル行にアウトラインでレベル上げすれば、自動的にフォントサイズや位置まで一発できるのだが、急に言われても、まだ何も決めていないので、何ともならない。やはり、画面でいろいろ変えながら、試しながらでないと決まらない。
 ホームページ作成のスタイルシートもそうで、これも、完璧に決まってからでないと、作り出せない。ベタベタのHTMLなら、作りながら何度も試しながら進む。この作業が、スタイルシートではやりにくい。だから、デザイナーがいるとすれば、画像でレイアウトし、それをスタイルシートを作るコーダーさんに渡すのだろう。コーダーさんはデザインはしない。そして、デザイナーさんは必ずしもスタイルシートのコードを書けるとは限らない。そこはもうデザインではないからだ。決まったあとのフィニッシュなのだから。
 デザイナーが手を出せないコードの世界は、コーダーさんがデザイナーをやることになる。だから、あれっと思うようなデザインがある。これは素人がデザインしたのと同じことだ。コーダーさんはプログラマーなのだ。
 デザイナーがコードの呪文を覚える必要はない。他にやることがあるはずだ。
 つまり、そのコンテンツに対して最適な見せ方を考えることだ。
 
 

■2012年1月18日 水曜日 13時46分
 
 起きると少し遅い。いつもの標準気味に一度起きたのだが、そのまままた眠ってしまった。眠いときに、また眠れるのは幸せな話だろう。嫌で起きないといけない人も多い。
 好きなだけ眠れる。これは最高のステータスかもしれない。ただ、眠くても起きるのを何とも思っていない人によっては、意味はない。
 よく晴れており、暖かい、小春日和だ。
 昨日は久しぶりに野菜を買う。百円だったためだ。水菜と白ネギが百円で、今の相場では安い。ただ、この店では、その水菜3つで百円だったときがあり、それに比べるとまだまだだ。そして、その水菜、少ししおれていた。古いのだろうか。どこかで売れ残ったのを引き取ったのか、それは分からない。
 水菜など野菜が高いと、買い控える。そのため、余っているのではないだろうか。野菜不足ではなく、逆に過剰になっていたりする。買わないから売れ残るのかもしれない。
 しおれていた水菜を見て、これは売れないまま賞味期限切れになるため、百円に値下げしたのかもしれない。
 白ネギは一本で百円とかもあるが、三本で百円だった。これなら買える。白いが、先は緑だ。その八百屋の帰り道、いつも豆腐屋で厚揚げを買う。野菜と豆腐系、これを煮れば、それでおかずになる。だから、定番となっている。八百屋も豆腐屋も同じフロアーにある。こういった個人商店は、市場に昔あったのだが、今は市場そのものがなくなっている。
 伊丹にも市場はあるが、ただの通り道だ。丸安市場、日の出市場、伊丹市場、宮前商店街など、複数市場が繋がっていた巨大ダンジョンタイプの市場があった。今もあり、まずまずだが、人が通れないほど客が多いと言うことはない。昔より人口が少なかったのに、あの人口密度は何だったのかと思う。バス停や伊丹駅が近かったためだろう。今は、バス停も駅も移転し、孤島にある。
 
「ポストモダンエレジー」の写真を完成させる。切り取って、修正しただけだが、いい感じの写真に加工されている。
 かろうじて写っている日光写真のようになったが、大昔のかすんでしまったような写真に近い。それが非常に遠くにある印象があり、写っているものは平凡でも、貴重品のように思えたりする。錯覚だが、鮮明に写っていないことが、逆に写真にリアリティーを与える。これは不思議だ。実際には雑誌からのスキャンのため、網目を消すため、フィルターをかけただけだが。
 一太郎でレイアウトしてみた。ウェブ用ソフトではなく、一太郎でのレイアウトだ。しかし、それをHTMLに落とすことができるので、そのあと修正し直したり、書き加えてもよい。何せ一太郎で作るのだから、気楽だ。
 一太郎画面の文章の中に、写真をドロップすると、それなりの大きさで着地する。それを拡大したり、縮小したりする。ほとんどホームーページ作成ソフトと同じ要領だが、好きなようなレイアウトができるわけではない。ワープロ画面なので、行という概念があるし、ページという概念がある。
 しかし、そのままHTMLに落とすと、ページの概念は消える。スクロールになる。つまり巻物になる。ウェブでは、ページ単位ではなく、この巻物が見やすい。横ではなく、縦への。これはパソコンでも見慣れた画面であり、わかりやすい操作のためだろう。ウェブページを見ているいつもの見方のためだ。
 それを、ブラウザで見ると、最近はファイヤーで見ている。このブラウザ、禁則処理ができるのか、ぶら下げ処理になっていた。
 一太郎の画面上で、PDFへの変換ボタンがあるので、それを押すと、すぐにPDFができる。
 一応PDFに合わせるため、一太郎の用紙サイズをB5縦にする。これで、縦書きは無理だ。スクロールしないと、画面にページの高さが来ない。スクロールしないといけないので、縦書きだと、行末に来るごとにスクロースして、少し上、少し下へ行き来しないと行けない。だから、縦書きは読みにくい。
 これを解決するには段組をし、桁数を減らすことで、読みやすくなる。「小説猟奇王」はこのタイプだ。しかもサイズをB6にまで落としている。10インチ以下のモニター対応だ。しかし7インチまでが限界だろう。それ以下になると、PDFでは対応できない。
 また、B6用紙横置きという手もあるが。
 しかし、下手に縦書き、段組をやると、読みにくいこともある。普通のパソコンモニターなら、問題はないのだが。
 一太郎ではないが、ホームページビルダー側にスマートフォンサイズ変換機能がある。これは、以前からケータイページ作成用があったので、目新しくはないが、スマートフォンのモニターに合わせたタイプを別に作るのもいいかもしれない。
 ビルダーでは、自動生成してくれる。普通にホームページを作り、それをネットにアップすると、スマートフォン系からのネット通信だと関知知ると、アドレスが切り替わり、スマートフォン用のファイルが表示される仕掛けだ。ただ、この場合、フルスタイルシートで作られたものでないと駄目なようだ。つまり、最適化しやすいためだろう。
「ポストモダンエレジー」はフォトエッセイタイプなので、写真の大きさが必要だ。資料ではなく挿絵ではなく、写真そのものもしっかり表示される大きさが必要だ。だから、スマートフォンで見ても、写真が小さいので、満足度は低い。
 フォントも、通常の横書きが標準なので、縦書きにすると、フォントは少し読みにくい。横書きに合わせたフォントの形のためだ。だから、縦書き用フォントで作るほうがいいが、特殊なフォントは表示されない。だが、PDFなら、特殊なフォントでも埋め込んでしまえる。
 もうすぐ出る一太郎ではイーパブ3変換ができるが、まだそれを見るビューワーが普及していない。環境が整っていない。
 そのうち、一太郎からHTML5にボタン一つで変換できるようになるかもしれない。時間の問題だ。来年の一太郎では、それが来るのではないかと思えるが、その前にホームページビルダーがやってしまうかもしれない。
 ただ、ビルダーはテキスト入力画面としてはふさわしくない。
 誰でも電子書籍風の物が作れる時代になると、これは、自分の本を売るとかの話ではなく、ファイルの一形式として保存するだけのことかもしれない。そして、パソコンではなく、タブレット系端末で、電子書籍として、自分の文章を読むような感じになる。そうなると、これは電子書籍と言うより、ただのファイルになる。文章ファイルになる。PDFより、タブレットタイプでは読みやすい程度の。
 
 

■2012年1月17日 火曜日 12時46分
 
 今日は晴れている。久しぶりの晴れではないかと思えるが、しっかりとした晴れではなく、雲が多い晴れだ。しかし、日が出ているだけでもありがたい。暖かさがかなり違う。
 風邪っぽいので、昨日は、夜に行くモスを休む。別に欠席届を出さなくてもいいが。その前に喫茶店へ入ったばかりなので、間隔が短すぎ、行けなかった。外出していて、戻ってきて、少し座っただけで、また外出は、さすがに忙しい。部屋にずっと籠もっていた場合は、早く外に出たくなるが、出入りが激しいと、そうではなくなる。
 部屋にいる時間。滞在時間は、寝るだけという人もいる。忙しい人で、特に家事をしなくてもいい人だ。家の用事をしないといけない人は、働きに出ていても、家にいる時間を作らないと用事が片付かないはずだ。だから、家には寝に帰るだけというのは、あり得ない。
 外での用事より、家の中の用事のほうが忙しかったりする。洗濯や掃除や炊事で結構時間が取られる。この間、働いているのと同じだ。家にいて、好きなことで時間を過ごしているわけではないからだ。
 昔の小説を読んでいると。それほど裕福な家族でなくても「おさん」という女中が住み込んでいる。もう侍の時代ではなく、普通の勤め人の家だ。今なら、公務員程度。ちょっとした大きな会社程度だろう。そう言う使用人が洗濯や掃除、炊事を手伝い、子守までしている。当然、主婦も一緒にやる。
 昔の日本家屋は掃除する手間が多い。ほこりが溜まりやすい場所が無数にあるのだ。ドアの掃除はほとんどないが、戸は、格子が走っているので、その上にほこりが溜まる。襖はいいが、障子は込み入っているので、マス目ごと角が出来ており、そこにほこりが溜まる。ガラス戸は、アルミサッシの一枚物ではないので、これもほこりが溜まるし、角を磨くのも大変だ。さらに洗濯機がないので、洗うのは手間だろう。
 そして、座っているときは、縫い物をしていたりする。実に忙しい。丁寧に掃除をするのは、訪ねて来る人が多いためだろう。近所の人も含めて。そして、親戚縁者が始終来るとなると、掃除をしていないと、お家が荒れているように思われる。
 それでも、使用人に全部やらせ、奥さんは遊び回っていることもある。それほど裕福な家でなくても。
 ちょっとした武家の家なら、使用人もいただろう。家来ではなく、小者だ。門構えのそれなりの広い家なら、当主家族だけでは掃除も行き渡らないので当然だろう。
 
「ポストモダンエレジー」というフォトエッセイの写真くりぬきを終え、独立して一ファイルにし、写真の修正中。
 雑誌で5ページほど、40回ほど連載していたので、200ページはあるだろう。テキストは原稿用紙で6枚から7枚ほど。
 テキストだけでも原稿用紙で240枚ほどか。写真の面積が多いので、テキストは三分の一ほどのページ比率かももれない。
 これはやはり、ページ概念を入れたほうが好ましいような気がする。
 雑誌からスキャンした写真なので、網目が見えるので、ぼかしを全体にかけ、粒子を溶かし、セピア風写真にする。これで、写真が古く、遠く見える。今は、その作業中だ。
 何となく、修復作業のようなものだが、モニターで見たときによく見えるように最適化する感じだ。紙面ではなく、液晶などのモニターで見たときに合わしている。
 スキャン画像は大きいので、さらにそれを任意の大きさにリサイズしないといけないが、紙面レイアウトが決まっていないので、まだそのままだ。
 ページものとして作るのなら、150枚ほどになるだろうか。
 
 ニコンP500その後。
・電子手ぶれ補正
 通常はイメージセンサーシフト式。
 それに電子式手ぶれ補正と一緒に使うのが、ハイブリッド手ぶれ補正で、これはある条件が満たされていないと作動しない。
 条件とはアーサー感度が200以上。シャッタースピードが遅い場合。だから、ハイブリッドといっても、常に一緒に作動しているわけではない。そして、電子手ぶれ補正は補助のようなものだろう。
 手ぶれ補正は、シャッター半押しで、作動する。それまでは作動しないのではないかということだが、普通に撮影しているときは、半押し後、じっくりとシャッターを切る瞬間を狙っているので、半押ししない間はぐらぐらしているというわけではない。
・夜景二枚撮り
 これは複数の写真を写して合成するタイプだが、ほとんど使わないので、意味はないかもしれない。
 夜景無限にピントが合う遠方の風景を指すことが多い。
 このモードはお任せモードに入れても入るようだ。シーン認識で入ってしまう感じだ。ただ、夜景と認識するかどうかは、カメラを向けたときに決まる。そう言うマークが出る。
 夜景だけを撮りたいときは、シーン認識ではなく、ダイヤルで合わせたほうが早い。独立した撮影ダイヤル位置があるので。
・アーサー感度
 設定できるのは、プログラムモードからだ。P500の初期感度は160と高い。昔はアーサー100以下スタートが多かったので、高く感じるのだろう。
 通常の感度オートは800まで上がる。制限オートがあるので、上限を決めることも出来る。制限をさらに上げた高感度オートは1600まで。レンズが暗いので、1600の高感度オートでいいだろう。ノイズ云々を言い出すようなカメラではない。
・階調拡大
 これは複数枚写しての合成とかはない。三段階から選択できる。これをオンにしていると常時そうなるようだ。弊害としては、書き込みスピードがいつもよりも遅くなるようだ。原理的には暗い目に写して、調整するようだ。複数枚写しではない。
 しかし、これは、出来上がった写真をフォトレタッチソフトで、暗部上げで何とかなるのだが、白飛びに関しては、修正しにくい。だから、暗い目に写しておいたほうが、救済は便利だ。階調拡大は感度を上げた撮影ではない。単に暗い目に写るようにしているだけで、白飛びを押さえるための露出補正を掛けているようなものだが、それでは暗い場所がさらに暗くなる。だから、そこで、暗部上げを内部処理で、撮影した瞬間行われるものと思える。
 暗部上げだけの機能は、カメラ側にあり、それは撮影後のメニューとなる。それが面倒なら、このアクティブDライティングというのをオンにしておけばいい。副作用は書き込みスピードが遅くなるということだが、このカメラ、結構書き込みも早く、一枚撮影後、二枚目までのスピードは待たされるという感じではない。パシャパシャパシャと単写出来るタイプではないが。
 その場合は、連写機能というより、シャッターを押す前の画像も記録するモードで撮るほうがいいかもしれない。シャッターを切る前にだいたい、遅れてしまうので、切る前の記録が正解な事がある。
 ちなみにこの階調拡大、オンに入らない。どこかとかち合っているためだろう。メーニューがそこに来てくれないのだ。
・撮影モード
 オート系はお任せモード。シーン認識オートモード、プログラムモードと、オート系だけで三種類ある。いずれの場合も露出補正は出来る。
 初期設定というか、買ったときの撮影モードダイヤルは、シーン認識のオートモードだ。
 お任せモードは、シーン認識をさらに付け足したような感じだ。その中に二枚撮りの夜景モードが加わるという感じだ。
 そのため、このモードに入れると、フラッシュを出してくださいと警告されるが、これは無視してかまわない。それで、フラッシュなしのモードが選択される。フラッシュは手動でないと上がらないので、問題はない。
 シーン認識モードは、認識できないものは、プログラムモードになる。シーン認識撮影というのはない。認識できなければ、古典的プログラムオードになるだけだ。お任せモードのほうが、シーン自動認識のオートモードよりおまけが多いので、このカメラの機能が使えて、お得かもしれない。
 さて実際に写してみたのだが、あいにく夜間なので、夜の写真となる。
 生活範囲内の室内では、それほど問題はないが、望遠で寄りすぎると、AFが合いにくくなる。200ミリから300ミリが限界だろう。それを超えると、ピントの合いやすいコントラストのあるものに合わせば何とかなる。それがない場合は、望遠を弱くすると、合うようになる。これは、暗いところでは合いにくいと言うことだが、室内で200ミリ以上を使うことが、そもそも間違っているので、そういう状況は撮影範囲外だろう。近づいて広角側で写せばいいのだから。いずれもAF補助光をオンにしておけば、合う。
 二分の一秒ぐらいなら、何とかぶれないで写せる。これは、テレブレ補正のおかげだ。ハイブリッジの電子式が加わることで、画面が止まるのだ。ゆるりと押さえるのではなく、ぴたりと止まるのだ。まるで静止画を見ているようなものだ。そのときシャッターを切れば、ぶれない。しかし、止まるまで待つ必要がある。
 これは、恐るべき手ぶれ補正だ。
 モスで客を横から写したが、室内は結構明るいので、手ぶれの問題はなかったのだが、お任せモードに入れてしまったので、ポートレートモードに入っていたらしい。男性の横の姿だ。そのため上がるはずの感度が押さえられ、二分の一秒になっていた。それをぴたりと止めたのだろう。ただ、カメラは膝の上に置いていたので、液晶はよく見ていなかった。その角度でも液晶が見える。回転するためだ。プログラムモードに入っていれば、感度は上限まで上がり、もっと楽に写せたはずだ。数枚写したが、構図を変えると、通常のプログラムモードに入っていた。違いは、感度が上がるか下がるか程度だろう。暗いので、絞りは開放から動かないだろう。
 ちなみに膝の上に置いての隠し撮りは、シャッターボタンを押すとき、ぐっとぶれやすい。
 数枚連続で写して、合成するという技は、このカメラには夜景しかない。その場合、暗くても感度をそれほど上げず、シャッタースピードも常識の範囲内で写せる連写合成は、強力なブレ補正で、止めることで、何とかしようという感じだ。填まれば、ぴたりと決まる。要するに三脚で写しているようなものなのだから。
 手ぶれが完璧に決まるときは、液晶がフリーズしたような感じになる。撮影後の映像ではないかと疑うほどだ。
 画質に関しては、普通に写っており、ノイズが気になるとか、鮮明さに欠けるとかはない。普通だ。これ以上、望む必要がない画質だ。ブレやピントさえ外さなければ、きっちりとした画質の写真が撮れる。これが基本だ。より高画質というのは、おまけだ。
 本来は順光撮影が本命なので、電子式とのハイブリッド手ぶれ補正が、こんなに効くのかと知ったことが、収穫と言えば収穫だ。これなら、昼間は安心して800ミリで突きまくれる。
 撮影モードは、お任せモードと、プログラムモードが使いやすい。お任せモードで、シーン認識が、結構楽しめる。認識できなければ、プログラムモードになるだけの話で、カメラがどう勘違いするのかが興味深い。思わぬ間違いで、思わぬ絵になるかもしれない。
 しかし、プログラムモードのほうが、絵が正直に出る。そのカメラの一番最適なというか、癖が出る箇所だろう。本当の一番のおすすめは、プログラムオートかもしれない。カメラの癖が掴みやすいためだ。
 夜景モードに入れないで、夜景を写すと、下手をすると昼間のような絵にしようとする。シャッタースピードを見ると2秒とかになっている。感度アップの上限は1600までのオートなので、写せないと言うことだ。さすがに、そんなに暗い場所と言えば、遠くに見えているビルの窓明かり程度だろう。それも画面比的には僅かな面積しかないとなると、水銀灯がぽつんぽつんと並んでいる程度の夜景だ。これは確かに暗いが、写るものは、その水銀灯の光だけで、他は真っ暗だ。水銀灯の光が来ているので、露出限界にはならないが、月を写しているようなものだ。
 しかし、地面が薄暗ければ、昼間のように写そうとするかもしれない。シーン認識が動けば、それは夜景として、処理するだろうが、プログラムオートは、その判断が出来ないので、評価測光が判断して、それを光源と見た場合、光源は無視される癖がある。引っ張られないようにだ。逆光と見るのと同じで、露出から差し引く。
 だから、プログラムオートでも、評価測光だと、どう出るかは、分からない。やはり、ここは中央部重点測光が出方が一番分かりやすいから、状況により切り替えるのだろう。
 さて、今度は昼間の撮影となる。
 あいにく曇天で、薄暗い。超望遠撮影では不利だ。
 超望遠は800ミリあたりは、画質は期待できない。写っているだけで満足しないといけない。
 向こうから歩いてくる人を、真正面から写す。しかもカメラをきっちり構えて。
 だが、かなり遠くにいるので、何をしているのか、分からないほどだ。グーとズームで寄ると、全身がぎりぎり入る。これは後で、確認すると、デジタルズームに入っており、1000ミリを超えていた。普通でも画質が心配なのに、デジタルズームまで使うと、怖いことになるのだが、元々超望遠の画質はアレなので、それほど荒れていないので、気付かなかったのだ。
 暗いので、感度は1600の上限まで行き、シャッタースピードも稼げない。しかし、写りは満足のいくもので、超望遠ではよく写っている。
 800ミリになると、人と背景を切り分けられる。やっとパーンフォーカス望遠から離れられる。数十メートル先と、数十メートル先とではピントの違いが確認できる。いつもは一緒だったのだ。
 だから、遠方を写すと、全部ピントが合ってしまう。それが何とかぼけるように写せるようになったのだが、800ミリまで伸ばさないといけないのは辛い話だ。
 20メートル先を写すのなら、ピントは無限で十分だ。その差がないのだ。まあ、拡大してみれば、少しは分かるが、等倍では見ないだろう。
 一度、800ミリまで行くと、これは戻れない。例えば、400ミリ望遠カメラで、超解像技術で、倍の800ミリまで、ほぼ劣化のない写真が写せても、ぼけ具合は400ミリのままなのだ。
 やや近距離にある自転車の全体が画面に入るようにして、出来るだけ望遠側で写すと、背景はぼける。これは800ミリまで行かなくてもいいだろう。その代わり、自転車の背景の無限まで続く空間があることが大事だ。壁際の自転車ではぼけない。
 画質は、特に言うことはない。ただ、感度が1600まで上がっている屋外の画質なので、それを鮮明とか、綺麗とは言えないのだが、よく持ちこたえている。破綻がない。ピントも遠方にきっちり合う。当たり前の話だが、無限でピントが合わないカメラもあるのだ。
 ただ、距離が遠すぎる遠方は、望遠はコントラストが落ちるので、いつものコンパクトカメラで、広角で写したような鮮明な画質には元々ならない。
 昼間の撮影はプログラムオートで写した。これをシーン認識で写すと、どんな感じになるのかは分からない。おそらく、同じ値になるのではないかと思う。
 ただ、シーン認識や、お任せモードは、あまり感度は上がらない。オートではスローシャッターのリミッターが2秒ほど行くので、逆に写せないときがある。昼間ならいいが、夜間は、怖いシャッタースピードを見てしまう。1秒では、さすがにシャッターを切る気にならない。
 それで出てくるのが、手持ち夜景モードだ。手持ちで写せるシャッターで、複数枚写すということだ。しかし、合成された絵なので、色合いが今ひとつ良くない。作られた絵になるためだ。これなら、ぶれているほうが、ソフトでいい写真になる。まあ、ぼけ写真だが、雰囲気はある。
 ぶらさない。これがカメラの最近までの至上命令だ。感度を上げるとノイズが出るので、嫌われる。それで、複数枚写して、合成する。いろいろやってくれて有り難いのだが、ブレても良い。ピンぼけでも良い。と言う発想を持ったとき、これほど気楽な写し方はない。逆行している。決して逆転の発想ではなく、これは禁じ手なのだ。と、言うか、しっかり写していないことになる。
 しっかり写さなくても、今のデジカメは、きっちり写るように出来ている。失敗が減っているのだ。
 しかし、望遠でぼかしたいという時の、ぼけ具合と、手ぶれでのぼけは同じではないかと思うことがある。どちらもソフトで、写真らしい味があるのだ。
 そうはいっても、しっかり写っているほうが好ましいので、何処にもピントが来ていない場合は、ブレ写真となる。またはピンぼけ写真となる。望遠で、ピンポイントで、一箇所だけピントが来ていれば、それは写真として見られる。面積比的に90パーセントはぼけていてもだ。この場合は、ぼけ具合として認識される。何処かにピントが合っているからこそぼけ具合が楽しめるのだ。全体がぼけていると、それは失敗作だ。
 ニコンのカメラは玄人好みだ。なぜなら、プログラムオートのシャッター加減が低く、これではぶらすだろう。標準タイプのカメラは、8分の1以下では切らさないようにしているのもある。
 これで夜景は写せる。アンダー過ぎるのだが、光源は写るためだ。ただ、うっすらと見える地面は写らない。ところが、2秒などと言うプログラムモードがあるP500は、昼間のように写してしまうのだ。三脚がいる。
 さすがにお任せモードだと、手持ち三脚なしを認識し、複数枚合成で失敗作にならないようにしてくれている。
 ちなみに、この夜景モード。ピントは遠方固定かと思っていたが、AFは動き、近距離でも夜景モードに入ることがある。その境目が今ひとつ分からない。後方の光源のあるなしかもしれない。
 ショッピングモールの電球で照らされた広場をお任せモードで写したが、夜景になったり、通常のプログラムモードになったりで、はっきりしなかった。比較的望遠にすると、夜景モードに入る確率が高い。しかし、夜景で望遠はキツイ話だ。しかし、それなりに写っているので、よくできている。
 夜景モードに入ったときは、絞りとシャッターが一緒に点滅するような気がした。連動外と言うはずはないからだ。これは、連写になるので、シャッターを押した後もカメラを動かさないようにせよという警告かもしれない。もう写したと思い、構えるのをやめるからだ。さすがに連写は一秒もかからないが、連写間隔が、シャッタースピードのスロー気味に近い。
 
 

■2012年1月16日 月曜日 13時48分
 
 曇っており空が真っ白だ。昨日はおぼろ月のような日が出ていたが、今日も昨日より雲が分厚いのか、太陽のある位置には何もない。雲がそこだけ明るいと言うこともない。
 寒くて冷えたのか、腰が痛い。鈍い痛さで、ある角度になると痛いので、しゃがむときなどは膝を曲げる必要がある。ただ、急いでいるときは、そんなことをしている暇はない。腰の痛い人は多い。だから普通だ。
 昨日は久しぶりに牛丼を食べる。なか卯の和牛丼250円は経済的だ。入ると「空いているカウンターへどうぞ」と、毎回いわれる。普通のテーブルもあるし、空いている。二人がけだ。だから、お一人様でもいいはずだ。それにすいている。しかし、カウンターへ誘おうとする。これは客のためではなく、店のためだ。
 カウンターのほうが出入りが楽なのだ。それは店員が楽なだけで、客としてはテーブル席のほうが楽だ。しかも自販機からも近い。そして、カウンターの小さな丸い椅子は不安定だ。それに高い。
 このカウンターへの誘いがあるので、この店へは行きたくない。同じなか卯でも、そんなことはいわない店がある。当然だろう。「空いているお席へどうぞ」ともいわないなか卯もある。だから、そういう「どうぞ」はサービスのよいなか卯だ。それがよく考えると、サービスではなく、自分たちが楽なように協力してくれと頼んでいるのと同じだ。
 そのためか、和牛丼は美味しくなかった。少し前に出来た近くのすき家に客を取られている。
 こういう店に来ると、牛肉は貧乏人の食べ物のように思えてしまう。肉を食べるということは、ごちそうだったのだが。今年は肉より野菜のほうが高い。
 
「ポストモダンエレジー」の写真切り取りをやっている。雑誌をスキャンし、その画像から写真部分をトリミングするということだ。ソフトは花子フォトレタッチで、軽く、シンプルで、操作も簡単なので、これを使っている。まあ、花子フォトレタッチは、こちらの標準画像編集ソフトだ。ただ、画像一覧などは、ウインドウズのファイル画面を使うことになる。
 それとは別にデジカメを買ったときに付いてくる写真取り込みソフトがある。デジカメとパソコンを繋ぎ、取り込むというやつだ。
 しかし、このソフト、ちょっとした編集も出来る。傾き補正や、トリミングも出来る。そして、それらはデジカメ各社から提供されているので、無料だ。別にデジカメを買わなくても、カメラメーカーのサポートページで、ダウンロードできる。
 まあ、写真一覧ソフトとして、使いやすいものを愛用すればいいということだ。まあ、それらは、フリーソフトでいくらでもあるので、特にお得と言うことではないが。
 花子フォトレタッチで思い出したが、今度の一太郎、2月には出るのだが、そのパンフレットを見ていると、一番高いタイプには、一太郎バナーのようなのが付いているハンディースキャナがある。細長く四角い箱のようなものだ。これはおまけとして欲しいところだ。画像文字をテキストにするソフトも付いている。
 二番目に安い、プレミア版より1万円ほど高いだろうか。ハンディースキャナーとソフト代だ。だから、決しておまけではない。
 そのスキャナと一太郎が連動しており、一太郎ファイルにしてしまえる。ただ、印刷された文字でも、なかなか上手く認識してくれないことがある。その精度が上がっているとありがたいのだが。
 一太郎としては、文章関係、書類関係、それらの紙ものをデジタル化するという「一太郎承」というキャッチフレーズをそのまま承認したアイデアだ。去年は「一太郎創」で作るということ。今年はそれを承けるということだろう。だから、「スキャナかい」ということだが。
 そして、イーバブ3変換が目玉だろう。海外ソフトで、ワードからイーパブへ変換するソフトがあったように記憶している。また、PDFからイーパブへのフリーソフトはある。
 つまり、文章をどこで作るのかというと、素人はワープロが手っ取り早い。普及率が高いからだ。それを一度PDFに変換してから、イーパブでは面倒だ。だから、ワード文章をそのままイーパブに変換できたほうが、やり直しも早い。どうせ、修正しないと変換されきれない。
 またはレイアウトが崩れているはずだから、行ったり来たりするはずだ。そういうのは海外ソフトを頼らなければいけなかったが、一太郎で出来るのなら、こしたことはない。一太郎愛用者は結構いるが、年寄りが多い。フロッピーで動いていたころから使っている人もいるからだ。確か去年のおまけは、USB一太郎だった。フロッピー時代を懐かしむ人向けではないだろうが。
 一太郎ホームページへ行くと、よくある質問のようなものがあり、花子フォトレタッチはどうなってますか、のような記載があった。一太郎ばかり触れられ、ドローソフトの花子の記載はあるが、そのおまけのような扱いの花子フォトレタッチの記載がないのだ。
 解答によると、一太郎の中にも含まれるとなっていた。以前は確か、花子を買わないと付いてこなかったような気がするが、気のせいだろうか。花子フォトレタッチが欲しくて花子ドローを買った記憶がある。しかし、花子フォトレタッチはバージョン3のまま固まっている。もう数年になる。だから、昔の花子3を持っていれば、それで十分なのだ。
 花子フォトレタッチについては、もうこれで完成品なので、これ以上ごちゃごちゃおまけのメニューを付けて欲しくない。それよりも、フリーズしない、軽い、そっちの方に力を入れてもらいたい。
 もうひとつのおまけソフトで、ジャストPDFがある。これは、ジャスト製ではないと思うのだが。ジャストPDFらしさがあるとすれば、一太郎文章をPDFに出来るということだ。他の市販PDF作成ソフトは、ワードはフォローするが、一太郎はフォローされていないケースが多い。例えば、一番身近なソースネクストの「いきなりPDF」などだ。
 それで、ジャストPDFによる、右綴じ問題は、何も触れられていない。新機能として紹介されていないので、そのままである可能性が高い。欲しいのは右綴じなのだ。
 まあ、縦書きにしなければいいのだが。
 小説の横書きも悪くはない。パソコンで読むとき、縦書きを読みにくく感じている。それは慣れの問題だろう。横書きに慣れきってしまったのだ。
 さて、一太郎で電子書籍風イーパブ3は、道を付けた感じだが、HTML5風電子書籍はどうするのか。
 これは同社のホームページビルダーの動きに期待したい。次のバージョンあたりで、HTML5を使った電子書籍作成向けテンプレートを用意してくる可能性がある。ホームページビルダーはIBMの製品だったが、今はジャストシステムがプログラムの見直しをして、結構弄っている。当然HTML5と電子書籍の関係を把握しているはずだ。これは、ホームページビルダーのホームページを見に行っていないので、既にその記載がどこかにあるかもしれない。
 それをすると、ジャストシステムは、一太郎、ホームページビルダーの二つで電子書籍作成ツールとして進化する可能性がある。
 書籍規模の編集ということでは、一太郎ではなく、「大地」というDTPソフトがあった。プロ仕様だ。これは、ペラものではなく、ページものだ。
 電子書籍とは読むものではなく、作るものだったりする。お金が落ちるのは、作ることに関するサービスだけだったりする。
 
 

■2012年1月15日 日曜日 14時25分
 
 曇っている。空が白い。太陽は見えているのだが、雲でぼんやりしており、月ほどの明るさしかない。冷え込んでおり、寒い。
 寒いと下腹が痛くなるほど体が冷える。まあ、そろそろ真冬に近いので、致し方がない。
 しかし、室内は暖房で暑いほどだ。遠赤外線電気ストーブが効いている。たまに切らないと、本当に暑い。
 足はホームゴタツで温かい。上体は電気ストーブで暖かい。問題はない。
 寝ているとき、注文していたデジカメが宅配便で届いた。今日、届くことは分かっていたが、時間は指定していなかったので、いつになるかは分からなかったが、まんがいいのか悪いのか分からないが寝ている最中なので、起きないといけない。しかし、出かけて留守中では、今度いつ来るのかと、出かけられなくなる。しかし、宅配便は、かなり何度も来ており、お留守なので、局まで取りに来てくれと言う最終通達をすぐには出さない。それに、その宅配業者の配送所がどこにあるのか分からない。確かにそれらしい配送所を見かけることがあるが、郵便局と違い、行く用事がないので、記憶が曖昧だ。そして、宅配業者は複数ある。どこがどこなのかまでの記憶はない。
 宅配便で配達している人は、留守だと何度も来ているようだ。滅多に電話はかけてこない。
 買った場所は上新のネットショップだ。24時間以内に発送と記されていた。実際その通りだったが、上新のロゴ入り段ボールを宅配業者が持って来るというのは、少し妙だ。上新の配送センターより早いためだろう。
 まあ、上新の配達は、届けるだけではなく、設置までする家電が多い。当然、カメラなど持ち帰って当たり前だ。重いから配達と配置を頼むのだから。
 さて、買ったのはニコンのP500だ。ネオ一眼である。
 それが届いたあと、また寝たので、起きると、すぐに寝起きの喫茶店へ向かったので、カメラは箱から出し、説明書だけ、鞄に入れて、出てきた。
 その説明書、操作マニュアル書だが、実は既にネット上でPDFで見ているので、同じ内容だ。だから、ポイントだけは流し読みしていた。
 しかし、カメラ本体が意外と小さい。こんなに小さかったのかと、箱から出すとき感じた。
 近所のカメラのキタムラで実働機を触ったので、大きさは把握していたはずだが、比較するものとの慣れもある。つまり、カメラ屋で見た場合、周囲にカメラがある。それらが背景にあるので、大きさが分かる。だが、部屋で見ると、その大きさがさらに正確に分かる。それは、いつも見ている日常の部屋の中でカメラが占める空間がどの程度なのかが計りやすいためだろう。カメラ屋はいつも見ている場所ではない。自分部屋は常に見ている場所だ。そこにコップが置かれていたり、茶碗やノートパソコンが置かれたりしている。そういういつもの尺度の中に置かれると、どういう大きさなのかがわかりやすいためだろう。
 要するに、思っている以上に小さいのだ。こんなに小さかったのかと思うほどだ。喫茶へ行く前、少しだけ握ってみた。
 一眼レフなどから見ると、かなり小柄な女性向けの大きさで、手が小さい人向けだろう。一眼レフを持ったときの、あのぐっと来る重さがない。グリップとレンズの飛び出しを切り捨てれば、少し分厚い目のコンパクトデジカメの大きさだ。
 しかし、レンズの飛び出しが大きいが、鏡胴にあたる部分が結構長いので、カメラの底からレンズの底を左手で支えるという久しぶりのカメラの持ち方が復活する感じで、懐かしい。
 それとグリップがかなり飛び出しており、その先にシャッターボタンとズームレバーがくる。完全に片手撮影が可能だ。液晶が指で隠れないし、ボディーを握っているのではないので、振り回しやすい。ちょい写しなら、電源ボタン、ズームボタン、シャッターボタン、すべて片手でやってしまえる。自転車による騎馬戦では、片手槍が可能なようだ。これはボディーの形、グリップの深さが貢献している。デザイン的には不細工だが、安定している。これがもっと1キロ前後になると少しきついかもしれないが、500グラム弱なので、振り回しやすい。
 ズームレバーも、そのレバー部がやや分厚く、丸みがある。指の腹に当たったとき、非常にマイルドだ。金具を引く感じではない。そしてレバーが柔らかい。
 レンズ基部にあるズームレバーも、引っ張りやすい。そして、軽くて柔らかだ。
 どう見てもプラスチックというか樹脂製ボディーだが、それらしく見えるような加工はしていない、つるっとした安っぽいものだが、グリップに関しては、ぎざぎざの加工がされており、これが強力な滑り止めになる。それよりも、握りっぱなしで、手の汗がくっつかないように、このぎざぎざは排水溝のような役目をしているのかもしれない。
 このデジカメはコンパクトデジカメで、高倍率ズーム機だ。形はネオ一眼タイプ。
 小さなミラーレスカメラよりも大きい。そのわりには軽く、500グラムを切っている。ただ、レンズは22ミリ少しから800ミリ少しまである。レンズ交換式ではあり得ないレンズだ。
 一眼レフの標準ズームは28から80前後が多い。そして、望遠側は80から300が多い。それを繋いでも28から300ミリだ。もう一つ広角側に一本。望遠側に一本加えないと、P500にならない。
 ネオ一眼を買うのは久しぶりで、最後に買ったのは、オリンパスのウルトラズームだった。これも26あたりから600弱はあったような気がする。意外とよく写っており、超高倍率ズームはそれほど無茶な画質にはならないことが分かっていた。
 その後は、旅カメラと言われているフラットボディーのコンパクトデジカメにも300ミリを超えるものが出てており、ポケットに入る超望遠は、普通になっている。
 しかし、このP500、いろいろ突っ込みどころのあるカメラなのだが、カメラ本体は、非常にオーソドックスで、しかも、撮影モードにいたっては、いろいろ手の込んだことはしていない。
 つまり、昔のプログラムオートで写すタイプだ。だから、フィルム時代のAFカメラと、ほぼ撮影の仕方が同じだ。もしかすると、年寄りは、それなら受け入れると思い、客層は、そこにあるのかもしれない。ちょうど難しいケータイが使えない人向けに。
 ネオ一眼にもいろいろあり、400グラム台は軽い方だ。25から450のズームコンパクトはその半分の重さで、作れるのだから、重くしているのはガラだろう。つまり、グリップなどをつけて、大きく見せているだけなのかもしれない。
 実際には800ミリ少しの超望遠を構えるには、もっと重く、大きい方が好ましいのだが、今は手ぶれ補正がよく効き、それほどぶれないようだ。
 アイレベルのファインダーがあるのも嬉しいが、この電子ファインダー、解像力が低い上、小さいので、構図とピントを置きに行く場所程度しか見えない。近所のカメラのキタムラで実働機があったので、数日前触ったのだが、結構レスポンスが良かった。起動も速く、ピントも早く、書き込みスピードも意外と速かった。
 要するに、アイレベルで写せるカメラを探していても、もうコンパクト系には殆どない。
 それでP500は、その電子ファインダーだけが欲しくて買ったわけではないが、探しても、ないのだから、選択肢がない。外付けでつけられるタイプはあるが、それでは面倒だ。
 そして、これで、カメラ情報、撮影情報を裸眼で見られることになる。老人が辿り着くカメラかもしれない。まあ、眼鏡をかければ問題はないのだが、裸眼でも遠くはよく見えるので、普段は眼鏡はかけていないのだ。至近距離だけが見にくいのだ。
 さて、これで、絞りやシャッターの数値が見られる状態で、撮影出来る。ミラーレスで電子ファインダー内蔵タイプも、年寄りが飛びつくのではないかと思える。映像関係で見えないというのは、深刻なのだ。しかし、裸眼でも液晶の絵は何とか見える。ピントも見える。ただ、小さい文字が読めない。ダイヤルの文字も駄目だが、色と形で、何とか分かる。
 このカメラの電子ファインダーでの絞りやシャッターの数字は結構大きい。そして、撮影画像の上に重なるので、目の玉を動かさなくてもよい。確かに枠外に出たほうが、絵としては綺麗だが、目玉の移動が大層になる。だから、意外と見ていないのだ。
 また、ピントが合ったときは、AFフレームがグリーン色に変わるので、わかりやすい。緑は渡れだ。それがLEDで画面の隅に出るタイプは、よく見えない。やはり見ているのは、ピント位置なので、そこでポーズがあるほうが合理的だ。
 さて次は、液晶だ。これが3インチと大きい。ワイド3インチだと、結局小さく見えて損だ。3インチモニターなのに2.7インチモニターようになってしまう。
 普通の3インチなので、これ以上大きなモニターはない。その上、視野率は100パーセントではなく、97パーセントだ。そのため、100パーセントよりも、像が少しだけ大きく見えるはずだ。まあ、ズームなので、基準となる大きさが分かりにくいが。少しでも大きく見せようとしているわけではないが、結果的にはそれに貢献している。
 97パーセントとなっているのは、手ぶれ補正で、電子式も一緒に使うためだ。
 さらにこの液晶パネル。上下に動く。それもちょっとずらせば、すぐに持ち上がるので、ウエストレベル撮影が簡単にできる。縦位置撮影では使えないが、ワンアクションで、上げられるので、左へ開いて、上下に回す、などの手間がない。
 要するに、大きな液晶で、裸眼でも見やすい。そして、液晶は92万ドットある。値段のわりには、解像力が高いのだ。解像力が高いと、ピントが合っているところと、そうでないところとの差がよく見える。荒いと、微妙な違いが見えない。
 アイレベルの電子ファインダーは小さいが、0.24型で、他社製よりは少し大きい。画面が少し広く見える。解像力は23万ドットだ。これは、まあ、点々が見えるタイプとなるのは仕方がないが、このクラスでは、精一杯の大きさだ。高密度の電子ファインダーは高いのだ。
 広角では、殆どピントの違いは分からないが、望遠なら、この荒いファインダーでも、何とか分かる。しかし、コンパクトデジカメのピントは深いので、解像力があっても、合っているように見えるだろう。だから、ピント位置確認と、構図と、撮影情報が見えれば御の字だ。
 今や数少ない電子ファインダーでアイレベルで撮影出来る貴重なカメラなのだ。500グラム弱は重いし、レンズが飛び出しで、携帯性も悪いが、一眼レフを持ち歩くことを思えば、500グラム弱は軽い。
 これで、分かるように、目に優しいデジカメで、年寄りカメラだ。しかも、貧乏そうな。
 このP500が最新機だが、歴代の同シリーズを買えないまま何世代もなっている。底値でも3500円ほどだった。それが今、2万少しで、普通に上新で売られているのだ。ただし、ネットショップ側だが。それで、やっと守備範囲に入ったので、落ち武者狩りが出来た。大きいので、大将首を取った思いだ。
 そして、長く使っていなかった、レンズ回転式、またはボディー回転式、または液晶モニター回転式が欲しかったのだ。風景はアイレベルでもいいが、スナップはウエストレベルのほうが、写しやすい。当然手かざしスタイルでもよいが、カメラが大きく重くなると、手が上がらない。
 接写などでは、腕を突っ込めば妙な角度からでも写せる。アイレベルだと頭を突っ込まないといけないので、面倒だ。
 さて、ズームだが、ズームレバーでズームする。これに慣れてしまうと、ズームリングを回すのが面倒になる。ちょい写しの時、片手で電源を入れ、片手でズームレバーを引き、あらかじめ望遠側に出来る。ズームリングだと両手が必要だ。ただ、今のデジカメのズーム早いので、微調整が出来ない。小刻みにレべーを引く必要がある。
 このP500は天狗の鼻のように、延びるのだが、そのスピードは、レバーを軽く引くと、ゆるりと、一気に引ききると早くなる。だから、ゆっくり目で、じんわり寄れる。
 また、レンズ側にもスイッチがあり、上下二つあるので、それを押すと段階ズームにもなるようだ。さらにMFフォーカスとしても使える。
 ゆるりとしたズーミングは、動画撮影では有効だろう。
 また、隠し撮りスナップで、首からぶら下げているときのズーミングも、気付かれない。片手でいけるからだ。当然ウェストレベルなので、撮影体制に入っているとは気付かれにくい。手かざし、またはアイレベルでは分かってしまう。大きなカメラは、露出させ切ることで、逆に隠し撮りしやすい。
 露出での、はやりの階調拡大は、数枚撮りではなく、暗い目に写して、白飛びを緩和させるタイプのようだ。ただ、それをオンにしていると、書き込みスピードが多少遅くなるようだ。露出は、全くの白飛びで、何も情報が入っていなければ、飛ばしてもいい。どうせ救済出来ないのだから。
 こういうカメラほど、中央部重点測光で、露出補正を加えながらの撮影が似合っているかもしれない。カメラがそこそこ大きいので、ちまちました操作でないので、カメラに寄りかかれる。ただし、AEロックボタンはない。電子ダイヤルも一個。シンプルだ。
 グリップがしっかり張り出しており、これは老人にとりり、手すりであり、杖なのだ。
 シーン認識モードは、結局はマクロ切り替えが面倒なので、マクロボタンを押す手間が省けるだけで使っている。しかし、最近はAFマクロがあり、一度マクロモードに入れても、無限まで行けるので、通常のプログラムオートで、十分だ。絞り優先やシャッター優先は、コンパクトデジカメでは無理がある。絞りが二段しかなかったりするからだ。
 しかし、このカメラ、電磁駆動となっている。人工肛門のようなものか。NDフィルーではない。そのため9段ある。6枚羽根虹彩絞りとなっている。絞りが9段あるのなら、結構選択肢が多い。そのため、プログラムモードでのプログラムシフトが効くので、少しは楽しめる。絞りすぎると、コンパクトデジカメでは駄目だと言われているが、そう言う画質云々のカメラではない。
 プログラムモードでも2秒まで連動する。感度を上げなければ、2秒までいってしまうだろう。通常のコンパクトデジカメはプログラムモードでは安全を見込んで、8分の1や4分の1で止めている。その前に感度が上がるので、秒単位になることは希だろう。しかし、ぶれていてもいいから、写しておきたいシーンに遭遇するかもしれない。2秒まで連動するというのは、侮れないカメラだ。まあ、昔のカメラは、タイム露光まで、簡単に入ってしまい。ミラーが上がらないで、故障かと思ったほどだ。リミッターがないほうが、迫力があって、いいかもしれない。
 最短撮影距離はマクロで10センチ。1センチ接写は、広角端から、少し望遠側に寄った箇所のようだ。22,5ミリで1センチで寄れるわけではない。
 また、望遠マクロはない。そのため、至近距離にある被写体を、広角ではなく、80ミリぐらいのフォルムが伝わりそうな画角での最短撮影距離は曖昧だ。ズームすれば、最短撮影距離を示すバーが出るはずだが、曖昧だ。これは、一度段階式ズームボタン側で、50ミリや85ミリあたりを、感で覚えて、それから写すのがいい。
 さすがに望遠端し、最短撮影距離は2メートルを超える。槍だ。
 接写では、回転液晶が活躍するだろう。特に地面寄りの草花や、落ちている空き缶など。22.5ミリなら、かなり寄れる。そして、大きく背景を入れることが出来る。ここはボケ味が楽しめるところだ。
 カメラが大きいので、カメラそのものが三脚のようなものだ。グリップがカメラの底でL字になるはずなので、の支えになり、水平に着地することを願う。上から液晶が見えるので、地面ぎりぎりが有利だ。カメラを持つ必要がない。置いて写せばいいのだ。
 受光素子関係は1/2.3型原色CMOS、総画素数12.75メガピクセルとなっている。1600画素になっていないだけましだ。望遠を欲張っているので、1600には出来なかったものと思える。
 複数枚写しての合成もあるにはある。それは夜景モードで独立している。プログラムモードなら、夜景と薄暗い場所との違いは同じだ。明るいか暗いかだけしか、見ていないので、余計なモードには入らない。風景モードも、自動で入ると、ピントが無限位置になることもある。風景は別に遠くのものとは限らないのだが。そして、パーンフォーカスだけが風景撮影ではない。風景をポートレート風に写してもいいわけだ。ただ、コンパクトデジカメなので、ぼかすほうが大変なので、至近距離での風景に限られるが。
 画質にこだわり、カメラに対する愛着度では、ミラーレスが好ましいだろう。コンパクトデジカメが苦労して、いろいろやっていることは、受光素子が大きいと、ほとんど解決してしまうからだ。
 しかし、貧乏くさいネオ一眼には、けなげさがある。
 けなげで22ミリ近くから800ミリ近くまで一本でやるというのは、全然けなげでも何でもない。逆だ。やり過ぎだ。こういった反則技に近い荒っぽさが、ネオ一眼の面白さなのだ。
 画角に関しては無敵でも画質に関しては、敵だらけだろう。だが、最近のデジカメは一万を切った機種でも、結構よく写るという認めたくない面がある。
 一万前後のデジカメと、10万近い値段を出して買った一眼レフとの写りが近いのなら、認めたくないはずだ。その違いを必死で探すだろう。ただ、画質だけではなく、大きな受光素子は、35ミリフィルム時代のレンズに近い。つまり、ぼけてくれるのだ。このボケだけは、いくらコンパクトデジカメが頑張っても、無理な話だ。しかし、二枚写しで背景ぼけを作る機能が普通に出てきているので、一眼レフの聖域も危なくなっている。手のひらに隠せるほど小さなデジカメで、それが出来てしまうと、ちょっと考えるだろう。さらに最短撮影距離0センチとかもある。さらに望遠側で至近距離撮影できるタイプもある。さらに顕微鏡のように写せるモードを持つペンタックスのデジカメもある。
 その意味では、P500は大人しい。一眼レフカメラに従います。受光素子はカメラの大きさに比べ、ノミの金玉程度ですと、いっているような従属感がある。しかし、そのズーム比は、とんでもないスペックなのだ。その射程距離の長さは、一眼レフ用レンズの比ではない。あり得ないと言うことだ。
 例えば、前方を歩いている人を写すとき、すぐに遠くへ行ってしまう。あっという間に全身になってしまう。しかし、800ミリあれば、余裕で離れた距離を追いかけられる。さらに、相手の顔さえ分からないほどの距離からでも写せる。射程距離が長いのだ。それでいて22ミリ少しの、超広角で接近戦も得意なのだ。かなり寄ってこられても、ぐっと広角で引き離してしまえる。
 今時流行らないネオ一眼だが、各社から一応似たようなのが出ている。その中で、回転式液晶で自分との相性がいいのはニコンと富士だ。どちらも上下のみの回転なので、引き出しやすいのだ。
 以前はキャノンからもコンパクトな電子ファインダーデジカメも出ていたのだが、その系譜は消えている。大きいタイプは、まだ生きている。需要としては、超望遠撮影を安く出来るという貧乏臭い理由だろうか。
 ただ、この手の大きい目のネオ一眼は、携帯性も中途半端だ。一眼レフに標準ズームをつけた程度の重さだが、望遠派には物足りないのである。結局は80から300の望遠ズームをつけることになるが、このときは結構重い。広角側は、逆にコンパクトカメラが得意としているのかもしれない。
 かなり前なら、70から210とかの望遠ズーム機が一般的で。300ミリはさすがに手が出せなかった。今のコンパクトデジカメなら、普通に28から300を付けている。それに慣れてしまうと、300ミリはもう大した望遠ではなくなるので、不思議な話だ。
 今では、450ミリまで、小さい目のコンパクトデジカメも来ている。そうなると、アイレベルで覗きたくなるものだ。
 そして、もう少し丁寧に写したくなるようになる。そうなると、きっちりとグリップのある構えやすい形で、少し大きく、重い方が好ましい。ただ、これは儀式のようなもので、実際には液晶だけで300ミリ超は、簡単に写せるのだ。手ぶれ補正のおかげだ。ただ、雰囲気としてそれなりの形のカメラで写すほうが、より望遠らしさを味わえる。
 800ミリは、35ミリ換算で、受光素子との絡みなどで、その画角になる。実際には140ミリほどだ。しかし、ここからやっと望遠らしいぼけ方をする。しかし、画角的には800ミリまで行かないと、それほどぼけないと言うことだ。そして、20メートルを超える被写体と、背景とは、やはり一緒になり、ぼけて切り離すというのは、難しくなる。しかし、800ミリの圧縮された世界は日常とは別の風景になる。それらは200ミリを過ぎたあたりから出るのだが、圧縮効果がよく出るような風景は、遠い目をしながら、遠方をよく見ないと見つからない。ただのアップでは駄目なのだ。 街路樹が並んでいるところ、つまり並木などは、幹の壁のように見える。ただ、そのポイント地点は探さないと見つからない。
 自転車に乗ったままの騎馬戦では、広角は不利だ。自転車から降りないと、構図が作れないからだ。その点、望遠は楽だ。多少体を動かしても、遠くのものは同じようにしか見えないためだ。
 ただ、このデジカメ、望遠だけではなく、広角側でも、コンパクトデジカメにも例がないほど、超広角を積んでいることを忘れてはならない。最近のデジカメでも24ミリまでだ。このP500は22.5ミリと、21ミリに近づいている。
 21ミリか、20ミリのある現役デジカメはカシオの単焦点タイプぐらいだろう。
 つまり、一本のレンズで、ここまで画角をカバーするというのはバケモノだ。望遠のことばかり言っているが、実は広角側も極端に広い範囲を写してしまえる。画角だけでは、凄いことになっているカメラだ。ただ、これほどズーム比があるので、写りは良くないと思われ、怖いので手が出せないはずだ。
 デジタル一眼レフの出始め、28から200というズームレンズがレンズ専門メーカーから出ていた。店屋でも、それとセットにして、売られている光景をよく目にした。あれも写りが怖いのと、最短撮影距離が槍のように遠いので、望遠はいいが、広角側で寄れないことが、手を出せない理由だったのではないかと思う。
 高い一眼レフを買うのは、写りがいいからだ。だから、下手なレンズ、特に高倍率ズームは怖い。
 しかし、安いネオ一眼なら、その怖さがない。どうせ無茶な高倍率のコンパクトカメラなのだから、そんなものとして何とかなる。だから、冒険しやすい。
 ただ、カメラは写さないと話が進まないのだが、大きめのカメラはあまり持ち歩けない。だから、出番が少ない。ただし撮影に行くとかなら、そこでたっぷり写せるのだが、それほどの枚数をさばけるほど、美味しい被写体だらけの場所など少ない。
 場合によっては、同じ被写体ばかり写している人もいる。その場合、カメラを変えることで、また違った新鮮さを感じるものだ。新しく買ったカメラのほうが、より満足な写りをするのなら、それを楽しめる。
 日常空間の中での撮影は、このご時世、不審者になるので、隠し撮りということになる。さっと出して、さっと写す。気付かれないように、また写しているところを、違う人に見られないように。だから、日常写しの手法はコンパクトカメラが好ましい。まあ、写していても怪しまれないような路上の草花なら大丈夫だが。
 そして、狙撃用が望遠系デジカメだ。レンズが長いと早く撃てる。結局町内では、ややこしい人のように思われるので、出来るだけ、ひっそりと写せるカメラが好ましいのだ。
 ただ、写しているのが風景だが、望遠があると、人を写したくなる。全て後ろ姿だが。顔写は失礼だ。相手の日常を崩すことになる。また、そうまでして、趣味程度のことで写さなければいけない理由もないし、写される側も、それだけの理由がない。ただの獲物なのだから。
 日常の中でカメラを振り回すのは非常に失礼な話なので、こっそり、ひっそり写すに限る。
 液晶回転式というのは、そういう配慮なのだ。
 これは心理的に、写される側がカメラを見ると言うよりも、顔がないことに違和感を覚えるのだ。顔はカメラで隠されてしまうため、それが不気味なのだ。あるはずの顔がそこにないことが。
 だから、手かざしスタイルなら、まだ違和感を与えない。カメラを向けられるのは不快かもしれないが、顔が見えているのだ。
 しかし、顔写は駄目だ。ただ、望遠で構えていると、顔が向こうから入ってくる。風景を写しているのだから、邪魔なのだが、実は、そのタイミングを待っているのだ。その人を写す気はないが、割り込んだということで、ピント半押しをやめ、もう一度半押しにすると、ぴたりと顔認識で引っかけられる。これも狙ったわけではないが、カメラが勝手に画面の端にいても、顔を認識して、勝手にピントを合わせてしまった。と言うことだ。
 まあ、そういう楽しみと言うか、写し方の面白さをP500の800ミリ砲で、より楽しめれば、それでいい。写す面白さなのだ。仕上がりは、まあ、適当でよい。写したことで、もう終わったのだ。
 
 
 

■2012年1月14日 土曜日 13時26分
 
 午前中に起きていたのだが、実際に起きたのは午後だ。曇っており、空が暗い。風がないだけましだろう。
 風はある程度強く吹かないと、風が気にならない。風を感じるのは、寒くてすーすーするとか、髪の毛が乱れるとか、向かい風でペダルが重いとかがない限り、意識に上がらない。風を意識する職種なら別だろうが。
 それでも草花や木をカメラで撮影するとき、風のあるなしが大事だ。揺れるからだ。カメラではなく、花や草や葉っぱが。これを止めるのが難しいときがある。かなり這いシャッターで写さないと。そして、薄暗い日、森などを写すと、葉が流れている。ピントが合っていないのではなく、手ぶれでもなく、被写体ぶれなのだ。
 影響がない場合、それはないように感じるものだ。風があると、静物が、静物でなくなる。しかし、動物ではなく、動くもの程度だ。
 
 一太郎とATOKのパンフレットが郵送されていた。一太郎を買えばATOKも入っているのだが、ATOKだけ、単体で買ったことがある。そのとき登録したので、パンフレットがだぶったのだろうか。
 しかし、早い。年貢が早い。一太郎創は夏頃買ったので、そう思うだけだろう。早いというのは、年末あたりから、一太郎の次のバージョンの宣伝があり、予約云々があり、ジャストから届く宣伝メールで、頻繁にお知らせがあった。こういった宣伝メールで、差出人がはっきりしているメールは安心して削除できる。
 一太郎創は夏、富士通のノートパソコンを買ったときバージョンアップ版を買っている。それほど高いものではない。これで、花子やメーラーも入っているので、昔に比べればソフトも安くなったものだと思う。
 そして、去年の夏から一太郎は使い続けている。富士通ノートを使うということは、一太郎を使うということに近いからだ。
 ATOKは前後の文脈で、変換されるのだが、その辞書にない言い回しでは、いつもの学習癖が優先する。言い回しとは、「階段を下りる」などだ。この「下りる」が階段を受けての「おりる」なら、この下りるだろうという文節変換だ。ところが階段を降りるとした場合、これが学習として残るかどうかは曖昧だ。「階段を降りる」この場合、今、タイプした限りでは、学習が優先されている。出来れば、そういう変換をしましたと、ジェスチャーが入ればありがたい。同じ文章内で、「階段を降りる」と「階段を下りる」が入っていると、統一感がないからだ。結局は、自分でチェックしないといけない。
 また「言う」と「いう」も紛らわしい。「そういう話」「そう言う話」これは、「そういう話」が正しいだろう。だが、学習で「言う」が生き続ける。それを「いう」で変換すると、今度は「いう」が生きてしまう。だが、そうでなく、学習しないで、出てくることもある。これは組み合わせか、単発かでも違う。
 さて、一太郎が生き続けるのは、ノートパソコンを使い続けるかにかかっている。だから、今は富士通ノートでタイプしているが、それがアンドロイド端末になると、一太郎は古いバージョンでもかまわなくなる。タイプ主戦場が変わるためだ。それでもATOKは使えるだろう。ただ、ポメラのATOKは、辞書が小さいので、苦労した。
 今度の一太郎はイーパブ変換が魅力的だ。イーパブからHTML5云々電子書籍云々変換は、ツールが出てくれば、簡単ではないかと思える。修正は、いつもの一太郎でやれるのは楽だ。
 それをパブーとの連携云々も宣伝されているが、パブーは今ひとつ盛り上がっていないように思える。しかし、不特定多数の人に自分の電子書籍もどきを公開し、売ることも出来るというのは、それなりに場として貴重だ。
 ただ、こちらのデータというか、アクセス模様を見ていると、普通のブログに小説だけを書いてアップしているほうが、読者数は多い。ブログ上で本を売ることも可能なのだ。メールフォームを仕込めばいいだけだ。メールフォームは無料のCGIソフトがいくらでもある。それを使わなくても入力画面だけをブログに張り込めばいい。また、自分で、フォームは作れる。この場合は、それを見た人のメーラーが立ち上がるという原始的なものだが。
 また、ブログのコメントを利用する手もある。コメントをリアルタイムに表示させるのではなく、こちらが許可しないと、表示させないモードにし、閲覧だけをする。そのコメントを、注文フォームにするというものだが、これは、逆にわかりにくい。コメントという表示を、まず直さないといけないが。
 一番いいのは、ネットショップなどでのカートなど使わないで、「メールで注文してください」でいいのだ。メールに客が注文品を書き込んで、送ればいいのだ。これが一番原始的というか、簡単だ。
 ただ、ショッピングしているような気にはならないだろうが。
 ただ、100円の電子書籍を買うのに、振り込み代のほうが高くなる。カード会社代行業者と契約すれば、多少手数料は安くなるが、いろいろ面倒だ。だから、電子マネーというか、コンビニで買える通貨が流通すれば、環境は良くなる。
 それか、100円の本でも数十冊並べておれば、まとめ買いで千円を超す場合は、振り込み手数料とのバランスも、多少はましになる。
 百円の代金を取ると、誰にも読まれない本になる可能性が高い。そこは辛抱のしどころだ。一冊でも売れれば、結構満足度は高い。なぜなら、金が取れたのだから。たとえ、赤字でも。このあたりは金銭感覚の問題ではなく、意味としての問題だろう。
 だから、一太郎からパブーへ、イケイケ状態で、本が作りやすくなったといっても、そういう流れが出来ただけのことで、お年寄りの手慰みとしてなら、よしとすべきだろう。
 そういう手間暇を惜しまないで、ごそごそしている人が結構いるのだ。
 さて、ブログでの電子書籍だが、課金するという手もある。これは、ブログにパスワードをかけて、制限するタイプだ。非公開とするタイプだ。ブログ内の書式というか、表示を、小説らしくきっちり作れば、横書きでも結構読みやすくなる。そのブログの全文をコピペすれば、テキストをダウンロードすることになり、それをブログ上で読むのではなく、任意の端末や、任意のソフトで読んでもらえばいい。まあ、電子書籍をテキスト形式のみの、ソースのような感じで提供するというのは、妙な話だが。
 いずれにしても、一冊でも売りたい。周囲も儲けたい。という狙いがあれば、出来ない話だ。売れないことを前提にしてのスタートでよい。だが、それではビジネスとしては駄目なので、それは無視される世界だ。
 ただ、最初は一人か二人の読者のため、つまりわざわざ金を払ってくれた人に対して書くパターンもある。読者は数人でもいいのだ。最初は。しかし、最初は一人で、最後も一人ということもあるが。個人間のやり取りとはそんなものだ。一人が二人になれば、倍ではないか。売り上げ50パーセント増は、すごいことなのだ。
 本当は五十人ほどは読者がいるはずでも、その人達と接触する機会がない。どうお知らせするのかが課題だ。
 以前、ネット上の小説をネット小説として紹介していたサイトがあった。今もあるかもしれない。そのサイトの人は、感想文まで書いていた。ネット小説なので、書き手は全員無名だ。
 川崎サイトへ飛んでくる人の飛び元を見ると、そのサイトから飛んでくる人が結構いた。
 読者が数人程度は極端な話だが、そこ規模の電子出版はボイジャーの新サービスで何とかなるかもしれないが、まだ詳細は不明だ。会員登録し、課金制にならないことを期待するが、パブーも課金版がある。この前例が怖い。
 しかし、ボイジャーはボランティアで、そんなサービスをしても、あまり益にはならない。ボイジャーも儲けてもらわないといけない。だから、良いサービスに対しては、その対価は払うものだ。これが個人電子書籍出版スタンダードになれば、いいのだが。
 電子書籍黒船とは、HTML5だったのかもしれない。
 
 

■2012年1月13日 金曜日 13時31分
 
 よく晴れており、それほど寒くない。
 日差しも強く、空も明るい。しかし、寝起き時間は暖かくても、一日の内で、違う気温になる。空模様もそうだ。
 昨日は、久しぶりに百均へ寄る。百均へ行くときは、必ず目的があるはずだ。何を買うかがはっきりとしている。スーパーの場合、入ってから買うものを決めるようだ。
 それで、昨日の百均での目的物は、賞味期限台を覗くことだ。それでだいたい分かる。すぐに食べられるおむすび類や、おやつを買うためだった。結果的には稲荷四つ入り百円を買い、オレンジジュース1リットルを買う。いつも飲んでいる雪印のコーヒー牛乳は500ccタイプしかなかった。1リットルパックは聞いたことのないカフェオレだった。これは安いので、一度買っているが、身体に合わなかったようだ。オレンジジュースは買って損はない。風邪っぽいのでビタミンC補給だ。
 ただ、コーヒー牛乳とオレンジジュースとでは、喉の通りが違い。全葉はゆっくりで、後者は一気飲みしてしまう。だから、減りが早い。牛乳の一気飲みは苦しい。ちびちび飲む飲む。これは少しドロ味があるためだろうか。コーヒー系がいいのは、ちびちび飲めることだ。
 大根もあったので買う。しかし、指で触るとふにゃりとしている。腐っているわけではない。その後煮ると、非常に早く煮ることが出来た。野菜が高いので、安いものを買うしかない。大根一本百円は安い。
 特価台で煮込みちくわを発見。二本入りで50円だ。これは、鍋物に入れられる。特価台になければ、ちくわは買わなかっただろう。ちくわを買いに来たわけではない。また、それほどちくわを買おうという気は起こらない。しかし、特価台で安い場合は別だ。ちくわは好きも嫌いもの内が、食べ物だ。それに何もないときはメインを取れる。一応魚なのだから。
 
 富士からレンズ交換式レンジファインダー式デジカメが出るようだ。
 X-Pro1で、高いXシリーズのさらに高い上位機に当たるようだ。
 50ミリ画角より少し長い目でf1.7の単焦点レンズは、フナ釣りレンズで、50ミリに始まり、50ミリで終わる究極の世界だ。
 カメラは、これ一台、レンズはこれ一本という使い方なら買えるカメラだが、なかなかそこまで枯れられない。標準レンズを極めるというのは、なかなか覚悟がいるのだ。
 50ミリで高級カメラと言えば、シグマがある。また、リコーのガンダム風デジカメに50ミリユニットを付ければよいが、レンズユニットの値段を見ると、びっくりする。
 富士のそれは、一眼レフのファイダーではなく、ブライトフレームが出そうなライカ式距離計連動ファインダーに近く、本家ライカより、使いやすいだろう。ただ、本家はフルサイズの受光素子だ。
 レンズが35ミリでいいのなら、現行モデルで十分だ。と言うより、面倒がない。レンズを変えられないだけのことだが、変える必要がないので、これでいい。
 これは実働機を見たのだが、ファインダーの大きさに驚く。ガラス越しで見る絵で、非常に澄んでいる。この広くて拡大率の高いファインダーは、老人カメラだろう。それでいて、全ての情報が出るので、目の悪い年寄りには重宝するだろう。
 しかし、35ミリで、全て行け、と言われても、やや広角気味なので、何ともならない。やはり、肉眼の距離感に近い50ミリ前後まで来ないと、ぼけも出やすくなるし、広角風望遠風、どちらでも写せるし、ポートレートも自然だ。富士新タイプはやや望遠側の標準レンズになっているのは、ポートレートというか、人物を写す人向け、または、商品の素直なフォルムを写す人向けだろうか。
 いつかはライカを買いたいと思いながら、年老い、もう35ミリ時代のライカの時代ではなくなり、買えなくなっている。その貯金をやっていた老人なら、安い買い物だ。
 年寄りが一眼レフフルセットを鞄に入れて、持ち歩く姿は、痛々しい。胸にライカをぶら下げる感じが好ましい。富士のXシリーズは、ネオ一眼以外なら、ぴったりだ。
 50ミリ標準レンズ鮒釣り撮影だが、これは、35ミリフィルム時代の話だ。今のデジカメは、受光素子の大きさで、50ミリ相当であっても、ぼけてくれない。超広角レンズで、画角だけ50ミリのためだ。50ミリレンズは万能レンズなのだが、ぼけてこその万能で、ぼかすことで、望遠風に見せるのだ。しかし、実際には広角レンズのピントなので、ぼけてくれない。だから、50ミリの妙を楽しむというのは、無理がある。フルサイズ受光素子のライカデジカメなら出来るだろうが、高額すぎる。
 昔は一眼レフを買うと言うことは、50ミリ標準レンズ込みで買っていたように思う。そして、それはすぐに抜き、ズームを付けていた。つまり、50ミリ標準レンズは使わないことが多かった。だから、鮒レンズというわけではないが、鮒のようにありふれていたのだ。みんなが持っているレンズのためだ。
 当然その50ミリレンズはF1.4が多かった。非常に明るい。だから、ピントも浅い。これと同じことをデジカメでやろうと思うと、無理がある。だいたいそんなに明るいレンズは探さないとないし、あっても受光素子が35ミリに達していない。フルサイズ一眼レフは別だが、それは高くて手が出ないだろう。それに大きい。
 一般的一眼レフデジカメの28ミリが50ミリに相当する。だから、28ミリの深度は、すぐにパーンフォーカスになるほどピントが深い。だから、28ミリでぼかすのは難しい。
 これがミラーレスで、ハーフサイズ受光素子になると、25ミリレンズだ。超広角レンズでぼかそうとしている。さらに無理が出る。そして、コンパクトデジカメの受光素子になると、望遠でやっと50ミリ相当のボケ具合になる。300ミリほどの望遠にしないと、50ミリのボケにならない。10メートルから先は、すべてピントが合ってしまう感じだ。
 だから、コンパクトデジカメでボケ味を楽しむにはマクロしかない。
 ポートレートでのボケ具合とは、人物と背景を切り分けるだけではなく、目にピントが来て、目以外は浅くあたる。そのためふんわりと写る。こう言うことは、難しいだろう。それが、昔の50ミリf1.4なら、近づいて写せば、それに近いものができた。
 だから、今の一般的デジカメは、スナップカメラなのだ。
 ただ、望遠は、ぼかすだけではなく、圧縮の妙味が可能だ。これは生きている。また、望遠でパーンフォーカスが非常にやりやすくなった。風景の全部にピントが来ている絵だ。これは黙っていても、ピントが深いので、やってくれる。
 だから、デジカメでは80ミリ画角を標準レンズにした方がいいかもしれない。一眼レフタイプなら、望遠ズームの広角側が80スタートが多い。ミラーレスなら換算しない40ミリスタートだ。実際画角80ミリで、狭いが。
 ただ、一眼レフの望遠ズームはかなり大きく長い。そんなものを持ち歩くのは決して標準的でない。だから、マクロの単焦点レンズがあたりが、鮒釣りに近くなる。
 富士の、レンズ交換式デジカメが、ポートレート撮影を意識していることは確かだ。そういうレンズを出しているのだから。
 これを、他の機種でやるとなると、リコーがある。レンズユニットから、マクロ系を選べばいい。決して28から300のコンパックとデジカメと同じようなものを付けないことだ。受光素子はコンパクトデジカメの少しいいだけのタイプなので。
 しかし、リコーも単焦点レンズは高い。そうなると、シグマの50ミリ相当気へ流れることになる。
 シグマ、タムロン、トキナー、コムラ。昔はお世話になった世界だ。
 
 
 

■2012年1月12日 木曜日 11時48分
 
 起きると少し早い。ぎりぎり午前中だ。
 晴れているが寒い。昨夜は非常に寒かった。その延長だ。
 寝起きの喫茶店は老婆の店だが、煙草が切れたので、いつもとは違う道を行く。
 それだけで、妙に落ち着かない。いつもの道とは違うためだ。しかし、その道も見慣れた風景なのだ。よく通っている。落ち着かないのは、寝起きなので、あまりものを見たくないのかもしれない。
 つまり、道中の風景は以下省略で、早く喫茶店に入りたいのだろう。変化を受け入れたいときと、そうでないときがあるようだ。変化を美味しく味わえないときだ。新鮮ではなく、惰性的なもののほうがよいときだろう。
 昨日は、ラーメン鍋を作る。別に特別な料理ではなく、残った鍋物の中にインスタントラーメンを入れただけだ。これは変化だ。だから、変化を楽しむと言うことだろうか。それよりも、普通のインスタントラーメンを食べるより、鍋の仕上げで、最後にうどんを入れたり、ご飯を入れたりする。あれと同じだ。雑炊のようなものだ。鍋なので、ラーメンのようにスープは吸わない。
 しかし、インスタントラーメンは、その袋の中のものだけで作るのが、一番美味しいようだ。そこにいろいろ入れたりするのは、栄養バランスとかの意味でやっているだけで、それが美味しいからやっているかどうかは疑問だ。それ以前に、インスタントラーメンは、その作り方通りで食べるのが一番美味しい。要するに麺とスープしかない。たまに乾燥ネギが入っているが、全く歯ごたえもないし、香りもない。しかし、これがインスタントラーメンの美味しさなのだ。もし新鮮なネギが入っていたとすれば、逆にうっとうしい。インスタントラーメンは何もなさが味わいなのだ。
 余計なものが入っていると気が散る。というわけではないが。
 
「ポストモダンエレジー」の写真画像を作っている。スキャンした悪い印刷写真を、普通の写真のように、作り直す。スキャンというのは、実は接写だ。だから、デジカメで撮しているようなものだ。
 雑誌の写真と、生写真との違いははっきりとした差があるのだが、それは印画紙の指触りだろうか。それと表面がつるっとしているとかだ。しかし、雑誌の写真も生写真もパソコンに取り込むと、同じようなものになる。かなり縮小すれば、見分けられないまでになる。
 だが、そこに写っているものは同じで、それが変化するわけではない。そうなればマジックだ。
 フォトエッセイ風レイアウトなのだが、まだ、写真を抜き出していないので、それが先だ。画像サイズも、まだ考えなくてもいい。
 ページそのものをスキャンしたので、写真をトリミングして、抜き取る作業を綿々とやっている。これは、スキャンした文字をタイプし直すより面白くない。写真は一度見れば、それで分かる。文字は見ただけでは分からない。読んでこそ意味が分かる。タイプし直すときは目で文節を記憶する。それほど多くの文字数を記憶できない。だから、ゆっくり、丁寧にこまめに記憶し、はき出す。そのため、文章を味わいながら書いているということになる。自分の文章なので、文体をよく知っているので、記憶も楽だ。しかし、二十年ほど前の文章なので、今の文体と、少しだけ違う。
 そのため、ちょっとこれは、言うところはタイプするとき、直した。まあ、改訂版ということだろう。意味は同じだ。少しだけ、伝わりにくい文体を、素直に直しただけ、という程度の。
 
 

■2012年1月11日 水曜日 13時59分
 
 起きると遅い、
 曇っており、風が強い。寒さはそれほど感じない。まだ夕方ではないのに、それが暗い。日差しの照明がないためだ。
 寒さは、これからだ。真冬がもうすぐ近づいている。しかし、それほど今年は寒いとは思えない。
 冬なので、寒いことは寒いのだが、もっと寒かった冬があり、それに比べると、まだまだだ。しかし、寒い年でも暖冬の年でも、非常に寒い日がある。全体的には暖冬でも、寒い日があるのだ。そして、非常に寒い年でも、暖かい日もある。日替わりで見ていくと、今年は、というのは当てはまらないこともある。
 風邪を引いて熱っぽく、非常に寒い日なのに寒く感じられないで、寒い日を見逃したこともあるだろう。
 
「ポストモダンエレジー」のテキスト起こしを終える。ガロで20年ほど前に三年ほど連載していたフォトエッセイだ。毎回5ページほどある。一回分の文章量は、原稿用紙で5枚から6枚ほどだろうか。
 写真は、雑誌からのスキャンだ。網点が見えるが、これは、ソフト処理すれば、消える。大きい目にスキャンしたので、何とかなるだろう。
 さて、これをどう処理するかだ。処理とは、捨てるような感じで、処理と処分は近い。
 まだ、何も決めておらず、とりあえずはデジタル化するのが目的だ。実際には写本のようなものだ。自炊は一撃だが、写本は時間がかかった。文章だから、写本が出来るのだ。絵なら出来ない。
 文章は、スキャンした画像文字を見ながら、それを左に、エディターを右に置き、タイプした。
 紙面を見ながらでは、眼鏡の度が合わない。本を読む眼鏡と、テレビを見る眼鏡は違う。どちらも老眼鏡だが、テレビやパソコンモニターとの距離は少しあるので、弱い目の眼鏡でないとピントが合わない。だから、手元とモニター交互に見る場合、そのたびに眼鏡をかけないといけない。だから、手元の紙面を見ながら、タイプするより、モニターを見ながらタイプしたほうが都合がいいのだ。
 ちなみにノートパソコンでは、本を読む眼鏡とパソコンを見る眼鏡は同じだ。ノートパソコンはキーボードとモニターが近いので、本を読む眼鏡でいい。
 川崎サイトにエッセイというページがある。ここに雑誌や新聞で連載したものを上げている。今回のポストモダンエレジーも、ここに入れるのが本来だろう。それとは別に、電子書籍風に作り、一撃でダウンロードできるタイプを加えてもいい。
 つまり、ウェブ版と電子書籍版、両方作るということだ。
 ウェブ版は横書きで、縦スクロールなので、文章の合間に写真を割り込ませればいいので、単純だ。ただ、雑誌のようなレイアウトにはならない。それを再現させると見開きページという、電子書籍向けではないタイプになる。
 パソコンで見る場合は、PDFでマニュアルを見るような感じで、問題はない。モニターが広いので、それほど問題はないのだ。
 問題は、スマートフォンサイズまで考慮した電子書籍だ。当然、写真のサイズも小さく、極端に言えば、切手ほどの大きさにまでしないと、写真面に回り込む文章レイアウトは、難しい。そんな狭い中では出来ない。電子書籍端末機でも7インチを一番小さいサイズと見なし、それ以下は無視するにしても、やはり狭い。
 電子書籍端末も、モニター面の比率が微妙に違う。縦長っぽいタイプもある。そして、基本的には縦位置で見る。横にして見られないわけではないが、そういう但し書きを書くのも面倒だ。見る側の自由なので。
 しかし、ソニーリーダーの一番安いタイプでは、PDFで文字を読むのは無理だ。ノートパソコンの10インチでも、しんどいほどだ。ページ画面ではなく、拡大すれば見られるが、面倒くさい。
 文章だけなら、何とかなるが、写真が入ると、レイアウトが難しくなる。写真を視野に入りながら文章を読む。という感じがいいのだが、それをするには、大きなモニターがいると言うことだ。
 さて、ウェブ版ならどうか。これは、川崎サイト内にあるフォトエッセイが、そのままサンプルになる。まあまあの大きさの写真サイズにし、文章はその下に付ける。縦長写真なら、右か左に文章を回り込ませればいいが、狭いと逆に桁数が狭くなり、読みにくい。
 ウェブ版はスクロールタイプなので、巻物なのだ。だから、写真が現れ、次に文章が現れる。この場合、写真の大きさは結構大きくてもいい。モニターが大きいためだ。
 ソニーリーダーで、挿絵付き小説を読むと、画像が切手以下の大きさになる。拡大すれば、見られるのだが、この電子書籍版は、ケータイ版から作ったものだと思える。
 写真が小さくなりすぎると、ほとんど写真としての価値はない。写真を鑑賞する最小サイズはキャビネ判(サービスサイズの倍ほど)だ。これは、標準レンズで写しいた場合に当てはまる。広角レンズで写したものなら、その倍の印画紙、六つ切りや、四つ切りでないと、写真として鑑賞しにくい。
 映画が、映画だと言えるのは、スクリーンの高さが、大人の身長ほどないと、距離感が自然ではないということだ。あたかも舞台の上に人が立っている大きさで、だから、現実の距離感と近いため、迫力があるのだろう。まあ、そういうことを言い出す人もいなくなったが。テレビドラマがアップが多いのは、よく見えないからだ。全身だと、顔が分からない。
 それが、ハイビジョンで、大型液晶で見られる時代になったので、今はそれほど問題はない。
 さて、写真だが、ウェブ版だと、ほどほどのサイズを使い、その写真をクリックすると、大きなサイズでも見られる、という芸が出来る。こう言うのは、見る側としては、ノイズがどれほど出ている写真なのか、ピントは本当に合っているのかなどを確認するためには必要だが、絵図らだけを見せる使い方なら、必要ではないかもしれない。
 さて、レイアウトだが、昔の単純な画像文章混合タイプでいいのではないかと思ったりする。
 つまり、横書きで、写真が入る場合は、写真行として改段し、回り込ませない。せいぜい中央寄せ程度だ。これなら、タグはほとんど使わないで書ける。
 ウェブでのモニターとは、ブラウザだ。ブラウザの窓の大きさを変えることで、文章の桁数も伸び縮みする。
 だから、弄らないほうが、多様な環境に対応しやすいということだろう。使っているタグは改行と改段と中央寄せだけ。スタイルシートは行間隔だけ。フォントサイズも指定しない。
 しかし、まだ考慮中だ。電子書籍端末で読む画面。それは、シンプルさが快かったのだから、ウェブでごちゃごちゃした画面は、気が散ることだけは確かだ。

■2012年1月10日 火曜日 13時05分
 
 晴れており、暖かい。暑いわけではないが、寒くはないという程度だ。冬にしては暖かい日だ。
 寝起きの喫茶店は老婆の店で、最近安定している。しかし、起きる時間がずれてきているので、夕方起きになると、行けなくなる。
 年が明け、あっという間に十日になった。月の三分の一だ。そして、五日で月半ば、一月もあっという間に過ぎていくだろう。
 一週間も早い。テレビを見ていると、一週間に一度やる番組では、数日前にやっていた番組が、もうやっているので、驚くことがある。再放送ではないかと疑うほどだ。この早さの間隔は、三日ほど前見た覚えがあるという間隔だ。本来の一週間の感覚ではないので、驚くのだろう。週初めだと思っていたら、あっという間に週末になっている。まだ、水曜日程度だと思っていたのが、金曜日のように。
 逆に長いと思うようなことは思いつかない。この一週間は長かったと思うようなことがあるとすれば、いろいろなことを、かなりやったときだろう。普段の一週間分の用事を数日でこなすと、そう感じるかもしれない。
 同じことを日々やっていると、印象が残らないのかもしれない。だから、記憶も「以下同じ」で省略して、ポイント地点がないためだろう。
 穏やかに暮らすとは、起伏のない日々を指すのかもしれない。
 
 大河ドラマ平清盛をやっている。龍馬と同じ映像だ。まるで映画を観ているような画質で、これはテレビらしくない。ニュース番組の画質が、テレビらしい画質で、マラソン中継などもそれだ。また、普通のスタジオで撮られているドラマも、そうだ。
 映画風の画質というのは、階調が豊かなのだろう。龍馬がそうであったように、昼間の明るい風景でも暗い。これがどうもテレビらしくない。
 テレビらしさとは、臨場感があることだ。それは迫力ではなく、もう少し浅い。画面がめらめらしているような感じで、生放送という感じだ。
 では、映画風画質と、テレビ風画質との違いは何かというと、親しみのあるなしだ。テレビニュースの画質は親しみがある。その画質のまま大河の清盛をやれば、テレビドラマとして見られるのだが、映画画質にすると、フィルムで映した映画を、テレビで放映しているような感じになる。だから、臨場感がない。ずっと、何かフィルターがかかっているようで、生の映像を見たくなる。
 さて、平清盛だが、最初から敗者をキャラにしているので、龍馬と同じで、最後が……となる。
 だから、太閤記などは、秀吉の死まで描かない。「老後が……」となると、それまでのすばらしさが、何となく打ち消される。
 大河ドラマ平清盛は、結局源頼朝が勝つ話だ。秀吉は老いておかしくなるが、清盛は天下を取りきれなかった。
 だから、この時代大活躍したのは白河法皇ではないか。日本の王を主人公にすれば、韓国時代劇風になり、イサンやトンイのように楽しめたかもしれない。
 
ソニーWX10の続き
 最高四枚の連写をするプレミアオート+は書き込みスピードというか、合成時間がかかるので、次の撮影まで、少し間が空く。通常のオートなら、非常に素早い。この間が空くというか、待たされることの見返りで、安定した写真が写せるので、ぽつんぽつんと一枚撮りするタイプには問題はない。
 通常オートでも、十分写るし、また、暗い場所でも手ぶれ補正はよく効いているので、問題はないのだが、あるとすれば、白飛びの問題だろう。コントラスト比が高い構図になったとき、ある程度防いでくれる。よほど眩しい発光体でもない限り、通常の自然界の風景では、大丈夫だ。いつもなら、日陰を写していて、日が普通に出ている背景が入ると、完全に飛ぶ。それをかなり緩和してくれるので、構図の自由度が上がる。
 主要被写体は写したいが、どうしても背景の白飛びが気になり、写さなかった場合が多い。救助策として、背景に白飛びしそうなものが写り込まないように角度を変えたり、寄り気味に抜いたりして、何とかしのいでいた。
 階調拡大も連写で合成となると、もうカメラに任せてもいいのではないかと思う。特にこのカメラは、それが売りで、その特徴で買ったのだから、通常のプログラムオートで使う意味は、殆どない。それなら、カメラとしての魅力はないのだ。
 問題は、このカメラの癖をどう受け止めるかだが、白飛びを気にすることがないことで、撮影範囲がぐっと拡がる。さらに、夜景での手ぶれも、手ぶれ補正プラス数枚撮りの合成なので、ほぼ完璧だ。ただ、手持ち夜景モードに入るため、露出はある程度固定しているのではないかと思える。薄暗い場所でのナチュラルモード、キャンドルモードではなく、光源を写す夜景はディテールまで写す必要はないのかもしれない。暗いからと言って、必要以上のスローシャッターにするのではなく、光源以外は、黒ベタでいいのだ。
 ただ、昔のオート機では、露出が秒単位にまで落ちるタイプがあった。この場合、夜の空が夕方程度まで写り、雲まで写る。そこまで開けると、看板が全く白飛びし、文字が読めなくなるし、それよりも、色目が消えるだろう。
 つまり、WX10だと、普通の夜景では、窓のカーテンの色。電球の色、蛍光灯の色。水銀灯の色まで、しっかり区別出来るほど出る。その代わり、薄暗いところは、ベタになる。
 それとは別に、光源が画面中央近くにない場合の、薄暗い塀などは、手持ち夜景モードではなく、ストロボを使わない、マナー撮影のようなモードに入り、かなり暗い場所でも、そこそこ明るく写る。どちらも、一枚取りではなく、複数枚写すため、非常に安定している。ただ、少し待たされるので、早いタイプのSDカードがあったほうがいいだろう。
 だから、このカメラ、撮影気分で写すタイプではなく、撮影をしないタイプだ。それは、日常の中で、写しに行くのではなく、つい写してしまうところの撮影がメインだ。だから、本気になって写そうと狙うのではなく、とりあえず写そうという感じで、写すタイプだ。
 コンパクトデジカメも、ケータイ系、スマートフォン系内蔵デジカメに食われているのだが、こういった複合技は、まだまだコンパクトデジカメでないと、安定した写りは望みにくいだろう。それは想像で、ケータイ系内蔵デジカメはあるが、使っていない。スペックを見れば、何ともならないからだ。
 だから、超コンパクトなデジカメは、まだまだ生きる道が残されている。
 フルオートのプレミアプラスモードは、何も弄れないが、露出補正はできる。露出補正を三段階にかけるブラケットはプレミアでは使えない。それは必要ではないと、カメラが言っているようなものだ。
 しかし、ここ数年というか、二十年以上、露出補正は使っていない。昔のカメラでは、シャッター半押しのAEロックで、コントロールしていた。スポット測光ではなく、緩い目の中央部重点測光だ。それが、評価測光とか、マルチ測光になり、露出補正との相性が分からなくなった。
 誰が写しても、同じ解を出す今のカメラは、もう差があるとすれば、画質の差はお金で買えてしまう。だから、出資した分だけ、いい画質の写真が撮れる人になる。ただ、それは画質であって、写真は、また別だ。
 手ぶれ補正で、どれだけ、望遠側や、暗い場所での失敗写真が減ったかを考えると、こういったソフト面やハード面の恩恵は高い。数年前から富士が言い出していた白飛びをどうするか、が、次の課題だったわけだ。しかし、狭い範囲しかない階調を、活かして写すのも、昔は技だった。そして、実際には、それでも満足出来ないので、暗室で、覆い焼きや、焼き込みをやっていたわけだ。こっそり絵を作っていたのだ。さらにその昔は、モノクロ写真に色を塗っていた時代もあった。写真を書いていたのだ。
 そういった職人技を、機械化したのが、階調拡大であり、その反則わざとも言える複数撮影による合成だ。
 あとは、安心して、カメラを向けて、シャッターだけを切って下さいという世界になった。顔にピントを合わせる必要もない。
 自分撮りも、セルフタイマーと顔認識を組み合わせて、画面上で、顔を認識してから2秒後にシャッターが落ちるという面白いことも出来る。さらに二人分写すときは、画面に二つの顔が認識されたときから、2秒後にシャッターが落ちる、となる。
 最大の問題は、モードダイヤルのあるデジカメで、そのダイヤルが、何かにこすれて動いてしまうことだ。オートモードから外れると、怖いことになる。
 WX10はボタンやダイヤルがちまちましているため、モードダイヤルも小さく浅いので、動くことは少ない。操作しにくいと言うことだが、動かす必要は殆どない。たまに背景ぼかしモードへ移動させるだけだ。
 
 

■2012年1月9日 月曜日 13時46分
 
 起きると少し遅い。昨夜遅くまで起きていたためだろう。
 この分では夕方起きになる可能性が高まった。何とか食い止めないといけない。明日、少しでも早く起きることだろう。
 曇っているが日差しはある。そのため寝起き入る老婆の喫茶店での窓際では、ノートパソコンのモニターが真っ白い。
 風はなく、寒くはない。しかし、日差しの割には空が暗い。
 昨日はカボチャを買う。青物野菜が高くて買えなかったので、黄色いカボチャを買う。メキシコ産で、日本産の金時より安い。
 食べてみると、美味しかった。カボチャは、カボチャなのだろうか。あまりカボチャの差というのはないような感じがする。何となくカボチャは鈍そうなので、味のバリエーションは少ないのではないか。というと、カボチャ農家で、カボチャ栽培で、いろいろ工夫している人には失礼だが、カボチャは安い。だから、あまり、高級野菜とは言えないので、効率が悪いのかもしれない。
 カボチャは土手カボチャと言われるように、土手によく野生か、鳥が種でも落としたのか、よく生えている。その野生のカボチャ、つまり、その地に根付いているカボチャではないと思えるが、放置していても、育つ。ただ、それがおいしいかと言えば、それは分からない。
 カボチャは煮すぎると、黄色い部分が溶けてスープになってしまうので、注意が必要だ。そして、カボチャは、サツマイモよりも美味しかった。
 そのサツマイモだが、去年買っていたものが溶けていた。柔らかくなっていた。本数が多かったので、まだ残っていたためだ。放置したわけではないが、やや間が開いた。それで、腐ったのかもしれない。
 そのサツマイモ、昨日、カボチャを買う前に買っている。前回より品質は落ちていた。表面に硬い傷のようなものが入っていたりする。そして、小ぶりだ。サツマイモのくず物のような感じだが、値段はその分、ぐっと安かった。大きさ的には一回分食べる適量の長さ太さで、問題はない。
 
 ソニーWX10を買う。
 クリスマスから大晦日、正月、年明けまで、デジカメを狙っていたのだが、なかなか買えずにいた。
 下手なものを買うと、バランスが崩れるので、罪の軽いタイプにしようとしていたが、安いタイプになると、その写りが気になり、より高いものに目移りしそうになる。
 年明け、急に安くなったのが、ソニーのデジカメだ。新機種が出るためかもしれないが、各社とも値崩れが起こっており、底を狙うのがコツだ。しかし、底値のデジカメと、新製品とを比べると、どうしても、新製品側のスペックが気になり、同じ買うなら、新製品となる。だから、新製品が出てしまう前に買うほうがいい。出たものは見なければいい。半年前に買ったと思えばいいのだ。
 ソニーWX10は途中から割り込み候補として浮上した。
 ポイントはプレミアオートである。ただのシーン認識なのだが、その規模が反則ぎりぎりになっており、その副作用のほうが恐ろしい。
 階調拡大で、二枚撮り三枚撮り、他の要素と入れて四枚撮りまでするタイプがある。さすがに富士以外は同時撮影ではなく連写なので、連写ぶれを起こしそうだ。そして、富士も含めて、階調拡大を複数撮して合成するタイプは、感度アップしていると思える。このときのノイズが、結構来たりする。下手に階調を上げないで、黒つぶれ、白飛び覚悟で撮したほうが、解像力は高く、また感度も妥当なので、そちらのほうが綺麗なのだ。
 しかし、このあたりは一眼レフデジカメに比べ、小さな受光素子で、何とかしようというけなげさだろう。受光素子が大きいと階調も豊かで、高感度でもノイズは少ない。それを小さな受光素子で、反則技で、何とかしようと言うのが、今の流れだ。
 さて、ソニーにしたのは、安いからだ。上新で店頭価格13800円。レジで、何も言わないのに、800円引いてくれ、13000円。さらに、ポイントが1000付くらしく、これで12000円だ。
 ただし、上新価格13800は、展示品価格で、飾ってあるカメラだ。落ち武者狩りとしては、一首しかないないため、逃すと、他の上新へ行ってもないかもしれない。
 ソニーにしたのは、一番デジタル臭いためだ。どうせ内部で合成して作る絵になるプレミアモードなら、その出方が、ソニーは上手いのではないかと思うからだ。上手いと言うより、出方が楽しみなのだ。これは自動現像のようなもので、どんな出方をするのかが読めない。だから、上がるまで分からない面白さがある。
 同じように、プレミアモードを推し進めているカシオでもいいのだが、出たばかりなので、高い。
 WZ10は24ミリからの7倍ズームだが、結構小さい。望遠が170ミリ近くあるのも好ましい。
 スペックだけを見ると、レンズ開放がF2.4と明るい。普及タイプでは明るい。ただし望遠側では同クラスよりも暗くなる。しかし、レンズの軽さ云々はすべてプレミアモードで、何とかしてしまうので、それほど重要ではない。少し暗いと複数撮りして合成してしまうのだから、そちらの出方のほうが大事なのだ。
 昔のミノルタのGレンズを使っている。ここにミノルタの匂いを感じた。オリンパスは傷つきながらも生きているが、ミノルタはソニーが吸収した。当然、ソニーのデジカメは、ミノルタ堺工場で作っているわけでもないし、伊丹工場でレンズを作っているわけではない。ミノルタロッコールレンズ、それは六甲山が見える伊丹から名付けたものだろう。ミノルタも実る田なのだ。
 ソニーデジカメで、Gレンズが付いているカメラを見ると、それはミノルタの残映なのだ。
 しかし、コンパクトデジカメになると、レンズよりも、受光素子タイプでの写り加減のほうが深刻だ。それだけでも深刻なのに、合成写真を作るのだから、その処理の巧みさになり、これはソフトの力なので、光学系の力ではない。ただ、コンパクトデジカメはレンズ一体なので、そのレンズ特性に合わせた受光素子と内部処理のマッチングで、ハードの性能を極限まで上げることが出来るのではないかと思える。レンズとボディーを同時に設計しているはずだ。
 さて、それで、持ち帰ったWX10を早速箱から出し、バッテリーを補給する。USBでパソコンから供給する。パソコンがない場合は、電源コンセントから供給する。バッテリーはカメラ内のみ充電で、カメラの外に出しての充電は出来ない。つまり、バッテリーだけを充電することが出来ない。
 カメラ電源を入れるが、おきまりに日付設定が出ない。展示品なので、既に合わせていたのだろう。上新で、三日ほど続けてこの展示品を触っていたので、指紋はすべて自分のものだろうか。
 そして、いつものように室内を撮す。いつも座っているホームゴタツ周辺だ。
 結果は、合格で、今までにない破局のなさに驚く。しかし、これが最近のソニーかと思うほど、地味なのだ。要はアンダーに出るという噂通りの露出だ。今までの体験から、1絞りほど暗く出る。そのため、写真が地味に見えるのと同時に、落ち着いて見える。白飛びがない。白いはずのものにもタッチが乗っている。これが合成なのだ。これがオート+モードがメインなので、それで写した結果だが、非常に満足のいくものだった。
 昔のコンパクトデジカメ、今もそうだが、普及機は明るい目に出る。人の顔にタッチがつきすぎるためだろう。しかし、このWX10は容赦ない。
 初期設定のまま、さっと室内を撮しただけなのだが、階調の豊かさに驚く。いくらGレンズでもここまでは無理だ。だから、合成なのだ。ただし、階調は明るい側によく付き、暗い側は容赦なく切り捨てるようだ。それが、アンダー気味に出るという印象を与えるのかもしれない。これはかんかん照りの風景を写すのが楽しみになる。
 黒つぶれよりも、白飛びが気になる。だから、WX10は正解だ。
 そして、ノイズがない。あるのだろうが、すっきりしている。合成はするは、ノイズ取りはするわで、忙しいカメラだ。よく仕事をしている。
 動いている犬でさえ、合成で止めてみせるカメラなのだから、怖い話だ。
 特に夜景はかなりの威力を発揮する。勝手に連写で写してくれるのだから、手間がかからない。
 ただ、書き込みに時間がかかる。書き込み時間ではなく、合成時間ではないかと思える。
 室内では、F3.5開放に比べると、F2.4は有利だ。F2にならないのは、7倍ズームのためだろう。これはボディーを大きくしても、無理だろう。感度上げでノイズが少ないのなら、F2大口径24ミリレンズに匹敵するだろう。感度上げで、ノイズ消しが上手いとなると、安心して使える。
 13000円で、ここまで写せるのかと思うと、驚異だ。やはりソニーデジカメのソフト力に驚かされる。低価格カメラでも、ここまで持ってこれるのだから。
 ピントはどこで合うのかは、探さないとよく見えない。合焦するであろう場所に緑の窓が出るのだが、隅っこのほうで合っていることもある。勝手にピント位置を決めてくれているようなので、隠し撮りでは都合がいい。ただ、手前側や顔が優先されるようだ。
 コントラストの高い風景の場合、どちらかでピントを合わせ、半押しで、AEロックを決めようかと迷うことがあるが、このカメラなら、どうせ合成してくれるのだから、ピントが欲しい側で合わせばいい。それ以前に、勝手に主要被写体だとカメラが推定してくれるので、その手間もかからない。
 意外と写りは地味で、光とその階調派のようなサンプル写真のように写る。従来のソニーのイメージとは全く違う。夕方でも真っ昼間のように写るのがソニーのイメージで、夜でも昼間のように写そうとしていたはずなのだが、夜の黒ベタがよく出る。暗い側を思い切って切り捨てているように思える。これは夜景モードに入るためだろう。
 デジカメというのは、ここまで進化というか、オートで作り込めるのかと感心した。
 大きな受光素子の圧倒的な力ではなく、小さな受光素子でも、よく写っているのだから、これは一眼レフデジカメの意味がなくなるような感じだ。
 ソニーのミラーレスは、結局買えなかったが、それは望遠撮影がきつくなるからだ。もし24ミリ相当だけでいいのなら、単焦点のセット売りで、十分買えたのだが。望遠になると、きついものがある。
 そうなると、サイバーショットのネオ一眼が候補に挙がるだろう。ここまで写るのなら、一眼レフは必要ではない。
 昔、サイバーショットの38から200の、レンズにボディーが付いているような機種をメインで使っていたことがある。今それが、カードタイプの小さなデジカメで、やってしまえるのだから驚く。ただ、望遠がやや寂しい。ソニーの旅カメラもあるが、あれはパスだ。液晶パネルが回転するタイプが出れば別だが。
 初代サイバーショットも持っていた。あれは、回転した。そして、よく写った。
 ただ、今のように、コントラストが高い場所では、空が飛んでしまう。そう言うのが、どんどん改善されていくのだから、驚きだ。
 カメラそのものは、オート主体で、モードダイヤルは、プレミアオート、プレミアオート+、プログラム。とオート系モードが並ぶ。その中に、マニュアルモードもある。
 また、オートモードでも、露出補正は出来る。AFエリアの選択は出来ないが、顔認識で、大人優先、子供優先、全くしない。から選べるだけだ。
 では、画面のどこかにスポットで合わせたいときは、どうするのかと思ったのだが、これは、追っかけモードにする。これは、十字キーの真ん中を押すことで、追っかけモードとなり、スポットになる。動かない被写体でも追っかけモードは可能だ。写す側が動くので、被写体が動いたのと同じことなので。この追っかけモードは非常に有利な位置にある。一番押しやすい場所だ。一般的な十字キーではOKボタンにあたる。ピントロックにも使える。構図を変えてもピント位置は同じであり、さらに、こちらが動いても追従するので、実際にはロックではないが、追従だ。
 さらに、新モードとして、背景ぼかしモードがある。これは一眼レフの聖域だ。また、明るいレンズの聖域でもある。それを複数撮りで、合成しようというものだ。
 さすがにこれは、プレミア+モードには入っていないが、シーンセレクトモード一覧の上段にあるので、すぐにアクセスできる。
 試してみると、受光素子の大きな一眼レフで写したようなボケが出来る。そのため、24ミリ側でも、結構ぼけてくれる。ピントと連動しているようで、ピント位置が外れるほど、徐々にぼけていく。
 ガイド文字があり、推奨距離がズーム位置によって異なって出るが、あまり気にしなくてもいい。ただ、主要被写体と、背景の距離が近すぎると、どちらにしても効果はない。背景がうるさいとき、使えそうだ。
 このあたりは、一眼レフで言えば、明るいレンズで、背景をぼかすという聖域なのだが、そこに踏み込んでいるのだ。一眼レフの有利さは、背景のボケ量だ。しかし、それがコンパクトデジカメでやってしまえるのだから、怖い話だ。さらに一眼レフでは出来ない逆方向、つまり、コンパクトデジカメのピント深度の深さも使えるのだから、絞り込めるし、ぼかせるしで、これは、ちょっと感心した。
 しかし、24ミリで、それなりに明るいレンズなので、ピントは浅い。さらに、過剰な画素数があるため、ピントが浅くなるのではないかと思える。だから、素でも、結構ぼけてくれるのだ。
 画素アップで、階調が貧弱になる。それを複数写しで合成して逃げる。ノイズも、ノイズ取り専用ソフトのように、掃除が上手い。
 24から170ほどの高倍率とは言えないデジカメだが、これを一眼レフで満たそうと思うと、そんなレンズはない。近いズーム比はあるがあるが、一眼レフボディーよりも高い。そして、大きく重い。
 コンパクトデジカメはまだまだ健在だ。
 
 

■2012年1月8日 日曜日 12時57分
 
 曇っており雨が降りそうだ。昨日から下り坂になっている。日曜日らしくない。日曜は晴れのイメージがある。「日」はお日様なので。しかし、土曜日が、土っぽいわけではない。
 落語の枕で月日が立つのが早いというのがある。それを語っているのは雷で、雷は二人を先に見送り、宿を立つのは雷だけに夕立にする。この月日がたつの中に竜が入っている。しかし、ここでは上空のキャラなので、竜は入れない。まあ、竜は飛ぶので、そうでもないのだが。月日で、引っかけようとしているので、竜の出番がないのだろう。しかし、月と太陽は地球外だが、雷は電気だ。これはジャンルが違うように思えるが、昔の中国のジャンル分けというのは結構曖昧なようだ。それは、あとで、そうなっただけで、基本はしっかりしていたのではないかと思える。漢字を日本語に変換するだけで、もう誤変換してしまうだろう。
 今年は辰年だ。干支の中に竜が入っている。これも動物だが、現実にはいない動物だ。しかし十二支は暦なので、時計でもある。子の刻参りや丑三つ時などはまだ使っている。だから、動物に後で置き換えたのではないかと思える。だから、本意はきっちりしていたのだろう。わかりやすくするため、動物名で呼ぶようになっただけかもしれないが、それは調べていないので、分からない。
 しかし、誰でも気付くのは、竜はいないと言うことだ。近いのは竜の落とし子だ。しかし、竜の落とし子より、竜のほうが知名度が高い。竜は中華街へ行けば、いくらでもいる。
 
 昨日は買っていた白味噌で雑煮を食べる。久しぶりにお椀に入れて食べる。餅は溶けないで、無事煮ることが出来た。
 鍋物の出汁を味噌にすると楽だ。味噌煮込みだ。汁が減ると、水を足し、味噌を加えればいい。味噌だけ加えればいいので楽だ。そして、味噌汁なので、安心して飲める。日本人の身体は米と大豆から出来ているわけではないが、身体にとって、受け入れやすい食べ物なのかもしれない。先祖がずっと飲んできた味噌汁や米は、そういう内臓になっているのだろう。米を食べ続けた胃腸は、非常に受け入れやすいのだろう。ただ食生活が変わると、内臓も変わるかもしれない。日本だけではなく、米を食べ続けてきた民族は似たような顔になるかというとそうではない。もっと前の人類になったあたりまで遡らなければいけないだろう。北京原人や、明石原人は、いろいろあった猿から進化してきたヒトの枝で、明石に住んでいる人は、明石原人が先祖ではない。今の人間の先祖はアフリカで生まれたのだろう。それが移動している途中が長く、いろいろと変化していったのだろう。と、言うようなことをテレビで以前やっていた。
 まあ、そこまで考えながら、人と人とが接触しているわけではないが、近い目の自分のルーツはリアルでも生きているだろう。元は同じだと言っても。
 
 

■2012年1月7日 土曜日 13時34分
 
 起きると少し遅い。遅くまで起きていたためだ。天気は少し下り坂か、曇っており、風が強い。青空はあるのだが、面積が狭い。
 寝起きの老婆の喫茶店では窓際に座る。晴れていると、射し込みがあり、液晶画面が眩しく、文字が読みにくい。富士通ノートの液晶はいつも一番暗い状態にしている。そのメーターを二段か三段上げないとよく見えなくなる。十段ほどあるので、まだ余裕がある。さらに明るくなるのだが、テキスト打ちだけでは必要ではない。逆に暗いほうがそれほど伸びない。それでも中間が豊かなので、間が少ないタイプより、使いやすい。
 寝起き、いつもの喫茶店へいつものように行くのだが、ここでの変化は望まないようだ。これは飽きるとか、の問題ではなさそうだ。いつも同じであったほうが好ましいものとは、ベース的なものだろう。ここは変化を望まないのだろう。逆に変化したほうが楽しいものもある。それは行楽などで、いつも同じ場所では面白くないのと同じだ。それは行楽は物見遊山なので、違うものを見たいから出かけるためだ。だから、変化しないほうが好ましいものと、変化したほうがよいものとがあるようだ。
 ただ、いつも同じ状態でも、その中での変化がある。晴れの日と、曇りの日とでは、いつもの喫茶店でのパソコンモニターの状態が変化する。だから、決していつも同じなわけではない。
 
 久しぶりに味噌汁を作る。年末、正月用の雑煮用に買っていたのだが、餅は煮物の中に入れて食べていたので、汁まで吸う味噌汁を作る機会がなかった。
 味噌は白味噌で、京造りだ。正月前のスーパーで、適当に選んだので、高いものをつかんだのかもしれない。普通のマルコメミソのお徳用のタイプを買っておけばよかったのかもしれない。老眼で、値段が見えない。目を細めると何とか値札は見えるが、目の筋肉がいるので、面倒なので、見ない。
 まあ、味噌汁の値段幅はそれほど大したことはない。だから、とんでもないほど高いのを掴む可能性は低いはずだ。何せスーパーの特設台のようなところで積まれていたのだから。
 しかし、正月食材は高い。これは日頃のスーパーとは違う顔になり、違う価格帯になる可能性もある。普段なら、上等な味噌は奥に鎮座しているだろう。
 味噌汁は、汁だけでもよい。しかしそれでは寂しいので、味噌汁の子(おつゆの子)を入れる。この子とは、具のことだ。大根などのことを指す。味噌汁は汁がメインなので、かやくはおまけだ。
 昨日は普通に煮込み鍋を作ろうとしていたので、ジャガイモを既に切っていた。それと白菜だ。そのため、具の多い味噌汁になってしまった。
 メインは白身魚のフライで、買っていて、忘れていた。二つで100円になる賞味期限間近商品だ。早く食べないと危ない。
 結局正月の餅は、味噌汁で雑煮にして食べることはなかった。おでん出汁の鍋物の中に入れて食べた程度だ。
 くどいが餅は煮ると溶ける。だから、味噌汁で食べるのがいい。溶けても味噌汁なら全部飲めるからだ。溶けて消えるわけではなく、箸で挟めないだけのことだ。
 
 フェースブックと、フェースブックページの内容が同じなので、フェースブックページの記事を削除し、作り変えることにする。フェースブックページそのものを削除できるが、二週間ほどかかるようだ。
 フェースブックページは、昔のファンページだが、これは単なる広告塔だろう。名刺だ。だから、ブログ風ではなく、ブログ風ホームページのトップページを作る要領でいい。少し凝った表紙ページを作るエディターのようなツールがフェースブックに入るようだ。
 
 

■2012年1月6日 金曜日 12時57分
 
 よく晴れており、風も少なく、暖かい。いつも寒い冬なので、その中で、それほど冷えない日は、小春日和だ。
 日が眩しく、目が痛いほどだ。寝起きいきなり喫茶店へ行くので、日が眩しいのだろう。
 寒いと、カロリーがいるのか、腹が減る。寒いと震えるので、それで力を入れるため、運動しているのかもしれない。貧乏揺すりではない。
 寒くて空腹で身体が冷えてくると、遭難だ。だから、温かいものを食べて、少しでも身体が温めたほうがいい。食べたときは暖まるが、すぐに寒くなる。だから一瞬で、暖かさは長持ちしないが、それでも少しは緩和するのでいいのだろう。
 年末近く、非常に寒かったのは、電気ストーブのせいだった。古いタイプのを付けていた。遠赤外線タイプを出してきて交換すると、暖かくなり、やがて暑くなり、頻繁にスイッチを切る状態だ。去年の真冬もそれで過ごしたのだから、この暖房をした上での暑さ寒さを計る必要がある。その日が寒いのではなく、ストーブが弱いだけのことだったりする。
 
 昔書いた文章をタイプしていると、文体が気になる。また、漢字の使い方も気になる。
 何を漢字にし、何をカナのままにするのかも気になる。さらに句読点の打ち方も気になる。
 書かれている本意は同じなのだが、表面処理が気になるのだろうか。
 気になるのは、読んでいて、詰まることだろう。流れが悪いと感じたりする。
 しかし、下手に修正すると、バランスが壊れる。流れの悪い文章でも、それなりにリズムを取っていることが分かる。ある流れに乗っているのだ。だから、部分的に直すと、逆におかしくなる。
 以前多用し、今はそれほど使わない言い回しもあるし、漢字もある。
 今なら、ブログなどで書き流していた過去の文章を、もう一度使うとなると、清書のような感じで、書き直したくなるのではないかと思える。確かにブログの文章はそれでフィニッシュなので、清書なのだが、読者対象が変わると、発表場所に合わせた文体にしたくなる。
 ただ、それを弄ると、書いたときの息吹のようなものが消える。
 デジカメで暗い場所を撮すとノイズが出る。そのノイズを消しすぎると解像力が落ちる。ゴミを取ったつもりで、情報まで消しているのだ。ゴミの中に撮したときのタッチも入っているのだ。
 また、暗いところで撮し、ノイズが出ているのも情報なのだ。それが、タッチを荒らしていることになるのだが、暗い場所で撮したという情報が、ノイズとして、合図として伝わる。
 どちらにしても、走り書きのように書いた文章でも本意が伝わればそれでいい。その本意が伝わりにくい言い回しになっている場合は、サービスで、読みやすくするのは大事だ。聖者の発言ではないのだから。
 
 
 

■2012年1月5日 木曜日 12時32分
 
 曇っているが日差しがある。晴れのち曇りではなく、晴れ曇りだ。晴れと曇りが同時に来ている。
 空模様は毎日違う。雲があるためだろう。雲が空の模様を変化させている。空模様とは、空に絵のような模様が描かれているようなことではない。様子のことだ。空の様子だ。これは身体の様子の、様子と同じだが、様態とまでは言わない。しかし、様子は状態とも近い。しかし、様子のほうが柔らかだ。
 新年五日目になっているが、モスが四日目なのに、早く閉まっていた。正月は三日で終わるはずで、四日目からは平常に戻るのが普通だが、そうならないところもある。モスはおっとりしている。
 世間には正月三が日は営業し、四日から連休に入る店があるかもしれない。神社前の喫茶店などではありそうだ。
 老婆の喫茶店は無事開いている。ここは正月と盆しか休まない。自分の家は休まない。それに近い。
 老婆の喫茶店が復活したので、そっち方面のスーパーへ久しぶりに寄る。去年仕入れた野菜のためか、高いままだ。通常100円のが150円や180円となっている。ただし白菜は安い目だ。安いとこは一玉100円だ。しかし、半分で100円で安く感じるのは、白菜はボリュームがあるので、長持ちするためだろうか。ほうれん草などは一回で食べてしまう。白菜半分は数回に分けないと食べきれない。だから、お得な野菜だ。そして、煮込んでも小さくなりすぎない。特に白い部分はしっかり残る。
 イカを小さく刻んだ、つまりくずのようなイカの冷凍パックがあった。業務用のような感じだ。イカチップだ。これは高いが量はかなり入っている。そして切らなくてもいい。大事なタンパク源だ。冷凍なので、長持ちし、いつでも使える。これはハムや肉よりも扱いやすい。
 ゆり根が賞味期限間近台にあったので買う。茶碗蒸しなどの底に沈んでいる甘いあれだ。これは煮込むと溶けるので、入れ時が問題だ。湯がいたものを入れるのがこつかもしれない。
 卵Lサイズ10個入りが100円だ。ただし千円以上の買い物をした人のみで、お一人様一パックだ。それで、千円になるように冷凍イカパックを買ったようなものだ。
 このスーパーへ行くと決まって巻き寿司を買う。それほど安くはなく、閉店間際外で買う寿司は珍しい。巻き寿司を買うのは、食材を買って戻ってきても、作るまで時間がかかるためだ。
 
 オリンパスペンライト1が、23000円とかで出ている。標準ズーム付きだ。ミラーレスデジカメの走りであるシリーズだ。これは、ネット特価を調べなくても、上新でも底値で売られている。
 このオリンパスペンライト1は、今では3になっている。サイクルが早いが、一年もたっていないのではないかと思える。
 23000円という値段は、コンパクトデジカメの新製品の価格だ。しかも高級コンパクトデジカメではなく、普及機レベルの価格だ。それと一年程度前の一応一眼レフが、この値段というのは興味深い。狩り時だろう。
 上新ではダブルズームセットで39000円だ。レンズの価格は2万円以上している。だから、レンズ取りで買う人もいるかもしれない。
 オリンパスペンライト1は、液晶が小さく、解像力も低い。つまり、入門用コンパクトデジカメで一万円以下の機種と同じだ。普通のコンパクトデジカメの液晶サイズは3インチで解像力も高い。それに比べるとオリンパスペン1の液晶の貧弱さはどうしたことだろうか。これでは高級カメラの中には入らなくなる。そして、一眼レフ入門カメラとしては、かなり難しい。なぜなら、液晶が小さく解像力もないので、ピントなどほとんど確認できない。だから、玄人向けなのだ。液晶でピントを見ようというのではなく、どこにピントを合わせるかだけでの使う写し方だ。距離計連動カメラのピント合わせに近い。昔の紙焼き、べた焼き画面を見ているような液晶だ。これだけ見ていると、ランク落ちだ。つまり、デジカメとして見た場合、大損した印象を受けるが、昔は小さな液晶で、昼間など使えないようなもので撮していたのだから、慣れれば問題はないのかもしれない。
 実働機を弄ったが、ボディーが小さいため、ズームしにくい。一眼レフスタイルに持ち込むにはボディーが小さすぎるため、ズームリングに指を持って行くのが窮屈なのだ。ちょうど横幅のないキーボードで窮屈にタイプしているようなものだ。ボディーが小さいので寄りかかれないのだ。といって、レンズを持つにしても、レンズが細く小さすぎる。コンパクトデジカメでレバー式の電動ズームになれてしまうと、マニュアルズームは両手持ちが面倒になる。それに比べると、ソニーはレンズが太いので、ボディーではなくレンズを持てる。
 パナソニックが、電動ズーム搭載タイプを出しているのも分かるような気がする。ボディーが小さいと操作しにくいためだ。それと、レンズの出っ張りを何とかしたいと言うことだ。パンケーキレンズだけでは、玄人写しになるため、難しいのだ。ズームが欲しいところだ。
 ただ、オリンパスペンというのは、一眼レフタイプではペンFのことで、ハーフサイズ一眼レフだ。ペンタプリズムが出っ張っていないタイプの一眼レフで、横に光を逃がすタイプだ。そして、ハーフサイズで一眼レフなので、ファインダーを覗くと縦位置になる。だから、このカメラ、構え方が常に縦位置で撮していた。それで、横画面になるからだ。
 ハーフサイズなので、広角気味の標準レンズになるため、ピントの山がつかみにくかった。オリンパスペンライト1を見ると、そのファインダー系の貧乏くささがそっくり再現されているというのは言い過ぎだろうが。だが、このカメラ、コンパクトカメラ的なのだが、レンズを交換することが出来た。一眼レフなので、レンズシャッターではなく、しっかり幕が走り、ミラーのスイング音もし、シャッター音は一眼レフだった。そして、発売からかなりたったあたりで、中古価格は上がり、その交換レンズは通常の一眼レフレンズよりも高かった。
 オリンパスペンとして普及したのは、コンパクト系ハーフサイズカメラだった。これはキャノンデミもそうだが、ボディーが安く、フィルムも倍使えるので、ヒットした。だから、オリンパスペンFはマニアックなカメラで、家庭用カメラはオリンパスペンEタイプだ。こちらはかなりの種類がある。もう、電源であるセレンは死んでいるかもしれない。要するに貧乏くさいカメラなのだ。
 ただ、小さな精密機械を弄るのは面白い。道具として、こなれれば、愛着が湧くカメラになるだろう。その意味で、オリンパスペンライト1は遊べる。
 
 

■2012年1月4日 水曜日 12時23分
 
 起きると少し遅い。夜更かししていたためだが、それでも早い目に起きた感じだ。そのため、睡眠時間がやや不足している。
 食べたあと寝てしまう。昨日もそれで、昼寝のようなものをしたので、寝る時間が遅くなった。
 食後眠くなるのは、普通だが、夜に行く喫茶店が閉まっているため、部屋にいる。すると眠くなってくる。いつものなら、食後は散歩に行くような感じで喫茶店へ向かう。喫茶店も室内で、部屋にいるときと変わらないが、その往復は自転車で走る。これが効いているのだろう。つまり、胸焼け状態の時は、運動すれば治るのだ。自転車で数分走るのは運動と言うほどではないが、食べたあとは動いたほうが好ましい。でないと、眠くなる。
 だから、散歩に行く前にご飯を食べる。散歩から帰ってからご飯を食べると、眠くなるためだ。ただ、何かに熱中しているときは別だ。
 正月三が日が終わり、やっと平日の四日になった。
 晴れているが風が強い。煙草の火が付けにくい。
 寝起きの喫茶店はやっと老婆の喫茶店となる。平常に戻った感じだ。つまり、この平常とは、単に老婆の喫茶店が開き、モスが夜までやっていることだ。
 街が動き出しているが、実際に利用する場所は少ない。しかし、行く機会は全くないような店でも、開いていないと寂しい。それらは背景としてしっかり営業していないと、街らしくないためだ。
 
「ポストモダンエレジー」というフォトエッセイを打ち直している。電子化するためだ。電子化とはデーター化すると言うことだ。そして、ファイル化するという意味だ。ファイル化すると、その束を動かしやすくなる。ただ、紙のファイリングではなく、見えないファイルだ。ファイル名は見えるが、装置がいる。それには、電気がいると言うことだろうか。電気代がもったいないという話ではない。
 ガロで連載していたポストモダンエレジーの具は、文章と写真だ。文章はなんらかの任意フォントが使われている。当時のガロ編集部の様子はよく分からないが、おそらく明朝とゴシックしか使わなかったのではないかと思える。これは漫画の出版社で、必要なフォントはこの二種類だけでよいという先代編集長の話を聞いたことがあるからだ。フォントの形だけではなく、フォント名があるはずだ。当時、JGというDTP系のワープロのようなレイアウトソフトを使っていたように思うので、そのフォントを使っていたように思うのだが、フォント名が分からない。JGにはいろいろなフォントが入っていたはずで、別売フォントもあった。しかし、同じ明朝体なら、一見してフォント名までは分からない。ずっとそれに従事している人なら、フォントの違いが分かるかもしれないが。
 さて、それで、データー化するとき、そのフォントに近いフォントで保存することは、まずない。まずは自分が読みやすい、いつも使っているフォントを使う。パソコンのワープロやエディターソフトなどでいつも表示させているフォントを使うことが多い。何も考えなければMSゴシックや、MS明朝。ネットなら、それにPがついたものを使う程度の切り替えだ。それらはマイクロソフトのフォントだ。
 ただ、自分で読む場合は、いつものフォントでかまわないが、人に見せるときは、より見やすいフォントを使いたくなる。
 ただ、文章だけのデーターなら、見る側が、フォントを変えて見れば、それで問題はない。
 フォントだけの問題ではなく、電子化する場合、最近は電子書籍との絡みで考えてしまう。以前なら、個人的に保存するだけなので、そんなことは考えなくてもよかった。
 それで、「ポストモダンエレジー」の文章をタイプしているとき、どういう形でフィニッシュしようかと考えている。
 自分で読むだけなら、スキャンした画像だけでいいのかもしれない。
 ウェブページとして使うのなら、ホームページ作成ソフトに流し込めば作れる。電子書籍にするのなら、一太郎に流し込み、PDFに落とせば出来る。
 個人的に出来ることは、この二つだ。
 ただ、ウェブページとして出力するときは、横書きになる。PDFで落とすときは縦書きでも可能だ。ただ、一太郎のおまけのジャストPDFは右綴じが出来ないので見開きで表示されると、やや苦しい。PDFで見開きで見る人はパソコンで見ている人だろう。初期設定で、単ページに固定させておけばいいのだが、見る側でも変えられるので、やはり、右綴じが必要だろう。そのソフトは、ソースネックストの「いきなりPDF」なら出来る。しかし、かなり重いソフトだ。決して、いきなりではない。
 PDFでは縦書きもいけるが、ウェブでは横書きになる。しかも日本語禁則は効かない。それが可能になるのはHTML5からだ。それが普及するには、時間がかかる。
 つまり、ブラウザの自動更新のようなもので、勝手に入ってくるのだろうが、ブラウザにもいろいろあり、複数のブラウザが存在している。既にHTML5にアップされたブラウザもある。また、表示は少しだけ違う。ホームページを作るとき、このブラウザの違いを考慮する必要があったのだが、結局は自分がよく使っているブラウザに合わせてしまう。HTML5はいいのだが、ブラウザの表示差が問題だ。
 その点、PDFはほぼそのままではないかと思える。PDFビューワーは、ほとんどの人がアクロバットを使っているものと思える。ただ、PDFビューワーも多数出ている。
 よくネットを見ていて、間違って、PDFファイルへのリンクをクリックしてしまう。ファイル保存ではなく、ブラウザと合体したような画面で、PDF画面が出る。プラグインというやつだろう。
 ブラウザの画面がおかしくなったと思う程度だ。ウェブページとPDFが合体している。そのあたりに何かありそうだ。
「まだPDFかい」と、思われるが、PDFは便利なのだ。ネット上のPDFを保存すれば、そのまま、そのフィルを電子書籍端末に投げ込めば、ゆっくり読むことが出来る。ただ、表示が小さかったりして、読めないこともあるが。
 課金や著作権保護系を考えなければ、電子書籍はもっと自由度が高くなる。電子書籍は合法的に課金するためのパッケージだろう。そのため、出版社や著者が納得してくれないと、勝手に出せない。
 さて、前記フォトエッセイだが、ウェブという形を取るか、電子書籍という形を取るかの選択がある。
 ウェブでも課金は出来る。川崎サイト内の川崎電子書籍や漫画ライブラリ、漫画通信講座は、サーバー上の任意フォルダにアクセス制限を掛けることにより、パスワードを教えることで料金を取っている。これは、PDF単独でもやってしまえる。パスワードがないと閲覧できないようにすればいい。しかし、IDやパスワードを入れないと、本が読めないのは、面倒くさい。
 これ以上、IDやパスワードを記録させたくない。記憶できないタイプだと、どこかに書いておかないと駄目だ。これも面倒だ。
 メジャーな電子書籍販売サイトから買った電子書籍なら、そう言ったことはしなくてもいい。冗談だが、これだけが、有料版の値打ちだったりする。しかし、ネット上の本屋のパスワードを忘れてしまったりすると面倒だ。
 だったら、無料で、PDFやウェブページとして、読んでもらうほうが好ましい。ネット上には、本屋にある本の内容よりも、いいものが無料で読めることも多い。課金してもいいほどのコンテンツも結構ある。だが、課金すれば、もう誰も読まないのではないかと思ったりする。
 しかし、お金を払って買ったコンテンツは、大事に読む。気合いが違う。特に難しい内容の場合、無料だと投げ出しやすいが、有料だと、もったいないので、最後まで読もうとする。
 身体とお金がくっついているわけではないが、それこそ身銭を切るという感じなのだ。身銭を切ったのだから、摂取しないと損だと思う。
 さて、電子書籍のフォーマットだが、HTML5とイーパブ3とのからみで、実際同じスタイルシートで作るのなら、別に電子書籍として見せなくても、HTMLファイルとして、ブラウザで見てもいいのではないかという「あれれ」と思う展開がある。
 HTMLによる電子書籍、オンライン書籍と言うことでもある。これは、どこに今自分がたってるのか、よく分からないような話だ。それは普通のウェブページではないかと。
 ボイジャーが年末に言っていたあのタイプを指すのだが、HTML5が普及し、各種端末がそれに対応するのは、まだ先の話だ。
 それなら、HTML5以前の、現行バージョンでも出来るのではないかと思ったりする。それなら、ホームページビルダーで作れる。HTML5対応とまでは行かないが、そのコードに合わせる選択がある。また、HTMLの古いコードというか、昔の書き方でも、いいのではないかと思ったりする。欲しいのは縦書きと禁則だけだろう。
 しかし、ウェブページで、今のバージョンで、強引に縦書きをしたり、または強制改行で、禁則にしたり、いろいろ工夫して、表示させたとしても、ウェブページで縦書きは読みにくい。
 縦書き表示で見開きの電子書籍風ビューワーはあるが、あれはフラッシュやジャバなどを使っているのだろう。ブラウザ内に表示されるのではなく、別窓で表示される。別窓にして、ブラウザのいつものメニュー類を非表示にさせてもいい。
 電子書籍風ビューワーというのは、いつものブラウザとは勝手が違うので、ボリュームが分からない。右側に出るバーで、スクロール幅を見ながら読み進む感じではない。やっとブラウザの短縮キーなどを覚えたのに、今度は専用ビューワーのキーを覚えなくてはいけない。逆に落ち着かない。
 これは、インターネットのブラウザで見ていて、急にアクロバットでPDFを読むとき、操作が分からなくなる。あの戸惑いに似ている。PDFではなく、普通のHTMLで見せてくれと思うことがある。
 HTMLベタベタのテキストページでもいいのではないかと思うが、それでは、商品としての魅力に欠ける。それこそ、一太郎で書いた文章をそのままガシャンとHTML化するだけなら、何の手間もかからない。
 一太郎で縦書き出力というのがある。出力先は画像ファイルだ。そしてそのままHTML化されるので、HTMLファイルの台紙の上に画像ファイルが乗った状態で、前ページ次ページのリンクも入って出力される。桁数などは任意で選べる。これを使えば、王道の日本語ワープロソフト一太郎の書式を百パーセント再現でき、PDFの比ではない。
 昔ボイジャーで、画像として出力できるソフトがあったが、あれと同じようなものだが、そちらはjpgなどの画像ファイルで、写真を順番に見るようなスライドショー的な感じだったが、一太郎のはHTMLファイルに画像ファイルが添付する感じだ。
 この一太郎画像式電子書籍風は、10インチモニターあたりに合わせた書式にすれば、悪くはない。モニターに合わせた横長のページで、本を開いたような感じになる。
 実際、これで、川崎サイト内の小説を、これで作って何作かアップしたことがあるが、最近は面倒なので、やっていない。検索が効かないからだ。
 ウェブで見た場合、長尺の巻物を見る感じが、一番見やすい。100ページに相当する小説でも1ページなのだ。だから、全部範囲指定して、コピペして、エディターなどで読んだり、Evernoteでテキストだけ貼り付けたり出来る。
 普通のベタベタのHTMLファイルのテキスト表示なら、ブラウザの幅を狭めると、桁数を変えることが出来る。下手に固定したレイヤーや表で固めていると、そうならないが。利便性から言えば、ベタベタの素のHTMLテキストの非スタイルシートの系のほうが、扱いやすい。
 しかし、こう言うのは、昔からあり、ウェブ小説は昔からあったのだ。それを電子書籍だと言われても「あれれ」と思ってしまう。それなら、下手にhtml5で扱いにくくする必要がないような気がする。素に近い感じで、提供された小説は、見る側が見やすいビューワーで見ていたのだ。決してインターネットブラウザだけで見ていたわけではない。
 川崎サイト内にある小説は、千字一話物語メルマガとしても発行している。その読者は100人程度だが、ここ数年変化はない。だから、解除していない人が多い。だから、その人のメーラーにここ数年毎日のように届いているはずだ。
 禁則や桁数はWZエディターのテキスト変換で強制改行してから貼り付けている。メーラーで読む、ケータイで読む、ということをやっている奇特な人がいるのは確実だ。中には音声で読んでいる人もいるようだ。中には生存確認で、購読(無料)している人もいる。
 読書スタイルというのはいろいろなのだ。読みにくいディバイスでも、それに慣れてくると、その画面でないと読んだ気にならなかったりする。電子書籍専用端末がそれほど普及しないのは、これ以上ディバイスを増やしたくない人がいるためかもしれない。これは保守的でもケチでもなく、慣れたと言うことが財産のようなディバスなのだ。汚い例だが、不便なトイレでも、いつもの自分のトイレでないと用が足せない人に近い。猫のトイレ箱や、犬がいつもの場所に散歩に出さないと、用を足してくれないような感じだろうか。決していい例ではない。
 HTML5での電子書籍は、その意味で、逆に取り扱いが不便になるかもしれない。
 さて、それで、今タイプしている「ポストモダンエレジー」だが、どういう書式でフィニッシュすればいいのか、まだ思案中だ。
 
 

■2012年1月3日 火曜日 12時15分
 
 起きると少し遅い。曇っており下り坂だ。青空は見えない。
 正月三が日も今日で終わる。大晦日から一気だ。さっと年を越えた感じだ。明日から平日に戻る。
 正月は新春だが、実はこれから冬に向かう。真冬に向かうので、一日一日が暖かくなる春ではなく、寒くなる冬に向かうのだ。これは、暦が昔とは違うためだろう。ずれているのだ。
 寝起きの喫茶店はまだマクドだ。明日から老婆の喫茶店が開くので、平常通りになる。マクドと老婆の喫茶店との距離はそれほど違わない。居心地が違うだけだ。
 また、夜に行くモスも、平常に戻れば、夜も開いているはずだ。詳しくは見ていないが、大晦日や元旦は夕方までしか開いていなかったはずだ。張り紙をよく確認していなかったが、去年と同じだろう。去年は前まで行って閉まっていたので、うろうろした。
 スーパー関係は元旦からショッピングモールが開いており、問題は何もなかった。
 逆に都心ターミナルのほうが壊滅状態かもしれない。宅地は人がいるが、ビジネス街はいない。ただ、初詣客が電車を利用するため、ゴーストタウンではない。
 昨日は久しぶりにサツマイモを蒸かす。鍋に出汁が残っていたので、それを捨てるのがもったいないので、なかなか捨てられなかった。
 そして捨てるとき、鍋の底に餅が幕を張っているのを確認する。ヘドロのように溜まっていた。溶けた餅がこんなところにいたのだ。もったいないことをした。溶けて消えたと思ったが、そうではなかったのだ。
 次回からは、餅を煮るには別の鍋を使うことにする。そして、味噌汁のように出汁までお椀に取ればいいのだ。溶けた餅も一緒にお椀に入るはずだ。
 
 ニコンのPシリーズ最高級機P7100を検討中だ。
 28から200で、液晶が回転する。アイレベルファインダーがある。これだけで十分のスペックだ。ライバルはキャノンG12だが、そちらのGシリーズは、似ているが、液晶の大きさが小さい。縦位置でも回転が利くので、小さくなったようだ。カメラそのものの実力はキャノンのほうが高いと思える。
 いずれにしても、戦艦クラスのコンパクトカメラなのだが、カシオの素早さから見えれば、もたつく感じがする。キャノンも小さい方の最高級機種があり、人気はこちらだろう。だが、液晶は回転しない。
 液晶が回転するデジカメでは、ミラーレスのソニーや、オリンパスの高いほうがあるが、実働機を見ると、液晶が小さい。ミラーレスでファインダーがないのだから、液晶だけが頼りのはずなのに、それがコンパクトカメラよりも小さいとなると、これは何だろうかと思ってしまう。高いカメラを買ったのに、モニターが小さいとは。
 ニコンで選択すると、28から200のP7100もあるが、ネオ一眼のP500もある。こちらはたたき売りされている。だから、お得だ。液晶は同じく3インチあり、回転する。それよりもズーム比が高い。超望遠まで含まれる。ただ、電子ファインダーの解像力が低く、ピントの確認は難しい。当然ぎざぎざが見える。ネオ一眼で、電子ファインダーの画素数を上げたのは富士の一機種だけだ。こちらになると、重くて高い。ミラーレスの内蔵、外付け、どちらの電子ファインダーも問題なく大きく解像力の問題はない。
 28から200タイプは、鞄に入れ、常時持ち歩けるが、ネオ一眼のほうは無理だ。重さはそれほどないのだが、かさばる。買うときは満足度が高いが、実際に使う頻度は低くなる。
 しかし、ニコンのネオ一眼は、35000円ほどまで落ちたとき、何度か買おうとしていたのだが、三世代ほど見逃している。一世代一年だ。毎年出るのだ。今回の値下げ率は、ミラーレスの影響ではないかと思える。人気がそちらへ向かっているためだ。
 そして、高級コンパクトデジカメのポジションも、危ない。その位置にミラーレスが来ているためだ。さらに、レンズは交換できないが、受光素子が少しだけ大きい目のタイプが来ている。ここでミラーレスの受光素子に迫る感じだ。
 そして、ニコンも新マウントでミラーレスに走っている。このカメラ、軍幹部が完璧にフラットで、空母のような甲板だ。シャッターボタンも出っ張っていない。これは実用機と言うより、趣向品のような感じだ。いいライターを持ちたいとか、そういった感じだ。
 ただ、きんつばのような四角い塊は好ましい。
 上新では、ソニーネオ一眼の旧機種が箱のまま売られている。単体レンズと標準ズームセットで45000円だ。この値段、カシオの最新カメラZR200に近い。ソニーのミラーレスは素早いが、それよりもカシオのほうが書き込みや、次の撮影間隔が早い。本当に撮したのかどうか不安なほど、早い。これを見ると、他のコンパクト系やネオ一眼系がかったるく感じてしまう。
 しかし、このカメラ、プラスチック丸出しで、機械としての魅力はほとんどない。機能だけがぬきんでている。ただ、写りや手ぶれに関しては、今ひとつではないかと思えるが、味のある描写なら、解像力がなくても問題はない。エッジを立ててシャープに見せようとするより、ぼかしてくれたほうがいい。つまり、解像しきれなかったときの乱れ方に雰囲気があればいいのだ。これを追い込むとトイカメラになるが、逆に写真らしさが出るので、それが不思議だ。
 つまり、こけ方、失敗の仕方に味が出ると言うことだろう。
 カシオの写りには、そういう味があるように思える。ただ、最近は超解像技術で、少し変化しているかもしれない。
 カシオのZR200高速カメラは反則的な部分も多い。
 手ぶれ補正はあるが、オートのままで、望遠などで撮すとき、手ぶれしそうな場合は、複数写し、合成してしまう。この技は荒っぽい。しかし、手ぶれ補正でもぶれるとき、有効だ。しかも、この機能、プレミアモードなので、普通のフルオート撮影モードなので、切り替える必要はない。それは階調拡大も同じだ。複数枚写し、合成しているのだが、これもそのモードに入れて撮すのではなく、カメラが明暗比を関知し、勝手にやってくれるのだ。
 このあたりこそ、デジカメのデジカメたるところで、デジタル処理で、絵を作ってくれるわけだが、そのほとんどは失敗救済用だ。
 だから、カシオデジカメの手ぶれ補正が弱くても、この反則わざとも言える合成で何とかなると言うことだ。大きな保険だ。
「カシオが何とかしてくれる」とはワープロ時代からのコピーだ。デジカメ時代になっても何とかしてくれるのだ。
 要するに内蔵プログラムで、何とかしているわけで、レンズ固有の階調性のよさでもなく、レンズ性能云々ではないし、フィルムサイズにあたる受光素子の大きさによる有利さでもない。
 動く被写体があれば、ピントがそれに追従して合わせ続けるなども、切り替えが必要なら、普段は使わないだろう。
 それでいて、他のコンパクトデジカメやミラーレスより遙かに早い撮影間隔を持っている。だから、このデジカメがナンバーワンなのだが、そう評価されないのは、カシオ製であり、ソフト面でやってしまうためだ。
 当然、写りに関しては、受光素子の大きなデジタル一眼レフや、ミラーレス、そして、高級コンパクトデジカメのほうが綺麗だろう。カシオデジカメの受光素子は平凡な並である。だから、写りはまあまあと言うことだが、普通はそれで十分綺麗だ。ただ、レンズ特有の癖というか補正などは、光学系に特殊レンズをかましたりするため、高くなる。その差はやはり出るだろう。
 そして、ナンバーワンカメラらしく見えない、名機に見えないのは、プラスチックボディーのためだろう。高倍率カメラクラスの大きさがなく、しかも軽いのは、プラスチックボディーのおかげで、ポケットに簡単に入る大きさだ。だから、そこに貢献しているので、安く上げるためだけではない。冬場はプラスチックボディーのほうが暖かい。
 その証拠ではないものの、ニコン、キャノンのトップクラスのコンパクトデジカメと値段は同じなのだ。
 連射機能を使わなくても、パシャパシャ写せる。ピントも早い。こう言うのが、本来の進化ではないかと思えるのだが、見た目、そういう形をしたカメラではない。そこが惜しい。
 デジカメが安くなっているので、賞味期限も一年ほどだ。ただし2万円前後までの話で、それを越えると、さすがに毎年買うわけにはいかない。
 
 
 

■2012年1月2日 月曜日 12時57分
 
 起きると少し遅い。しかし目が覚めていたので、あえて二度寝したのだろう。寒いので、起きるのが嫌だったのだ。
 晴れているが、雲で日が覆われている。そして、風が強い。しかし、それほど寒くはない。
 正月二日目も寝起きの喫茶店はマクドだ。老婆の喫茶店は四日からだ。三が日が明けると町は平常になる。それまで、正月メニューになる。
 年末買った安い丸餅パックは、上手く焼けるようだが、おかきのようになる。そのため、雑煮するが、すぐに溶けてしまい、消えてしまうこともある。しかし、硬いままよりはましだ。秋頃買った激安の餅パックは、煮ても焼いても食べられなかった。硬いのがどうしても取れなかったのだ。正月用に売られている餅はそういうことはないはずだ。
 餅と白菜と、ソーセージで雑炊を作る。それに卵も入れる。これで十分だ。その他のものは買っていないので、同じようなメニューが続く。サツマイモが残っているのだが、蒸かし芋をするタイミングがない。電気鍋に雑煮の出汁、これはおでん出汁だが、それが残っているので、捨てるのがもったいないためだ。
 おかずはコンビニに行けばあるので、ここは平常通りだ。豆腐が安いので、これを買えば湯豆腐や水炊きが出来る。野菜は白菜が安いので、これでいける。
 野菜を買うタイミングは百円になっているときだ。今は150円ほどしており、買う気にならない。
 
 昨日はヨドバシカメラへ寄る。元旦から開いていた。
 普段より客が少ないので、デジカメ売り場は一人やり放題だった。
 実働機未確認機種が溜まっている。その中の一つが、ニコンの高級コンパクト機だ。Pシリーズ最上位機だ。これが3万円少しでネットで売られている。これは気になる。ライバルのキャノンG系も、それより少し高い程度で、お得感がある。何が得かと言えば、カシオの最新デジカメより高いのだ。
 ニコンのその機種は、28から200までのズーム機だが、アイレベルファインダーがついている。さらに、露出補正は軍幹部のダイヤルで回せる。もうこれだけでいいだろう。
 ネオ一眼タイプは22ミリあたりからの高倍率ズーム機だが、超広角側からのスタートだけに、少し珍しい。また、電動ズームのレバーが二箇所ある。レンズ鏡胴を回転させるタイプではない。これはヨドバシ価格で25000円なので、かなりお得だ。
 それらを淘汰するかのようにあるのが、ネオ高級コンパクト系だ。富士が頑張っており、6万円台だ。アイレベルファインダーが非常に大きい。ニコン、キャノンの比ではない。ただし、情報が何もないので画面は素うどんだ。つまり具がない。
 ニコンは液晶が動く。この魅力は大きい。さらにキャノンに比べ、液晶サイズが3インチと大きい。これもお得だ。富士は液晶は動かない。そして、思っているように大きい。
 富士のそれは、電源はレンズを回すことで、がちっと入り、沈胴から伸びる。居合い切りのような感じだ。
 ずしりと来るのが、オリンパスのネオ高級コンパクトだ。これはデザインがいい。シンプルだ。開放F1.8と明るいタイプだ。
 新タイプのレンズ交換は出来ないタイプは、魅力的でデザインもいいし、質感もいいのだが、望遠に弱い。100ミリ少し程度しかない。その意味で、ニコンの200ミリまでいけるのは、まだ実用的だ。
 しかし、普及期コンパクトなら、普通に300ミリまで行ってしまい、さらに広角もいける。だから、パフォーマンスはこちらのほうが高い。そのため超コンパクト高級デジカメを手にしれたとしてもスペックダウンになる。これは、レンズ交換式一眼レフデジカメも似ていて、結局はレンズ二本が必要になる。さらに最短撮影距離も長く、コンパクトデジカメで簡単にできる接写が出来ない。このあたりは、ほとんど宣伝されていない。弱点のためだ。
 それで、お買い得品は、ニコンのPシリーズのネオ一眼か、ソニーの同タイプだ。出来がいいのは富士だが、大きく重い。そして高い。
 ニコン、キャノンの最高級コンパクトデジカメより値段が張るカシオの普及機の意味は、広角から望遠までいけ、一眼レフ並の早い撮影タイミングが可能と言うことだろう。だから、実売価格で、その価値が出ているのだろう。
 ニコンから、新マウントのレンズ交換式コンパクトカメラが出ている。こちらはファインダー付きがあり、これがシンプルだ。電子ファインダーがついており、中付けなので、出っ張りが少ない。形としてはこちらが理想的だ。そして、この新マウント用の広角から望遠までのズームもある。惜しいのは、液晶が回転しないことだ。
 それが可能なのはソニーの7だ。しかし、ソニー製の標準高倍率ズームレンズはかなり高価で手に入れることは不可能だ。だから、サイバーショットのネオ一眼に意味がある。
 という年始からのカメラ選択ゲームだ。
 
 

■2012年1月1日 日曜日 12時07分
 
 新年が明けた。
 それなりに晴れており、穏やかだ。
 寝起きの喫茶店はマクド。年末連続して行っているが、元旦の今日はすいている。がらすきだ。非常に都合がいい。
 30日、31日と、同じ時間に来ている。ほぼ満員だった。そのときの客はどこへ行ったのだろうか。家で、静かにしているのか、初詣に出たか、または、国へ帰ったのか。
 若者が群れているはずだが、それは、初詣に舞台を移しているのかもしれない。つまり、正月の住宅地にあるマクドは用がない場所なのだ。やはり、元旦は初詣コース内にあるマクドが賑わうはず。なぜなら他の店は開いていないことが多い。また、事前に調べられない個人喫茶では待ち合わせ場所としても不足だ。情報が。
 初詣は、大晦日からでかけるタイプがある。それに参加していると、元旦の昼頃は寝ているだろう。住宅地のマクドの元旦に客が少ないのは、初詣に取られただけではないだろうが、何割かはそうだろう。あとは、家にいると見ていい。
 そして、マクドに来るのは、喫茶店客だ。しかし、その客が一番少ない。毎日喫茶店へ行くタイプの人は極めて少ない。マクドに喫茶客が来るのは、いつもの個人喫茶が休みのため。しかし、このマクド周辺の喫茶店客人数は絶対数が少ない。そして、昼頃喫茶店に行っていた人の数となると、十人もいないだろう。
 そして、喫茶店常連客は、その店に懐くので、他の店には行かないかもしれない。
 そして、元旦のマクドに来る客は、ほぼ偶然ではないかと思う。マクドを狙ってきたのではなく、偶然マクドが開いていたので、来たのだ。そして、その事情は、普遍的なものではなく、個人独自の事情で、まちまちだろう。
 
 大晦日は紅白歌合戦を見ながら、年を越した。
 コンビニで和菓子の詰め合わせパックと、雪印のコーヒー牛乳1リットルと、カップ天ぷらそばを買う。これが年越しそばとなる。
 要するにコンビニ文化内にいることになる。まあ、それらの品物は、スーパーでも売っているのだが、高い目のコンビニで買うのは、遠いからだ。近くにスーパーがあれば、そちらへ寄るだろう。問題は夜中にスーパーが開いていないことだ。しかし、これも深夜スーパーが近所にあれば、コンビニには行かないだろう。
 ライフスタイルは最寄りのものの影響が大きい。自分が作った環境ではなく、住んでいる場所や行きつけの場所で決まってしまうことが多い。
 ただ、その周辺でも、選択肢はいろいろある。それがあるところが街だろう。村では選択肢がないかもしれない。街でも規模が小さいと選択肢が少なくなる。お気に入りのスーパーとかではなく、その雑貨屋しかないような場所なら、選択肢はない。
 しかし、複数のカップラーメンが並んでいると、選択肢はある。
 
 

■2011年12月31日 土曜日 12時06分
 
 寝起きの喫茶店はマクド。一席だけ空いていた。駐輪場は止めるスペースがなかった。さぞやレジで行列が出来ていると思いしや、ひとかたまりはあるが、レジは空いていた。レジが三つほど空いていたのだろうか。また、注文して待っている人たちで混んでいるように見えたのかもしれない。また、家族ずれも多いため、余計、人が多いように思えた。
 晴れており、風も穏やかだ。昨日は強い風が吹いていた。
 いよいよ大晦日で、明日は元旦だ。いわゆる年末年始のスタートだが、ほんの数日で通過する。日常に戻るのは四日からだ。これは寝起きの喫茶店である老婆の店が開くのが四日からのためだ。通常四日からどこも営業を始めるので、町も起きる。
 元旦はさすがに開いている喫茶店は少ない。個人喫茶で奇特な店は開ける。特に稼ぎ時でなくても。
 モスは夕方には閉まってしまう。生きているのはマクドだけとなるのだろうか。それとファミレスだ。
 しかし、正月から空いているショッピングモール内の喫茶店などが穴としてある。
 
 ガロで連載していたフォトエッセイの「ポストモダンエレジー」をパソコンで打ち直しているが、二十年近く前の文章だが、今とそれほど変わっていない。ただ、誤字が多い。この文字原稿はワープロかパソコンで打ち込んだものをプリントアウトして入稿したはずだ。だから、くせ字で文字が読めないわけではない。
 当時のガロは写植屋に出さないで、和文仮名漢字出力のタイプライターのようなもので打ち出していたように記憶している。さらに、ツァイトのJGというDTPソフトで、レイアウトしていたのではないかと思える。当時もうウインドウズ機が出ていたので、98機を探し出して、それを使っていたのではないかと思える。
 しかし、ガロは漫画の出版社なので、文芸編集部ではないので、校正が荒い。本来なら、誤字脱字などの単純ミスだけではなく、文章そのものを直すはずだが、それはなかった。「少しずつ」「少しづつ」これは、こちらがよく間違える言葉遣いだ。仮名間違いなのだ。それがそのまま通っているので、見ていないのだろう。手書きだとこういうミスは少ない。変換してくれないからだ。しかし、細かく入力し確定していくと、「づつ」が生き残ることがある。
 この「ポストモダンエレジー」、読み返すと、何を書いていたのかがやっと分かる。川崎サイトの「フォトエッセイ」とは違うようで、身辺雑記のような面が強かった。
 自分の文章を、全文打ち直していると、そのときの気分が浮かび上がってくる。これは結構楽しい。ワープしたような感じだ。
 それで、半分近く入力した。全部で30本以上あり、一回の分量は原稿用紙で6枚ほどだ。これは「千字一話物語」の枚数に近い。
 小説とエッセイとは書き方が違うのだが、エッセイのほうが書きやすい。何でもありなので。
 小説は、ある型に乗っ取ることが多い。だから、型が気になる。型に引っ張られるのだ。つまり、小説らしく書こうとしてしまう。これが小説臭さになる。うまくいけばいいが、途中で空中分解したとき、それでも小説風に持って行くと、見苦しいことになる。
 ただ、その見苦しさをうまく生かして、全体の中に収まれば、型の中に治められるのだが。
 この「ポストモダンエレジー」を書いていた時期から、文章の仕事が多くなっている。
 当時書いていた文章データーが残っているものは、川崎サイトの「エッセイ」というところに、保存している。
 アクセスカウンターを見ていると、一番多いのはやはり漫画で、写真やエッセイは、桁が二つほど少ない。しかし、この「川崎日誌」だけはカウンターが多い。それはほぼ毎日アップしているためだろうか。
 川崎日誌は川崎サイトだけではなく、ブログのシーサーや、アメーバーにもコピペでアップしている。また、フェースブック、フェースブックページ、グーグルプラスページにも上げている。そのため、川崎サイト内の川崎日誌へのアクセス数が、そちらへ流れているのだが、川崎サイト以外からのアクセスがブログなどにはあり、川崎サイトとは関係なく来ている人がいる。
 フェースブックの閲覧者はいるが、フェースブックページの閲覧者は、ほぼゼロだ。グーグルプラスの閲覧者もゼロで、グーグルプラスページの閲覧者もゼロだったが、友達を増やすと、一人か二人の閲覧者があるようだ。増やさないと、グーグルプラスの画面が出てこなかったためだ。強制的に増やさないと、使わせてもらえない感じだ。しかし、あまり流行っていないようだ。フェースブックを越えられないのだろう。
 川崎サイト内の川崎日誌は日に100カウントほどだ。これは、カウンターが表示されているので、誰でも確認することが出来る。
 シーサーの川崎日誌は同じ人が何度も来た数を含めると日に300ほどだ。実際に来た人は150人ほど。
 川崎日誌内の文字列で、検索に引っかかった人より、シーサーブログで一般検索でいきなり飛んできた人のほうが多い。つまり、グーグルでは川崎サイトのベタベタのHTMLファイルより、シーサーのブログのほうが上位に来る。つまり早く拾う。そのため、シーサーへ行ってしまうようだ。
 実験ではないが、シーサーと同じものをアメーバーでもアップしている。こちらは日に100までで、のべ人数ではなく、実際に来た人は50人ほどだ。だから、川崎サイトの川崎日誌より少ない。同じものを、他のブログにアップしても、日に数人どころか、自分しかアクセスしていないことがある。それを考えると、シーサーやアメーバでブログを作るほうが有利だと言える。拾われやすいのだ。
 しかし、宣伝マンがやたらと踏んでいるかもしれない。
 シーサーとアメーバーとでは検索語が違う。同じ検索語で来ていることもあるが、不思議だ。これは、アメーバー内ブログ検索できているのだろうか。
 小説では、千字一話物語をそっくりシーサーブログに上げている。シーサーブログは一つのIDで複数のブログが作れる。
 川崎サイト内では千字一話物語はない。分けていないのだ。千字一話物語とは、1000字程度の小説のことで、千字一話物語風の小説ではない。文字数だけの問題だ。
 川崎サイト内の小説にはアクセスカウンターは付けていない。小説名一覧画面に付けているだけだ。ここが表玄関だが、川崎サイトトップページから、ダイレクトに任意の小説へ飛べるので、小説の表玄関を経由しなくてもいい。そのため、表玄関のカウントは日に10人ほどだ。このカウンターは画面一番下に表示されてある。かなりスクロールしないと出てこない。
 シーサーブログの千字一話物語は日に50アクセスほどだ。ただ、検索でやってくる人はほとんどいない。その内訳はブックマークとなっている。
 つまり、川崎サイト(サイトというのは、同一サーバー内のことではなく、方々に散らばっていてもいい。リンクで繋がっていればいい)では100人ほどの人がうろうろしている程度のことだ。
 しかし、川崎サイトの常連さんがいるとして、その人達が毎日アクセスしているとは思えない。何かの間違いできた人が結構いるはずだ。
 同じネタを複数の場所に貼り付けているのは、客層が違うためだ。また、同じ客でも、読みやすい場所が選べる。
 また、川崎日誌はミクシーにも貼り付けているが、「いいね」アクションは、すべて宣伝マンで、しかも毎回複数の同じ人だ。ロボットかもしれない。メールで、お知らせがあるのだが、宣伝マンに呼び出されているようなものだ。
 次にフォトエッセイだが、これは、フォトログとしてシーサーブログに上げている。川崎サイトのサーバー上にはこのデーターはない。残っているのはフォトエッセイで、ここには1500ほどある。文章付きだ。
 ブログに上げているのは、写真だけだ。タイトル程度は付けているが。だから、ただのフォトアルバムだ。
 それらの写真を使って書いたエッセイが「ポストモダンエレジー」だったわけだが、写真と文章とは、それほど関連性はなかった。ただ、自分で撮したものなので、それなりのものが含有されているので、文体と写体とが合っているかもしれない。ただし、写真から、その人らしさは出にくい。同じ被写体を別々の人が写した場合、カメラの性能というか、受光素子の大きさなどで違いが出るかもしれないが、写っている絵図らに個性を見つけることは難しい。だから、何を撮したかが個性だ。さらに言えば、何を撮さなかったのかも関係する。まあ、文体も似たようなもので、文体だけでは分からない。何を語っているのかでようやく、分かるかもしれないが、これも漫画の絵ほど際だったものではない。
 シーサーブログでのフォトログも、それなりにアクセスがある。フォトエッセイをやっていた頃より多い。なぜかというと、フォトエッセイは文章も読まないといけないので、それにつきあうと疲れるので、写真だけちらっと見たい人のほうが多いためだろう。
 千字一話物語は、千字一話物語メルマガとして「まぐまぐ!」から出している。こちらはメールで届く。また、バックナンバーを見ることが出来る。
 メルマガ千字一話物語、ブログ千字一話物語、ホームページ版千字一話物語物語、いずれも通し番号が違う。手書きで通し番号を入れているので、間違ってだぶることもある。修正が面倒なので、直していない。正しいのは川崎サイト内の小説一覧だろうか。これも調べていないので、間違っているかもしれないが。
 漫画は新アップがあると、100人ほどは見に来るが、そのあとはペースダウンする。だから、常時見に来てくれている人は100人ほどだろう。たまに来る人が漫画を踏みにくる。それで、長く掲載していると、5000アクセスとかになる。これも同じ人が何度も見に来ているはずなので、のべ人数だ。
 ついでに電子書籍作成販売サイトのパブーだが、ここには千字一話物語の最初のほうを少しだけアップしている。
 アップした瞬間、10人ほどアクセスがあり、少し間を置くとすぐに50人になる。ダウンロードする人は少ない。まあ、短いので、ウェブ上で読めてしまうためだろう。
 これを一年ほど放置していると、数百人になる。
 初期にアップした「人間星占い」は一万アクセスに近づいている。売れた数ではない。一応見に来ただけの人だ。
 パブーが、ブログに近いというのは、そういう感じで、千字一話物語のアクセス数が、シーサー版と近い。
 パブーは、放置してもジャンル一覧などから見つけてくれる人もいるが、効果的なのは、頻繁にアップすることだ。これはトップページに新着として載るので、押されやすい。夜中にアップすると、朝まで新着のまま残る。あまり動きがないのだ。
 また、混んでいるときにアップすると、すぐに新着が消えてしまうが、人が多いので、アックセスを瞬間的に稼げる。しかし、アクセスを稼いでも、お金を稼いだわけではないので、何とも言えない。
 パブーはブログとして使えるが、本を作る過程が面倒だ。
 電子書籍作成販売サイトは、小さなサイトでもやっている。ジャンル別一覧を見ると、がらがらで、誰もいない。誰もアップしていない。その中で、知っている人がアップしていることもある。学校の教室で、一人だけ勉強しているようなものだ。
 
 
 

■2011年12月30日 金曜日 11時32分
 
 起きると、昨日よりは早い。遅くまで起きていたので不思議だ。こういう日は体調が悪いのかもしれない。予定では昨日よりも遅く起きてくるはずだったので。
 晴れているが、風が恐ろしく強い。自転車が煽られるほどだ。こういう日は煙草の火がつきにくい。ライターの空振りで、ガスが抜ける。これはもったいない。
 寝起きの喫茶店はマクドになる。まだ昼間なので、意外だが、老婆の喫茶店が正月休みに入ったためだ。
 年末のこの時期マクドは混む。昼前ではなおさらだ。中で食べるより、持ち帰る客が多い。それらの客は大量に注文する。一人客だが、数人分に相当するので、レジがなかなか進まない。
 店内は意外と空きがあった。狭い喫煙室も席に余裕があった。
 しかし、マクドは寒い。電車と同じで、エアコンをけちっている。夏場も暑かったので、マクドはやはり過ごしやすい場所ではなくなっている。中途半端な暖房なら、しないほうがいい。効果がなく寒いからだ。
 しかし、個人喫茶でも寒い店がある。そちらはエアコンをけちっているのではなく、家庭用の小さな暖房なので、寒いのだ。そして建て付けが悪いので、外気で冷やされるのだ。
 冬、外での暖房が厳しいと、ますます外出する気が起こらなくなるかもしれない。寒いので、暖かい自分の部屋に籠もりがちになる。これは反対ではないかと思う。自分の家は寒いが、一般の人が出入りする場所は暖かい。しかし、逆転してしまった。
 我が家が一番暖かいとなると、これは悪いことではないのだが。
 
 今年も電子書籍空振りの年だった。去年が電子書籍元年だったが、クリスマスあたりからの元年で、年明けの今年が本当の元年のはずだが、本の点数は相変わらず少ない。ずらりと並んでいても買うかどうかは別だが。それは、普通の大型書店に行く機会も減っているからだ。欲しいと思う本がなかなか見つからないのだ。売られている新刊はほとんどが売れ線のもので、売れる可能性の高い本しか出ていないような気がする。これなら、読まなくてもいいと思うような本が並んでいるのだ。
 そういう本をつきあいで買うというか、せっかく本屋に入ったのだから、何か買って帰ろうと義理堅く探す。
 だから、その程度の本なら、安く買いたい。つきあい程度の本なのだから、安く上げたいわけだ。
 電子書籍なら、半額になるかと思っていたら、それほど値段は変わらない。それなら、普通の本を買うほうが物を手に入れるわけだから、お得ではないかと思ったりする。要するに電子書籍の値段が高いのだ。
 情報モノの新書版を買わなくなったのは、ネットのほうが詳しく、最新情報が得られることだろうか。これは新書版の質が落ちたのかもしれない。以前なら講談社新書など、すぐには書けないような力作もあった。最近も力作はあるかもしれないが、それは売れ線ネタだ。まあ、出版社も商売なので、売れない本を出す気がないのだろう。余裕がなくなったような気がする。売れないから出さないでは、文化を担うとは言えなくなる。
 電子書籍の恩恵は、安く手に入ることではなくなっているとすれば、どこへ向かうのだろうか。無料本に向かうことも考えられる。そのうち、共有サイトでアップされるのではないかと思ったりする。
 たとえばパブーなどで、それなりの力作を無料で売っている本がある。それらを集めるのも手だ。
 著者が、もう売れなくなった本を自炊し、それをパブーで無料で売っている例もある。どうせ、パブーで売れても大した金にはならないのだから、広く読んでもらうほうがよいと考えたのだろう。
 一番豊かなのは青空文庫だろう。これらは一生かかっても読み切れない。
 つまり、電子書籍と一番相性がいいのは、古典の名作と言うことになるのだろうか。古典なので古くさい。古書で読む気がしないが、電子書籍の画面でなら、読んでみてもいいという気になる。
 ネットをうろうろしながら、無料物を集めるのもいい。
 また、ネット上の長文力作や特集記事などを、文字コピーし、それを編集してテキストファイルにし、電子書籍端末に入れて読むという方法もある。
 本屋へ行く機会が減った理由の一つとして、ネット上で本のようなものが読めると言うことだろうか。極端に言えばウェブページそのものが電子書籍なのだ。昔のネットスケープでは、サイトにアップすることを「出版」と翻訳されていた。
 だから、既に電子書籍は出ていたと言うことになる。ただ、特定のページ以外は、誰も編集していない。だから、読みにくい。
 週刊アスキーを読むのは、物欲ネタを集めてくれたことに対する謝礼だ。つまり、編集代金を払っているようなものだ。同じネタはネットにもあるし、そちらのほうが早い。
 その週刊アスキーもすっかりページ数が減り、高価なものになった。今では贅沢品だ。
 昔の月刊アスキーは、広告が半分以上ページを占めていた。そして広告を見るのが楽しかった。そこにはIT系の動きがひしめいていたからだ。
 電子書籍端末を買った人で、その使い道で多いのが、PDFの閲覧ではないだろうか。これは電子書籍として売られているマイナー系電子書籍ではなく、マニュアル書や、取扱書や、社内資料など、読書というレベルではない。それと、自炊した本を読むことだ。
 数行の記事なら、ネット上で、さっと読めるが、長文になると、じっくり読みたい。それらをウェブページごとEvernoteなどで取り込んで、そのテキスト箇所だけを集めてPDFにするなり、テキストとしてファイル化する。それをじっくり電子書籍端末画面で熟読する。当然、流し読みでもいいのだが、じっくり読みたいときは、電子書籍端末のほうが、目は疲れない。場所を選ばない。
 要するに、自分で本を編集する楽しみがある。その本の内容は、ネットで拾ってきたテキストを集めたものなのだが、あくまでも自分用だ。
 これはパソコンでやっている人もいるだろう。
 採取しやすいのは、ネット上での百科事典だ。ただ、それは、知識欲でやるので、娯楽ではない。
 自炊は本をばらすが、ネット自炊はコピペで原稿を集め、本にする。そして、読むのは本人だ。オーダーメードだ。
 自炊が流行るのは、電子書籍や、本屋で並んでいる本より、蔵書のほうが豊かなためだろう。読みたい本は既に買ってある。そして一度は読んだ。それを越える本は他にないとすれば、大事にしたいのは蔵書だ。当然蔵書は古いため、もう絶版になっていたりする。
 手持ちの本を越える本が、本屋になかったりする。それが問題なのかもしれない。
 それで、安価な電子書籍を探すと、手持ち本を越える本が見つかる可能性がある。それは青空文庫もそうだが、200円とか300円ほどで手に入る。たとえば江戸川乱歩の創元社文庫版などだ。
 つまり、旬を終えた古い本が、安い値段で電子書籍化されていれば、そのジャンルに興味があれば、参考までに買ってみたい。
 たとえば、電子書籍サイトで「神社」で検索すると、思い当たるような本が数冊出てくる。いずれも本屋で見たことのある本だ。本屋にあっても買わなかった本だ。そして、たった数冊かと思うと、がっかりする。
 こういう場合、ネットで神社で検索したほうが、豊かな分量が出てくる。神社そのもののホームページもあるので、そこで縁起や由来などを読むことが出来る。
 ここでも本に頼らなくても、ネット上で拾い集めたほうが勉強になるかもしれない。ただ、出雲と伊勢の違いを論文化したような、力作は無理だが。(探せばあるかもしれない)……これはデーターではなく、著作なのだ。
 インターネット高速道路現象というのがあり、誰でもあるレベルまでは、一気に行けるらしい。そして、そこから先は渋滞しているらしい。しかし、専門家になる必要はないのなら、ウェブ高速道路での学習は、本を読むより早かったりする。
 だが、専門職、専門家とは何だろうかと、思う。
 数年前、ケータイ小説が流行った。素人女性が書いたものだ。そして、それを読む読者も、素人読者、つまり、普通の本など読まないタイプの人だったらしい。メールを読むように、読んでいたのだろう。
 そのケータイ小説が単行本となり、それが売れた。では、小説を勉強した作家は何だったのかと思う。まあ、小説は専門職と言うほどのものではないが、あまり売れないプロより、素人の本のほうが売れるというのは、痛快だ。
 昨日喫茶店で、女性二人が三十分以上、相手にストーリーを語っていた。語り部だ。その人は、友人に語っているのだが、非常に上手い。それをそのまま本にしてもいいほどだと思った。ストーリーは体験談なので、作ったものではない。家出をし、放浪する話だ。
 こう言うのがケータイ小説として投稿されていたのかと思った。
 語り型も上手いが、ソースが美味しいのだ。その体験が興味深いのだ。
 それに似た話を聞きたいと思えば、ケータイ小説を読めば、一杯詰まっているだろう。この場合、出版ジャンルで言えば「実話物」だろう。「実体験物」でもいい。三流小説雑誌であったようなもので、「実話小説」だ。
 この系譜は絵双紙、草双紙、江戸時代に流行ったゴシップネタ小説に近い。大衆小説だ。心中物なども、ここにあったはずだ。
 だから、女性が書くケータイ小説の、体験小説類は、王道なのかもしれない。
 一方に漢文があり、漢詩があるが、庶民は読めない。漢字仮名混じりでないと。そして、ひらがなは女文字と言われていた。
 ネットで言えば、有名人ブログなども、それにあたるかもしれない。これは瓦版なのだ。
 そして、ネット時代、自分で瓦版を刷っている。本が売れないのは、そういうものの影響を受けているのではないかと思う。
 少し前から比べると、活字離れどころか、活字に親しむ人が増えたと思う。それは、メールやツイッターなどで、書く機会が増えたためだろう。本や新聞、雑誌で活字を見る機会よりも、ネット上で活字を読み書きする機会のほうが増えた。
 ネットは、接続料がいるが、それさえ払っておけば、ネット上の活字はただで読める。
 既成本を電子書籍にするから面倒なことが起こる。最初から電子書籍として書かれた本のほうがシンプルだ。読者が多ければ、あとで普通の本にすればいいのだ。


 

■2011年12月29日 木曜日 11時28分
 
 起きると昨日と似たような時間帯。まだ、午前中起きを続けている。しか
し、たまに午後に入ることもある。ここは死守しないといけない。昼過ぎ起き
から夕方起きになるのは意外と早いからだ。
 日はあるが、しっかりとは晴れていない。厳しい寒さではない。正月は穏や
かだと予報されている。
 電気ストーブを変える。背の高い棒状の一本ものだ。それまでは短いタイプ
の三本もので、切り替えることが出来る。一本ものトーテムタイプは切り替え
がない。スイッチはオンオフのみ。これに変えると非常に暖かい。遠赤外線
か、何かだろう。「遠」とは何かと考えたが、遠くまで飛ばす意味だろうか。
そのため近づけなくても暖かい。
 それまでは寒いと真冬上着を着込んでいたが、ストーブを変えると必要なく
なった。室温は10度少しある。10度を切るとかなり寒いという感じだ。そ
して10度台なら、まだ大丈夫だという気分だ。
 
 雑誌で書いていた連載エッセイを切り取ったものを入手したので、それをデ
ジタル化している。フォトエッセイだ。他にもフォトエッセイを長期連載して
いたのだが、その雑誌は持っていないので、こちらは出てこないだろう。週刊
だ。
 要するに自炊だが、本一冊からの自炊ではないが、電子書籍としてのボリュ
ームはある。青林堂ガロ末期に三年ほど連載していた「ポストモダンエレジ
ー」だ。毎回5ページほどある。これをそのままスキャンするのが自炊だが、
文章そのものをタイプしている。
 この時期、カシオの初代デジカメが出るか出ないかで、ちょうどそれを買っ
たあたりと重なるようだ。カシオで写した写真だと確認できる。25万画素だ
ろう。これをプリントして、写真原稿としていたようだ。サービスサイズ程度
なら、何とかなる。
 カシオのデジカメを使っているのは連載中程からで、それまでの写真はアナ
ログカメラで写したものを現像引き伸ばし、キャビネサイズで原稿として入稿
していたようだ。
 文章はパソコンがあったかどうかは不明だが、手書きでないことは確かだ。
デジカメよりかなり早く、エプソンのワープロ専用機を使っていた。これはデ
ーターが保存できないので、文章データーは残っていない。プリントアウトす
ることで、データーとするのが普通だった。その後、フロッピー保存が出来る
ようになったが、そのデーターも残っていない。当時、残すという概念はなか
ったように思う。タイプしたファイルは、ファイルという概念が希薄で、プリ
ントアウトして提出するのがフィニッシュだった。保存イコール印刷が、ワー
プロ専用機の世界だった。
 ワープロ専用機時代、フロッピー保存は出来るようになっていたが、フォー
マットが違うため、パソコンには読み込めなかった。
 さて、自炊だが、パソコン画面にスキャンした画像を見ながら、文章をタイ
プしている。画像の文章では、使い回しが悪いためだ。
 もう存在していない写真は、雑誌に印刷した画質の悪いタイプだが、これは
何とかなる。むしろポストモダンエレジーの世界にふさわしい画質だと言え
る。カシオで撮したデーターは残っている。しかし、あえて悪い紙に印刷され
た網点が見えるようなものを使うところに、現代がある。
「ポストモダンエレジー」の紙面レイアウトは、編集部の誰かがやっていたは
ずだ。これをそのまま再現させると、モニターで読む場合、かなり読みにく
い。漫画の台詞程度なら、そのままでいいのだが、週刊誌サイズは結構大き
い。だから、活字が小さい。単行本よりも字が小さいのだ。それに桁数が長か
ったりすると、かなり苦しくなる。自炊なら、スキャンしたものをそのまま版
面として使えるのだが、雑誌はスクロールか縮小表示でもしないと、見渡せな
い。
 新聞の電子化で、スクロールしたり、拡大したりしながら読んでいるような
ものだ。これは結構苦しい。
 また、ページデザインは誰かがやったものなので、これはそのまま使えな
い。作者とは関係のない作為のためだ。自分でデザインしたのなら再現させた
いのだが。
 といっても自分でデザインしたとしても、デザインしていないようなデザイ
ンになるだろう。
 要は読みやすくするだけのことで、表面的な小細工よりも、本文が読みやす
くなるように文字サイズを大きくしたりするのが、最も大事なデザインだ。
 とりあえず、300ほどの解像力でスキャンし終えたので、今はテキストを
打ち込んでいる。
 これはそのままウェブページにしてもいい。また、PDFで電子書籍風にし
てもいい。
 デザインを凝らすのなら、花子ドローで作り、それをHTMLに変換するこ
とも出来るが、そこまで凝る必要はないだろう。
 この原稿を作ったときはワープロ専用機時代だ。だから、ワープロソフト一
太郎で作るのが好ましい。これはすぐにPDFに変換できるため、仕上がりを
見ながら、一太郎側で調整できる。来年はイーパブ3に変換できるので、一太
郎側で保存しているほうが展開が楽だ。ちなみに一太郎で作ったものも、HT
MLに変換できる。さらにすべてを画像にしてしまえる。
 自炊というのは楽しい。その手間暇がほどよく疲れる。その本文を書くのは
苦痛だが、それをタイプして書き写すのは楽なのだ。
 そのガロの切り抜きを見ていると、川崎ゆきおのホームページというお知ら
せが入っている。編集部が入れたのだろう。だから、もうこの時代、川崎サイ
トがあったと言うことだろう。カシオデジカメの写真があると言うことは、パ
ソコンがあったと言うことだ。探せば、当時のフロッピーが出てくるかもしれ
ない。しかし、タイプし直すほうが、楽しい。
 そのフォトエッセイの写真の中に自分の部屋の写真も写っていた。自分で撮
したものだ。確かにパソコンがある。機種もすぐに分かった。
 だから、ワープロ専用機時代からパソコン時代の過渡期に書かれたものと思
われる。
 本をスキャンするのではなく、本をそのまま書き写すほうが遙かに原始的
だ。時間はかかるが、テキストデーターとして残しておけば、取り回しが楽に
なる。
 最近本のスキャン代行業者が問題になっている。そして、それを言っている
のが作者側だ。これは、スキャン代行業者の宣伝になるのではないかと思う。
「ああ、そんなに安くデジタル化してくれるのか」と。そういうサービスを知
らなかった人に知らせたようなものだ。
 しかし、みんなで自炊して電子書籍を作りましょうという話ではない。部屋
にある読む可能性が低くなった本をデーター化してくれるとありがたい人も多
い。古書店に売っても二束三文で、むしろゴミ屋に売ったほうが高価だったり
する。荷造りも必要ないし、出かける必要もない。ゴミとして引き取った本。
その多くは新聞雑誌類だろうが、めぼしいものはゴミ屋も取っておくのだろう
か。ゴミなので、持ち主はゴミ屋ということになる。ゴミ屋が買い取ったの
だ。
 裁断された本は、ゴミ屋は、ゴミとして処理するしかない。古書店には売れ
ない。
 そういえば、出版社に返品された本はどうなるのだろうか。持っていると資
産になるはずだ。だから、最終的には裁断するのだろう。この場合の裁断は、
細かく切ると言うことだろう。燃やすにも都合がいい。また、再生紙を作るに
も都合がいいだろう。
 出版社があまりスキャン代行に対して、大声を上げないのは、自分たちも裁
断しているためではないかと、思ったりした。しかも大量虐殺だ。再利用とし
て資源にはなるかもしれないが。
 本は読むためにある。だが、なかなか再読する機会はない。そのまま本棚の
中で眠っている。
 これを電子書籍化すれば、大量の本を電子書籍端末機や、モバイル製の高い
端末に全部入れて持ち運ぶことも出来る。だから、読む機会をより多く得るこ
とが出来るだろう。もう一度あの本を読んでみたいと言うとき、10インチほ
どのモニターがあれば、じっくり読める。ただ、パソコンモニターで長時間読
むのは、苦しい。ノートパソコン程度なら、何となる。タブレットタイプは、
意外と集中して読める。いつもの画面上に、作者というお客さんが訪ねてくる
ような感じだ。
 読みたいのは本ではない。作者の文章であり言葉なのだ。
 
 

■2011年12月28日 水曜日 11時56分
 
 曇っている。寒さは緩和されると天気予報では言っていたので、体感温度も、それに影響されるのか、それほど寒くはない。昨夜はその前の日よりは寒くはない。だから、寒さの峠は越えたのだろう。
 昨日はスーパーで餅を買う。これはいつも失敗している。安いためだろう。餅はつきたてがよい。だから、餅は餅屋で、餅は餅屋で買うのが正解だ。しかし高い。
 だから、スーパーの安い餅がうまくいけば、それ以上のことはない。安くてよかった。餅が食べれた。となるのだが、そうはいかない。ほとんど捨てている。だから、大袋は危険だ。食べるのは一つか二つで、あとは食べられないためだ。
 餅はまだ指で触ると柔らかいタイプがいい。しかし、その期間は短い。そのため、スーパーで安く売る長期保存タイプは難しい。一つ一つビニールに包み、何とか保存しようとしているのだが、それでも硬い。これを焼くのは大変だ。
 秋に、似たような餅を大袋で買っている。キロあたり、餅米より安いのだ。これは危険だと知りつつも、もしかしてがあるので、買ったのだが、もしもはなかった。
 悪い餅、安い餅は、小さく切って、煮るしかない。
 米も餅も、かなり高い。他は安くなっても、この二つは高い。正月の餅が買えないというような話があるが、確かにご飯に比べても高い。餅はご飯より高い。だから、贅沢品だ。
 餅があるからといって、それが即ご飯になるとは限らない。ご飯はご飯として食べる。餅は、まあおやつのようなものだ。餅は赤飯と同レベルだろうか。朝夕赤飯をご飯にして食べるわけではない。餅もそうだ。一食分程度は餅で済ませることが出来るが、あとはおやつだ。
 ただ、元旦の寝起き一食目は雑煮が好ましい。餅の入ったお椀汁物だ。すましと味噌汁、地方により違う。家庭により違う。それをおやつにしたのが、お汁粉だろうか。汁だけではなく、餅が入っている。液体版おはぎのような、あん餅のようなものだろうか。
 いずれにしても、腹を満たすものと言うより、贅沢品だ。だから、餅は贅沢なのだ。だから、高い。
 スーパーで野菜を探していたが、安いのがない。それで、青い葉物を探していると、わさびの葉があった。見たことはない。食べたことはない。しかし青い。そして安かった。まだ、食べていないが、食べやすそうだ。
 
 BCCKSという電子書籍作成販売サイトがある。以前からあったような気がするが、あまり注目していなかった。
 そこで、少し面白い動きがあった。パブーのようなことをしているのだが、その書式が独自フォーマットらしい。また、新書式が増え、面倒な、と、思うのだが、どういうものか調べてみた。
 どうやらイーパブをカスタマイズしたタイプのようだ。カスタマイズ、改造箇所はページ概念だろうか。一ページとしてレイアウトできる。ワープロのように。
 電子書籍はパブーのようにウェブ上で作れる。仕上がったファイルはiPad、スマートフォンで読めるようだ。どちらもアプリケーションとして端末に入れるようだ。当然PC版もある。
 だから、このサイトで作った本をダウンロードすれば、iPad、スマートフォン用電子書籍が出来てしまう。というふうには読み取れるが、果たしてどうだろうか。
 サンプルを見ると、縦書きだ。写真やレイアウトも、単純ながら、それなりに出来るようだ。ページ概念があるためだろう。
 何となく、ボイジャーがやっている、HTML5タイプと近い感じだ。こう言うのは、これ以上増えると、何かよく分からなくなる。
 さて、このサイトでは、作った本を販売できる。だが、定番になったパブーが頑張っているが、それほど盛り上がっているとは思えない。最初の頃は、パブーもよく動いていたのは、目新しかったための期待感だろう。
 パブーは電子書籍風ブログと見たほうがいい。
 ネット上のエディターで、イーパブ改造タイプで本を作る作業は面白いが、それを楽しむのが目的ではないだろう。
 また、このサイトのインターフェースがあまりよくない。デザインや仕掛けのやり過ぎだ。遊びすぎだ。プログラマーの仕事のしすぎの悪い例だ。これでは、きっちりとしたサイトには見えない。
 さて、個人出版とまでは行かなくても、電子書籍風なファイルで、人に見てもらうという趣向だけなら、目先が変わって面白い。
 その本命は、一太郎ではないかと思える。
 これは二月にならないと、発売されないので使えないが、一太郎でイーパブ3のファイルが作れるのだ。そして、パブーへ、そのまま送れれば、ありがたい。ネット上のアプリケーションで作るのは面倒なためだ。だから、パブーでは課金されるが、もう出来ているPDFをそのまま使えたりする。
 そうなると、一太郎で作ったイーパブ3をパブーに登録できたとしても、課金されるのではないかと思ったりする。
 一太郎ファイルをイーパブに変換するというのは、一太郎ファイルをPDFに変換すると同じような感じに見えるが、PDFはページ概念がある。イーパブ3はページ概念がどうなっているのかは分からないが、見る側がフォントサイズを変えたりすると、ページが崩れる。しかし、ページ概念というか、固定レイアウトでは、文字が小さく読みにくいときなど、不便だ。
 一太郎のようなページ概念のあるワープロソフトはプリントするための機能だ。だから、本一冊分程度の枚数を一ファイルで扱っている。
 だが、一太郎レイアウトと、返還後のレイアウトは、かなり違うのではないかと思える。そのあたりは、天下の一太郎なのだから、それなりの用意をしてくれているはずだ。例えば文字幅などは、不要だろう。
 そういえば、ジャストシステムから電話があった。ジャストから出しているホームページビルダーの営業からだ。使い心地などを聞いてきた。実際にはジャストシステムがレンタルサーバーを開設するので、そのお誘い営業だったが、ビルダーのサポートの電話番号を口頭で教えてくれた。要するに一太郎でも、サポートへの苦情電話のようなものがあると言うことだ。だから、下手なソフトは作れない大手の社会性がある。
 一太郎で裸のイーパブ3ファイルをはき出せれば、イーパブ3対応の端末で見られるのではないかと期待している。
 ところでBCCKSだが、個人出版として見た場合、販売サイトとして、ここはどんなものかと考えてしまう。表示にこだわらなければ、テキストファイルでも電子書籍なのだ。このサイトで販売するにしても、一方向永代供養になる可能性大だ。
 電子書籍として、個人で作り、個人で見るのなら、テキストファイルのままでもいいのではないかと思ったりする。たとえばソニーリーダーのような電子書式専用端末でも、テキストファイルは読めるのだ。当然スマートフォンでも読めるだろう。ただ、横書きになるが。電子書籍フォーマットのメリットして最大のものは、文字サイズが変えられることだろう。ソニーリーダーならテキストファイルでも文字サイズは変えられる。個人で、自分の小説なり長文を読むのなら市販電子書籍と同じように見られる。横書きで禁則はないが。まあ、それは商品としては駄目だろうが、個人用とでは、これで十分だ。
 ちなみに、シャープの端末は、テキストファイルを、シャープ電子書籍書式に内部で変換できるらしいが、未確認だ。これが出来れば、縦書き禁則可能となる。
 また、大事なメモなどを、リーダー側にテキストとして保存しておき、常にパソコンと同期を取っていれば、個人的住所録やスケジュールなどを電子書籍端末で、見ることが出来る。まあ、そんなことをしなくても、スマートフォンやケータイでもできる話だが。
 個人が作った、あるまとまりのあるコンテンツ。これは、ネット上に残すことは出来るが、ブログなどはその人がアクセスしなくなれば、消える恐れがある。ホームページなら、レンタルサーバー代未納で消えるだろう。ドメインも。
 その意味で、電子書籍として、配布しておけば、有料無料にかかわらず、それを持っている人は、本と同じで、削除しない限り、その人のローカルディスクに残ると言うことだ。
 そのうち、電子古文書として長く残るかもしれない。
 電子書籍過渡期は、いろいろなものが出て来て面白い。
 本命はアマゾン日本だろうか。安い端末。ネット無料なら、一気に行くかもしれない。そして、米国アマゾンのように自費出版も行けそうなので。
 ちなみにソニーリーダー3Gタイプなら、au月額500円で、ネット無料になる。ソニーのサイトだけではなく、一般のウェブページを見ることが出来るようだ。だから、たまに本を買って、あとは単なるネット端末機として使えば、一番安い月額接続料となる。こちらの方が、電子書籍より、便利かもしれない。
 
 

■2011年12月27日 火曜日 11時34分
 
 起きると昨日よりは早い。そして、昨日よりもよく晴れている。だが、風が強い。
 いよいよ年が迫ってきた。来年が迫るのではなく、年末が迫るのだろう。イベントが迫る。締め切りが迫る。旅行が迫る。などと言うこともあるが、緊迫した状態が先にあるときに使うのだろう。来年、新年が迫るとは少し言いにくい。新年は迎えるだろう。厳かに。だから、アクションものではない。静かなのだ。
 クリスマスが迫るはある。商戦を指しているのだろう。物欲を指しているのだろう。これはアクションだ。
 こう言うのは、語呂として聞いた記憶から出てくるようだ。だから、妙な言葉遣いでも、何度も聞く機会、読む機会があると、刷り込まれるようだ。ただ、それ以前からあった言い方がしっかりそのポジションにいる場合、そちらが優先するようだ。これは、慣用句のようなもので、そのリズムでないと、しっくりいかないためだろう。
 日本語がどこで生まれたのかは分からないが、発音と感情が一緒の面があったはずだ。
 韓国ドラマ「大王世宗」を見ていると、ハングル文字が作られている過程が描かれていた。五つほどの基本的な発声箇所があるようで、解剖までしてどこで、その音が作られているのかを調べていた。英語の発声練習で、口の形や舌の形や位置などの図解があるように、人種により違うようだ。鼻を使う場合もある。
 言葉というのは、喋るときは肉体を使う。まあ、動物のうなり声、鳴き声、などもアクションだ。喋ってはいないが、感情がそのまま出ている。話し言葉とはそういうものなのだろう。落語家が冗談で言うように、口の筋肉だけを使っているわけではない。感情と肉体、同時に使っている。
 だから、言葉を発するとき、感情も振動しているはずだ。その振動は音楽のようなもので、微妙に感情と行き来しているように思える。ただ、書き言葉や、一人で思っているときの言葉は、アクションを伴わないので、つまり発声を伴わないので、自分にはない言葉も使える。まあ、独り言なら、それでいいのだが、ほとんどは人に伝えるための発声のため、他者との関係で言葉も感情で制御されるものと思われる。
 物まねで、声色(こわいろ)を使う場合、これはふざけているのであり、演じているのだから、その人の人格から外れてもかまわない。巫女のようなものだ。
 
 富士デジカメZ950EXR
 富士のデジカメZ950EXRが気になる。
 カード型カプセル系で、レンズは飛び出さないタイプだ。電源はカバーをスライドする。前回同タイプのパナソニックデジカメを買ったのだが、これが意外と使いやすい。
 それの上物が富士のZ950EXRだ。一万円台にまで落ちている。
 要するにタッチパネル式デジカメで、タブレットカメラのようなものだ。スマートフォン内蔵カメラのような操作感だろうか。一応シャッターボタンはあるが。
 つまり、シャッターボタンを使わなくても、タッチすることで、ピントとシャッターが切れる。ただ、このモードに入れておかないといけない。モードの切り替えは、撮影モードのアイコンを押せば出てくる。液晶は3.5インチで、端数箇所にメニュー系アイコンが並んでいる。
 レンズは28からの五倍ズームで、140ミリまで。ただし、売り文句では超画質云々でデジタルズーム風に都合10倍ズームまでいける。つまり280ミリだ。だから28から280ミリだ。
 28は、35ミリでもよかった。それなら、175ミリ望遠となるところなのだが。しかし140ミリと175ミリの違いは、それほどない。300ミリ近くないと、望遠の旨味はないが、140ミリは、昔の系譜では135ミリで、一応望遠だ。135ミリは望遠広角風だ。広い範囲が写る望遠というような感じだろうか。抜きすぎにならない。
 135ミリあると、望遠効果がはっきり出る。ただ、余裕のあるより方は出来ないので、どうしても抜き不足で、広角レンズのように感じてしまうのだろう。決して140ミリは広角レンズではないのだが。
 10倍超のコンパクトデジカメは、さすがにポケットに入れっぱなしと言うわけにはいかない。それなりに大きく重い。それに比べると、屈折系レンズを付けたカプセルタイプはポケットに入れやすい。匕首を懐に忍ばせ、鞘を抜いて撮す感じだ。レンズは飛び出さず、電源ボタンは不要だ。
 レンズが飛び出すと、カメラを向けているのが丸わかりだ。レンズが飛び出さないタイプは、スマートフォンを見ているような感じで、隠し撮りには重宝する。実際にはどんな形であっても、気付かれるものだが。
 人物の隠し撮りは、ノーファインダーでもやりやすくなっている。顔認識で、ピントを探してくれるからだ。
 液晶タッチで、ピントだけを合わせてAFロックするモードと、同時にシャッターまで押してしまうことになるモードとがある。後者が素早いし、ぶれにくいように思える。構図を先に取り、ピントを決めればいい。ピントを決める行為と、シャッターを押す行為が同じなのだ。通常は、ピントを先に合わせ、構図を合わせ直して撮す。ピントが合っている箇所は、それなりに露出もそこに優先的に来るはずだが、構図全体で露出が決まることもある。まあ、それは、液晶を見ていれば、露出も見えるので、そこで調整すればいいだろう。
 よく考えると、タッチシャッターは、シャッターボタン半押しがない。タッチは、爪の先でも可能だ。指の腹や消しゴムのようなペンで当てないと反応しないタイプではない。
 まあ、それだけのおもちゃなのだが、タッチパネル式は持っていないので、性能も上がっており、買い時だろう。
 
 

■2011年12月26日 月曜日 12時10分
 
 晴れているが寒い。しかし、去年に比べると、まだ暖かいかもしれない。または、体感温度の違いだろうか。それは、温度はどこに出るかというと、温度計だけではない。寒くて身体ががたがた震えるとかで出る。これが一番ダイレクトだろう。震えるような寒さが、やはり寒いと言える本物だろう。耳が痛いもそうだ。そうなると、寒いから、震えるや、痛いが来る。
 室内では、温度も気になるが、ここでも、ホームゴタツが効かないとか、電気ストーブがゆるいとか、布団が冷たいなど、具体的に来る。
 ホームゴタツだと、足だけを入れていたのが腰まで入れ、腹まで入れて亀のようにならないと暖かくならないなどの変化がある。しかし、上限があり、いくら寒いと言っても、それ以上の寒さは来ない。ただ、すごい寒波が来て、温度計がマイナスへ行くようなことが何年に一度かは来るかもしれないが、それはほとんどない。温度計は10度を切る程度で、マイナスにはならない。
 だから、その地方で、一番寒い状態が何となく分かっている。だから寒さの段階が増すに従い、そのための用意がある。
 寒いと言っても被害が出るほど、人がばたばた倒れるようなことは近所ではない。まあ、挨拶程度の寒さだろう。雪国では雪かきをしないといけないので、挨拶程度では済まないだろうが。
 
 電子書籍元年からしばらく立つが、本よりも、それを読む端末のほうが興味があったりする。本は本なので、それ以上の変化はない。書かれている内容は同じだ。だから、これは読みたい本があるかどうかの問題で、デジタルもの云々の技術的な問題ではない。本は作者や編集員が書いたり纏めたりする。ここはそれほど変化していない。
 ただ、書く側にも変化が起こっている。手書き原稿より、ワープロ原稿、つまり、作者側で既にデジタル化が起こっている。これは、手書きの文字から版を起こす手間があるため、最初からデジタルというか、テキストファイルで渡したほうが早いためだろう。ただ、編集者としても読むときはプリントアウトしたもののほうがいいだろう。ただ、校正などはワープロソフトのほうが早いはずだが。
 活字メインの一般書はそれほど売れるものではない。電子書籍になったとしても本屋で売れる程度の売れ方だろう。いろいろ娯楽があり、本を読む以外にも、いろいろ忙しいのだ。むしろ、本を読む時間がないのかもしれない。本から情報を得ていた人も、インターネットから得られることを知り、気楽に、ほぼ無料で読める。
 たとえば、電子書籍関連の情報は、本で読むより、ネット上に上がっているのを見る方が気楽だ。それらを読んでいると、本来は本で読んでいたものを、ネット上で読んでいることになり、実質的に、これも電子書籍のようなものではないかと思ったりする。
 昔ほどに本は読まなくなったが、その分、ネット上で読んでいるのだ。だから、活字離れではなく、結構活字を読んでいる。
 書籍として出ている本の内容と、ネット上で上がっている内容とがそれほど変わらなくなっている。
 新書版で、情報を得ようとしても、それらは既に雑誌などで連載されたものを集めただけの本が多い。情報として古いのだ。また、書き下ろしでも、書き始めてから本になるまで、かなりタイムラグが出る。
 それは、ネット上でも起こっている。検索でたどり着いた記事が、二年前の記事だったりすることもある。月は書かれているが、年が書かれていないことがあり、いつの記事だろうかと思ったりする。それらはバックナンバーとして、残っていることが、それなりにありがたいこともある。当時、そういう思いで書かれたのかと。
 よく考えると、本になっている作者や、ライターの記事だけではなく、著名ではないが、詳しい人の話をネットで読む機会が増えた。本がそういうところに移動しているのではないかと思ったりする。
 最近新書版を買わなくなったのは、新しい情報などは、ネットで見るほうが早いためだ。それより、無料と言うこともあるが。
 つまり、新書版や雑誌に載っている内容を、先にネット上で知ってしまうと、同じ事が書かれている新書版を買う気になれない。
 電子書籍の話は、電子書籍として出ている本の中身より、電子書籍を取り巻く話のほうが面白い。
 ソニーリーダーの新機種は、ネットが見られる。それを保存できれば、ネット上の記事が電子書籍になるようなものだ。こちらのほうが読みやすいのではないかと思える。
 まあ、普通のノートパソコンでもいいのだが。
 
 

■2011年12月25日 日曜日 10時17分
 
 起きると少し早い。晴れているが、冷えそうだ。
 クリスマスになっているが、変化は少ない。コンビニ店員がサンタの服を着ている。年配のおじさんの場合、恥ずかしそうだ。しかし、いつもの制服よりも暖かいかもしれない。
 民家にクリスマス用の電球がついているが、去年と同じ家は、同じ事をしている。クリスマスを思わせる特定の飾りがない場合、正月明けまで灯している家もある。兼用だ。だから、12月と1月。二ヶ月間灯すこともあるかもしれない。それなら、そのセットを買っただけの意味はあるだろう。数日ではもったいない。
 しかし、去年の家は、灯っているが、新しく灯している家は見当たらない。節電で購買意欲が消えたのかもしれない。
 コンビニはツリーまで飾っている。モスも小さなツリーが置かれているが、店内はそのままだ。
 クリスマスまでは、まだ余裕がある。これが大晦日前になると、クリスマスの頃、もっと用事をしておけばよかったように思うはずだ。わずか数日前なのだが、正月になると、昔のことのように思える。五日か六日前だが、一週間を過ぎた正月三が日になると、遠い話になる。これは年をまたいだためだ。何となく、年越しで、去年のこととして、忘れてしまおうとしているのかもしれない。あまり過去を振り返らないで、新年、どうするか、などに頭が行くためだろう。
 最近は西暦で、平成での数え方を忘れてしまっている。今年平成何年なのかが頭の中にない場合がある。昭和が途切れたので、平成で数え方が変わったため、連続性がなくなった。そのため、何年たったのかが、昭和生まれではわかりにくくなっているのだ。そのため、西暦で2011年と言ったほうが、数えやすくなっている。
 ただ、昭和30年とか40年になると、当時を思い出す。決して西暦ではない。今ほど西暦が使われていなかったため、昭和で記録されている。また、平成も、また変わるはずなので、ますます連続性がなくなり、数えにくくなるだろう。
 わかりやすいのは明治時代までだろう。大正時代は短すぎる。昭和は戦前と戦後とでは全く時代が違う。
 
 昨日はスーパーでアジのフライ3匹200円で買う。特価の値札張り替え前で、惜しいことをした。もし、張り替えが終わるまで、店内にいたとすれば、取り替えるだろう。すると、高い値段のアジのフライが混ざることになる。客は張り忘れたのではないかと思うだろう。
 しかし、アジのフライ3匹は余る。二匹でよかったのだ。だから、二匹100円が理想的だ。前回は白身魚のフライ三つだった。これも最後の一つは食べられなかった。三食分あるため、連続して食べられなかったのだ。一度に二つ食べれば、よかったのだが。これがコロッケならおやつで食べられる。
 ここでけちっていたのに、ピザを買う。小さなピザが三つ入っている。一つ百円弱だ。具としての栄養分含有率は小さい。ほとんど小麦粉なのだ。その価値は味覚だけになる。栄養価に対する価格ではない。調理パンと同じで、作る手間暇を買っているのだ。
 アジのフライを買っても、すぐに食べられない。ご飯が炊けるまで待つ時間が必要だ。その間、かなり空腹感に襲われる。そのため、すぐに食べられるものを買ってしまう。アジのフライもすぐに食べられるが、ご飯あっての話だ。
 バナナが賞味期限切れで百円だったので買う。これは、よく熟しているので、おいしいはずだ。腐りかけているのだが。
 
 

■2011年12月24日 土曜日 13時01分
 
 起きると昨日より遅い。晴れているが寒い。寒波が来ているようだ。雪国では、大雪が降っているのだろうか。
 日差しはあるが、弱い。
 寝起きの喫茶店は老婆の店で安定している。昼に起きていれば、当分大丈夫だろう。それには、夜更かししないことだ。ずれ込むのは夜更かしから始まる。これは寝不足気味でも、前日と同じ時間に起ききることで、何とか食い止められるが、ここは辛い。やはり、夜更かししたときは遅くまで寝ていたいものだ。
 いよいよクリスマスイブで、クリスマスとなり、そして大晦日まで一気に持って行かれる。正月三が日も一気だろう。年末年始は月末月初めと言うことだが、年末年始は週末と週明けとも言える。いつもの土日と同じようなものだと解釈すれば、気が楽だ。ただ、老婆の喫茶店は年末年始閉まっている。大晦日など、モスは早く閉まっていたりする。他の店もほぼ壊滅状態だ。生きているのはマクドだけという事になりそうだ。その日は開いていても、夜には閉まっているという変則ぶりだ。これは読めない。
 頼りになるのはショッピングモールだ。ここは元旦から開いている可能性が高い。ただ、それは仕事云々ではなく、ただの生活なので、きっちり調べる気はない。閉まっていれば、戻るか、別の場所を探す程度だ。
 確実に開いているのはファミレスだ。しかしコーヒー代が高いので、避けたいところだ。それに遠くにあるので、移動が面倒だ。
 梅田方面も大晦日は夕方には閉まることが多い。その日が大晦日だと知らない人は、何が起こったのかと驚くだろう。しかし、なんらかの情報があり、その日が大晦日であることは、ほぼほとんどの人が知っている。ただ、ぼけている人は年中平日かもしれない。犬や猫も大晦日や正月はないだろう。また、年末年始を平日のように過ごす民族もいるはずだ。
 こちらにとって、年末年始とは、喫茶店が閉まると言うことだけかもしれない。
 昨日は厚揚げ、タマネギ、人参、椎茸を煮て食べる。これが定番メニューで、何もないときは、これを作る。しかし、何もないわけではない。タマネギなどは買い置きがあるが、厚揚げはない。豆腐類が切れたときは、高野豆腐があればありがたいのだが、スポンジをかじっている感じで、今ひとつだ。
 しかし、高野豆腐と千切り大根などの乾物があれば、一食分のおかずはすぐに出来る。卵を加えれば、十分だろう。
 卵は百均では6つ100円だ。だから、一番安いタンパク源と言うことだろうか。
 
 

■2011年12月23日 金曜日 12時11分
 
 起きると昨日より、少し遅い。
 青空だが分厚い雲が浮いており、それが日を遮っている。風があり、やや寒い。
 風邪っぽい症状が抜けない。いつも風邪っぽいのだが、それとは違う風邪っぽさだ。風邪にもいろいろ種類があるのだろう。
 昨日はサツマイモをやっと買う。切れていたのだ。
 大きい目のが7つほど入って300円ほど。百均では一本100円なのだから、八百屋のほうがお得だ。一本50円で一食分になる。朝食50円で済ますことが出来る。そして、なによりも自然食だ。栽培は不自然だろうが、サツマイモはサツマイモで、百パーセントサツマイモだ。猿が好んで食べるかもしれない。量も多いので、満足するだろう。
 サツマイモを食べていると、今度はジャガイモの出番が少なくなる。どちらも芋なので、重なるため、ジャガイモの消費量は少なくなる。
 昨日、上新によると、NECライフタッチノート19000円は消えていた。その日に消えたのかもしれない。その場所が空席になっている。別の展示品をまだ置いていない。これでタイミングを逸したので、もはやそこまでだ。いつも行く喫茶店の近くにある上新で買うところがよい。ネットで買うほどの強度はない。だから、ライフタッチノートは19000円になっている状態を見た瞬間、買うのが正解で、その後考えたことが壁になっている。買う理由より、買わない理由のほうが多いので、考えるほど買えない品物だった。
 それで、そのタブレット系コーナーに、近い物があったのだが、45000円ランクだ。それでは買えない。
 NECライフタッチノートは新製品が出ていないのに、値崩れした。だから、あまり売れなかったのかもしれない。そのため、次の商品は当分出ないかもしれない。
 似たような値段で、ノートパソコンが買えるのだから、アンドロイドだけでは使用範囲が狭すぎるように思える。ライフタッチノートにこだわるのは、NEC製エディターのライフノートがあるためだ。
 それを考えると、本命はやはりポメラと言うことになるが、結構高い。
 ポメラのほうが、本家NECモバイルギアに近い筆箱スタイルなので、いいのかもしれない。
 しかし、ポメラは正面攻撃となるため、面白みがない。正解を最初から与えられているようなものなので。
 
 

■2011年12月22日 木曜日 11時23分
 
 起きると昨日よりは早い。
 曇っている。それが真っ白だ。青みがない。冬らしい。夏場なら、夏らしくない空だ。冬は空が低く、曇っている。そういうイメージがある。
 寝起きの喫茶店は老婆の店。客がいない。静まっているのは冬らしい。
 昨日は湯豆腐を食べる。これが一番簡単なおかずだ。豆腐は二つ百円ほどのコンビニ木綿豆腐。二つだが、半丁以下が二つだ。だから安くはないが、当たり外れがない。それなりにおいしい。半丁なので、食べやすい。切らなくてもいい。湯豆腐として食べるときも切らないのがいい。箸で氷山を割る感じが良い。そこに出汁が染み込むので。出汁は別皿、受け皿側だ。だから、鍋では温めるだけ。
 豆腐と一緒に白菜と春雨、昆布を入れる。出汁も百均昆布瓶だ。これは濃縮されていないので、大事に使わないと、すぐになくなる。大事にしすぎて、一年ほど放置することがある。冬が終わる頃に買うと、湯豆腐を作る機会がないため、冷蔵庫の中で邪魔な瓶として放置される。そして、次の冬に使うのだが、これは怖い話だ。これはざる蕎麦や素麺のつゆも同じコースをたどる。
 粉末出汁でも数年経過した物を発見することがある。これも怖い話だ。小袋からさっと出てこない。湿ってしまったのだろう。
 サツマイモが切れた。これは一食分となり、おやつにもなる。サツマイモなら何でもよくなく、安くて量の多いのがいい。量は太さとは関係なく、本数だ。先日買ったサツマイモはそれに該当した。蒸かし器は電気鍋に網の下駄を履かせたタイプだが、水量が少ない。そのため、途中で継ぎ足すことで、解決した。そして、火力は一番低くする。蒸気が出ればいいのだ。その温度が適温だ。だから100度にする必要はない。沸騰しなくてもいいのだ。電気鍋なので、ランプが消えることがある。加熱しないで火力を落としているのだろう。蒸かす場合、こちらのほうが好ましいようだ。
 例年この季節冬物衣料を物色するのだが、今年はうろうろしなくてすんでいる。今年の冬の終わりに買い溜めたためだろうか。衣料品売り場に行くことは行くが、既にあるものが吊されているのを見ても仕方がない。やはり、持っていない物なら買う価値がある。冬の終わり、真冬メイン上着を二着買っている。それで十分だ。価格は半額の半額セールのイズミヤだ。だから、半額程度では買う気がしない。さらにその半額でないと。だから、次に買うのは冬の終わりだ。そこまで来ないと半額の半額にならない。
 
 電子書籍自炊代行業者について話題になっていた。作家が訴えたのだろうか。
 しかし、電子書籍自炊サービスでPDFなどで保存したとしても、小説なら文章はイメージだ。画像だ。これをフォント文字に変換するのは大変だ。上手く認識してくれないためだ。漫画なら、そのままでよいが。
 どこからが電子書籍なのかは曖昧で、画像文字でも電子書籍と言ってもかまわないのだが、それは個人で読む場合は、それで満足できるだろうが、商品としてみた場合、非常に読みにくい。それは、フォントサイズを変えることが出来ないためだ。
 10インチほどのモニターがあれば、文庫本サイズの本を画像にした場合は縦位置PDFでも読めることは読めるが、商品にはなりにくい。
 自炊代行業者は客のデーターをパソコン内に保存している。そうでないとCDなどに焼けないためだ。だから、自炊代行業者はグーグルブックスをやっているようなもので、世界中の本を自炊している図と変わらない。
 ただ、グーグルブックスで提供しているネット上の本は、決して読めたものではない。市販されている本が、そのままネット上にあるのだが、読む気がしない。疲れるからだ。
 ただ、画像文字をフォントに変換するソフトで、任意の電子書籍フォーマットで電子書籍化できないわけではない。すると、海賊版として売ることが出来るかもしれないが、アダルト裏ビデオではない限り、そんなに売れるものではない。
 売れるとすれば、発禁官能小説だろうか。これが百冊組み千円なら買う人がいるはずだ。
 著作権を守るのは悪くはないが、それは作者として腹立たしいからだろう。自分が書いた本を、無料で利用され、有料で売られるからだ。この場合の腹立たしさは、本当なら印税が入るのに、入らないことが嫌なのだ。
 しかし、本は出しても、印税では食えない作家がほとんどだ。訴えている作家は、もう十分食えているのだから、生活に関わる話ではなく、意味としての話だろう。
 音楽や映画は、いつの間にか、無料で聞いたり見たり出来るようになっている。パソコンを買ってよかったと思うのは、そんなところにある。
 電子書籍とは、デジタル物のパッケージ販売のことだ。電子書籍の中身は、ウェブページと変わらない。そのガワが電子書籍という名前だ。課金するための仕掛けだ。ただ、読みやすいビューワーというのがある。より本に近い感じに持っていくため、苦労しているわけだ。その手間暇は、印刷代はかからないとしても、人件費はかかる。そして、出しても、ほとんど売れなかったりする。
 電子書籍の旨味は、もしかすると、無料で読めるのではないかという期待がある。それは売る側の経済性とは逆方向なので、目くじらを立てるのだろう。
 著作権云々を言い出すのは、著者の自由であり権利だが、大人げない場合もある。だから、その著者を嫌いになったりするかもしれない。
 最近紙の本や雑誌を買わなくなった。電子書籍端末で読むほうが楽なためだ。欲しいのは本ではなく、中の活字や絵なのだ。本は作者が作ったものではない。その中身の文章は作者が作ったのだが、そのガワは出版社が作っている。装丁までこだわる著者はいるだろうが、紙の質までリクエストできないだろう。本の紙には著作権はない。本を閉じている糊や糸に著作権はない。
 たとえば、自分が書いた本を自炊するため、ばらした場合、ああ、もうこれで古本屋には売れないだろうなと感じる程度だ。所有している本の商品価値が消えただけで、誰かが同じ本も持っているはずだ。それもなくなれば、スキャンした画像が貴重品になる。
 著者が和本のように、自分で紙や糸を買ってきて閉じたのなら、工芸品としての価値はあるだろうが。それをばらばらにされると、不快だろう。世の中に一冊しかない本なら当然だが、紙の本も、実際にはコピーであり、複製なのだ。
 海賊版の漫画は、確かに深刻かもしれないが、作者としてみた場合、たとえば、韓国旅行へ行き、自分の読者と会った場合、それが海賊版でも何でもいいから、その漫画を気に入ってくれたことで、満足を得るほうが大きいかもしれない。
 作者は原稿を完成させれば、それで終わりで、後は作者の本ではなく、出版社や編集者などいろいろな人の本になる。当然読者の本にもなる。
 自分の作品が本になるのは仮の姿なのだ。違う出版社から出れば、違った形になる。偶然、ある出版社から出たと言うだけのことで、それが底本、定本ではない。
 
 

■2011年12月21日 水曜日 12時45分
 
 起きると少し遅い。早く目が覚めていたのだが、二度寝したためだろう。風邪っぽい。
 よく晴れており、日差しが眩しい。寝起き老婆の店に行くとき、眩しくて、目が開けられなかった。これは真夏のそれと同じだ。日差しは冬場は弱いのだが、ニット帽には庇がない。その違いだろうか。
 しかし、眩しく感じるのは、風邪のためかもしれない。
 昨日はヨドバシカメラへ寄る機会があったので、パソコン関係を見学する。
 ライフタッチノートが18900で死んでいた。上新では19000円だったように思う。こちらは展示品特価だ。ヨドバシのライフタッチノートの値札の下をめくると36000円ほどだ。上新は49000円だろうか。
 ということは、日本中の店頭でライフタッチノートは死んでいることになる。
 7インチタブレットでレノボの1万円台は、入荷待ちだ。他のレノボのタブレットタイプも在庫がない。一番の人気は1万円台7インチだ。10インチタブレットは4万から5万。いずれも日本製は高い。
 0円となっているのはドコモタ紐付きブレットだ。ソニーの蒲鉾板タブレットは、そこで売られている。つまり、紐付きだ。
 本体より最低でも3800円する月額通信費、新規申し込みの罠だ。
 アンドロイドタブレットはネットに繋がないと、機能しないように思えるのだが、オフラインでの使い道もある。アンドロイドタブレットを買い、ネットをしないという方法もあるはずだ。
 部屋のパソコンが、インターネットで有線で繋がっているのなら、そのルーターなりモデムに外付け無線LANを付ければ、アンドロイド端と繋がる。この外付け無線LANは、数千円だ。だから、室内では、ネットが出来るのだ。
 また、部屋のパソコンに無線LAN基地局を作るUSBも売られている。有線ランで繋がっているパソコンを、今度は無線LANで外に出すのだ。
 NECライフタッチノートを無線LANを使わなくても、アップデータは出来る。別のパソコンで、アップデーターをSDカード経由で、出来るようだ。これで、もう寿命が来ている端末なので、先はないが、最後の薬は得られる。
 外出先で、ネットを気楽に見るのが、タブレット端末のよさだが、果たしてそんな用事があるのだろうかと思う。だから、その用途は、趣味ではないかと思ったりする。
 さて、NECライフタッチノートの死体だが、腐敗が続き、年末まで安置されているかどうか分からない。死体を持ち帰るのは、今のうちだ。
 ライフタッチノートにこだわるのは、オフラインでのエディター機能だ。つまり、タイプライターとして使えるのだ。
 エディターでタイプしたログは、SDカードに保存できるので、それ経由で、使い回しが出来る。受け皿だ。さらに、本体とUSBを繋げば、ハードディスクと同じような取り出し方や同期が出来る。
 内蔵カメラが二門搭載されているのは、ポメラより上だ。これをライブカメラにしないで、外向けレンズは、隠し撮りに重宝するし、AFには触れられておらず、画角やレンズの明るさも表示されていないが、マクロ切り替えはあるようだ。つまり、名刺などを200万画素で写すためだ。要するに、簡易スキャナーになるという意味だ。これらは、ネットに繋がっていなくてもいい。ネットと関連づける必要はない。写した写真をその場で、ネット上のアルバムにアップとか、ブログにアップとかも考えなくてもいい。SDカードに保存すればすむ話だ。
 

■2011年12月20日 火曜日 11時28分
 
 早い目に寝たので早い目に起きるが、早すぎるので、二度寝する。
 そのため、かなり長い睡眠時間になる。
 曇っているが、青空はある。温度的にはほどほどだ。日々寒くなるわけではなく、数日続いて温度が上がることもある。そして、ある日、がくんと下がる。
 今年もあと十日ほどになっている。12月だというのは分かっているが、残り少ない。12月が終わる月末ではなく、年末ということになると規模が大きい。しかし、日常的には月末だ。そして、年明けは、月初めだ。まあ、一年単位で暮らしているわけでも、月単位で暮らしているわけでもない。週単位はわかりやすい。さらにわかりやすいのは一日単位だ。動物は週単位、月単位があるのだろうか。月の影響であるかもしれない。
 人から見ればあるかもしれないが、動物はそういう区切り方はしないように思う。もっと感覚的だろう。つまり、寒いとか、暑いとか、雨が降っているとか、そう言うことで区切っているのかもしれない。きっかけとなるのが、暦ではないためだ。動物の日常単位は昼と夜単位かもしれない。
 3月か4月頃が、正月であるほうがわかりやすい。冬が終わりかける頃、または、冬の底を超えたときが新年であるほうが、感覚的には妥当だ。なぜなら、冬が一年に二回ある。今年の冬は、秋の終わりの冬を指すのか、正月明けの冬が指すのかがわかりにくい。年明けを新春と言うが、まだ冬で、しかも本当の冬である真冬前だ。これから春に向かうのではなく、冬に向かうのに、新春はおかしい。これは旧暦だろう。
 
 昨日は白身魚のフライを食べる。閉店近くに買ったので、半額近かったのだが、これは賞味期限間近と言うことだ。それをしばらくしてから食べる。二つあるので、二食分に分けた。その二食目は、かなり時間がたっている。完全に賞味期限切れ時間帯だろう。そのためか、胸焼けした。
 白身魚のフライにするか、アジのフライにするかで迷った。白身魚は、何の魚なのかは分からない。アジのフライはアジだろう。白身魚のフライは、魚の名前が分からない。だが、白身であることは確かで、アジのフライより身が多い。はかりで量ったわけではないが。
 アジのフライは一匹100円が相場だ。それが賞味期限前になると、二匹100円になるパックがある。しかし、二匹同時に食べるには量が多い。そのため、分ける。これは賞味期限との戦いだ。胃腸の戦いと言ってもいい。
 
 

■2011年12月19日 月曜日 11時26分
 
 雲は多いが晴れている。まだ、午前中起きだ。夏場だと、暑くて外に出るのが辛いのだが、冬場は夏場ほどではない。寒いとき、着込めば何とかなるからだ。夏は裸でも暑いだろう。また、裸では日差しが余計に受ける。
 冬のほうが過ごしやすいと言うより、日本の夏は短いので、冬の時間のほうが長い。だから、それに対する耐性が出来ているのではないかと思う。
 北海道の夏と畿内の夏は違う。だから、北海道の人が関西に来ると、暑さでやられるだろう。当然冬はその逆になる。
 今日は室温12度ほどだ。まだ10度を切っていない。切ると真冬だ。まだ、その時期ではない。
 寝起きの喫茶店は老婆の店だ。
 夕方起きまでは、老婆の店が寝起きの喫茶店となる。夜起きになると、別の店が寝起きの喫茶店となる。
 
 韓国ドラマ「大王世宗」を全部見る。80話以上あった。100話だと思っていたのだが、違っていた。別のドラマだ。
 この大王の時代は日本では室町時代だ。韓国文化が花開いた時代で、ハングル文字を作った王様だ。文字を作るというのは、言語学的に興味深い話だ。日本で言えば、ひらながだろうか。韓国の発音や言葉を中国の漢字では言い表せない。これは日本語も同じだ。漢字は分かるが、漢文は分からない。漢字仮名混じりだから、読めるし書ける。
 ドラマでは文字を持っている国はモンゴルと倭国と、印度ということになる。印度は梵字のことだろうか。
 意味ではなく、発音記号のようなものなので、自分の言葉で、文字が書けると言うことだ。発音した言葉が、そのまま文字となると言うことだ。
 この時代、世宗王朝の敵としての外国は中国となっている。ただし皇帝ではなく、諜報機関などだ。日本との戦いは、倭寇との戦いで、対馬征伐はあるものの、占領していない。
 文字を作ったり、天文観測機(韓国に見合った暦を作る)を作ったりすることを当時の中国は許さない。天は中国の皇帝だけが扱えることらしい。卑弥呼のようなものだ。
 つまり、中国の内政干渉を受けながらも、韓国文化を作っていったのだ。
 さすがにドラマの中に出てくる日本の武家は、袴を前後ろ逆にははいていない。韓国ドラマは、日本もお客さんなのだから。
 ドラマはドラマで、それは日本の大河ドラマでも、史実とは違うこともある。しかし、一番わかりやすく、その時代の雰囲気が分かるのは、文字ではなく、映像だろう。特にはらはらどきどきの韓国ドラマは、それだけで楽しみながら親しめる。
 韓国歴史ドラマの制作ドキュメント番組があった。監督やシナリオ作家などの話だが、時代劇だが、今の韓国事情を反映しているらしい。
 
 
 

■2011年12月18日 日曜日 11時18分
 
 起きると昨日よりも早い。やや曇っており、寒い。
 午前中起きを何とか維持している。目は覚めるが、まだ眠いとき、我慢して起きると、その夜は早い目に眠くなる。それで、ずれ込むのを防止できる。ただ、睡眠時間が短い状態で目が覚めたときは別だ。この場合、ずれてもいいから寝るべきだ。
 困るのは早い目に起きてしまい、眠くないときだ。これはそのときは眠くなるが、短期睡眠はその日の内に出て、半日経過で眠くなる。
 自然な目覚めは同じ時間に起こる。不思議と昨日と同じ日に起きてしまえる。だから、寝る時間さえずれ込まなければ、結構同じ時間に起きるパターンが出来る。しかし、ある日突然夜更かしし、そのパターンが崩れる。夜更かしはあるが、早起きはない。
 昨日はマルチグリル鍋で野菜類を煮込む。マルチグリル鍋だが、普通の鍋としての使い方が多い。たまに蒸かし機能を使う程度だ。
 ジャガイモ、人参、タマネギと、定番野菜を煮込み、豆腐を加えた。それと切り干し大根も。
 味付けはおでん出汁だ。しかし、顆粒のおでん出汁、箱が小さいのか、何回かしか使えない。飽きるほどの回数分はない。小さな箱なので、その分安かったのだろうか。値段を見ていなかった。決して高いものではないので、見なかったのだろう。
 それほど高いとは思っていなかったのに……と思ってしまうものがある。その経験があるので、値段を確認する。しかし、知っている商品に対しては、省略する。これはパッケージを見ただけで、一瞬に分かるはずだ。同じデザインの場合は、同じ値段だと。
 100円のものが1万円しているわけがない。だが、いつもは100円のが、120円だった場合、確認しなかったことを悔やむほどではないが、高い店で買ってしまったと思ってしまう。
 いつも100円で買っている商品が120円だった場合、いつもの店まで買いに行くかというと、そうではない。何かを買ったついでや、偶然立ち寄り、ここで買い物を済ませたい場合は、20円の差は仕方がないと思う。ただ、値段を見なければ、分からないままだ。20円高いことを知らないでレジへ行く。知らなければ、問題は何もない。20円高いのとは逆に、20円安い場合もある。これも見ないで買うと、安く買ったことを知らないままだ。そして本人は120円でも80円でも、100円だと思ったままだ。
 
 NECライフタッチノート落ち武者狩りだが、狩るべきかどうかで迷っている。
 これはいろいろと理屈を付ければ、買えないことはないが、似たようなものを持っていると、それが落ち武者になる。当然、落ち武者狩りで買った物も、次の商品と遭遇すると、落ち武者がまた落ち武者になる。ただ、最初から落ち武者商品のほうが気が楽だが。
 つまり、より低価格帯での戦いのため、被害総額はましだ。
 デジカメの値崩れより、アンドロイド端末機の値崩れ方のほうが大きい。ウインドウズのノートでは、そこまで崩れない。
 ライフタッチノートの前の機種がNECにもある。キーボードのないタブレットタイプだが、あっという間に姿を消した。店頭で見ることもほとんどないほどだ。
 ライフタッチノートの値落ちは、次の機種が出るためだろうが、おそらく来年の2月頃ではないかと思える。アンドロイド3以上あたりを入れないといけないからだ。すぐに5が出たりする。賞味期限は短い。
 アンドロイド2系のライフタッチノートは、アンドロイド3にアップは出来ない。なぜなら、NECが2をカスタマイズしているためだと思う。弄ったので、互換性がなくなる可能性が高い。
 しかし、ライフタッチノートのライフノートいうエディターだけを使うのなら、そういう問題はない。
 年末、高級万年筆を買うという発想でなら買える。つまり、万年筆とノートのセットだ。これは、ポメラのほうが、その発想にはふさわしいのだが、2万円をかなり超えると、万年筆の価格帯から外れてしまう。
 ライフタッチノートは、出たときに買おうとしていたのだが、ネックはネットだ。こちらが使っている通信カードはアンドロイド系では使えないのだ。部屋でなら、無線LANで何とかなるが、外では何ともならない。だから、3800円はかかる。同じような物を二つ申し込めない。外で使う方法として、マクドなどで使える安いサービスはあるが、マクドは余り好きではない。
 しかし、ノートパソコンでネットは出来るのだが、最近はあまり使っていない。喫茶店でも使うのは希だ。だから、これは解約してもいいのだが、二年契約をまた継続したので、この時点では無理だ。解約代金がもったいない。
 それに、外でネットをする機会がほとんどないのだから、それでいいのかもしれない。
 本体は安くても、ネット年貢で月額3800円は負担が大きすぎる。しかも、ほとんど使わないのだから。
 また、マクドなど出来るタイプも月額500円前後だろう。大した金額ではないが、そういう500円物サービスを複数使っていると、結構厳しい。
 万年筆ならネットは関係はない。部屋ではライフタッチノートでもネットは出来るのだ、その必要はほとんどない。
 
 
 

■2011年12月17日 土曜日 11時41分
 
 起きると午前中内。晴れており、昨日よりも空は明るい。日差しが眩しい。そのためか、それほど寒くはない。
 風は弱いと言うより、木の葉が揺れていない。吹いているのだろうが、確認しにくい。風そのものは何かが揺れることで分かる。強いと自分の身体が揺れる。または肌に感じる。屋内から外を見ているときは、揺れの動きで確認できる。夜などは音で分かる。風の音と言うより、何かに当たって音がしているのだろう。ヒューと音がする。それが風の音だと分かるのは、他に該当する音がないためだろう。また、一度それを知っているため、風だと判断するようだ。ただ、夜中の風の音は確認したわけではないので、違うかもしれない。そして、確認しないのは、それほどの意味がないからだ。屋外に、風が吹いて飛ばされるような大事なものがある場合は、別だが。
 台風で、風の強い日は、どの程度の強さかを見たくなる。これは好奇心で、別に見なくてもいいのだが。
 
 19000円の落ち武者NECライフタッチノートが気になるところだが、安いだけでは壁は高い。
 19000円あれば、他に何か有益なものがあるのではないかと思う。ライフタッチノートがなくても、別に問題は何もないのだが、あるとすれば好奇心だろうか。
 それは、OS病ではないかと思える。アンドロイドにまだ感染していないためだ。ただ、アンドロイドのベースのようなものはリナックスなので、リナックスは感染している。シャープのザウルスがリナックスだった。
 ウインドウズノートパソコンをアンドロイド機に変えてしまうソフトがある。だから、使っていない古いノートパソコンをアンドロイド機にしてしまえるようだ。それで使いやすくなるわけではなく、目的はアンドロイドの動きを見たいだけのことだ。
 これは、アンドロイド機になった時点で、フィニッシュになる可能性が高い。
 NECライフタッチノートにこだわるのは、NEC製エディターだ。ポメラ以下のエディターだが、このライフノートというエディターに、なぜか魅力を感じるのだ。それはザウルスのエディターやポメラのエディターでもそうなのだが、テキスト純度が高いのだ。エディターから機能を減らしていくと、基本的なものしか残らなくなる。
 ポメラ新型はエディター機能が強化され、それは喜ばしく、便利なことなのだが、逆に純度が減るのだ。使っているときは、あれば便利だと思うのだが、ごちゃごちゃついてしまうと、一太郎のようになってしまう。一生のうち、使うことが全くないようなメニューが表示されている。これは、多機能デジカメと同じで、シンプルなものに戻りたくなる気分が生まれる。
 いろいろ出来るのではなく、いろいろしたくないと言うことだろうか。
 
 
 

■2011年12月16日 金曜日 12時11分
 
 起きると少し遅い。昼過ぎ起きになり、午後起きになっている。
 空はやや荒れている。風が強いのか雲が吹き飛ばされているようだ。しかし、塊は大きい。曇ってはいないが、雲は多く、日を遮っている。しかし青空はある。だが暗い。冬の日差しは弱いのか、昼過ぎなのに、夕方のように暗い。日照時間も短い。

 昨日は上新へ行くと、NECアンドロイド機のライフタッチノートが落ち武者をやっていた。49000円ほどで、買い時となっていた時代から、今は19000円に落ちていた。今が買い時と言うより、展示品限りなので、展示されているこの商品しか残っていない。ただ、これはネットショップを調べれば、さらに安いのがあるのかもしれないが、その場で持ち帰ることが出来るのは気分がいいだろう。落ち武者狩りだ。昔、東芝のダイナブックが落ち武者になったことを思い出した。NEC98時代からDOSV時代、IBM互換機時代の過渡期だ。
 アンドロイド機だが、見た目はノートパソコンだ。
 アンドロイド端末機は、本体だけでは何ともならない世界だ。つまり、スマートフォンの大きな物だと考えれば、ネットに繋がらなければ機能は半減する。
 これを買わないで、この夏、普通の富士通ノートパソコンを買っていたのだが、実はネットはほとんどしていない。出先でタイプしているだけで、ネットに繋ぐ時間がない。通信カードがあるので、ネットは簡単に見ることが出来るのだが、ほとんど用事がないのだ。
 しかし、ウインドウズが走るノートと、アンドロイドノートでは大きな違いがある。特にNECライフタッチノートはポメラに近くなる。ネットをしなければそうなる。
 富士通ノートでメインに使っているのは一太郎やエディターだ。そして、Evernoteだ。
 だが、ライフタッチノートになると、メインはエディターになる。これがNEC製のエディターで、ポメラのエディターより劣る。
 Evernoteがあっても、有料になる。Evernoteはネットがなくても使えるが。
 要するに、ネットを使わないライフタッチノートは、半分死体だ。さらにアンドロイドバージョンも古い。しかしそれらは、消極的に使う場合、問題ではない。内蔵エディターだけで暮らせばいいのだから。
 ライフタッチノートのエディターはポメラ以下というのは、メモ帳以下と言うことだ。
 だが、ポメラより、すっきりしている。文字情報だけに集中できるためだ。
 ポメラに入っているATOKと、ライフタッチノートに入っているATOKとは違うようだ。一度変換を試したのだが、ライフタッチ版というか、アンドロイド用のほうが辞書が大きいようだ。
 ポメラは国語辞書まで入っている。これはアンドロイド版国語辞典の使い回しだろう。だから探せばあるだろう。アンドロイドアプリとして売っているはずだ。
 半死体のライフタッチノートの横に死体候補ではないが、ソニーアンドロイドタブレット10インチタイプが出ていた。その価格はライフタッチノートが出たときと同じ値段だ。
 こちらが実際に使う部分はエディターだけだろう。それを考えると、安く手に入るタイプライター、筆箱としてのNECライフタッチノートが清いのではないかと思える。なによりも、NECライフタッチノートのキーボードがいいのだ。何度も比較で出てくるNECモバイルギアに近い。
 ただ、このライフタッチノート、19000円になっていないと、見向きもしないだろう。だが、春から夏にかけて、もし買っていたとしたら、今頃どうだったか。もう投げ出していたか、気に入って使い続けていたか、それは分からない。
 
 

■2011年12月15日 木曜日 10時56分
 
 起きるとまだ午前中。温度的には寒くはない。あまり温度や天気が気にならないので、平凡な状態なのだろう。つまり、特に記すほどのことではないと。
 老婆の喫茶店は満席近い。といっても三人来ているだけだ。すべて一人客で、四人がけテーブルに座っているためだ。店はそれほど狭くはない。特に大ホールのように広くはないが、余裕がある。テーブルとテーブルの間も広い。だから、テーブルを詰め込めば、倍ほど席が出来るのだが、そうしない。これは開店当時からそうだったように思える。ただ、カウンター席があるため、溢れた客はここに集めるのだろう。しかし、一度もそこへ座ったことがない。ずっと満席になるような状態に、店がならないからだ。夕方前などに行くと、客を見かけるのは希なのだから。
 
 グーグルプラス、グーグルページ、グーグルブログ、いずれも変化がないので、放置しようかと考えている。こう言うのは、特に何もしなければ、それが放置となる。だから、放置しやすい。
 やはり、フェースブックがあるため、同じようなことをダブルでやる人が少ないのだろう。だから、フェースブックをやっていてグーグルプラスをやる人は、作っただけでそのまま放置しているのかもしれない。
 グーグルの時代からフェースブックの時代に移ったのだろうか。フェースブックは単品だが、グーグルはいろいろなサービスを提供している。だから、フェースブックとグーグルプラスだけで比較することは出来ないが。グーグルの勢いが弱まったと見るべきだろうか? これが、グーグルプラスの出現で、あっという間にフェースブックの人が、グーグルプラスに場を移したというのなら、グーグルの勢いを感じるのだが。
 フェースブックやグーグルプラスに注目するのは、ウェブページ、つまりホームページの先端にいるためだろう。ウェブページとは、コンテンツのあるベースページで、昔の分類では、個人ページや企業や諸団体のページだ。つまり、作成ソフト的にはホームページビルダーで作れたページだ。
 ホームページ作成ソフトは、単純なページなら、単純に作れるが、それでも覚える必要がある。HTML手打ちでも出来るし、ワープロで作ったものでも変換できる。しかし、多少はサーバー管理が必要だ。これはこれで、面倒くさい。
 それでクラウドと言うことで、ネット上のソフトで作り、ネット上で保存する。ブログへ移行したのだ。そのブログでも面倒くさいので、ミニブログであるツイッターが流行っている。
 ブログとツイッターの違いは、デザインをしなくてもいいと言うことだ。短い文字情報だけが飛んでいる。その文字のフォントにこだわる必要はない。欲しいのは、何が書かれているかだ。
 ブログが読みにくいのは、文字が小さいからだ。それは、スタイルシートを弄れば、フォントサイズのデフォルトを変えられるのだが、そんな面倒なことはしないだろう。また、ブログではフォントサイズを入力画面上で変えられるのだが、それも面倒だ。
 ツイッターで文字が小さいと思えば、ブラウザ側を拡大すればいいのだ。CTRLキーとプラスキー、マイナスキーで対応できる。
 フェースブックのフォントサイズが小さいのは、英文に合わせているためだろう。
 ブログとフェースブック、ツイッターとの違いは、利用者数だ。ブログの利用者数は多いと言っても、分散している。アメーバーブログとシーサーブログとでは家が違うのだ。だから、同じ長屋の住人ではないのだ。
 こう言うのを見ていると、オンラインゲームの流れと似ている。新しいゲームがオープンすると殺到し、足の踏み場もないほど満員になる。そのため、それまでのゲームはゴーストタウンになっていたりする。今日は人が少ないと思っていたら、新ゲームがオープンしていたりする。そっちへ行っているのだ。
 フェースブックとミクシーの違いは、お友達の姿が見えないことだ。実際、それを見ようと思えば、怖いことになる。それは、足跡を見ることだ。だから最近は見ていないので、まだ、この足跡がメニューのどこにあるのかさえ見ていない。そして、足跡を見ると、日に3人ほどだったりする。三人のために、記事をアップしていることになる。「いいね」的足跡は、すべて広告だ。これは、ミクシー画面ではなく、ミクシーからメールが届く。コメントが入ったときなどに自動配信してくれるのだが、それを利用して宣伝マンが迷惑メールを送りつけているようなものだ。それが迷惑メールではないのは、ミクシーからのメールのためだ。だが、中身は迷惑メールなのだ。
 さて、ミクシーやブログより、お友達の気配が明確に分かるのがフェースブックやグーグルプラスだろう。お友達の記事が自分のページ上にニュースフィールドとして表示されるためだろう。
 ミクシーではリアルでの知り合いであっても、ハンドルネームと本名が合致しないことがある。忘れているのだ。最初からネット上だけの知り合いなら、ハンドルネームしか知らないので、覚えている。だが、リアルの人とハンドルネームが連想できなくなってくると、誰なのかが分からない。また、ハンドルネームを変えられると、もう完全に知らない人になっている。
 フェースブック、顔本。つまり、顔のアイコンだけでも、誰だがしっかり分かる。アイコンというより顔写真のためだ。
 だから、その本人の雰囲気を思い出しながら、その文が読める。
 ツイッターで、フォローしてくれている人も、最近は宣伝が多くなっている。ツイッター初期から、フォロアー数競争ゲームをやる人がいたためだろう。これは問題ではない。問題は営業で来る人だ。この宣伝マン達は匿名だから出来る。宣伝マンが悪いのではない。ただ、正々堂々と名を名乗れと言うことだ。そうでないと、ただの押し売りだ。
 商品やサービスを売るためにお近づきになる。これは悪いことではなく、まっとうな商行為だ。問題はやり方が機械的で、ロボットがやっているので、面白くないのだ。
 ネットで人と人とが繋がっている。それが絆であるなどと、臭いことを言うと手垢がつく。絆という言葉は宣伝コピー言葉で、もう絆の安売りになっている。
 以前に商品ページ誘導ネット作戦について語った。ネット上でいろいろ振る舞い、商品を売るためのページへ引っ張り込む作戦だ。
 では、どうやり、何をすればいいのかの具体策は書かなかった。その答えが何となく見えてきた。それは、単純な営業方法だが、本命を見せないと言うことだ。
 絆という言葉を見せると、もう絆ではなくなるように。
 
 
 

■2011年12月14日 水曜日 11時02分
 
 起きると少し早い。これで一応午前中起き内に入る。
 晴れており、まあまあの温度だ。こういう日は日向と日陰とでは温度差があり、ひなたぼっこをしながら移動するほうが、好ましい。夏場はその反対だ。しかし、それだけの理由で、日向の道を選び、遠回りするのは気分的にしにくい。これは目的地があり、最短距離で行きたい場合はなおさらだ。ぶらりと散歩に出るときは別だが、冬場寒いので、そういう気にもなりにくい。
 
 レトルトカレーを電気ポットで温める。いつも保温中のポットなので、その中に食品保存用パックの中に入れて、突っ込む。電気ポットは80度を維持しているはずだ。たまに温度が下がると、沸騰しかけるが。多少の誤差はあるが、常時80度の温泉が湧いているような物だ。だから、温泉卵が作れる。レトルトカレーは既に加熱されているので、温めるだけだ。そして、温め時間は適当だ。そのまま放置していても80度の湯の中に入れっぱなしという程度なので、煮込みすぎというのは少ないだろう。しかし、何分で暖まるのかは分からない。だから、適当だ。気がついたとき、引き上げればいい。
 電気ポットは長く使うと、アクが出る。水アク、湯アク。これはカビに変化することもあるはずだ。水の入っている部分と、水が来ていない部分との境界線に輪のような線が出来たりする。
 レトルトパックはアルミだ。さらに塗料が塗られている。印刷された色だろう。これが、溶けることがある。ビニール袋もそうだ。だから、電気ポットにそんな物を突っ込むのは危険だ。そのまま飲むと、ビニールの味、アルミの味、塗料の味がするかもしれない。鍋で温めた場合でも、鉛のような何かが付着していることがあるからだ。
 それで、古くなった電気ポットは、お茶飲み用ではなく、湯温め用に使うのもいい。そして、新しく茶瓶型の電気ポットを買えばいい。茶瓶、急焼風なので、茶こしがついている。数分で湧くのだから、こちらのほうがいいかもしれない。
 要は茶瓶型の小さな電気ポットが欲しいと言うことだろうか。
 昨日もショッピングモール内スーパー通路に調理器具が露天されていた。前回も書いたように、とんがり蓋のフライパンや、二段重ねの蒸し器も気になる。
 温浴と蒸しでは温度が違う。80度と100度以上の違いだろうか。
 電気コンロも気になるところだ。これは1万円ほどしている。電気鍋の底だけの感じだ。電気鍋でも焦げる。ただ、鍋が真っ黒けになるほどには焦げない。焦げ付くのは放置するからだ。だから、目の届くところにあれば、湯気の出方により、気がつくはずだ。
 しかし、電気コンロは、それ用のフライパンや鍋がある。対応していないと駄目だ。買うとき、ガス火の表示しか見ていない。
 さらに面白いのがあった。圧縮鍋だ。こちらは、一度煮込んで、その後は火を止めてもいい。これは、普通の鍋でも出来るが、鍋の蓋が軽いし、浮きやすいので、抜けてしまう。だから、妥協策としてとんがり帽子の鋳物のような物が、好ましいのかもしれない。
 電気コンロは、今のようなフラットなものではなく、コイルを巻いたコンロがある。あれが一番簡単で、使いやすい。しかし、もろに燃えているので、結構危険だ。あのコイルで煙草の火を付けることが出来るのだから。この電気コイル式コンロが一番安くていいかもしれない。よく燃えないゴミの日に出されていた。汚れやすいためだろう。餅の焦げがそのまま底に付着しているような雰囲気だ。魚だと、油がそこに溜まるだろう。だから、フラットタイプに比べ、汚れたイメージがあるのだ。
 最近は先日買った電気鍋で、おでん風の物を作っている。出汁がおでんの素と言うだけのことだ。前回の電気鍋より、大きいので、ゆったりしている。電気鍋がいいのは煮崩れしないことだ。だから、ジャガイモが溶けてしまいにくい。タマネギも原形を保っている。ガス火で煮込むとタマネギは溶けて消えてしまう。せっかく入れたのに、なくなるのは損だ。
 
 

■2011年12月13日 火曜日 12時23分
 
 起きると昨日よりは遅い。既に昼起きになっていた。久しぶりに晴れており、温度も高い目だ。高いと言っても暑いわけではない。
 寝起きの老婆の喫茶店の暖房が効いており、結構暖かい。上着を脱がないといけないほど暖かい。これは寒いよりはいいことだ。冬に暑い店はいいが、寒い店は入った価値がない。ただ、汗ばむほどの暖かさは駄目だが。
 いつもコンビニで雪印のコーヒー牛乳1リットルを買っている。これで二三日持つ。ところが、これが人気のパックなのか、たまに品切れとなっている。そのときは冷蔵庫の中にある半リットルパックにしている。
 慣れというのは恐ろしい。雪印のコーヒー牛乳より、白バラ牛乳のコーヒーのほうが高く、そしておいしいのだが、最近ずっと雪印なので、たまに白バラを飲むと、違和感を覚える。高くて上等なものより、安いタイプのほうが口に合ってしまったのだ。
 もし、雪印と白バラを比べ飲みすれば、白バラの勝ちだろう。それは、値段を見て飲んでいることもあるが、それだけではなく、確かに白バラのほうがおいしいのだ。それが、雪印を飲み続けることで、それが本来のコーヒー牛乳の味と思ってしまうことで、白バラに違和感を覚えるのだ。確かに最初の一口は白バラのほうがおいしい。だか、それが1リットルもあるとおいしさを求めない味に行く。
 喉が渇いたときは水分を補給する。このとき、味よりも乾きを取り除きたい。味は二の次なのだ。だから、水でいい。
 また、同じ水でもおいしい水のほうがいいかもしれないが、やはりこれも味は二の次だ。
 コーヒー牛乳に求めているのは、どろっとした感じだ。お茶では得られないあの味だ。そして、コーヒーの刺激だ。
 さて、白バラと雪印の話だが、もし白バラを毎日飲んでいると、今度は雪印の味が馴染まないだろう。おいしさよりも、慣れなのだ。これは煙草の銘柄も同じで、いつもの味というか、いつもの吸い心地が標準になり、それと少し違うと、煙草を吸った気になれないのだ。
 習慣というのは恐ろしい。慣れると気にしなくなる。入ってくる情報が同じなので、頭の回転もゆっくりだ。だから、慣れた環境は落ち着くのだろう。これが日常というものだが、その日常は、人によって違う。旅人は毎日起きた場所が違ったりする。それに慣れてしまうと、毎日同じ寝床からの寝起きは妙に感じるかもしれない。変化があるのが日常になっている人は、変化がないと、違和感を抱くのかもしれない。
 
 
 

■2011年12月12日 月曜日 10時34分
 
 昨日と同じ時間帯に起きる。確実に起きる時間が遅くなっている。もやは朝起きとは言えなくなる。
 天気もやや回復し、温度も低くはない。冬というのは暗い。ずっと天気が悪いイメージがある。
 老婆の喫茶店に寝起き行くが、開店間際ではないためか、客が少ない。朝一番に来る人が多いようだ。その人にとっての朝一番ではなく、喫茶店の朝一番に合わせた朝一番だろう。来る客は寝起きとは限らない。もっと早く起きて、用事を済ませてから来ているのかもしれない。仕事をしている人なら、朝から喫茶店に入ってられない。だから、隠居さんが多い。
 つまり、朝、住宅の多い場所にある喫茶店の朝の客は老人が多いと言うことだ。同じ場所にあるマクドやモスでは若い人が多い。そして、老人は単独だが、若者は複数だ。つぐんでいるのだろう。老人と学生やフリーターとは近い面がある。その間の世代はしっかり社会人をやるため、朝から喫茶店に来ないのだ。
 
 電気鍋のフライパン風ユニットでカレイの干物を焼く。しかし、焼け付いてしまい、身が鉄板に付着して、ワヤになった。ワヤとは駄目になったという意だ。
 前回の電気鍋もそうだったが、波だった焦げ付き防止の処理も、役立たない。やはり、焼き魚は網で焼かないと、焦げ付く。魚をひっくり返すとき、くっついてワヤになるのだ。
 魚と鉄板との接地面が広いためだ。波打たせることで、鉄板との接触面を狭めているのだが、セロハンテープほどの幅があり、そこにくっついてしまう。やはり針金程度の細さが必要だろう。そうなると、熱が伝わらない。蒸し焼きなら別だが。
 鉄板、フライパンで魚を焼くには、油漬けにしないと駄目なようだ。フライのように。
 昨日は上新で調理器具を見る。電気蒸し器の大きなものが安く出ていた。三段重ねほどだ。これはやり過ぎだろう。これで特価で5000円だった。小さな蒸し器なら、バッタ屋で探せば500円ほどである。しかし、水の量が少ないので、今の電気鍋とかわらない。
 スーパー横通路の露天を見ると、二段重ねの蒸し器が1400円と1200円で出ていた。前者は両手鍋で、大鍋だ。後者は片手鍋で、ほどほどの大きさだ。どちらも重ねられる。だから、鍋一杯に水が張れる。
 その横に普通の鍋がある。先ほどの両手鍋と同じ口径だ。しかし1400円している。それなら蒸し器の方が安いではないかと思うのだが、そうではない。ステンレス鍋なのだ。その違いだろう。
 窯のような鍋もあった。下はフライパン風で、蓋が窯のような円錐形で、煙突のようにそびえている。このとんがりは何だろうかと以前から気になっていた。烏帽子のような蓋だ。呪器のようだ。それを持ち上げると結構重い。蒸し焼きするためのものだろうか。まさか陶器を焼く窯ではないと思うが、粘土をいれると焼けるかもしれない。
 要するに、このとんがりは、蒸気を溜めるための空間で、湯気を押さえて熱を溜、水分を逃がさない仕掛けかもしれない。しかし、蓋のとんがり帽子が非常に重い。下手をすると、落として足を怪我しそうだ。
 上新で、パソコンコーナーへ行くと、ソニーリーダーの新型とソニーアンドロイドタブレット(10インチ)が展示されていた。以前あったシャープの端末はもうない。
 デジカメ売り場では、狙っていたカシオの高速タイプデジカメの実働機があったが、チャチイ感じだった。プラスチック部品が、どうも安っぽい。カメラの形をしているだけに、プラモデルを弄っている感じは、今ひとつだった。
 カシオの奇形デジカメはなかった。凝りすぎたのだろう。21ミリ単焦点二軸回転式デジカメなど、一般的ではないためだ。
 レンズよりも、その形が気になり、それを触りたいだけかもしれない。従来のカメラの写し方ではない気楽さが良いと思えたのだが。
 結局蒸し器は電気鍋がいいだろう。近くにおいて、湯がなくなれば、足せばいいのだ。コップを用意するだけで解決するのだから。
 
 
 

■2011年12月11日 日曜日 10時26分
 
 起きると少し遅い。かなりずれた感じだ。
 寒いし、また曇っており、天気はよくない。
 眠い時は、いつまでも寝ていたい季節だ。冬の二度寝は百万両だ。
 といってもいつまでも寝ていると、寝る時間も遅くなり、時間がずれる。反対に早い目に起きることは難しい。睡眠時間が十分だと、一日元気だが、少ないと、寝不足気味で、怠い。しかし、睡眠時間が長すぎると、つまり寝過ぎると、これはこれで怠い。
 最近お茶が冷たい。茶碗が冷たい。室温も下がっているのだろう。お茶は急焼(きびしょ)に入れているのだが、全部一気に飲まないので、茶碗一杯分を飲むと、残りは冷たいお茶となる。冷茶だ。夏場はそれを何とも思わず飲んでいた。どちらかというと生ぬるいお茶で、冷えていないお茶だった。ところが冬になると、茶碗を持つだけでも冷たい。飲むと冷蔵庫で冷やしたような冷たいお茶だ。氷が入っているような。
 お茶はパックを急焼に入れて作っている。一パックで、ちょうどだ。。このパックで、1リットルの水差しパックで冷やし茶を作っていたのだから、急焼は500CCほどなので、二回分はいける。
 急焼に湯を入れるのだが、その湯は電気ポットから入れる。ポットは常時保温状態だ。だから、いつでも熱いお茶が飲める。
 そのため、急焼の中に残っている濃いめのお茶を湯飲みに少量入れ、ポットで本体の湯を入れると、ちょうどよい具合の色になり、温度も熱くなりすぎない。
 だから、この方法を使えば、いつでも熱いお茶が飲めるのだが、面倒なので、湯をつぎ足さないで、そのまま冷たく濃いお茶を飲んでしまうことがある。
 お茶は百均でパックで売ってある。これで半年ほど持つ。しかし、色が悪く、今ひとつなので、スーパーで安い目の緑茶を買った。だが、結果的には似たようなものだ。決して緑ではないのだ。茶色い緑茶だ。本当は紅茶カップ一杯か、二杯分程度だろう。
 お茶は大きな薬缶にたっぷり入った番茶でいい。お茶を入れると言うより、煮立てているのだ。
 おいしいお茶と言えば、牛丼屋のなか卯のお茶が見事な緑茶で、緑色をしている。その色が濃い。目で釣られておいしく感じるから不思議だ。確かにお茶の苦みのようなものも感じられる。色で誤魔化されているわけではないが、大量のお茶を作っているにもかかわらず、色が濃いというのはどうしたことだろう。まさか色粉でも入れているわけではないだろうが。色粉なら、抹茶だろう。と、言うことは、グリーン茶だ。
 韓国時代劇ドラマを見ていると、よくお茶が登場する。これはお茶と言うより薬で、漢方薬のようなものだ。いろいろな薬草を煎じたもので、それをお茶代わりに飲んでいるのだろうか。それなら、健康茶だ。
 その韓国時代劇ドラマだが、最近は「大王世宗」を見ている。全100話の連続ドラマをFC2で見つけた。「トンイ」「イサン」「王と私」をアップしている人とは違う人のようだ。
「王と私」は今ひとつ苦しいドラマで、カタルシスが少ない。しかし、王朝のある時代を背景としており、その時代についての王朝システムなどが面白い。このドラマは宦官の話だ。要するに玉なしだ。
 そういえば「イサン」に出てくる面白いおじさんキャラが以前「内官」をしていたらしく、玉なしをギャグにしていた。また、副主人公も子供の頃、去勢されようとしていた。
「王と私」は一物を切り取る専門の人がいて、切り取るシーンも出てくる。宦官はひげを生やしていない。
「大王世宗」は王朝の初代から数えて三番目の王の時代、その王子の中の一人が主人公のようだ。最初はまだ子供だ。数話後、青年になった王子が登場するのだが、主人公らしくない平凡な顔だ。また、この人が王になるのだが、そういう顔をしていない。非常に庶民的な顔立ちだ。それが非常に好感が持てる。
「トンイ」に出ていた俳優も多数出ており、その顔を見ていると、キャラを覚えやすい。似たようなひげで、似たような服装をしているので、キャラが覚えにくい。ところが、知っている俳優が出ていると、それだけで区別しやすい。
 また「王と私」で子役をやっていた子が、「大王世宗でも」王子として出ていたりする。「王と私」では悪役の子供時代なので、印象はよくないが。
 そして、「大王世宗」では主人公側の取り巻きの人の顔は正義の顔をしている。これだけで、いい人か悪い人かが分かったりする。ただ、例外もある。中間派とか、主人公側に味方をする鞍替えタイプもあるので。
「大王世宗」の時代、日本人も登場する。倭寇だ。時は足利時代。つまり室町時代だ。韓国ではこの時代、王朝三代目の時代なので、王朝の時期がよく分かる。
 ドラマの中で、倭のスパイが登場する。そして、この倭人たちが喋るとき、ハングル文字が字幕となる。よく聞くと、日本語を喋っている。しかし、日本語とは気付かなかった。
 全百話。一本一時間ほどの大作。ついつい続きを見たくなる。
 
 
 

■2011年12月10日 土曜日 8時51分
 
 晴れている。そしてかなり寒い。
 これは、寒さの進みすぎで、平年はこれほど寒くはない。進みすぎた寒さは戻ると暖かく感じる。秋のある日、冬のように寒い日があった。寒気が垂れ下がったのだろう。それが、北半球のさらに北側を不規則に回っている感じだ。だから、寒気の垂れ幕の下にずっといる地方は、ずっと寒いのだろう。寒冷地だ。しかし、そんな場所でも、やはり寒いと思う日と暖かいと思う日があるのかもしれない。
 学校の横を自転車で走っていると、生徒がいない。ぽつりと運動場の端に誰かがいる。もう授業中のはずなので、そんなものかと思っていたが、土曜日だった。休みなのだ。最初祭日ではないかと思った。今日は何の日だろうかと。さらに突っ込んで考えると、冬休みに入ったのかと思うかもしれない。いつもと違う光景を見ると、その理由を当てはめたくなる。
 
 フェースブックとグーグルプラスを同時に使っている。グーグルプラスは出来たばかりなので、静まっている。また、フェースブックページと、グーグルプラスページもやっているが、この「ページ」タイプは静まっている。
 グーグルプラスは新しく出来たばかりなのでまだ人気がないのかもしれない。人気よりも知名度だろう。
 フェースブックをやっている人はツイッターもやっているだろう。しかし、フェースブックをやり、グーグルプラスをやるとなると、忙しい。
 フェースブックをやっている人は、ツイッターもやっているが、ブログもやっている可能性が高い。フェースブックやツイッターがない時期は、ブログをやっていたに違いないので。
 または、ブログからミクシーへ行った人も多いはずだ。
 そして、ミクシーをやっていた人は、フェースブックやツイッターをやるだろう。
 フェースブックとブログは似たようなものだ。ミクシーもツイッターも、その意味では似ている。
 コンテンツの見せ方が限られるという意味で。
 グーグルプラスをやっていたので、ついでにグーグルのブログをやる。こちらはあまり人気がないのか、人の気配が少ない。アクセス数を見ると、一日5人ほどだ。
 シーサーブログだと150人から200人ほどのアクセスがある。アメーバーは50人から80人ほどだ。その他のブログは自分しかアクセスする人がいないので、放置した。
 シーサーとアメーバーとのアクセス数の違いや、日々の違いは、検索できた人の数と繋がっている。
 江戸川乱歩の短編の感想文のようなものを数本、以前に書いた。川崎日誌の中で、少し触れた程度だが、その乱歩短編のタイトルで来ている人がずっといる。
 ブログなので不特定多数の人が検索で探していて、偶然来訪する。そして、知りたいところだけ読み、さっと去って行く。その足跡を見ていると「参考になりましたか?」と言ってみたくなる。「探している内容は、これでしたか?」などと。
 この乱歩小説の感想文は、川崎サイトの川崎日誌にもアップされている。しかし、そこへのアクセスより、ブログへのアクセスのほうが多い。ブログのほうがSEO的に優位なのだろう。
 シーサーのアクセス解析で、キーワード項目を見ると「ブログ」というのがあった。たとえばグーグルでブログで検索すれば、大変な数の候補が出るだろう。だから、ブログ上のそのブログ内での検索で探したのだろうか。リンク元は確認していないが、ブログ内検索も結構多い。
 これは電子辞書販売サイトと同じで、本のタイトル一覧性が悪いので、結局は検索で探すしかない。目次はあってないようなもので、索引から飛ぶ感じとなる。その索引が検索キーワードと言うことだ。
 だから、同じ人が、ブログ内検索でいろいろ探しているのが、見え隠れする。
 検索で追い込んでいっても、それ以上の情報はネット上にはないことが多い。意外とすかすかだったりする。
 そして、検索溜まりというか、行き止まりというか、一番詳しい人のところに行き着く。
 シーサーブログや、アメーバーブログの検索キーワードを見ていると、自分と読者との接点が分かる。この場合、読者と言うより、情報を得に来ている人との接点だ。世間とそういうところで、繋がっていると。
 繋がりや、絆は胡散臭い言葉だ。安心安全もそうだ。いずれもそういうものがないから、御札のように使っているのだろう。
 
 

■2011年12月9日 金曜日 9時23分
 
 起きると昨日よりは遅い。そしてぐっと寒くなっている。空も曇っている。空模様は昨日と同じ感じだ。また雨が降りそうだ。
 秋の終わり頃、早い目に冬支度をしたのだが、それがもう遠い昔のように感じられる。ホームゴタツの掛け布団をセットしたのは、かなり前のように思えたりする。今はすっかり冬の最中で、寒くて当たり前の感覚だ。
 冬になると夏のことは考えない。思い出すことはあるが、今は今のことを考えるためだ。夏のことを考える機会が減るわけだ。寒いと、冬関係のことを考える。そして、考えるだけではなく実行する。夏のことを考えても、実行する機会がない。せいぜい来夏も使うかもしれないと思いながら、置き場所を考えたり、夏まで冬眠させる整理をしたりする程度だ。これは未来に向かっての準備だが、それほど熱心ではない。差し迫っていないからだ。
 その証拠に扇風機が部屋の隅にまだ残っていたりする。これは、すぐに取り出せるようにするには、間がありすぎる。そういえば、電気ストーブも、真夏、すぐそこにあったような気がする。これは、仕舞い忘れたためだ。
 来夏のことより、今は来年の夏ではなく、来年の冬を想定した動きになる。冬は年を越す。そのため、今年の冬は二回ある。本当に寒いのは来年の冬だ。そして、それを考えている今日は、既に今年の冬を体験している。
 来年の冬は、夏より早く来る。そのため、まだ冬が未来にある。つまり、今の寒さの延長線上の未来だ。より寒くなるところの未来だ。
 春も近い未来としてある。順番は真冬が先だ。そのため、春のことを想定しての動きはまだ先だ。それは、真冬の底を超えたあたりから考えるだろう。それがタイミングだ。

 ボイジャー式電子書籍読書システムBooks in Browsers
 ボイジャー式フォーマットというか、新リーダーとでも言うか妙なものが出る。
 妙というのは、元々電子書籍フォーマットがよく分からないので、この世界がそもそも妙なのだ。
 それはHTML5対応ファイルと言うことだろうか。
 HTML5、HTMLとはインターネットブラウザ用のソースで使われている言語のようなものだ。いや、言語と言うより、タグだ。では、タグとは何かというと、表示などで使われている埋め込み記号のようなものだろうか。
 だから、このあたりそのものがよく分からない妙なものなのだ。
 イーパブ3はHTML5だった。
 ということではないが、ごっちゃにしてはいけないが、似たようなものとして見えてしまう。イーパブ3は電子書籍に特化したHTML5ではないかと……。
 おそらく、これら解釈は間違っているかも知れない。なぜなら、よく分からないというか、そこまで追跡していないからだ。
 さて、ボイジャーがやろうとしているのは、いろいろな書式(シャープ書式やイーパブ書式、ボイジャー系書式、PDF書式、TXTなど)を一つで処理してしまおうと言うことだ。
 ちまたに溢れている電子書籍フォーマットを、一つのボイジャー新方式で、全部オーケイというような感じだ。
 ではこれで、フォーマット戦争勝利者ではないかと、思えるのだが、これは、新フォーマットではなく、方式なのではないか。
 要するにいろいろな書式をHTML5対応ビューワーで読める新方式ではないかと。
 素人考えの推測なので、根本的に誤解釈なのかも知れないが。
 ところが、リーダーというのは、独自のもので、電子書籍を読むための装置と言うことだ。しかし、そこが違うというか妙なところなのだ。
 つまり、HTML5対応のリーダーなら読めるらしい。
 ボイジャーの新方式とはHTML5で動くファイルを作ること。または変換するサービスではないか????
 これを中間フォーマットと絡んでくる。
 HTML5というのはIEなどのインターネットブラウザが持っている機能だと単純に考えると、ブラウザーのバージョンアップで、知らないうちに持ち込まれる。
 今のIEはHTML5ではなく、まだ、スタイルシートバージョンだ。スタイルシートの新規格がスタイルシートバージョンではなく、それをHTML5という名前になるという感じらしい。
 だから、今、HTMLタグを書くという言い方ではなく、スタイルシートを書くことが、ホームページを作るという意味になっている。だから、言葉的には、ホームページ作成はスタイルシートを書くといわないで、HTML5で書くと、戻されるわけだ。昔はスタイルシートを書くとはいわなかったのだから。
 そのスタイルシートの上位版、バージョンアップ版のようなものがHTML5なのだ。
 そして、実はイーパブ3の中身もスタイルシートに近いというか、同じというか、親戚のようなものらしいのだ。
 だから、イーパブ3とはHTML5のことであると、単純な勘違いをしてもかまわないと思う。
 従来のHTMLでもスタイルシートでも電子書籍風でウェブで表示させるとき、日本語縦書きや、禁則などが、対応していないため、横書きが、画像でしか電子書籍風にはならなかった。そのため、フラッシュやジャバなどで表示させていた。だが、HTML5からは対応するようになった。この対応と時を同じゅうして、イーパブ3でも出来るようになった。これは裏で繋がっているかのように見える。
 HTML5もイーパブ3も多国籍対応だ。
 さて、具体的にボイジャーの動きがどうなるのかは、まだボイジャーのホームページなどを見ていないので、分からないが、今月中に、HTML5で読める電子書籍ファイルのようなもので作られた本が出るらしい。
 こちらが注目しているのは、そこではなく、ボイジャーの、この新方式のようなものが、利用できるかどうかだ。または、普及するかどうかだ。
 たとえば、パソコンで、電子書籍を買ったとき、ビューワーもインストールしないと見ることが出来ない。ボイジャー新方式だと、それがなくても読めると言うことだ。HTML5がパソコンに入ってればの話だが、これは、もうすぐ普通にインターネットブラウザのアップバージョンで、いつの間には入ると思う。Firefoxでは既にHTML5は入っている。
 このいつの間にかとは、ブラウザの自動更新で何となく入ってしまうような感じだが、「うちのIEにははいってない」というような事もあるかも知れない。
 だから、まだ、先の話なのだが、パソコンで見る場合は、インターネットブラウザで見ると言うことになるのではないか。
 そうするといつも使っているブラウザで、特にビューワーをインストールしなくても、IEなどでローカルで電子書籍風見え方が出来ることになる。
 そして、このボイジャーファイルは、HTML5対応の電子書籍端末なら、素で読めると言うことだ。
 電子書籍端末は、アンドロイド端末が多い。それらは素でイーパブが読める。イーパブ3まではまだ、早いようだが、イーパブ3とHTML5が同時期に来るかもしれない。
 アンドロイド端末や、スマートフォンでネットをする。そのとき、独自であれなんであれ、インターネットブラウザで見る。そのブラウザーがHTML5にアップされることにより、電子書籍端末でもボイジャー書式が読めると言うことになる。または、HTML5が動く環境なら、何でもありと言うことになる。
 HTML5とイーパブ3との関係は叔父か叔母か、甥か従兄弟かは分からない。しかし極めて近い血筋なのだ。だから、ボイジャーは、イーパブ3に接近するのではなく、HTML5に接近したわけだ。
 そういえば、角川の電子書籍参入の時、中間フォーマットがどうのと、言っていたことが気になる。同じ事を考えていたのかも知れない。
 そして、この中間フォーマットは、日本の電子書籍フォーマットの標準を考える団体でも中間フォーマットの話もある。イケイケに出来る方法だ。
 電子書籍の中身、コンテンツより、電子書籍を巡る話のほうが、面白い。
 しかし、実際に面白がれるのは、電子書籍の中身で、本の内容だ。それは、電子書籍とは全く関係のない世界に属するのだが。
 電子書籍化が遅れている。それを何とかするには出版社が出し惜しみしないようなお膳立てをしないと、書籍点数は増えない。増えれば、読みたい本がもっと増えるはずだ。ボイジャーもそういう動きに貢献しているといいのだが。
 余談だが、ブラウザ上で電子書籍風画面を見ていると、疲れる。ホームページ内の文章を読んでいるのと変わらない感覚のためだ。それが、単行本一冊分のボリュームだと、何ともならない。それよりもテキストファイルにして、エディターで縦書き表示にして見たほうが、まだましだ。つまり、HTML5など使わなくても、WZや秀丸がリーダーとして使えるのだから。文字の大きさ、フォント。行数や桁数、すべて変えられる。読んだ後、終了しても、カーソル位置は記憶されているし。
 さらに一太郎に読み込めば、音声で読める。
 活字の本は読むのに根気がいる。それなりのガワが必要だ。
 夏目漱石の吾輩は猫であるは、青空文庫なので、エディターでも読める。しかし、途中で根気をなくした。だが、ソニーリーダーでなら、読み続けられた。この違いが、電子書籍の本道ではないかと思う。個人的な話だが。
 さらに個人出版という面では、EPUB3書き出しが出来る一太郎新バージョンがよかろうと考えている。テンプレートも用意されているようだ。
 

■2011年12月8日 木曜日 8時32分
 
 起きると昨日と同じような時間。違うのは空模様で、真っ白な空で雨が降りかかっている。そして暗い。そして、肌寒い。
 寝起きの喫茶店は老婆の店で固定。時間もほぼ固定。これがずれるのだが、何とか維持したいものだ。
 昨日は、八百屋で椎茸を買う。生椎茸で、くずのようなものだ。くずと言っても、形は残っている。椎茸の形はしているが、小さい。だから、商品としては今ひとつなのだろう。同じ生椎茸で、形が大きいものは、高く売られている。
 この生椎茸はそれほどおいしくはないのだが、キノコの中では一番安く量が多い。それで買っている。安いのだが、量が多く、使い切れないこともある。だから、保存との戦いだ。
 最初はサツマイモだけを買い、レジに行こうとしたのだが、その途中で生椎茸を発見した。昨日は野菜の特価はなかった。水菜も高い。値段が同じで2パックものを狙っているのだ。日によっては3パックで1パック分の値段で買えるときがある。
 サツマイモは前回買ったのと同じタイプだ。展示されて間がないのか、形のいいものがケースに入っている。かなり大きなビニールケースで、五本以上入っている。これで200円台だ。サツマイモの相場は一本100円前後で、ほどほどの大きさだ。それが数本入って200円台なのだから、この八百屋以外で買う気がしなくなる。ただし、ブランド名はない。産地名もない。
 以前は中国産野菜が極安で出ていたのだが、最近見かけなくなっている。
 その戻りに展示販売を見る。フライパン1000円セールなどの屋台だ。その中に蒸し器があった。こちらが希望している多く水が入り、蒸籠の背も高いタイプだ。鍋の中に仕切りをするタイプではなく。鍋の上にせいろを乗せるタイプが好ましい。それが出ていた。つまり、二階建てだ。
 先日買った電気鍋でも蒸し器としてつかえるのだが、メイン鍋におかずが入っていると、使えない。兼用のためだ。
 フライパンも小さなタイプが欲しくなる。フライパンは鍋になり、煮物も出来るからだ。麻婆豆腐などは、小さなフライパンでやりたいものだ。出来れば、小さな中華鍋が欲しい。火山の火口のようになっているタイプだ。蟻地獄のような。
 最近はサツマイモ蒸かしが楽しい。時間はかかるが、特に調理方法はない。蒸かすだけなので、柔らかくなればいいのだ。そのためには、ある程度密封性の高いタイプがいい。鍋ぶたの小さな穴程度で、蓋の隙間から湯気が出ないタイプがいい。そうでないと、蒸気として水分が抜けてしまうためだ。すると、貯水湯が減り、やがてからになり、焦げ付くからだ。
 
 東芝の10インチタブレットの広告を見た。
 その解説を読んでいると、テレビなどを無線経由で見られるようだ。東芝家電商品との連携だろう。要するに売りがテレビタブレットなのだ。実際にはアンドロイドタブレットなので、アンドロイドスマートフォントの電話なしとして使うのが基本なのだが、テレビタブレットを売りにするというのは寂しい限りだ。
 ただ、このタブレット、10インチなのに500グラム台だ。これが最大の売りだろう。テレビにもなるというのはだめ押しだ。それだけの解像力と、再生スピードがあると言うことだろうか。
 喫茶店などで、10インチタブレットを出している人をたまに見かけるようになった。
 ノートパソコンを出している人は、何か作業をしているが、タブレットの人は、じっと見ているだけの人が多い。何となく回覧板を見ているようなスタイルだ。
 
 フラッシュによるデーターベースタイプ漫画の書き方というのがある。これは勝手に言っているだけなので、そういうマニュアル本が出ているわけではない。フラッシュのマニュアル本は絵を書く方法としては、アニメの作り方の本がメインだ。だから、ページもの漫画を書くマニュアル書はないだろう。
 データーベースと言っても、ただのフラッシュファイルだ。
 データーベース的な機能はオブジェクト保存すれば出来るのだが、視認性がよくない。登録したものに名前を付けないといけないし、タイプ別も指定する必要がある。それらはすべてアニメというか、フラッシュで動かすためのタネなのだ。だから、それを使わないで、フラッシュで絵を書くときの画面上に保存していけばいい。
 また、特にデーターとして残さなくても、今まで書いたフラッシュの絵、そのものがデーターとなる。素材集となる。
 漫画の中で、よく出てくる固有の建物は、当然ながらコピペだろう。紙の上で書いた場合も、実際には書き写しているのだから。そうでないと、毎回窓の大きさや窓の数が違ってしまうと、別の建物になる。アシスタントがトレースで書き写すのだろう。それより、コピペのほうが正確だ。そのまんまなので。
 人物もコピペでいけるが、タネとなるキャラ絵が必要だ。だから、どこかで一度自分で書かないといけない。
 コピペしたキャラ絵は、立ち絵のようなものだ。立ち絵とは、アドベンチャータイプのゲームで使うときに使われる言葉だ。背景の上にキャラ絵を乗せる。これを立ち絵と何となく呼んでいる。別に寝ていてもかまわない。また、アイテムなども立ち絵として手前に表示させることが出来る。手前とは、背景があっての話だが。
 コピペしたキャラ絵はシーンに合わせるため、表情などを変える必要がある。目玉と口元程度だろう。そこだけ、書き直すか、ドローデーターなので、ちょっとひっぱたりすればよい。そして、一度変形させたキャラ絵は、データーベースファイルに保存しておくといい。書いたものが、そのままデーターとなる。次回からはそれを使える。
 ただ、キャラのアングルやポーズはその場で書く必要がある。アニメ式に可動箇所をグループ化するのが理想だが、かなり時間がかかるので、手足は無理だ。せいぜい頭が稼働する程度でいい。グループ化された可動部をグリグリさせるより、書いたほうが早い。
 ただ、フラッシュで、漫画のコマ内にコピペするのは結構手間がかかる。
 
 
 

■2011年12月7日 水曜日 9時10分
 
 起きると少し遅い。寒いので長く寝ていたようだが、起きると、それほど寒くはない。晴れており、穏やかな日だ。
 寝起きすぐにテレビを付けていたのだが、最近は省略している。癖というか、習慣だった。テレビを付けると、外が見える。そういうことだが、この外はリアルから言えばバーチャルだろうか。表面的には表示されているだけで、そこに表示されている人物は夢の中の人物と同じように一方通行だ。いや、夢の中では双方向になることもあるので、一方的な覗きではない。テレビは単なる覗きなのかというと、そうではない。テレビの天気予報はリアルな情報で、夢の中での情報ではない。
 そこに写っている空模様を感じさせる風景は、テレビの中では絵なのだが、リアルを絵にしたものだ。しかも動いており、リアルと同じ動きをする。だから、外の風景を見ているようなものだが、一方的に見せられている。
 テレビは、仮想現実ではなく仮象現実なのだ。思っている世界ではなく、想像上の世界ではない。意味としては実際のものだが、実像ではない。それは、目で見ているのではなく、脳で見ているためだろう。文脈で見ているのかもしれない。だから、テレビニュースで起こっていることは、現実に起こっていることとして、認識する。
 その文脈は、テレビでニュースを流すとき、それなりの手続きをしているだろうと考えるからだ。それをやっているのは、人間で、普通の社会の中で生きている人たちだ。報道の仕方が間違っていたとしても、それはあり得る現実内での出来事だ。
 さて最近寝起き、テレビのスイッチを入れないのは、寝起きの喫茶店に間に合わないので、すぐに出かけていたためだ。その癖が残っていた。
 そして、朝、テレビを見ても見なくても、日常で、それほど影響はない。一方通行のためだろう。覗いただけのことなので。
 
 昨日は、用事のついでにスーパーへ寄る。そのスーパーは一番近い距離にあるのに、あまり行っていない。特に高いわけではないが、特に安いわけではない。賞味期限間近台を探したが、ない。
 冷凍イカの安いのがあったので、これはいつも行く複数のスーパーにはない事なので、拾いものと言えば、拾いものだ。特価台はない。
 スーパーでの値段を見るとき、野菜を見れば、だいたい分かるようになった。水菜は100円だ。それが150円になっている店は高い。八百屋で3つ100円で売られている特価品を見ると、一つ150円は買えない。それで、スーパーのランク、安い店か高い店かがわかるわけだが、実はそうではなく、一つのものを見ただけでは分からない。安いと思える店の白菜が150円なのに、高いと思える店で100円で売られていることもあるのだ。だから、油断できない。
 
 

■2011年12月6日 火曜日 8時17分
 
 起きると朝。普通だ。
 寒いし、曇っている。今にも雨が降りそうだ。空が真っ白だ。
 起きると、まだ老婆の喫茶店が開いていない時間だ。寝起きはすぐに喫茶店へ行きたい。その場合、マクドだろう。こちらはもう既に開いており、店内も暖かいだろう。しかし、もう少し待機していると、老婆の店が開くので、しばし待ち、向かう。
 老婆の喫茶店が何時に開くのは分からない。超早朝、その通りへ行くことがないためだ。老婆の喫茶店が開いているかどうかを確認できないのは、老婆の喫茶店へ行くのは、老婆の喫茶店へ行くためで、そこが目的地なのだ。そのため、何かのついでに近くまで来ることはない。例外的に、徒歩早朝散歩で行くこともあるが、最近はやっていない。
 早朝の喫茶店へ行くのはモーニングサービスを食べに行くことでもあったが、最近はそれをやっていない。高いからだ。
 老婆の喫茶店もモーニングをやっているようだが、食べている人は一人か二人ではないかと思える。誰も朝にそんなものは食べていない。一応喫茶店の規定のようなもので、モーニングサービスをしないといけないとなっているはずだ。サービスの仕方は店により違う。
 老婆の喫茶店のモーニングサービスは、トーストだけだ。これは一度目撃したことがある。また、昼間も食べるものも出せるようだが、何かを食べている人を見たことがない。
 一度、入ってきた普通の客が、食事が出来るかどうかを聞いていた。すると、出来ると答えていたが、喫茶店用の焼きめしではないかと思える。つまり、そのためにご飯を炊き、タマネギを刻むわけではないのだ。
 これは他の喫茶店や、ファミレスでも似たようなものだろう。ほとんどがインスタントなのだ。
 駅構内にあるようなパーラーでは、もろに客の前で、レトルトを取り出して、ピラフを盛りつけたりしている。狭いので、カウンター席しかないため、モロ見えなのだ。
 百均にある冷凍スパゲティーと変わらないとすると、500円だと高いように思うが、座れば出てくる。この手間賃だ。
 小腹が空いたとき、洋食を食べるような感じだが、そういうときこそ、立ち食いそばが重宝する。スパゲティーなどを食べると、コーヒーが飲みたくなる。しつこいからだ。そばやうどんなら、そう思わない。ただ、天ぷらそばやうどんは、別だが。それでもコーヒーが欲しいとは思わない。お茶でいいからだ。
 昨日は買ったばかりのマルチグリル鍋でサツマイモを蒸かす。下駄が低いので、水の量が少ないため、注意が必要だった。下駄が高いと、今度はサツマイモが天井につかえる。微妙なところだ。
 太いサツマイモを蒸し上げるには、ぎりぎりの水量だ。また、焦げ付きを考えれば、水量は余裕のあるほうがいい。解説書では、継ぎ足すように記されている。
 それで、継ぎ足したので、安心して、蒸かしていると、水がわずかになっていた。置いている場所が傾いているのか、水が傾き、ステンレスの鍋底が見えていた。そして焦げが……。
 しかし、すぐにこすると、焦げ茶色が消えた。ステンレスの強度だ。ステンレス鍋は強い。アルミ鍋よりも。
 自動的に火力というか、電圧が下がると思っていたが、まだ水分があるため、スイッチが切れなかった。このスイッチ、ある温度に達すると切れる。そして、切れば温度が下がる。そして、しばらくして、またスイッチが入るようだ。それが何度かは解説書にはない。冷めないよう、維持しているようだ。
 ついでに人参を蒸そうとした。人参は硬い。すぐには煮えない。だから、すぐに使えるように、柔らかくなった人参を冷凍保存しようと考えた。
 すぐに使えると言うことは、ある程度切っていたほうがいいと思い、そこそこの大きさに切った。しかしこれが間違いだった。蒸かし用の下駄があらい簾なので、落ちるのだ。前回の電気釜は蒸籠(せいろう)のような容器で、小さな穴が空いている程度だった。それで勘違いし、問題なしと思っていたのだ。それで、落下するので、煮ることにした。水炊きと言うより、この場合は湯がいたと言うことだろう。つまり、人参を湯がいた。
 それを引き上げ、水分を気にしながら、ビニール袋に入れ、冷凍室に突っ込んだ。あとは知らない。
 次に開けてみると、きっとくっついてしまい、離れなくなっているものと思われる。これは、一回分に使う分だけをラップすべきだった。湯がいたチップ全部がくっついているとなると、なかなか分離できるものではない。しかし、しなびかけていた人参を助けたのだから、よしとする。
 
「イサン」「トンイ」を見たので、次のを探していた。全100話の大作があったが、画像がよくない。それに、やや古い感じで、韓国ドラマの勢いがあまりない。
 それで全20話の「王と私」を見る。これは画質はいいが、誰が、王で、誰が私なのかがわかりにくい。主人公が誰なのかがわかりにくいが、メインで活躍しているおじさんのようだ。きっとこの役者は、有名な人なのだろう。
 朝鮮王朝時代の話だが、陰謀やクーデター、暗殺や跡継ぎ争い。内部での権力闘争。お家騒動。政治ドラマ。敵の敵は味方。のような戦いが繰り広げられている。
「イサン」や「トンイ」では王側から見た家臣の悪だくみが描かれていたが、その悪だくみをする家臣がずっとメインで活躍している。
 日本の王朝ドラマを見たので、王の正妻を「中殿」側室を「後宮」と呼んでいる。これは日本語訳で、当てはめているのか、韓国や中国でもある漢字なのかは分からない。
 朝鮮王朝時代に近いのは、日本ではどの体制だろうか。江戸時代の徳川幕府だとすると、それは王室ではない。
 中国での王朝ものは、ラストエンペラーなどの映像しか知らない。
「トンイ」や「イサン」時代は、日本は倭国で、貿易をしている。銭(銅銭)を輸入しているというエピソードがある。それが品不足で高くなっているので、清国から古銭を買おうとか。
 倭国にも朝鮮王朝の使節団(正式名は忘れた)が江戸時代などに来ていた。その行列絵が残っている。
 韓国王朝もの人気にあやかるためではないだろうが、平安末期の平清盛は王朝物に近い。平安時代が注目されるかもしれない。
 
 

■2011年12月5日 月曜日 8時30分
 
 晴れているが寒い。
 寝起きの喫茶店は老婆の店。やっと朝型へ戻った感じだが、夕方起きでも老婆の喫茶店が寝起きの喫茶店になる。夜起きになるまでは、それが続く。夜起きになると、モスになる。深夜起きになると、ファミレスになる。このあたり、数日で経過したいところだ。
 昨日は新しく買った電気鍋で白菜と厚揚げを煮る。しかし、水くさいものになっていた。思ったよりも容量が多いためか、出汁の素を入れるタイミングではなかった。つまり、水量が多かったのだ。だから薄い出汁となってしまった。その出汁はシマヤの炒り子出汁で、一袋でうどん一杯分程度だ。この粉末出汁を入れれば、あとは何も必要ではない。薄くなると、醤油を入れればそれでいいのだが。
 結局水くさいというのは、塩分が少ないと言うことだろう。醤油ではなく、塩を足してもいい。醤油を入れると、塩では出せない締まりが出る。
 ゆで卵も塩を使う。醤油でもいいのだが、垂れるので容器が必要だ。喫茶店のモーニングサービスでも塩が置いてある。ゆで卵用だ。もろに塩を口にする感じで、塩分控えめ風潮、健康志向で、塩は悪者にされているが、熱中症予防で塩分補給が大事だと報道されたときから、少し変化したようだ。
 昔は海での遠泳で、マラソンの給水地点のように醤油を入れた桶を浮かべていた。
 調味料は味のない食材を食べやすくする。おいしくないので、食べなかったものも、食べられるようになる。味覚の問題ではなく、胃に入れることが大事なのだ。空腹を満たすために。
 それと似たような感じで、コショウがある。肉が臭いので、コショウが必要なのだ。塩コショウとは、そのものずばりだ。
 東京オリンピックの時の、選手村のコックさんの話が有名だ。ステーキを出したのだが、最初満足してもらえなかったようだ。相手は運動選手だ。そこで、肉に付ける塩の量を増やした。すると、おいしいと言ってもらえたらしい。運動で塩分が不足していたのだろう。
 逆に辛い味噌汁を飲む地方で、塩分過多で、それに関連する患者が多かったのを、そこの医者が、塩分控えめの味噌汁を指導した。確かに味噌汁だけではなく、塩分の多い漬け物などもあっただろう。それで、患者が減ったようだ。
 おいしく食べる塩より、命取りになる塩分過多の話は、同じNHKの番組でやっていたものだ。
 しかし、糖分過多、油もの過多の特集番組はしにくいだろう。なぜなら、お菓子屋やドーナツ屋。ファストフード店に対する営業妨害のような感じになりそうなので。
 最悪なのはアンドーナツだろう。アンが入っている上、揚げている。だから、これが一番おいしいのだが。
 アンドーナツは必要以上に油を吸収しており、しかも中にアンを隠し、さらに表面にだめ押しのモロの砂糖をびっしり付けている。これは、罪から逃れられない。
 給食で、揚げパンが出た。すごい人気だった。これがセーフなのは、アンドーナツのように、中にアンが入っていなかったためだろう。そして、砂糖をまぶせていなかったためだ。砂糖をまぶせると、完全におやつとなる。
 しかし、砂糖控えめと言っても、どこかで、ごっそり入れている。たとえば、コーヒーにスプーン三杯の砂糖を入れる人がいる。コーヒーが苦いからだ。甘くしないとコーヒーが飲めない人がいる。そうなると、砂糖湯を飲んでいるようなものだ。しかも、見た目は分からない。
 頭が疲れたとき、糖分が必要だ。それは、何となく欲しくなるので分かる。遠足で食べるキャラメルはおいしい。
 スーパーで、甘いものは買うまいと思い、その種のコーナーを避けて買い物をした人も、レジ前の大福に手を出してしまう。なぜ、レジ前にあるのか。客の動きを読まれているのだ。避けて通れないレジ前の関所。
 甘辛手帳という雑誌があった。今あるかもしれない。ポイントを押さえた雑誌名だ。
 
 

■2011年12月4日 日曜日 8時44分
 
 起きると遅い目の朝。そのため、寝起きの喫茶店は老婆の店になる。これがベストな朝起動だ。寝起きすぐに行ける喫茶店は老婆の店が好ましい。
 よく晴れており、紅葉と青空の背景がどちらも鮮やかだ。寒色の前の暖色はより飛び出す。だから、絵に書いたような紅葉だ。
 紅葉の背景は緑の葉っぱでもいい。竹などがいいだろう。
 こう言うのを写していると、自然の光にはかなわないので、写真を撮る必要はない。リアルのほうが綺麗なのだから再現できないのだ。
 昨日は寝不足状態で、一日過ごしたので、その夜はよく寝た。
 そして、壊れてしまった電気鍋、商品名はマルチグリル鍋を買う。上新で一番安い電気鍋系の中での二番目の値段だ。一番安いタイプは1400円ほどだろう。安いのから二番目のを買ったのだが、2900円だった。よくスーパーなどの余地で露天のよう売られているフライパンや鍋は500円とか1000円だ。百均なら100円で鍋はあるが、少しいいタイプだと1000円を超える。だから、3000円というのは鍋三つ分の値段だ。
 昨日買いに行ったのは、普通の鍋をまた焦がしてしまったためだ。注意したのだが、間に合わなかった。子芋を煮ていたのだが、水分が少なかった。水の量を多くすると、しばらく見に行かなくても焦げることはない。しかし、水量を多くすると、出汁との関係で、薄くなってしまう。味を付けるため、少ない水量で、継ぎ足しながら煮ていたのだ。
 電気鍋なら、視野内で煮れるので、焦げることはない。また、自動的に保温になったりする。それでも、焦げないわけではないが。
 発売元ドウシシャとなっている。同志社ではない。大学で学生自炊用に購買部で売られているわけではない。
 ドウシシャは輸入元となっている。だから、アジアのどこかで作られたものだろう。だから、安い。
 前回の鍋よりも大きく重い。前回のは紙のような金属で、軽くて小さく、一人鍋としては扱いやすかった。コンロ部を含めても背が低い。
 今回のもホットプレートのように、巨大ではない。五人家族がすき焼きでも出来そうなタイプが多いが、それに比べると少ない。
 先日焦がした普通の鍋より少し大きい目だ。焦がした鍋は、一番よく使う鍋サイズだったので、問題はない。
 前回はよくサツマイモを蒸かしていた。今回の鍋も蒸し料理が出来る。蒸し器がなくても、蒸し料理は適当な鍋と下駄があれば出来る。ただ、適当なので、水分が抜けやすい。すると早く蒸発し、効率が悪い。だから、ほぼ密閉で、蓋の上の小さな穴から湯気を出す程度でいい。だから、タオルなどで押さえ込むのだろう。
 今回の電気鍋は、すだれのような下駄で、高さはない。この高さが水を入れる限界点だ。蓋をしてしまうと、湯気は抜けにくいので、水分は内部で循環するはずだ。
 下駄と蓋の間の高さがサツマイモの太さと一致すれば、すんなりいく。切らなくてもいい。また、下駄下の水量も、数十分蒸し続けられたら問題はないが、そうでないときは、補給する必要がある。
 今回の鍋はステンレス鍋となっている。そのため、結構重い。だが、丈夫そうなので、長く使えるかもしれない。前回電気鍋が潰れたのは、鍋が薄かったからではなく、電源が入らなくなったためだ。つまり電気系の故障だった。
 本体の鍋がステンレス製で、それがそのままフライパンにもなる。テフロン加工とかではない。焦げ付かないか心配だ。油がいるだろう。
 先日買ったカレイの干物は波形プレートで焼くのだろう。
 波形プレートとは、波打った鉄板で、底が浅い。鉄板で、穴は空いていないので、網ではない。それを本体の上に置く。本体とはコンロのことだ。網だとコンロに汁が落ちるので、波打ったフライパンとしたのだろう。焼くとき、この波形プレートに少し油などを塗ればいいのだろう。料理本も入っていたが、魚を焼いている絵はなかった。まあ、餅などもフライパンで焼いている屋台があるので、それでいいのだろう。ただ、くっつきにくいように、波形になっている。
 魚を焼くのは希だ。高いので、魚そのものを買わないからだ。ただ、鮭などが安くなっているときは、買う。
 メインはやはり煮物だろう。この季節なら鍋料理だ。また、単品を煮込むことがある。先日焦がしたような子芋などだ。まあ、冷凍里芋を買えば既に水炊き後なので、煮込む必要はないが、先日買ったのは、生で、皮だけむいたものが特価台にあったので、買っただけだ。そう言うのを見つけたとき、対応できるようになればいい。つまり、調理方法が分からないものがあるからだ。それが、食べたいから買うのではなく、安いから買う。何が安くなっているのかは、その日のスーパーの事情で決まるので、ほぼランダムだ。何が当たるのか分からない。
 この鍋は蒸し鍋としての機能がよい。だから、煮込むのではなく、蒸して何とかしてしまったほうが楽かもしれない。出汁は出汁で、あとで作ればいいのだ。
 今回のこの鍋、壊れた場合、また同じのを買えばいい。そのとき、鍋部品がそのまま使えるので、メイン鍋を簡単に交換できる。だから、作った鍋を、そのまま放置してもいいわけだ。電気鍋が壊れるのはコンロ部のほうだろう。鍋が壊れるとは、焦げて穴が空く程度のことだ。穴が空くほど焦げる切らないのが、電気鍋だ。悪くても保温状態で熱を出す程度なので。
 
 
 

■2011年12月3日 土曜日 5時20分
 
 起きると早い。眠ったのが遅かったので、睡眠不足だ。その起きた時間はマクドが開く時間帯だ。そのため、寝起きの喫茶店はマクドとなる。しっかり眠っていない上、雨の中自転車で走る。
 マクドでよく傘を取られる。そのため百円傘にした。その関係で、濡れやすい。顔だけが隠れるような感じだ。しかし、上下とも防水衣服なので、問題はない。ただ、前籠に入れている鞄が危ない。百円傘では覆いきれない。この鞄は偽皮なので、それなりの防水性がある。本皮よりあるかもしれない。しかし、ファスナーなどが危ない。降りがひどいときはカバーをかぶせる。それが面倒なので、よほどの降りでない限り、かぶせない。防水性のある鞄でも水が中まで浸透することがある。それで、鞄のポケットに入れていたデジカメをお釈迦にしたことがある。そのデジカメは安くはなかった。
 それからではないものの、カメラは1万円台が標準で、2万円台は仕方なしに、3万円台はお釈迦のことを忘れて、欲しいと思うのが出たときだ。
 カメラはデジカメになってから消耗品となった。パソコンもそうだ。だから、消耗品としての価格帯がある。10万円を超えると、消耗品ではないだろう。年に一度で3万円ほどなら、消耗品の限界だ。
 デジカメやパソコンは長持ちしない。機械が壊れるのではなく。古くなってしまうためだ。古いよさというのは、デジタルものにはない。
 さて、そのデジカメだが、かなり飽きてきたので、少し違うものが欲しい。デジカメ以外のものではなく、デジカメ内での違うものだ。
 そのデジカメは出たとき、訳が分からなかった。いろいろ頭の中で弄ったのだが、イメージしにくい操作だった。それはカシオの21ミリ超広角単焦点デジカメだ。
 訳が分からないというのは、その形だ。それは、同じカシオから出た初代デジカメを初めて見たときの戸惑いに近い。どこが正面なのか分からないカメラだった。
 カシオと同時期、リコーもデジカメを出していた。ポケットカメラのような四角くて薄い箱だ。レンズは側面にあり、16ミリフィルムを半分にして使うタイプのカメラに近い。ミノックスサイズよりは大きいが、このフィルム、もう売られていなかった。
 さて、リコーの21ミリだが、似たようなのを以前買っている。それはコダックデジカメだ。このコダックも、デジカメ初期にはもう売られていた。つまり、カシオ、リコー、コダックだ。そのあと、レンズ専門メーカーからも出ていたように記憶している。その後は、次々とカメラメーカーも参入したのだが、リコーの早さは今思うとかなり早い。カシオは25万画素ほどだったように思う。リコーは35万画素で、その差はかなりあった。価格も高く、アクセサリーを含めると10万円ほど。
 その話ではなく、カシオの21ミリデジカメの話だが、コダックも超広角と、標準の二玉でデジカメを出していたので、買っている。
 28ミリレンズ付きというのは、結構珍しい時代があった。そのときもコダックは28ミリを出している。極彩色のカラーから名機と呼ばれていた。その後28ミリに力を入れたのがリコーだ。
 それでまた話が逸れたのだが、カシオの21ミリデジカメは、カシオ初代のデジカメに近いややこしさがある。
 コダックの21ミリ、22ミリだったかも知れないが、その超広角デジカメにはAFがなかった。しかし、カシオにはある。コダックは21ミリほどあるのに、最短撮影距離が遠かった。カシオはそこそこ寄れる。
 そういうレンズ周りは普通に使えるので、安心だ。
 それよりも、形がよく分からない。初代カシオはレンズが回転した。それで、カメラの正面がどこにあるのかよく分からなかった。そのため、そのレンズを覗いた記憶がある。当然、何も見えない。自分の目玉が見えるだけだ。
 つまり、初代は一軸で最新版は二軸なのだ。これを説明するのは困難だ。ボディーとレンズは分離されている。ここまでは一軸だ。初代カシオと同じだ。では、二軸目はどこかだ。どこが回転するのかだ。
 枠が回転する。というと、カメラの枠とは何かと考えるだろう。カメラで枠と言えば、フレームで、そのフレームとは、カメラの骨格を意味する。土台の骨なので見えない。
 その枠というか、骨が露出しており、それが回転するのだ。
 もうこれで、意味が分からないというより、イメージできないだろう。
 枠が回転すると言うより、枠とボディー(液晶のあるところ)が動くのだ。ボディーが枠の中に入っている感じで、ボディーの上下を押すと、ずれて回転するように見える。
 では、レンズ回転式ではなく、ボディー回転式ではないか。これは、枠を使わないでの操作だ。だが、枠を使ったのか、ボディーを使ったのかが分からない。
 さらに枠であるはずのものがレンズの向こう側まで引っ張り出すことが出来、非常に長いデジカメになる。さらに、その枠は手前側にも倒せる。
 これは、確実にバキッと骨が折れるだろう。その枠である骨はプラスチックなのだ。だが、結構強そうな感じがある。しかし、曲げてはいけない角度で曲げそうだ。バッタの足が千切れるように、ぽろっと行きそうだ。
 さらに、この枠は、カメラ立てになる。さらに、この枠を、木の枝にぶら下げることが出来る。セルフ撮影用だろうか。三脚ネジはない。
 セルフタイマーはあるが、顔認識のような感じで、手を振ればシャッターが落ちるというトリガーもある。後ろの車が走ればシャッターが切れるのではないかと思ってしまうのだが。
 このカメラは一体何だろう。
 従来デジカメ、歴代デジカメの中のある型に当てはめようとしたとき、少し似ているのはソニーのケータイのようなデジカメだ。こちらは、回転角度が悪く、ローアングルなどでの貢献度はあまりなかったが、レンズ、もしくはボディーがある範囲内で回転した。
 このカシオのデジカメ、ストロボがない。その代わり、ライトがついている。レンズバリアーもない。ボタンは二つしかない。電源ボタンと、シャッターボタンのみだ。しかし、タッチパネルで3インチ。シャッターはタッチでピントだけではなく、そのまま写せる。
 このデジカメ、実用性云々以前に、どういう感じなのか、蝶番のからくりを確認するだけでも欲しい。ヒンジ部二箇所、これは三次元タイプだ。だから、説明しにくい。
 
 
 

■2011年12月2日 金曜日 7時04分
 
 起きると朝。寝たのが早かったのだが、よく寝たのか、真夜中に起きる感じだったが、朝まで引っ張れた。つまり長時間睡眠を果たしていた。目を覚ましたとき、暗かったので、何時か分からない。朝に近い夜か、夜に近い夜なのかが分からない。これが夏場なら、朝を感じやすい。夜明けが近いからだ。
 空が白みかけることが起きるタイミングで、日の出を待つ必要はない。
 昨日は睡眠不足だったので、早寝となっていた。それ以上起きてられないほど眠くなったからだ。日が沈みきる頃だ。朝も夜も、その白みかけ時分にタイミングを合わせると、日の出と共に起き、日の入りと共に寝ることになるのだが、この場合、かなり睡眠時間は長くなる。そして、夏は短い目、冬は長く寝ることになる。
 さて、そういうタイミングも、長くは続かず、やがて昼起きになり、夜起きになるのだろう。
 今日は昨日と同じく寒い。そして天気も悪い。空が真っ白で、しかも小雨まで降っている。こういう早朝は、布団の中が一番いいだろう。だが、それはもう少し眠っていたいのに、起きなければいけない場合で、もう十分寝過ぎた場合は、起きる苦痛はない。むしろ早く起きて、動きたい感じだ。つまり一日を始めたいと。
 
 昨日は老婆の喫茶店が寝起きの喫茶店だったのだが、たばこをもらう。自分が吸っている同じ銘柄のエコーだ。しかも10個入りのカートンだ。しかも見知らぬ人だ。だが、常連の老人であることは分かる。それで、勘定の時、礼を言うと、たばこ2400円分の意味が分かった。クリスマスプレゼントではない。捨てるらしい。つまり、たばこを止めるので、捨てたいが、ゴミに出すのは惜しいので、誰か吸う人がいれば、渡して欲しいと老婆に頼んだようだ。老婆は、こちらがエコーを吸っているのを知っているので、それなら、該当者がいると言うことで、カートンをビニール袋の中に入れていたようだ。そして、偶然その日、自分がいたので、老人常連客が直接捨てに来たと言うことだ。つまり、こちらはゴミ箱だが、2400円相当なのだから、これはゴミではない。ただ、転売するにしても、相手がいないだろう。
 こちらが、同じ状態なら、やはり転売しないと思う。
 それで、得体の知れないプレゼントではないことが分かったので、大得したわけだから、ありがたくいただいた。
 特に変化のない喫茶店でも、こういうことがあるのだ。それは、常連客同士のやり取りではなく、そこにいるだけで、繋がりが出来るためだろう。薄い縁だが。
 常連客がほとんどいない喫茶店でも、そういう縁がある。その場合、喫茶店に限らないが、近くの人という繋がりだ。これは、本当に「近くの人」で物理的距離だ。要するに隣の席にいる人だ。たまに話しかけられることがある。小さな声でも届く距離にいるためだろう。人間関係の距離感から言えば、結構遠い目のカテゴリーに入る。先のたばこの話だと、それよりも近い。ランク的には顔見知りなのだ。交友はないが、同じ喫茶店でたまに見る常連客同士なので、見知らぬ客より距離は近い。人間関係的に近いのだ。
 ただ、老婆の喫茶店でも、普通の喫茶店でも、人間関係が近くなると窮屈になる。村の原理だ。
 ただ、村の恩恵があり、それが2400円分のたばこが無料で手に入ると言うことだ。こういうプレゼントというのは、人類学的な解釈も可能だ。その意味しているところは、喜んでいるだけではすまないのだが。
 似たような話で「黄泉のご飯」がある。
 「黄泉めし」だ。これは、黄泉の国に入ったことが、そもそもケガレのようで、汚れたご飯を食べてしまったことになる。黄泉のご飯は無料だ。ただほど高いものはない。それで、縁を作られてしまうわけだ。
 これは、社内のある派閥の小さなボスから接待を受けたというような感じにまで話を広げるとわかりやすい。ただで飲み食いできたのだから、得をしただけではすまないだろう。
 同じ釜のめしを食った中。という繋がりになる。これは決して釜飯愛好会の話ではない。
 こう言うのは、人類の初期から、いや動物の世界でも起こっていることだろう。そして、綿々とこのルールが続いている。
 さて、黄泉のご飯だが、悪い面に出た場合の言い方だろう。
 黄泉とは、あの世だ。人間関係では、それはいいすぎだが、分かりやすく言うための区別だと思われる。
 
 
 

■2011年12月1日 木曜日 5時13分
 
 起きると、まだ夜だった。途中で、目が覚め、それ以上眠れなかった。昨日は朝まで引っ張れたのだが、逆戻りした感じだ。
 睡眠時間を考えると、寝不足だ。そのため、昼寝する可能性が高い。そうなると、寝る時間が分からなくなる。
 どちらにしても朝型に近づいている。その過程がやや不安定だと言うことだろうか。
 空模様が怪しい。強い風が吹き、温度が下がりだしている。当然だが冬だ。
 寝起きの喫茶店はマクドになる。マクドの開店時間が分からない。だから、早い目に行くと閉まっている可能性があるので、ゆっくり目にいく。すると空いていた。客は誰もいない。店内も寒い。ということは、この遅い目の時間が開店時間かもしれない。なぜなら、早い目の時間なら客がいるし、その痕跡がどこかに残っている。それがない。
 冬場の超早朝マクドはどう見ても夜だ。日の出の気配さえない。夜のままだ。
 昨日は湯豆腐を作る。これが一番簡単だが、水炊き風に作る。白菜と人参があるので、それを入れ、さらに冷凍イカも入れる。出汁は鍋の中にはない。外付けだ。しかし、湯豆腐流儀の中で、鍋の真ん中に出汁の入った茶碗蒸しの器ようなのを置くタイプもある。この場合、出汁は鍋の中にあることになる。正確には器が鍋の中にあるのだが。これは、出汁を冷やさない工夫かもしれない。しかしそれには、口径の広い鍋が必要だろう。平鍋だ。大きな魚などを煮るとき使う。底は浅いが幅がある。まあ、そういう大きな魚など煮る機会はないが。
 この季節。そういう魚の煮物をすると、ビリが出る。一晩放置していると、出汁が凍ったように見える。辛いゼリーのように。
 醤油の辛さだ。
 
 韓国ドラマ「トンイ」を見ている。もう20話以上進んでいる。前回見た「イサン」も面白かったので似たようなものがないかと探していたのだが、期待はずれのようドラマもあるので、似ていても、イサンより面白くなければ、がっかりだ。しかし、トンイはイサンよりも面白い。
 何話も一気に見れるのは幸せな感じだ。こういうドラマは次はどうなるか、どきどきはらはらする。また、いいところで終わると、展開が気になる。だから、すぐに次の回が見られるので、展開が落ち着くまで見続けられる。それが、数話に及ぶことがある。なかなか決着がつかないためだ。
 悪人が悪だくみし、その罠に主人公がはまる。それが解決したいところまで見たい。また、誰かを探している。だがなかなか見つからない。こういう溜がすごい。さらに超長距離伏線で決着がつく場合もある。非常に潜伏期間の長い伏線で、もうその伏線さえ忘れてしまうほどだ。しかし、その伏線となるエピソードは、完結しないまま終わっている。余韻を残したまま放置されているのだ。
 韓国ドラマで、70話を超えるような長編は一年以上放映されるだろう。シナリオが完成してから、作ると言うことではないと思う。その場合、拾い伏線を使うのではないだろうか。つまり、それを伏線と思わず、単なるエピソードとして、描かれたものの中から探すのだ。書き下ろし長編小説なら、伏線を挿入することが出来るが、連載小説の場合、挿入は出来ない。だから、伏線がない場合、伏線として使えるものを探すのだと思う。これを拾い伏線という。そういう言葉はないが。
 ぐっと堪え忍ばないといけない我慢劇の溜と、あるきっかけで、一気に攻勢に出る下りが痛快だ。そう言うのが、NHK大河ドラマにはない。まあ、歴史ドラマなので、嘘は書けないので心情のとらえ方を描くしかない。
 韓国王朝ものは、何代目の王が何をしたのかの、そのときの政局はどんな感じだったのかは、ほとんど知らない。だから、作り挿話であっても、それが分からないので、幸いだ。
 王の正妻というのは、歴史的事実で、これは変えられない。架空の国の架空の城の、架空の殿様の話なら、何をしても自由だが、その時代の歴史に介入することは出来ない。だが、これは原則で、シュミレーションものは別だ。たとえば、真田幸村が夏の陣で、家康の本陣近くまで攻め込んだのは事実とされているが、これは、向かっただけのことかもしれないが、多くの歴史小説は家康本陣が襲われ、家康はそこでやられるかと思ったようだ。しかし、残念ながら、多勢に無勢、突っ込んだがやられてしまった。ところが、そうではなく、幸村は家康の首を取ったとなると、フィクションだ。そして、徳川方は家康の死を隠した。東映映画「真田幸村の陰謀」は見ていないが、そういう話だったように思う。これは最初から、この一点だけの嘘を明らかにした映画だ。みんな知っているのだから。幸村は家康の首を取れなかったことを。
 似たような話が、三代将軍家光にもある。死んでいるのだ。やったのは柳生十兵衛だ。この場合、替え玉が史実を支えている。つまり、表向きの記録は残る。
 しかし、大嘘をキャッチフレーズにしているだけに、細かい嘘ではないので、オーケイなのだ。それが売りなのだから。
 有名な映画「影武者」がそうだ。それを言い出すと、「七人の侍」も、全くのフィクションで、戦国時代、非武装の百姓の村などなかったはずだ。しかし、この映画、日本の戦国時代の話だとはいっていない。
 
 

■2011年11月30日 水曜日 8時41分
 
 起きると朝。遅くまで起き、遅くまで寝た結果が出た。いい結果が出せたという感じだ。
 そのため、寝起きの喫茶店はファミレスでもなくマクドでもなく、老婆の喫茶店だ。やっと双六で上がったようなもの。だが、出世したわけではない。
 マクドが開く頃に一度起きたように記憶しているが、時計を見る前に、すぐに眠った。
 一瞬の目覚めというのがある。もう十分眠ったので、自然目が覚めたのではなく、なんらかの区切りで目が覚めるのだろう。何の区切りかは分からないが、三時間周期のようなものがあるらしい。または、尿意で起きることがある。このとき、目覚めているのだが、すぐに引っ込める。潜望鏡を出している潜水艦のようなもので、本体は海の中だ。
 だから、この目覚めはすぐに眠れる。体調が悪いとき、目が覚めるときは、すぐに寝付けないこともあるだろうが。ノーマルなときは、何ら努力しないで、再寝出来る。このとき、努力しないほうが眠れる。何もしないと、寝てしまう。寝ようとする引力が強いためだ。逆にこの状態から起きるのは大変だ。起きるためにはかなりの決心と努力が必要だ。この努力は、意志の力だろう。起きないと大変なことになるので、起きる。ただ、それは体調的に大変なのではなく、用事があるのだろう。
 寝た時間から計算し、途中で起きたとき、今起きると大変なことになると、睡眠時間的に思うため、寝る方向へ行く。睡眠不足で大変なことになるからだ。
 つまり、早く起きてしまうと、一日中眠い。そのため、与えられた一日が上手く機能しない。これも大変なことだろう。ただ、社会的にはそんないいわけは出来ない。
 
 昨日は寝る前に老婆の喫茶店へ行き、ついでにスーパーで白菜を買う。半分で100円だった。そのまた半分で65円ほど。従って100円のにする。白菜は安い野菜だ。白菜が安っぽいのではなく、値段に対して量が多いのだ。そして、煮込んでもある程度ボリュームが残る。ほうれん草や水菜は煮込むと、損をしたように小さくなり、入れるときのボリュームが消える。だから、白菜は最初から量が多いし、煮込んでも嵩が残る。だから、数倍得なのだ。
 冷凍イカがあったので、それも買う。いつもの特価のイカではなく、中等タイプだ。さらに高い冷凍イカもあるからだ。その陳列台の後ろ側に百円魚セールがあった。アジの開き、カレイ。サワラの味噌漬け。いずれも百円だ。それで、カレイにする。一番焼きやすいためだ。薄い。一夜干しのようなものだろうか。身が多いのはアジとサワラだが、焼きやすいので、カレイにする。これらは、冷凍物で、陳列台で自然に解凍される寸前のようだ。そのため、在庫管理が簡単なので、安いのだろうか。
 いくら干し魚でも長持ちしない。保存が大変だろう。
 それと、湯豆腐用の大きな豆腐を買う。これも百円だ。夏場は売られていない。湯豆腐なので。
 豆腐一丁分は確実にあるが、湯豆腐用と言うことで、正方形となっている。
 すぐに食べられるものと思い、ミンチカツを買う。戻ってから用意するのが大変で、その前に腹が空きすぎるためだ。このミンチカツは特大で、お得だ。揚げ物コーナーでは、アジのフライが好ましい。しかし、ミンチカツとアジのフライ両方買うと、湯豆腐が遅くなる。ミンチカツで一食、アジのフライで一食になり、順番が悪い。フライものが続くからだ。
 野菜が切れているので、人参も買う。一番小さい人参を詰めたもので、これなら一回一本使い切れる。人参を半分に切って使うと、残り半分の切り口を保護するため、サランラップなどで包帯し、冷蔵庫に入れる手間が加わる。
 今回はジャガイモは買わなかった。まだ、一つ残っているためだ。そして、タマネギは三つ百円のが、未開封で残っている。タマネギは最後の野菜だ。何も野菜がない場合、タマネギが活躍する。一番保存性がいいためだ。しかし、油断していると、置き場所により、溶けたりする。だから、吊しておくことが大事だ。
 
 一太郎に入っているEvernoteが妙な存在だ。
 ソプラウインドウという別起動するガジェットの中に入っているのだが、富士通ノート側では使えなかった。何度も自動更新で、インストールしようとしていたのだが、途中で止まってしまった。部屋のパソコンでは、動いているので、OSの違いか、環境の違いかで、富士通ノート側では動かなかったのだ。それが、今回は動いた。
 動かそうとして動いたわけではなく、Evernoteというタブが見えないためだ。ソプラウインドウの中での切り替えで、広辞苑などの複数辞書の窓、フェースブックの窓。ポメラの窓などがあり、それらを切り替えるためのタブだ。そこにEvernoteが加わるはずなのに、出てこなかったのだ。
 そして、自動更新とは、ジャストシステムのプログラム自動更新で、新規プログラムや、修正プログラムなどを勝手にダウンロードしてくれる。しかし、インストールなどのセットアップは手動だ。ここで、Evernoteはいつもエラーになる。それが通ったのだろうか。エラーにならないで。
 しかし、Evernoteは、パソコン版を使っており、ガジェット版を使う必要はないので、注意してみていなかった。いつの間にか、タブに加わっていたのだ。
 しかし、EvernoteATOK版がある。ガジェット版はフルサイズで、スマートフォン版などに近い簡易画面だ。ATOK版はフォルダが一つしかないので、メモ用だろう。
 実際には、ATOK版は使っていない。なぜなら、パソコン用のフルサイズEvernoteがあるためだ。だから、富士通ノート側にEvernoteが三つも出来てしまった感じになる。
 ソプラウインドウ版Evernoteを使うと、辞書引きなどとの切り替え式のため、Evernoteでタイプしながら、辞書引きは出来なくなる。実際にはそうではなく、ATOKの変換中に辞書の窓が開くので、問題はないが、それよりも、書いた言葉にカーソルを当て、コントロールキーを押せば、辞書が起動し、その言葉を説明する画面が出る仕掛けのほうが重宝する。それが、Evernote画面では出来ない。なぜなら、今使っているEvernote辞書とを切り替えなくてはいけないからだ。便利なガジェットだが、足を引っ張っているのだ。
 ただ、フルサイズのEvernoteでも同じ事で、カーソル位置の言葉からの辞書引きは出来ない。それが出来るのは、一太郎画面からだ。ただ、カーソル位置を囲み、短縮キーで辞書を出すと言うことは可能だ。だが、面倒だ。
 おまけ機能は楽しいが、上手く自分の使い方にマッチしていれば、楽しいのだが、そうでない場合は、ただ作ってみました程度のプログラムでは、何ともならない。一太郎のカタログスペックに、Evernoteやフェースブックなどの言葉を入れたいだけではないかと、思ったりした。
 パソコン版一太郎なのだから、フルサイズのEvernoteが使えるのだから。
 
 

■2011年11月29日 火曜日 4時07分
 
 起きると順調に朝へ向かっている。まだ深夜起きだが、朝に近づいている。
 寝起きの喫茶店はガストになる。ここは24時間営業なので、いつでも空いている。しかし、掃除の日があり、ある時間帯、ほとんどは深夜なのだが閉まっているときもある。ファミレスの深夜は客はほとんどいない。赤字ローカル線と同じだ。
 昨日は寝起きの喫茶店はマクドだったのだが、早く閉まってしまった。伊丹モスと同じ時間だ。意外と早い。それで、マクドが開く時間が気になる。超早朝開店が生きているのなら、その時間起きることが出来れば、つまり、その時間まで、眠りを引っ張ることが出来れば、安くつく。既にアイスコーヒーが120円とかのセールは終わっているが、それでも安い。ただ居心地は悪い。それに比べると、ガストは四人がけを独り占めできる。それしか席はないのだから。
 しかし、一番座りやすく、居心地がいいのは、老婆の喫茶店だろう。こちらへ行くには、朝起きにならないと駄目だ。または、寝る前になら、射程範囲に入る。
 深夜起きは、朝に光が来る。夕方起きは夕日が来るが。しかし、夏の朝なら、気持ちがいいかもしれない。だが冬の朝は寒い。まだ紅葉しているので、殺風景でも殺伐でもないが。
 
 昨日は韓国ドラマ「イサン」を見終える。最終回まで見た。
 それと同時に次の韓国ドラマでリアルタイムでこちらもNHKで放映されている「トンイ」を続けて見る。
 イサンに出ていた俳優が、トンイでも出ているので、面白い。そして、似たようなキャラをやっている。
 韓国喜劇というのがあるのだろうか。韓国コメディーとか韓国お笑い芸人とかがいるのだろうか。トンイでは、明快にシリアス系ではないお笑い系のキャラが出てくる。イサンでも出ていた。背が低く、目玉の大きなおじさんだが、きっとベテランで、この道の第一人者に違いない。大げさな仕草が面白い。
 しかし、イサンに比べ、お笑い度はトンイのほうが高い。
 トンイは推理ドラマ、探偵劇ではないかと思えるようなエンジンを持っている。つまり、ドラマが謎に向かっての解明と、トンイ女探偵によるトリック解明カタルシスにあるのだが、状況証拠や自白ではなく、物的証拠を直接探し出す。トンイは刑事ドラマではないが、そのエンジンも使っていると言うことだ。
 そして、王様と身分の低いトンイとの「王様と私」ドラマは、「ローマの休日」の男女逆パターンのようなものだろうか。
 その王様キャラが、優男で、韓国一の剣豪を倒したイサンの王様とは対照的だ。気さくで、軽い王様で、楽しい。
 感情移入という言葉がある。ドラマを見るとき、その登場人物に肩入れしたり、その人物になったような気になる現象がある。身分の高い王様になり、身分を隠して、庶民と交わる。水戸黄門や暴れん坊将軍などがそれだ。お忍びパターンだ。
 トンイでは、トンイが主人公なのだから、殺されたりしないし、ピンチになっても大丈夫だとは思うものの、はらはらさせる。そして、いつもピンチに立たされる。だが、このピンチは安全なピンチなのだ。安心して見ていられるピンチなのだが、それをどう切り抜けるのかが見所だ。答えは分かっている。切り抜けられると。しかし、その過程は分からない。
 そして、その過程が大事で、そこに張られた伏線や、意外なキャラの登場など、トランプの持ちカードの中から、切り札として使ったりする。このあたりのシナリオは、実は苦労したはずだろうと、推定する。そして、単純に逆転するのではなく、切り札と思っていたのが、そうではなかったり、一発逆転ではなく、二発必要だったりする。まだ、奥があるのかと言うことで、これは準備していないと、出来ない過程だ。
 そして、よく出来たと、カタルシスを感じるような結末へ持って行くのは、よいサービスだろう。


 

■2011年11月27日 日曜日 22時37分
 
 起きると夜。モスも閉まる時間なので、マクドへ行く。久しぶりだ。
 最近行っていないので、マクドが何時に開き、何時に閉まるのかが分からない。ドライブスルーは24時間やっているので、紛らわしい。喫煙室はまだ無事だったのがなによりだ。喫煙室がなくなると張り紙があったが、中止したのだろうか。
 温度は少し暖かいが、寒くない程度だ。それなりに過ごしやすい。温度的には低いのだが、それほど冷え込まない。温度計の温度が必ずしも体感温度にはならない。個人的な体温との関係だけではなく、今日は温度計レベルほどには寒くない。
 これは気圧や湿度にも関係しているのだろう。当然個人の体質や、体調とも関係するが、普遍的体感温度があるはずだ。その下の階層で、個人的体調が加わる。微熱のあるときは、暖かく感じるかもしれないし、また、風邪での悪寒時は、暖かい日でも寒いだろう。
 
 コンビニでうどん玉を買うが、最近のうどんは堅い。これは、柔らかめの小麦粉が不足しているためだろう。かなり煮込まないと、唇でも切れるようなうどんにならない。硬いから上等なのではない。腰があるいいうどんなのではない。
 昔、大衆食堂で食べたうどんは柔らかかった。これはしょぼいと言うことだ。そして、高いうどん、手打ちうどんは硬い。だから、柔らかいうどんは安いと思っていたのだが、それが最近あたらない。
 うどんは腹持ちが悪いが、消化がいい。その証拠に、うどんをかまないで食べる人もいる。食欲がなく、ご飯が食べられないときは、お粥にすることがある。うどんはそのレベルの食べ物だった。
 しかし、最近は一番安いうどん玉でもしっかり硬い。だから、うどんで腹安めが出来ない。今日はあっさりとうどんで、というパターンが難しくなる。
 それで、乾麺ならどうだろうかと、考えている。乾麺は細い。それをかなり湯がきすぎれば、柔らかくなるかもしれない。溶けそうだが。
 
 韓国大河ドラマ「イサン」のラスト近くまで一気に見た。最後のほうはまだアップされていなかったのだが、一日待つとアップがあり、また次の日にもアップがあった。それで、昨日は、ついに最終回までアップされていた。一日に一話か、二話分がアップされ続けていた感じになる。それに追いついた。
 終盤近く、別れのシーンが続き、強烈な政治ドラマネタが減ったのだが、最後の盛り上がりを楽しみにしている。
 新アップ待ちの時、同じ韓国ドラマで、今放映されている「トンイ」をFC2動画で検索する。似たような韓国の王朝時代の話のためだ。これはNHKでよく、CMされている。イサンは総合テレビだが、トンイはBSだ。
 こちらは、序盤はカムイ伝のような感じだった。CMでは低い身分から上り詰めたトンイという人の話なので、出世談だ。これはめでたい話なので、安心感がある。
 王朝内での陰謀や、駆け引きが面白い。これは、イサンも同じで、悪だくみを阻止したり、暴いたりする面白さだ。
 歴史上、どうなっているのかは無知識のため、結果が分からない。
 それが幸いして、どうなるのかは、見ないと分からない。NHKの大河ドラマは結果が分かっているのだ。関ヶ原で、どちらが勝つかも分かっている。大坂の陣で、豊臣が負けることも知っている。だが、それらを知らないで、見たとき、どきどきはらはらするだろう。そういう楽しみがある。
 イサンでは絵が、トンイでは音楽が関係する。また、その前のチャングルでは料理だ。さらに踊りが出てくるドラマもあった。いずれもNHKを付けっぱなしにしていると、いつの間にか見てしまっていた番組だが。
 
 

■2011年11月26日 土曜日 20時18分
 
 起きると夜。そのため、寝起きの喫茶店は伊丹モスとなる。
 ほどほどの寒さで、特に厳しくはない。まだ、冬の序の口で、本当の寒さではないが、秋口一瞬寒い日があったが、あのレベルに達している。
 夜なので、空模様が分からない。町が明るいため、空がよく見えないこともある。雨が降っていないので、晴れているのだろう。しかし、曇っているだけで、降っていないのかもしれない。天気は曇りでもオーケイだ。晴れの日と曇りの日とではそれほど違いはない。その違いは、傘がいらない程度だ。だから、小雨で傘が必要ではない日と、晴れている日とも違いがないと言うことになる。極端な分け方だ。気象情報としてはあり得ない分け方だ。
 天気予報などがなかった時代、農家などでは雨では野良仕事をしない程度のことだったようだ。この場合も小雨ならやるだろう。しかし、雨が降っていても、蓑と笠で、カッパのようににれないようにし、野良仕事をしていた人もいたはずだ。また、田植えの風景で、雨が降っている中、やることもあっただろう。田植えは共同作業なので、決めた日を変えるのが難しいとかもある。
 雨の日は農作業をしないで、土間でわらでも編んでいるような印象があるが、これを言い出したのは武士ではないか。
 雨の日は野良仕事をしないことに決め、本でも読んで過ごすという感じだ。
 むしろ雨は農村部では、歓迎されていたのかもしれない。雨が降らないと作物が育たないし、川の水も減り、飲料水も減る。雨が少ないと、水争いのもめ事も起こる。
 だが、大雨は困るだろう。しかし、これは致し方のないことで、雨を恨むわけではないだろう。大雨の雨は、別物という感じだ。
 
 ポメラDM100が気になるところだが、夏に富士通の安いノートを買ったばかりなので、ここは動けない。
 前回は工人舎ノートを買っているのに、そのあと出たポメラを買い、工人舎ノートパソコンを放置している。そして、値段的にはネットブックと変わらない。むしろノートパソコンの方が安いほどだ。
 それで、富士通ノートを買うまでポメラを使っていたのだが、長く使わないで、また、ノートパソコンに変えたのは、一長一短があると言うことだろう。
 ただ、ノートパソコンとポメラの並行使用というのは無理だ。ノートパソコンとポメラを鞄に入れると、結構な重さになるだけではなく、機能がかぶってしまうためだ。
 ポメラがいいのは、単純なことだ。
 たとえば、パソコンでテキストを打つとき、一太郎やエディターを使う。これはこれで、かなりのボリュームがあり、多機能だ。そのため、一生使わないような機能が、メニューとして、またアイコンとして並んでいる。これは表示させなければいいのだが、何となく気になる。その点ポメラの機能は、ほぼ分かるし、足りないぐらいだ。だから、いろいろ工夫して使う。道具を使いこなす面白さがある。
 ノートパソコンがいいのは、ATOKの辞書だ。つまり、ポメラを使っていると言うより、ATOKを使っているのだ。DM100になってから自動変換的なものができるようになった。句読点が入ると変換してくれるという機能だ。これはポメラの機能ではなく、ケータイ向けATOKの機能だろう。
 個人的には自動変換で、ATOKを使っている。変換キーを押す手間が省け、ベタ打ちが出来るためだ。変換中、国語辞典の窓も出る。DM100では待望の国語辞典が入る。これは、ATOKでは最初から内蔵されている辞書だが、ケータイ向けだろう。ただ、広辞苑や大辞林はパソコン版ATOKでしか使えない。
 日本語変換中の辞書を見ながら変換確定できるというのがパソコン版で、ポメラではカーソル位置で指定してから独立ボタンを押して辞書の小窓を出すのだろう。このボタン一つというのがいい。辞書のボタンがあると言うが好ましい。そのボタンは液晶側の、つまり、蓋側にある。少し手を伸ばさないといけないし、蓋なので、強く押すと蓋が押されて角度が変わりそうだが、実物に触れていないので、未確認だ。この国語辞典の使い方は、昔のザウルスにもあった。ザウルスはさらに変換が悪いし、辞書数も少なかった。よくあんな小さな画面で、小さなキーボードで親指打ちが出来たものかと思う。当時もノートパソコンは持っていたので、わざわざ不便なものを使っていたのだ。そうさせていたのは、小さいからだ。軽いからだ。
 ポメラとザウルスの違いは、後者はネットが出来たことだ。だから、ホームページの日誌程度の更新はザウルス側から出来た。さすがにウェブは遅く、画面が小さいので、内蔵ブラウザもあまりよくなかったので、ネットを見るというようなことはほとんどなかったが。
 さて、ポメラだが、ネットはない。だが、今使っているノートにはネットがあるが、最近ご無沙汰だ。部屋に帰ってから、Evernoteなどの同期をする程度のネットの使い方だ。そのときは有線ランでやっている。だから、ネットはそれほど必要ではない。なくても困らない。
 ポメラとパソコンとのやり取りは、いろいろあるが、単純なのはUSBで繋ぐことだ。この場合、同期などは出来ないので、単なるコピーになる。または、SDカードでやり取りすればいい。
 だが、SDカード、これはなかなか認識してくれないことがある。カードリーダーが馬鹿になっているのだろう。USBなら、外付けハードデスクを突き刺すのと変わらないので、カード経由より楽だ。ただ、毎日毎日ポメラ側のUSBの抜き差しをすると、さすがに摩耗するが。
 ウインドウズ7が走るノートパソコンとポメラはいい勝負で、甲乙付けがたい。
 ただ、ポメラとアンドロイドタブレットを比べると、ポメラの圧勝だろう。
 ただ、今は富士通ノートのキーボードが非常にいいので、ポメラへの道は遠のいている。
 
 

■2011年11月25日 金曜日 20時50分
 
 起きると夜。この感じで、一気に早朝起き近くまで持ち込みたいところだ。しかし、夕方起きを脱しているので、長く寝れば、回転は速い。
 寝起きの喫茶店は伊丹モスとなる。その道中はかなり寒くなっており、手が冷たい。クリスマスの音が流れているので、確かに冬だ。よく考えると、今年もあと一ヶ月少ししかない。
 気がつくと、紅葉の季節のようだが、まだ、それほど目立たない。一本だけ紅葉していると、木の病気か何かで、枯れかかっているのかと思うだろう。紅葉するのはモミジだけではなく、桜なども暖かい赤になる。だが、モミジの赤さのほうが勝つのだろう。桜の葉は流線型だが、モミジは切れ込みがある。だから、切れがいいのだろう。
 紅葉し、やがて落葉。葉を落とす。これは冬場は太陽の光が弱いので、木も冬眠なのだ。効率が悪いためだ。葉を維持するエネルーのほうが、葉から入るエネルギーより多くなると、赤字になるため、紅葉するのだ。
 寒くなってくると、耳も冷たくなる。頭もだ。それで、いつもの帽子から縁なしのキャップにする。ニット帽だ。日の光が弱いので、帽子の庇は必要ではなくなる。それより、耳を覆う方がよい。
 昔の紳士がかぶっていたような帽子で、生地も暖かそうなのがある。しかし、耳まで隠せない。耳の上に屋根は出来るが、それだけでは風対策にはならない。風だけではなく、空気が冷たいので耳袋が必要なのだ。頭巾がそれに相当するだろう。
 
 富士のX-S1が出ていた。デジカメだ。
 高倍率ズームコンパクトデジカメの化け物だ。1キロ近い。
 価格は8万円で、ミラーレスデジカメの値を超えている。一眼レフの安いタイプより高いかもしれない。
 見た感じは昔のペンタックス67のようだ。ガマガエルのような、スタイルで、35ミリ一眼レフカメラをそのまま拡大したようなスタイルだ。
 昔の一眼レフはそれほど大きく重くはなかった。ペンタックスMXやオリンパスOM、ミノルタのXDなども言うほど大きくはなかった。Mライカのボディーの大きさに近づけようとしていたに違いない。今のデジタル一眼レフは結構大きく分厚い。
 ミラーレスデジカメは昔の一眼レフよりも小さい。
 さて、富士のX-S1だが、ペンタックス67に近いデザインだと感じるのは、ペンタ部だ。つまり、アイレベルプリズムが入っている一眼レフを象徴するような塔だ。X-S1は電子ファイダーなので、それが入っている。
 ここに来て、コンパクトデジカメの電子ファインダーの解像力がやっと高くなった。巨大なコンパクト高倍率ズームデジカメは多数あるが、どれも覗いてみると、電子ファインダーが荒く、ピントなど確認できない。それがやっと木目の細かな電子ファインダーが出たわけだが、いかんせんボディーが大きすぎる。
 レンズ一体型なのだが、樽のようなレンズ鏡胴がぶら下がっている。イチジクのように。広角から超望遠までの、嘘のようなレンズだ。確かに一眼レフに二本のレンズを持ち歩くことを考えれば、この嵩は納得できるのだが、それにしても、大きく重い。これは精密機械のようにシャープな感じのミラーレスとは逆方法だ。ただ、700ミリ近い望遠では、これぐらいの大きさ重さがないと、カメラが不安定になる。天狗の鼻のように伸びる柔い鏡胴では、風が吹くとたわんだりする。カメラが小さいともたれかかるものがない。カメラにしがみつけないのだ。当然、カメラは浮いているので、ふらふらしているが、それでも手に重りを持っていると、安定する。
 望遠好きな人なら、頼もしいカメラが出たと喜ぶべきだろう。
 
 
 

■2011年11月24日 木曜日 16時34分
 
 うたた寝のつもりが本寝となり、そのため、昨日より早く起きてきた。老婆の喫茶店も間に合う。これで、夜型にいくのではなく、戻された感じだ。
 晴れているが風が強く、そして寒い。ますますホームゴタツや電気毛布の布団が恋しい季節だ。つまり、冬眠が楽しい温度だ。冬の布団からは出にくい。もう少しいたいのだが、起きなければいけないとき、戻ってくれば、すぐに寝たいと思うのだが、起きてしまうとその気はなくなる。冬の二度寝は一万両だ。一度目を覚ますものの、もう少しと二度寝する。この二度寝の時間は数分だ。非常に価値がある。もし、その日、そのまま二度寝を続けていいのなら、歓喜だろう。こういうところでの喜びは、積極的なものではなく、消極的な楽しみなのだろう。棚ぼたに近い。
 寝る楽しみはあるが、眠れない苦しみもある。不眠症と言うほどではないが、布団に入っても眠れないときがある。いろいろ原因はあるだろうが、頭の中でスイッチが切れない電気がついているのだろう。
 昨日は伊丹モスの戻りにスーパーで弁当を買う。百均の200円弁当に近い物があった。ただし、賞味期限間近で、安くなっての200円なので、内容が違う。半額ではないが、300円ほどの弁当だろうか。弁当はすぐに食べられる。インスタントラーメンは煮ないといけない。カップラーメンも湯を沸かさないといけない。そして、弁当に比べ、内容は乏しい。だから、100円のインスタントラーメンより、200円の弁当は価値が高い。副食と主食の違いもある。弁当はご飯だ。ただの米なのだが、米に対する価値というのがあり、それは文化を食べていると言うことだろう。米が食べられないという状況は深刻だ。好みの問題ではなく、文化的な問題なのだ。たとえば、江戸時代、石高というのがある。領地の評価が水田が基準になっているような感じだ。実際には米だけで石高が決まるわけではないようだが、米に換算した価値なのだろう。
 米の文化が、まだ今も残っているのだ。米は貨幣でもあったわけだ。米と布。これは衣食住のメインだし。
 
 
 

■2011年11月23日 水曜日 19時25分
 
 起きると少し遅い。そのため、寝起きの喫茶店は伊丹モスとなる。思っているほど寒くはなく、モスの暖房が暑いほどだった。その道中も、寒さ控えめだ。天気予報で知っていたのだが、温度は高い。雨が降り出すはずだが、それはまだない。だから、寒い中自転車で走るという感じではないので、快適だ。
 例年この季節冬物衣料を見に行くのだが、今年はそれはまだない。冬の終わりに買った冬物があるからだ。今、この季節に着るため、先取って買ったのだが、買うのは先取りだが、去年物だ。
 しかし、冬の終わりに買ったので、半額の半額になっていた。だから通常価格一着分で、四着買えたわけだ。そのため、新たに見に行く気がない。だぶるからだ。
 また、今年新たに見たものが、必ずしもいいものであるとは限らない。ユニクロがそうだ。数年前の品のほうが、いい物があった。このいいものとは、実用的な、という意味だ。その実用性とはポケットの数や位置。首回りの処理だ。たとえばフードがあっても、ぶら下がっているだけでは、首巻きにはならない。デザイン的にはすっきりしていても、結構寒いのだ。それと、変に丈が短いと、窮屈だ。そういうことを吟味する。そして、ある程度汚れてもいいような仕様が好ましい。よそ行きとして、羽織る上着ではないためだ。といって、アルミ缶を回収しに回るわけではないが。
 
 イーパブ(EPUB)3電子書籍について調べてみた。
 このあたり、複雑だ。たとえば、イーパブ2について、どれだけ知っているか、また、気付かないうちに使っているのか、などを考えると、その接点がほとんどない。たとえばソニーリーダー内に入っているその使い方のマニュアルがPDFではなくEPUBだったりするかもしれないが。
 こちらが近いところでは電子書籍販売サイトのパブーやシーサーで本を作るとき、PDFとイーパブ同時にガシャンと変換してくれる。このときのイーパブがイーパブ2だろう。
 PDFとイーパブ二つのファイルをダウンロードできる。取り込んで、自分のパソコンに取り込んで、読めると言うことだ。オフラインで。
 ダウンロード画面で、ファイルを保存しないで、そのまま実行すると、どちらもアクロバットが起動する。アクロバットがイーパブを表示できるようになっている。
 イーパブとの接点はその程度で、実際にはPDFでダウンロードしたほうが慣れもあり、読みやすい。
 イーパブがややこしいのは、電子書籍世界標準フォーマット、つまり、世界展開の電子書籍を日本語版として出し、英語版でもフランス語版でも簡単に切り替えられると言うことだ。
 そして、米国ではイーパブ3対応電子書籍端末もでているようだ。横文字であり、左綴じの世界なので、問題はないのだろう。
 イーパブ3とは、ホームページを作るときのスタイルシートのようなものだ。だから、言語を定義できるのだろう。
 また、イーパブ3対応の電子書籍がネットショップでも出ているらしい。これは未確認だ。ビューワーはどうするのだろう。
 前回、電子書籍を読む環境として、スマートフォンが多いはずだと適当に書いたが、千人近いアンケートが出ており、それによると、パソコンが多い。これは、電子書籍白書のようなものではないので、調べ方によるだろう。千人の選択に問題があるのかもしれない。この統計は中国との比較用だ。電子書籍の日本と中国との個人の取り回し方の違いを見せるのがテーマなので。中国では明らかにスマートフォンで読む人が多い。
 そのあたりの関連記事を見ていると、イーパブ3と漫画についての特集があった。これは以前も漫画と電子書籍フォーマットの特集があり、その関連だろうか。
 イーパブ3を調べていると、漫画にも関わってくる。
 こちらは、イーパブの多国語対応を生かして、漫画の海外進出を図ろうとするものだろう。しかし、根本的に無理があるのは、上手下手の問題だ。つまり、左綴じと右綴じの問題だ。閉じ方だけではなく、右から左へ流れるコマ割りや、コマ内の構図まで変換できない。
 右側の人が喋り、左側の人が受けて喋る。左綴じだと、左側の人の台詞を読んでしまう。突っ込みとぼけで言えば、ぼけを先に読んでしまうことになる。ネームを英語にしても、この問題は解決しない。それを考慮して、外人は読むのだろうが。
 だから、コマを鏡のように左右反転させる。すると、キャラは左利きの人になってしまう。
 縦書き台詞の一行程度の細い吹き出しを英語版にすると、読みにくいだろう。これは、日本漫画の海賊版なら、適当でいいのかもしれないが。
 右側の人が先に喋り、左側の人が、その台詞を受けて返事をする。この様式はコマ割りされた漫画ではどうしてもついて回る。多国語切り替えに対応するためには、様式そのものを変えないといけない。
 これをアメコミ風に書くとすれば、今度は日本版が読みにくくなる。日本版も左綴じにすればいいのだが、そうなると、漫画本の様式そのものを変えると言うことで、これは紙媒体では無理だろう。ネット版でも無理なのは、既成の漫画本を左綴じに変えにくいためだ。
 コマがスクロールタイプの四コマ漫画でも、やはり、コマ内の動きは右から左へ向かっている。これは癖なのだ。
 それを少し緩和させるには、日本語台詞を横書きにすることだ。そうすることにより、左から読むようになる。
 電子書籍向け書き下ろし漫画とは、そういう感じでないと多国籍版を作れない。ただ、電子書籍専用漫画、書き下ろし漫画で、食べている漫画家などいないと思う。あっちジャンルの漫画は知らないが。
 
 
 

■2011年11月22日 火曜日 17時10分
 
 起きると少し早かったので、老婆の喫茶店に間に合う。日がさらに短くなっているのか、夕暮れの赤みがない。
 昨日はぐっと寒かったが、今日はそれほどでもない。
 昨日は老婆の喫茶店へ行ける時間に起きられなかったので、ショッピングモールへ行ったのだが、サツマイモを買えた。
 前回もその八百屋で買ったのだが、同じものはなかった。大きいのが三つ二百円だった。それがない分、細いのがかなりざるに入っていて二百円だった。重さ的には似たようなものかもしれない。しかし、それだけの本数があって二百円は安い。これは、老婆の喫茶店方面のスーパーで、一番安く感じていたサツマイモよりもさらに安い。一日一本食べるとして一週間ほど持ちそうだ。
 蒸かしてみるとやや堅い。というか、水分が少ないので、ホカホカタイプではなく、栗タイプだ。前回のは大きいので、一本食べきれなかったが、今回は小さいので、食べ残しがない。
 それと水菜が2パックで百円だった。前回は3パック百円だったので、高い分鮮度があるのだろう。水菜3パックは3パック目がしおれて枯れそうになる。だから、3パックは忙しい。
 水菜は炒めたり煮たりすると、ボリュームが一気になくなるため、見た目以上に量はない。
 その前に百均で賞味期限間近台で買った漬け物が、どうも水菜のようだ。水菜は余っている。水菜ばかりだ。
 
 日曜日の深夜、韓国ドラマ「イサン」をやっていた。先週はやっていなかったように思う。これは毎週大河ドラマよりも楽しみにしているので、続きが見たかったので、ネットで探して見たのだが、見過ぎてNHK放映の来年分まで見てしまった。60話目以上を見た。その続きを見たいと思ったが、まだアップされていないようだ。
 イサンは政治ドラマのような感じで、権力争いが面白い。敵の敵は味方であり、敵がいなくなると、味方の中から敵が出る。そして、万事うまくいき、政権が安定したとしても、その王がいる間だけで、しばらくすると、また乱れる。その繰り返しだ。
 このドラマでは700年ほど続いた王朝となっている。鉄砲が登場するので、時代が何となく分かる。火縄式ではない。中国は清の時代だ。しかし、清の時代も長い。
 このイ・サンは、今の政治家や会社などの組織での問題点をそのまま反映しているように思える。
 
 
 

■2011年11月21日 月曜日 17時56分
 
 起きると昨日よりも遅い。そのため、寝起き老婆の喫茶店は閉まっていた。ぎりぎりアウトだったので、ショッピングモール内喫茶店へ行く。こちらは自転車距離が長いので、寝起きは辛い。しかし、賑やかな場所なので、活気付くが、それは物欲の世界だ。消費の世界で、ガソリンがなければ動かない。だが、そのほとんどはあれば便利程度の物が多い。なければ困るものがあれば、もう既に買っているだろう。出来ればなければ困る物も、なくてもいけるようにするほうが好ましい。よく考えると、本当にいるのかどうかを考えると、いらないかもしれないのだ。
 ぐっと寒くなっている。真冬上着を着ているものの、中にもう一枚必要だ。これはなければ困る品だが、古いのが何枚かある。
 その中でも愛用している物がある。不思議とよく着てしまうところの服だ。それを着だすと、そればかり着てしまう。妙に落ち着くためだろうか。それとも単に着替えるのが面倒なためか。
 
 電子書籍自主出版、自費出版関係のサイトをうろうろする。昔は個人が自分のお金で本を出すことを自費出版と言った。これは「出してもらえなかった」と言うことで、あまり値打ちはない。つまり、社会のふるいにかからないで、言い方は悪いが、お金さえあれば誰でも出せるコンテンツだったという意味になる。自主出版は、それを緩和する言い方で、お金のことに触れないで、自主的判断で、自己責任的に出したというニュアンスになる。
 自費出版とは、著者側からの言い方で、人の本を作る場合は、小さいながらも出版社だ。編集や印刷や配本などを既成のルートに乗せる立場にある。
 電子書籍時代になると、この自費出版、自主出版が増えるのではないかと思うのだが、出せることは出せると言うだけだろうか。たとえば、社長の自伝などは、社員に配るだけなら、編集者と印刷製本屋だけで、事足りる。
 流通が欠けている。この流通が一番きついわけだ。社長の自伝なら流通は簡単だ。社員に手渡しですむ。
 さて、電子書籍の自費出版だが、ネットで上で、それをやっているサイトがあった。川崎サイトではない。
 その前に探していたのが、グーグルのアンドロイドマーケットだ。これは以前からフリーマーケットして漫画の同人誌販売のメインになるだろうと噂されていた。ところが昨日見た某サイトではそこでの売れ行きはたいしたことはない。この某サイトの人、いろいろな販売場所で、自分の本を売っている。その販売場所は、こちらが把握している場所とほとんど重なる。たとえばパブーだ。
 そして、一番売れ行きがよいのは成人向けサイトだった。よく見ると、その販売サイト、昔から綿々と続く同人誌販売サイトなのだ。
 それを見ていると、自費出版もくそもない。昔からある同人誌販売ではないか。その売れ高を見ると、月に一万円いかない。
 こちらの知り合いの知り合いで、昔は同人誌サイトでの売り上げは月に7万ほどで、それが一年ほど続いていたようだ。コンテンツはイラストだ。この系譜は、フロッピーに絵を詰め込んで売っていた時代からある。その前はビニールに包んだパンフレット程度の印刷本を同人誌コーナーとしてその種の専門店が扱っていた。綿々と続く王朝のようなもので格式はないが伝統はある。
 つまり、同人誌即売会ではなく、常設店だ。
 それが、デジタル化されることで、フロッピー販売となり、CD販売、DVD販売となり、そして、ネット販売になる。ここはここで、浮き沈みがあるようだが、王道は廃れない。
 さて、それで、アンドロイドマーケットだが、これは、アプリとして出す必要がある。
 それを1000円から作れるサービスが早速現れていた。といっても、自分で作らないといけない。テンプレートに流し込むやり方で、アプリはネット上にあり、ウェブ上で作ると言うことだ。完成すれば、丁寧にアンドロイとマーケットへの登録まで行けるようだ。
 1000円かかるが、数冊売れれば、問題はないが、その数冊が売れないどころか、一冊も売れない可能性もある。また、アンドロイドに出すときは、そこでも千円少しかかるだろう。合計3千円ほどかかる。大した金額ではないが、ネットで電子書籍を売って三千円の売り上げがあるというのは、なかなかないはずだ。ほとんどは一冊も売れないだろう。成人向けは、少し違うだろうが。
 それは、某サイトの売り上げ報告から推測される。月に数冊程度の売り上げがあるのだから、いいほうだ。
 さて、これが普及するには、そういった業者で1000円払うやり方ではなく、グーグルが作成サービスを用意することだろう。
 ただ、このアンドロイドマーケット用の本は、アンドロイド端末でないと見ることは出来ない。
 アンドロイドマーケットは電子書籍ではなく、便利ツールのほうが人気がある。
 そこで、期待されるのが、アマゾンキンドルだ。同じ事をアマゾンは先にやっており、電子書籍作成ソフトも用意されている。
 こちらはキンドルという電子書籍端末だけではなく、パソコンでも見ることが出来る。
 だから、アマゾンキンドル日本上陸を待つほうがいいだろう。今でも冒険者は米国向け同人誌を出している。
 アマゾンキンドル日本開店、端末のキンドル日本発売はそう遠くないかもしれない。これがやはり本命かもしれない。これは、電子書籍の本命ではなく、同人誌系、自費出版系での本命という意味で。
 ただ、問題は、簡単に自費出版ができることが裏目に出て、自分の本が埋もれてしまうことだ。リアル本屋では何となく視野に入るが、ネット上ではメジャーな電子書籍でも、探さないと出てこないのだ。ましてや無名の作家など、検索で名指しさえ出来ない。なぜなら、その作家名を知らないからだ。
 つまり、販売サイト出品だけでは如何ともし難い。ここから先は販売促進行為がメインになる。いかに販売所にある自分の本のページへ誘導するかだ。
 ここではネットの大海が待っている。
 電子書籍購入にどういう感じで接触するのだろう。ネット上で雨後の竹の子のように出来た販売所にしても、知らない人にとっては、知らない世界だ。それがネットなのだ。つまり、電子書籍のニュースをテレビなどで見て、それはどう言うものかと興味を持った人がいたとする。まず検索で「電子書籍」とタイプするだろう。その先頭はおそらく電子書籍販売サイトの広告だろう。
 そして、適当な販売サイトをクリックし、その中に入る。
 どんな本があるのかを見るが、トップページには限られた本、よく売れている本などが表示される。このスペースが狭いのだ。
 次はジャンル別で探すが、新着本が先に来ているだけで、興味がない本ばかりだったりする。
 いっそのこと、タイトルと著者だけのテキストで、ぎっしり詰め込んで表示した方が見晴らしがよくなるのにと思う。
 次に作家名や、実用書ならキーワードで探すだろう。
 これが、パソコンから電子書籍を見に行ったときの正面玄関訪問だ。
 また、電子書籍を知らなくても、興味がなくても、本に興味のある人が、本を買うとき、ネットで買う人も多い。そのときはアマゾンだろう。紀伊國屋など、知名度のあるネットショップだ。
 そこで紙の本の宅配やコンビニ留めで購入するのだが、そのサイト内に、電子書籍版もあるとすれば、どうするだろうか。ここで接点が生まれる。ネット上の本屋へ行き、電子書籍と遭遇する。これも表玄関だろう。一番素直かもしれない。
 次の接点はケータイ系だ。そこで本を買うというか、本のような物をダウンロードして読むと言うことだ。これはアマゾンキンドルヒット以前から大きな市場として世界に誇る規模で日本だけで通用していた。そのケータイを誇らしく語れないのは、売れているコンテンツの中身がアレのためだ。要するに、これで事足りているのだが、ケータイ系アレコンテンツ以外にも、普通の本も売りたいわけだ。アレ系コンテンツは確実に売れるが、それ以上の伸び率はない。
 だから、ケータイ電話系は一般書籍も並べたい。アレ系だけでは危機感があるし、大きな声で誇れないためだ。
 ケータイ系、今ならスマートフォン系が大きいな市場になるはずだ。なぜなら、電子書籍最大の売り上げがそこにあるのだから、読者もそこにいるからだ。ただ、アレ系と一般書籍とでは食べ方が違う。そして、スマートフォンはそのまま電子書籍端末のよさを持っている。電子書籍端末が売れないのは、スマートフォンがあるからだ。電子書籍端末を買っても、ネットに接続するだけでも一苦労だろう。
 それよりも最初からネットに繋がり、電話も出来るスマートフォンから、わざわざマニアックな電子書籍端末を買う必要はない。
 そして、パソコンとスマートフォンと、共通の接続先ページはどこかというと、それはツイッターやブログではないかと思う。
 それが今のところ、フェースブックやグーグルプラスであるとは思えない。ツイッターやミクシーが多いと思う。そういう統計を確認したわけではないので、推測だ。
 ソニーリーダーの初代がネット接続を嫌ったのは、環境的な問題もあるだろうが、客を取られるからだろう。フルにアンドロイド端末にしてしまうと、ネットの大海に放してしまうことになる。そして、ソニーリーダーが読める書式を限定させないと、他のいろいろな書式で作られた販売サイトで勝手に買ってしまう恐れがあるためではないか。よく言われる囲い込みだ。
 シャープの端末が苦しくなったのは、アンドロイドアプリを限定してしまったためだろう。一般の人が欲しいのは、電子書籍端末ではなく、ネット接続できる安い端末だったのかもしれない。そのため、新型シャープ端末は、もう電子書籍云々ではなく、普通のアンドロイド端末になっている。
 誰かが言っていたが、電子書籍端末を売るのなら、ヤフーBBのようにモデムを町中で無料で配る勢いでないと、普及しないだろう。
 ここでは、電子書籍の普及の話ではなく、自費出版した本と、読者をどう結ぶかの話なので、そこに戻る。
 これは、著名なジャーナリストで、電子書籍などにも詳しい人が、新書版などで語っていたことが、そのまま解答になる。つまり、コミュニケーション系の活用という苦手な人にとっては、手の出ない方法だ。雲の上のクラウド、まさに雲をつかむような話に聞こえてしまう。
 この解答を得ても、如何ともし難いだろう。
 口コミで何とかと言っても、全部空振りしたりする。魂胆丸見えで、宣伝臭い。
 今から人気のブロガーになれるわけでもないし、その資質がある人は、もう既になっているだろう。
 人を多く集めるサイトを立ち上げると言っても、SEOだけでは限界があるだろう。それこそ大金をはたいて、反則すれすれをやるか、大変な手間をかけて、検索対応に努めるかだ。
 広告バナーを出すほどの資金を出しても、本はそれほど売れるものではない。多くのアクセスがあったとしても、本当に買う人は希だ。
 要するに、その電子書籍タイトルが化けないと駄目だ。つまり、話題になると言うことだ。
 その方法があるのなら、絶対に明かさない。ただの偶然だったりするかもしれないし……。
 そうなると、オカルトめいてくる。呪文が必要かもしれない。
 
 
 

■2011年11月20日 日曜日 16時57分
 
 起きると昨日よりも早かったので、寝起きの老婆の喫茶店に間に合う。起きたとき、窓が明るければ間に合い、暗ければ間に合わない。かなり明るいと、閉店間際を気にしなくてもいいほど早い。
 夕焼けにはなっていないが、晴れており、雲も少ない。温度は高い目だが、夜は寒くなる。
 ホームゴタツに入っていると、寒さはほとんどないため、快適だ。あるとないのとでは居心地が全く違う。去年はいつ頃ホームゴタツのスイッチを入れたのかは忘れた。きっと今年と同じように、寒く感じたとき、使うようになったのだろう。去年の今頃の日誌を見れば確認できるが、特に意味はないので、探さない。
 ホームゴタツをいつ使い出したかは、重要案件ではない。知らなくても困らない。ただ、去年より早いか遅いかは知りたいところだ。これは絶対に知るべき事で、調査が必要なことではない。
 寒くても、なかなかホームゴタツをセットしないで、我慢していた年もある。その記憶はある。これだけで十分で、寒いからホームゴタツを使うのではなく、寒くても使わないこともあるのだ。要するに準備が面倒なので、準備を遅れただけのことだ。そのため、寒さを表す記録ではなく、準備が早いか遅いかの記録になる。
 
 グーグルプラスが使えるようになったので、この川崎日誌をコピーして貼り付けている。シーサーブログや、アメーバーブログでも同じ事をしている。読者層が違うようだ。
 フェースブックやミクシーでも同じ事をしている。
 グーグルプラスとフェースブックやミクシーとの違いは、貼り付けやすいと言うことだろうか。フェースブックが一番面倒だ。それは、長文の場合、ノートというのを使わないといけない。クリック回数が多い。そして、ノートの場合はタイトルを付けないといけない。フェースブックの普通のつぶやきでは付けなくてもいいが。
 グーグルプラスはつぶやきの細い画面から貼り付けることが出来る。カーソルを置くと、細い一行が数行になる。細やかな芸だ。
 しかし、グーグルプラスはブログと違い、閉鎖空間だ。知り合いがいなければ、全く意味のないツールになる。フェースブックもそうだが、フェースブックページというのがあり、これはブログのように一般検索でも引っかかるようだが、ヒット率は全くない。だが、それは珍しいことではない。普通のブログでも、誰も見に来ないことがあるからだ。つまり、検索で来る人は一人もいない。これは、ブログサービスの違いだ。置く場所で決まる。
 シーサーブログとアメーバーブログは一般の検索で来る人がいる。かかりやすいのだ。
 しかし、グーグルプラスにも、フェースブックのように、旧ファンページのようなものが追加されていた。これはフェースブックページの真似だと思うので、こちらは検索にかかれば、誰かが来るかもしれない。何せ検索屋さんが作ったページなのだから。
 そこにアイコンのようなものがあり、それをどこかに貼り付けると、検索が有利になると、書かれていた。グーグルプラスページのようなものへ誘導するアイコンだろうか。それは、普通のホームページやブログに貼り付け、アイコンから飛んでいくと言うことだろうか。詳細は分からない。また、その目的もしっかりとは把握していない。とりあえず物珍しいのでやっているだけだ。
 グーグルプラスは画像などの倉庫になる。無制限のようだ。それで使うことを見当している人もいるかもしれない。ネット上の倉庫サイトはいろいろあるが、よく閉鎖される。グーグルなら大丈夫だろということだろうか。大量の画像や動画や音声ファイルなどを公開するのではなく、保存場所をクラウドに置くと言うことでなら使えそうだ。
 公開はされているが、実際には一人も見に来ないのだから、それ幸いと思い、個人倉庫として使う。
 同じように無制限なのはEvernoteだ。こちらは同期が出来るため、天にあるファイルは地にもある。管理はしやすいが、それでは、地にあるファイルが増えて、ハードディスクがぱんぱんになることの解決策にはならない。
 Evernoteの同期は毎日使っている。ノートパソコンで書いたデーターなどだ。さすがにEvernoteの画面では、川崎日誌などの、普通の文章はタイプしにくい。エディターとしてのEvernoteは一画面以内が好ましい。
 しかし、多くのタブレット端末やスマートフォン系では、Evernoteをエディターとして使っている人も多いはずだ。ただ、パソコン版Evernote以外は有料だ。
 無料版でも、倉庫の制限はない。ただし、月に上げる量に制限があるので、一気に上げることは出来ない。
 フェースブックは世界の国々では一位かもしれないが、日本と、あと数カ国だけは一位になれないようだ。フェースブックを活用するより、ツイッターのほうが流行っているためだろう。
 ツイッターの検索が結構いい。ツイッターで書き込まれたものしかヒットしないが、その質が結構いい。つまり、ツイッターの普及で、普通にブログなどで記事を書いている人が、ツイッターでもつぶやいているためだ。そして、あるキーワードに関してのつぶやきだけをまとめたツイッターもある。
 ある日、ツイッターのIDとパスワードを忘れてしまったことがある。だから、ログインできないときがあった。しかし、ツイッターには書き込めた。そんな馬鹿なと思うのだが、シーサーブログと連動しており、シーサーで書いたブログのタイトルが、自動的に書き込まれるのだ。きっとシーサーブログ側でのツイッター設定のところに、IDとパスワードを書き込んでいたので、それを使って機械さんが投稿したのかもしれない。
 実際にはツイッターでつぶやきはしていないので、ログインできなくても、問題は何もなかったのだが。
 ツイッターが普及すると、問題もある。それはフォローを一方的に出来るためだ。そのため、最近フォローしてくれる人が、宣伝マンだったりする。この人、誰だろうかと思い、プロフィールを見に行く。すると宣伝だ。広告だ。
 それは、ミクシーやアメーバーにもある。ファン登録をしてくれた人がおり、見に行くと広告だった。ミクシーでは「いいね」を付けてくれた人の報告メールがミクシーから来る。同じ人が、同じ記事に対して、ずっと「いいね」を押し続けている。そういうソフトがあるのだろうか。
 申請式にしているフェースブックでは、それが起こらない。こちらに近い趣味などの人からの宣伝用申請なら断る理由はない。しかし、全くジャンルの違う人からでは、何ともならない。
 以前、ブログのトラックバックとコメントがすべて広告だったことがある。それでもいいと思うが、これもジャンルによる。
 ブログでのコメントは許可制に出来る。問題は「いいね」だ。この「いいね」を許可制にするというのは、実際には出来ない。同じ人が、広告行為で、いいねを毎日連打している場合、特定人拒否をするしかないが、そういう手間も面倒だ。
 コメントや、いいね、などは呼び出される。誰に、それはメールでだ。ブログはチェックしないが、メールはチェックする。コメントがありました。ファンが押しました。などのメールが届くと、誰だろうかと思い、見に行くだろう。それが敵の思うつぼ世界で、宣伝を見てしまうと言うことだ。
 その意味で、正々堂々と名乗っているフェースブックのよさがある。フェースブックからもメールが来る。申請やコメントなどがあれば来る。行ってみて覗くと、広告宣伝系はない。
 さて、話は変わるが、グーグルプラスは日本で普及するのだろうか。
 ミクシーでリアル知り合いがいる。しかし、ハンドルネームになっているため、誰だったのかを忘れてしまっている。ネットの名前とリアルの名前が繋がらない。逆にリアルでは知らないが、ネットでは知っている人のほうが、わかりやすかったりする。
 ネットでのやり取りは、どうでもいいような話のほうがいい。答えなくても、返事をしなくても、お互いに困らないような。
 グーグルプラスが流行るかどうかは、フェースブックが日本でトップにならないと駄目だろう。フェースブックは名刺代わりにネットに置いている程度の使い方が多いのではないか。
 やはりツイッターが強いと思う。要するにチャットをやり続けているようなものだから。
 
 

■2011年11月19日 土曜日 19時51分
 
 早く寝たのだが、起きると、うんと遅い。寝過ぎた。そのため、寝起きの喫茶店はショッピングモール内になる。
 しかし眼鏡を忘れてきていたため、何も出来なかった。座っているだけだ。
 昨日はコンビニでおでんパックを買っていたので、それをおかずにする。二食分ある。これはコンビニおでんとは別のパックものだ。こちらのほうが安い。似たようなパックはスーパーでも売られているが高い。その分、物が多い。だから、決して高くはないのだが。
 おでんパックには出汁が入っており、これは濃縮ではなく、そのままなので、具を全部食べ終えたあとでも、その出汁で何かを作れる。ただし煮込むには適していない。沸騰させ続けると、出汁も消えていくからだ。
 
 シャープのタブレット7インチが普通のアンドロイド端末としてやっていくつもりなのは、電子書益端末としてでは、やっていけないためだろう。電子書籍化されている本の伸びが低い。出版社としても、有利な条件になるまで、待っているのかもしれない。
 本屋にはないが、電子書籍にはあるという状態が、好ましいのだが、その逆だ。当然のことだろうが。本屋になくても、普通の本はネットショップで買える。だから、近所の本屋にない本でも手に入る。
 絶版になり、古書店にしかない本でも、ネット上で手に入る。影も形もなくなっている本は別だが。
 電子書籍はそういった絶版本などを出せばいいのだが、黒字になるほど売れるものではないだろう。いくら経費は安いといっても、数冊しか売れないのでは、人件費分赤字だ。以前なら、売れる本がそれをカバーしていたようだが、出さないと赤字になるので、出しているだけの本もある。それがほとんどだったりするかもしれない。要するに年々本は売れていない。発行点数とは関係がない。そういう状態を打開するのが、電子書籍なのだが、これは地味な話になるのではないだろうか。
 先日、本屋で漱石の吾輩は猫であるが出ていた。青空文庫で無料で読めるではないかと思うと、今はネット上での本が足を引っ張っているような気もした。ただし、吾輩は猫であるが、普通の近刊本として出ていても、果たして売れるだろうか。ある程度売れるだろうが、一般の読者がどの程度買うかだ。
 ライトノベルが全文庫本の20パーセントに迫ったようだ。伸びている小説本は、このあたりだとすると、普通の文芸書は追いやられているような感じだ。
 そのライトノベルの書き方、作られ方は、漫画の作られ方と似たようなものだ。それより、きついかもしれない。
 要するに、受けるようなサービスを過剰にフィルターとして使っているため、受けない要素が少しでもあると、削除、書き直しされる。それは、読者が好む物を投入すると言うことで、需要を満たすという意味ではいいのだが、それ以外のものは排除される。そういう作り方をしないと、売れない。売るために出しているので、売れない要素、受けない要素が少しでもあると、駄目なのだ。
 まあ、それは当然の商行為なのだが、それをすることで、同じような作品、作風しか出てこなくなる。まあ、それは漫画でも同じ事で、非常に絞り込まれた中での違いしかない。といって、一般文芸書はどうかというと、こちらもライトノベル化現象がその前から発生している。だから、文庫本コーナーへ行っても、読みたいと思うような本はほとんどなかったりする。読めば楽しめるだろうとは思うものの、別に読まなくてもいいのではないかと感じるのだ。
 それで、ちょっと考えたのだが、売れるために精緻に計算された作品より、受けないように書かれた小説はないものかと。そちらの方が、逆に新鮮ではないかと。
 自分が受ける作品を書くというのは嘘だと思う。読者は自分であり、自分が読むために書いた小説が、いい小説にもなるという非計算系だ。書く側からすると、自分以外の人にも受けたいのが本音だろう。でないと、職業作家としてやっていけないからだ。作品内容より、こちらのほうが大事なはずだ。
 本はどうせ売れないのだから、電子書籍化し、出来るだけ、経費を抑えたいというのが、出版社の本音かもしれない。
 
 
 

■2011年11月18日 金曜日 19時52分
 
 ぐっと起きるのが遅くなる。寝起きの喫茶店はモスだ。夕方起きから夜起きになる。
 寝る前は寒くはなかったが、起きると寒い。晴れているとすれば、温度差が出たのかもしれない。
 もうクリスマスの飾り付けをやる季節だ。わずかな期間のアクセサリーだろう。
 日本の祭りなどは一年中準備をしている地方もある。秋祭りが終わった日から、次の年の祭りの準備を始めるのだ。そして練習も。
 クリスマスは祭りと違い、練習はいらない。また準備も儀式化していない。海外でのクリスマスでは、儀式があるかもしれない。それよりも、クリスマスと言えば商戦で、ボーナス商戦だ。今年最後の物欲爆発期だ。だが、それが終わっても、年末大売り出しもある。年が明ければ、お年玉セールもある。買ってもらえるタイミングを常に作っている感じだ。その中でもクリスマスは一番よいタイミングだ。
 クリスマスセールで仏壇を売るわけにはいかないが、わずかな例外を除いて、ほとんどの商品は便乗できる。
 クリスマスには、クリスマスケーキを食べる。これがくせ者で、クリスマスが終われば、店頭に出せない。下手にメリークリスマスと書いたり、サンタの人形を乗せているためだ。だから、それを避けたケーキを作った方がよい。普通のケーキで、箱だけクリスマス風にすればいいのだ。
 クリスマスケーキはショートケーキでは駄目だ。丸くて大きくないと駄目だ。節分の日、巻き寿司をがぶかじりするように、大きなケーキを一人でかぶりつくのがよい。昔のケーキはパンにクリームをのせたような感じで、生地はパンに近いので、食べきれるものではない。しかし、今は柔らかくソフトなので、大きくても満腹にはならない。だから、食べきれるはずだ。両手でぐっと握れば、非常に小さな体積にすぐになるだろう。
 そのため、昔は、クリスマスの夕食はクリスマスケーキだった。夕食一食分だ。ご飯を食べてからデザートでケーキを食べるのではなく、クリスマスケーキがご飯だったのだ。これは、巻き寿司のがぶかじりと同じで、一食分相当だ。
 数年前までは25日の夜深くになると、ケーキは半額で売られていた。また、仕入れすぎたスーパーなども半額だ。それを見越した客が、最初から、それを狙って詰めかけていた。だから、夕食には間に合わないが、クリスマスケーキは、半額になった時間に買いに行くパターンが出来た。そのためか、予約制にし、もう店頭でケーキを売ることを止めた店もある。半額なら、二個買える。これはケーキ以上においしい。
 節分がぶかじり巻き寿司も、閉店間際半額以下になっていたが、これも大く仕入れないことで、客の流れを変えている。つまり、遅く来れば、なくなってますよ。という状況を作ったのだ。
 閉店間際まで、巻き寿司が全く売れない。そして、閉店間際になって、やっと動く。それを買う家族は、夕食が遅くなってもその日だけは我慢する。
 つまり、節分やクリスマスとは、いかに安い巻き寿司を手に入れるか、ケーキを手に入れるかの行事で、今年は半額以下の巻き寿司をゲットできたことを喜び、そしてかぶる。要するに消費者ゲームなのだ。ただ、年々この喜びの行事をやらせてくれなくなっている。
 企業は儲けるためのクリスマス商戦なのだから、当然だが、半額になるというクリスマス特価を敢行するのが、クリスマスセールではないかと思う。
 確かに衣料品もクリスマスセールで安くなる。しかし、毎日値札をチェックしている人なら分かると思うが、安くしてもいい商品とそうでない商品が確実にあり、言うほど安くはない。また、普段でもその程度の特価品はある。平日からの特価商品はクリスマスセールでも、同じ値段だ。特価にして、捨ててもいい商品は限られており、それはやや季節遅れとか、あまり売れないで残っている商品だ。
 家電もクリスマス特価になるが、それが終わっても、同じ値段で売られていたりする。すぐに年末年始セールがあるので、そのまま行ってしまう。ただ、クリスマスの時だけはポイント倍増などで、少し味を付けているが。
 クリスマス商戦でも堅牢な商品がある。品薄の人気商品だ。これは強気でいける。値崩れしない。
 
 

■2011年11月17日 木曜日 15時56分
 
 起きると昨日よりはかなり早い。
 曇っており雨が降りそうだ。空は真っ白で、陽のある時間に起きてきたのに、太陽を望めない。そして、ぐっと寒くなっている。
 それで、ホームゴタツをつける。掛け布団はまだ薄いタイプで、布団ではない。綿の入っていない敷物のようなものだ。正方形の綿入りの掛け布団もあるが、もっと寒くなってからだ。
 これは、カーペットのように敷くものか、書けるものかは分からないが、万能何とかになっており、安いのだが、気に入っている。ホームゴタツ掛け布団だと、分厚すぎるのだ。
 この掛け布、ホームゴタツに仕込むとき、テーブルを外さないといけない。だから、面倒なので、なかなかその気にならないのだが、ちょっとしたこつで、テーブルを少し上げることで、差し込める。そして、引っ張ればセットできる。テーブルを全部上げれば、楽にかけられるのだが、テーブルの上に乗っているものを、ある程度のけないといけない。これが面倒なのだ。
 それで、無事ホームゴタツ稼働となり、暖かくなった。電気ストーブはストーブで、結局は使うことになる。亀のようにホームゴタツの中に身体を沈めれば問題はないが、座っている姿勢では腰とか背中などが寒い。
 しかし、電気ストーブより、ホームゴタツのほうが身体は暖まる。足下を暖める為だろう。だから、掛けヒーターのようなものでもかまわないのだが、やや窮屈だ。ホームゴタツは、四角い空間はエアコンで暖めているように、空気が暖かいのだ。だから、その四角い空間に足を適当に入れるだけでいいので、姿勢が楽だ。
 エアコンはあるのだが、使っていない。節電の為ではなく、それほど暖効果がないためだ。

 八百屋で買った大きく安いサツマイモを蒸かして食べる。これで一食以上のボリュームがある。そのため、全部食べきれないので、残す。
 大きいのが三つ200円なので、一つ100円相場のため、一つ分得した感じだ。サツマイモにもタイプがあり、太いのと、細長いのがある。蒸かし時間は細いタイプのほうが早いので、扱いやすいが、おいしさでは太いほうがいい。これも産地というか種によって違うのだろう。こちらが買っているのは、特価ものなので、安いことが条件で、高ければ買わない。そして、品種は問わない。サツマイモはサツマイモなのだから。
 こういう一品ものはシンプルでいい。パンで言えば、何も入っていないコッペパンのようなものだが、同じ100円でもボリュームが違う。結局パンは小麦粉なので、実体が分からない。粉ものなのだ。サツマイモは実体そのものだ。

 最近はアンドロイドタブレットや、電子書籍端末機など、どんな感じなのかを調べるだけでも忙しい。一番バリエーションが広いのはアンドロイドタブレットだろう。
 アンドロイドタブレットにはデジカメが付いている。GPSが付いている。結局はスマートフォンを大きくしたようなものだが、アンドロイドタブレットで何をするかだろう。その前に、何が出来るかだ。
 パソコンが普及したきっかけはネットにある。インターネットに接続できるようになって、ぐっと普及したはずだ。それまでのパソコンでは、使う人は限られていた。ネットを安く気楽に使えるようになってから、買った人が多かった。それは、ネットを見ることが目的で、そこでいろいろ出来る。
 つまり、一般の人が使える。一般と言うより、多くの人が、ネットに興味を持ち、使うようになったのだ。パソコンを使うと言うより、ネットを使う感じだ。このあたりをウェブ進化論としてライフスタイルを変え、ビジネスを変え、などと言い出した人もいた。
 そして、それが可能な理由は、ネットに繋ぐ端末、パソコンでもケータイでもいいが、それが安くなったことだろう。通信費はそれ以上安くならないが、ハードは安くなり、ますますネットをする人が増えているだろう。
 アンドロイド端末は、その「よく使う機能」のおいしいところ取りだろう。ネット接続ユーザーは増えているが、それはケータイ系だろう。
 だから、アンドロイドタブレットはネットをする為の端末と見ていい。そして、何かファイルを作る端末ではなく、見る端末なのだ。
 何かを作る人より、何かを見る人のほうが圧倒的に多い。作る人も見る人だ。しかし、見る人すべてが作る人ではない。ユーザーが増えたのは見る人が増えたからだ。
 そして、ケータイ系端末の画面より、より見やすいのが、タブレットタイプだ。一言でタブレット言ってもいろいろあり、ウインドウズが走るタブレットもあれば、グーグル系とアップル系があり、他にも表に出てこないOSで走るものもあるだろう。スマートフォン以前のケータイがそれだろう。国産OSもあるのだから。
 さて、こちらが興味があるのは、見るのではなく、作る側の端末だ。普通のパソコンがあれば、それですむ話なので、そのあとは興味本位でよい。あれば便利だが、なくても困らない。やってもいいが、やらなくてもいい。そのレベルだ。
 先日電車の中でソニーリーダーで本を読んでいた。横に座った老いたビジネスマンが10インチタイプのタブレットを週刊誌ほどの大きさの見開きカバーに入れて操作していた。重さ的には1キロ弱、10インチタブレットの最軽量タイプは700グラム前後だと思うが、それほど重いものではない。膝の上で、ブックカバーのようなものに仕込んでおけば、持ち上げるわけではないので、大丈夫だろう。要するにラップトップなのだ。
 その端末が何かまではのぞき込めなかったが、町で見かけるタブレット所持者は中高年が多い。
 これは、雰囲気での推測だが、パソコン初心者で、買ったが使いこなせない人ではないかと思える。中高年ビジネスマンだ。お金がないわけではない。そうかといってパソコンを買って是が非でもやらなければいけない用事もない。買ったパソコンはテレパソになっていたりする。
 パソコンに比べ、アンドロイド系やiPad系は使いやすい。スマートフォン系は、ケータイ系で、ケータイは電話以外では使ったことがないタイプ。そういう人が横でタブレットを触っていたのではないかと想像した。
 スマートフォンは使いこなせないが、10インチの大きさで、大きなアイコンがあり、文字も大きく表示されるので、使ってみる気になったという感じだろうか。
 この人が使いこなせるかどうかは分からない。ヨドバシの展示品を一人いじめしてずっと触る程度の使い方かもしれない。使えるかどうかを試している最中かもしれない。そのために買った。
 パソコンよりも使いやすい、大きなシステム手帳を買ったようなものかもしれない。こういう人が参入すると、端末は売れる。
 つまり、普通の人が買うから売れるのだ。興味があり、よく知っている人はもう真っ先に買い、そこで頭打ちする。一般の人を巻き込まないと、売れない。
 GPSと地図画面、これだけでも結構買う動機になるだろう。これは使いこなす旨味があるので、使うに違いない。あれば便利だ。地図を持ち歩いているようなものだ。この場合、ノートパソコンでは歩きながら見られない。L字型になるため、軽いノートでも筐体の形は手に持つようには出来ていない。だから、回覧板のような板状、スレートものが扱いやすい。これは、家のパソコンで、地図を印刷すれば、それですむことで、または知っている町なら、地図を見ただけで、おおよその場所は分かるので、無事到着できるが、知らない町では、やはり地図がいる。あれば、便利という機能だ。
 しかし、地図も持たないで、目的地へ行くのも面白い。迷うことで、その町に詳しくなる。
 地図よりも、一つ目の道を右に回り、四つ目の道で左に入る。などのほうが行き着きやすいのではないかと思う。地図はアナログだが、言葉による記憶はデジタル的だ。こちらのほうが正確なのだ。図を覚えるより、言葉を覚えるほうが早い。
 地図を見ないと、場所が分からない場合、地図を見ながら、言葉で置き換えるのが、一番の近道ではないかと思える。
 また、地図を持ち歩いていても、解答を見ないで、行けるかどうかを試すのも面白い。こちらのほうが、感覚を駆使するので、ダンジョン探索ゲーム風おもしろを味わえる。この余裕が大事だ。
 
 

■2011年11月16日 水曜日 16時43分
 
 起きると昨日よりは早い。夕日は見えないが、夕焼けは見える。晴れているようだ。
 寝起きの喫茶店は、閉店間際に間に合う。昨日はぎりぎりだったので、滞在時間も短い目だ。
 
 ポメラの新型DM100が出るようだ。
 今回は5.5インチとし、バックライト液晶にしたようだ。確かにポメラの液晶は明るくないが、読めないほどでもない。これが電子書籍なら、ちょっと苦しいが、薄暗い場所でポメラを使う機会はほとんどない。それは、タイプ姿勢で使う為だろう。しかし、バックライトがつくことで、暗闇でもメモが読めると言うことだろう。
 最大の変化は筆箱スタイルになったことだ。ポメラは折りたたみ式だったのだが、それを開いた状態で、ノートパソコンと同じように、蓋を開けるだけでよく、キーボードを半割にしなくてもよくなった。これは誰が見ても、NECモバイルギアだ。ただ、このPDA機を知っている人は少なくなった。近いところで言えば、ソニーのバイオの小さいタイプに似ている。
 ポメラの弱点だったモバイル版ATOKの辞書の小ささは、少しは改善するようで、ATOKユーザー辞書が使えるが、ATOKラージ辞書、つまりパソコン向けATOKと同じ辞書は使えないようだ。しかし、専門用語辞書はかなり使える。
 そして、なによりなのは、国語辞典が付いたことだ。これだけでもずいぶん違う。それはポメラの画面上で、簡単に引けるようだ。
 キーボードを折りたたまなくてすむ分、キーボード幅の横長さになる。しかしモニターはモバイルギアのように横長ではない。つまり、液晶左右に余地が出来ている。そこに国語辞典などへのアクセスボタンなどを入れるんのだろう。
 そして、同時表示できるファイルが二つ可能なようだ。窓が二枚出るのではなく、画面分割だろうか。今までは、他のファイルを参考にするときは、一度今のファイルを終わらせて、切り替えていた。そのため、戻るときは、ファイル一覧からファイルを選択しなくてはいけない。まあ、それほど頻繁に切り替えていたわけではないので、不便は感じなかったが、二つのファイルを気楽に行き来できるのは好ましい。
 電源は30時間持つようで、伸びた。バックライト付きで、逆に伸びたのだから、すごい。電池は普通の電池だ。そのため、バッテリー問題の不安は全くない。
 ケータイや、モバイルノートなどは、必ず充電しないと、次の日怪しくなる。その手間が省ける。出先で電池を取り替えればいいのだ。
 その他、メモ帳にメモ帳が付く。ポメラはメモ帳なのだが、扱えるファイルの大きさはメモ帳を超えている。今回はカレンダー連動式のメモ帳かもしれない。カレンダーは、スケジュールを書き込むことが出来る。それとは別にメモ帳が起動するようだ。どちらも結局はテキストファイルで保存されるので、ポメラ本体で書いたファイルと同じだ。
 縦書き表示も出来るようだ。そして、行数と桁数も指定できるので、原稿用紙換算が楽に出来る。
 こちらは、富士通のノートを夏に買ってしまったので、ポメラは冬眠している。そして、ポメラではなく、アンドロイド端末を狙っていた。一番安いアンドロイドタブレットの価格より、ポメラのほうが高い。また、普通のウインドウズ7が走るネットブックで2万円少しのものがある。それを考えると、ポメラは高級機になる。
 ポメラではネットは出来ない。しかし、ポメラをキーボードとしてスマートフォンが認識するようだ。ケータイ用のブルー何とかという通信方法キーボードは結構高い。
 アンドロイドタブレットを買うか、ポメラを買うか、または、NECモバイルギアに近いNECライフタッチノートにするか、選択肢は多い。ポメラにはネットがない。
 ポメラとは関係はあまりないが、WZエディター執筆バージョンが出るようだ。パソコン用エディターだが、アウトライン編集や、ルビ表示や縦書き、禁則、すべて揃っている。
 しかし、ポメラのべたべたなファイル管理や、メモ帳に近いべた書き文章環境は、操作性はいい。つまり操作がないに近いので、集中して文章に専念できる。まさに筆箱だ。
 もし、アンドロイド端末を文章書き専門に使うのなら、環境はポメラのほうが優れている。
 
 

■2011年11月15日 火曜日 17時15分
 
 起きると少し遅い。そのため、寝起きに行く老婆の喫茶店はぎりぎりだ。あと数分差で閉まる時間に入るので、行けないところだった。閉店時間に入っても仕方がないので。
 寝る前寒かったが、その後はどうもなかった。足が寒いが、膝掛けに両足を突っ込んでいると、まだ何とかなる。最高温度時はいいが、最低温度時は寒く感じる。しかし、秋の入り口付近で、それよりも寒い日があったので、まだ序の口だ。
 しかし、12月の声を聞くと、普通に冬なので、寒くて当たり前だろう。
 今日は日が沈んでしまってから起きてきたので、晴れているのかどうかは分からない。しかし、雨の気配はない。これは、空気が湿気ていないと言うことだろうが、そういう日でも雨は降る。だが、夏ではないので、にわか雨は少ないだろう。
 そろそろホームゴタツに掛け布団を使い、スイッチを入れるべきだろう。十分寒い。
 
 NHKで、日曜日の夜にやっている韓国ドラマ「イサン」をやっていない。何かの番組が延長になったのかと思っていたのだが、遅い時間になってもやっていない。放映時間が変わったのか、曜日を間違えたのかと、不審に思った。
 曜日は間違えない。大河ドラマをやっていたので、曜日に間違いはない。
 今回の大河ドラマ「姫たちの戦国」は、ほとんど見ていない。つまり楽しみにしていない。楽しめないのだ。それは「イサン」に比べて、面白くないためだ。この面白さとは、カタルシスだろう。
 浅井の三人の姫、淀君なら、面白いが、ラストにカタルシスはない。他の二人は、あまり取り上げられない。面白くないからだ。
 それよりも、家康のほうが面白い。キャラとしてはトップクラスのためだ。そして、真田親子もスターだ。当然信長、秀吉、光秀、三成、このあたりもスタークラスだ。しかし、家康の息子、秀忠とその正妻になると、面白くない。この二人、何をした人なのだろう。
 つまり、姫たちの話は面白くないが、その周辺武将の話は面白い。だが、トップクラスのキャラの歴史ドラマ的展開は、軽く描かれるため、今ひとつ気が乗らない。姫の話なので、戦国オールスターの激突の話ではないのだ。それは背景に過ぎない。だから、煮え切らない。だから、ドラマとしての魅力が低いので、毎回見ないのだ。見逃して残念もない。
 また、秀忠の正妻より、乳母のお福、後の春日局のほうが、キャラは上だ。光秀の家臣だった家の娘なのだから。
 さて「イサン」だが、これは実に上手い。歴史大河ドラマなのだが、毎回それなりに盛り上がる。「イサン」の「サン」は王子の名前だ。国王の孫なのだが、王室、朝廷内での陰謀が実にわかりやすく描かれている。こちらのほうが、ドラマとしての楽しさ、わくわく感がある。
 それで、日曜にあるはずの放映がなかったのか、または、その日は偶然しなかったのか、よく分からないので、動画共有サイトを見ると、イサンがあった。しかもNHKの放映より、早い。進みすぎているので、30話前後を探し、やっと前回の続きを見ることが出来た。次はどうなるのかと、気になるドラマなので、その先を見てしまった。
 今年のNHKの大河ドラマには続きを早く見たいという肝心なうまみがない。これは、どうなるのかが分かっているためだ。そして、その解釈もいつもと同じだ。つまり、「戦のない平和な天下にするため」が題目になる。また、そこへ持って行くのかと思ってしまう。
 竜馬は三菱の創業者の貧乏くささのほうが面白く、その出世談のほうが楽しめた。武蔵は、その幼友達又八とそのカップルのほうが、お通と武蔵のカップルより面白く、そちらの方が人間がよく描かれていた。武蔵は勝つのが分かっているのだから、その苦痛など、どうでもよい。むしろ、負ける側の武芸者側に同情が行く。そして、明らかに倒された側の俳優のほうが魅力があった。
 
 
 

■2011年11月14日 月曜日 16時03分
 
 起きると昨日よりは早い。従って老婆の喫茶店に間に合った。かなり余裕がある。
 よく晴れており、夕焼けではなく、夕日がしっかり眩しく見える。ようやく晴れた感じだ。温度的にも過ごしやすそうだ。つまり、寒くない。
 この時期暑いと思うとすれば、着込みすぎているためだろう。
 しかし、季節的にはもう冬なので、暑いという言葉を使う機会も減るだろう。これからは寒いが多くなる。
 昨日はショッピングモールの喫茶店へ行ったので、そのついでに八百屋で野菜を買う。八百屋がテナントとして入っているのだ。その近くにもう一軒八百屋が入っていたが潰れている。その違いは何だろう。
 潰れた店はブランド野菜を売っていた。要するに単純に言えば、高い野菜を売っていたのだ。ブランド野菜と言うより、産地名が書かれている程度だが。一方はサインペンで、適当に、何々産と書かれ、一方は売り場にきっちりと書かれていた。
 キャベツが100円なのは、両店共通している。安いものはどちらも安いが、それ以外の品物になると、差が出る。安い野菜だけを買うわけにはいかないので、なすびもいるだろうし、カボチャもいるだろう。すべての野菜が特価ではない。
 この特価ではない野菜で、差が出た。総合的に見て、残った八百屋の方が安いため、そちらでまとめて買う感じだ。
 さらに潰れた八百屋では、白菜一つだけレジに出すと、無愛想で、礼も言わなかった。残った八百屋も無愛想だが、礼ぐらい言うし、まあ、普通だ。そうなると、愛想がいいほうで買うだろう。同じ買うのなら。さらに、より安いとなると、なおさらだ。
 潰れた八百屋はブランド野菜と言うことで、展示も綺麗だった。八百屋らしくないモダンな売り場だったのだ。売り場が綺麗なのだ。
 そして、売っている場所が、モダンなショッピングモールなので、景色としては合っている。しかし残った八百屋は市場の八百屋のように雑然としている。こちらのほうが客が寄りやすい。入りやすいのだ。野菜はスーパーでも売っている。このモールでは二店入っている。だから、スーパーより安いこと、意外性があることが大事だ。
 その意外性とは、安さだろう。これは強い。
 それで、昨日は水菜3パック100円を買う。1パック100円が普通だ。それを3つ持って帰られる。さらにサツマイモのかなり太いのが3つで200円だった。最近行っているスーパーより遙かに安い。比べれば、ここが一番安い。それを一度知ると、安い野菜類を買うのなら、ここで、ということになる。
 安いというのはポイントが高い。基本中の基本なのだ。
 
 電子書籍ライカ伝にウェブ版を追加する。サンプルの続きのようなものだ。有料なので、パスワードがいる。ウェブ版とダウンロード版の違いは、閲覧ソフトとファイルのあり場所の違いだ。ダウンロード版はPDFで、ダウンロードすると、自分のパソコンに保存される。
 見る側としては、PDFにして電子書籍風に見るのも、ウェブコンテンツとして見るのも、同じようなものだ。
 電子書籍としてPDFは貧乏くさいような感じだが、それを見るためのアクロバットリーダーは、普通に買ったパソコンなら、普通に最初から入っている。そのため、リーダーというビューワーをインストールしなくてもいい。そして、一番この形式が電子書籍では普遍性がある。これがイーパブでも最新のアクロバットリーダーなら、表示させることが出来る。
 ウェブ版はPDFよりもさらに普遍性は高い。インターネットブラウザーは、まずは入っているだろう。逆に言えば、インターネットに接続し、電子書籍が買えると言うことは、ブラウザーが入っているためだ。ネットショップもブラウザーがなければ、それを見ることは出来ない。だから、インターネットブラウザーが一番初期環境としては強い。
 
 

■2011年11月13日 日曜日 17時46分
 
 起きるとやや遅い。そのため、老婆の喫茶店が間に合わなかったので、ショッピングモールへ行く。
 すっかり夜になっており、空模様はよく分からないが、雨が降っていないので、曇りか晴れだろう。それほど寒くはなく暖かくもない。だから、平年並みだろう。平年とは平均温度のようなものだが、同じ日の温度かどうかは分からない。なぜなら、日により温度差があり、暖冬の年でもその日は寒いこともあるからだ。
 そのためか、天気予報では、明日の温度などは、平年ではなく、昨日に比べて何度高いや低いとなっている。平年並みの平年とは、おおよそではないかと思える。なぜなら、データーを取り出してから温度が上がっている。だから、平年並みの温度というのは、上昇しないといけない。もし氷河期からのデーターがあったとすれば、そこからの平均気温となる。当然これは計算に入れない。
 去年の温度は、当然平均気温ではない。暑かった年、寒かった年もあるので、基準にはならない。天気そのものが不安定になると、これは、昔は政治家の責任になったようだ。天下を治めるにふさわしくないわけだ。
 昔から、天変地異は起こっている。しかし、一年中荒れ狂っているわけではなく、落ち着いた月や日もあるはずだ。これが、平年並みの日と言うことだろう。
 平年並みの気温とは、その温度を受け入れてしまえる気温だ。寒い日は、寒いのだが、特に寒いとは思わない。当たり前の寒さとして、見ている。だから、気にならない寒さなのだ。確かに寒さは気になるが、異変だと思うほどの寒さではないため、あまり気にならない。いつものように寒いという感じだ。これが平年並みだ。
 さて、この季節。上着は真冬ものでも、下は結構薄着でよい。野良仕事、外での仕事が多い人は、そうはいかないだろうが、これから暖房が入る場所が多くなり、そこでは暑いのだ。
 自転車で喫茶店や買い物に行くとき、往復は寒いが、店内は暖かい。すごい温度差だ。下手をすると、汗をかく。そういうことで、温度差に対しての慣れが出てくる。身体は慣れないので、着ているものを工夫するわけだ。
 屋内は暖かいと言っても、スーパーの食料売り場などは結構寒い。冷蔵庫の前を歩いているようなものなので。
 
 昨日はジェームスの「ねじの回転」前日というか、この小説が始まる前の話を映画化したものを見た。FC2動画に上がっていた。
 ねじの回転は、幽霊談だ。その幽霊がどうして出たのかを、映画化したような感じだ。そのため、この映画には幽霊は出てこない。タイトルは「森の妖精」だったように思う。子供の話だ。
 それで、ネットで「ねじの回転」の映画を探す。あるにはあるが、紀伊國屋から出ており、品切れになっていた。DVDだ。
 映画は無理でも本はあった。これは文学作品でもあるので、結構いろいろな出版社から出ている。しかし、電子書籍化はまだのようだ。大きな本屋へ行けば、それこそ紀伊國屋書店にでも行けば、文庫本が、まだ棚の上にある可能性が高いが、それだけのために、出かけるのは面倒だ。ねじの回転は、昔、読んだ記憶がある。しかし、はっきりと幽霊が出てこないので、雰囲気で持って行く感じだった。その雰囲気の実体を、昨日映画で見たので、それを思い出しながら、小説のねじの回転を読むと、面白いのではないかと考えた。
 映画版「ねじの回転」は「回転」というタイトルだったかもしれない。デボラカー主演となっている。昨日見た映画は、マーロンブランド主演だ。ねじの回転の映画は、かなり古い。
 FC2で映画をアップした人のページへ飛ぶが、ねじの回転はない。
 先日も貞子の「りんく」はあるが続編の「らせん」はない。動画配信サイトには「らせん」はあったが、これも一度見た映画なので、買う気がしない。
 映画を見て、続編や、その前の作品があると、見たくなる。それは、ごくわずかな期間で、見た直前でないと、駄目だ。そのときは、見たいと思い探すのだが、賞味期限は短い。
 
 
 

■2011年11月12日 土曜日 16時47分
 
 起きるといつもの閉店間際の喫茶店時間帯。晴れていたのだろうか。夕焼けが見える。つまり、ほどよく雲もあり、全体的には青空が多い感じだ。最近室温は20度だ。これを切ると寒くなる。
 寒くなると、中にもう一枚着る必要がある。まだ、その時期ではないが、チョッキのようなものとか、毛糸のセーターのようなものだ。一応これを中に着込むと真冬スタイルになる。
 
 古典、そして原点RPGゲームのウイザードリオンラインをやる。
 インストールしてからしばらく立つが、なかなか起動してくれない。一度だけ起動した日があり、それはメンテナンス中だった。だから、アクセス制限をしていたのではないかと思うのだが、何かよく分からない。二日ほど前試すと起動した。毎日一度は試していたので繋がるようになったのは最近と言うことだ。
 それで、早速やってみる。最近のオンラインRPGゲームが吹っ飛ぶような手強さだ。
 昔のフロッピーで動いていた画面が、オープニングに、少しだけ出てくる。フレームだけの3Dだ。壁や床はあるのだが、質感は全くない。枠だけの3Dで、よくまあ、こう言うのをやっていたものだと思う。
 枠だけだったのが、オープニングでは洞窟内の風景に変わる。意外と天井が高い。昔は廊下のような洞窟が、今は、リアルな洞窟となっていた。
 ゲームマップは、港町からダンジョンへ飛ぶ感じで、ダンジョンまでの道はない。いきなりワープする。港町は広くはないが、移動しないといけない。ミニマップなどをクリックすると、自動的にそこまで走ってはくれない。さらに、歩行はマウス左右キー両押しという苦しいものだが、基本はキーボードにいくらでも簡単に仕込め、カスタマイズも簡単だ。
 また、戦闘は自動戦闘ではなく、毎回押さないといけない。だから、攻撃速度の速いダガーなどは忙しい。また、ダガーなどはモンスターの近くまで行かないと、全部からぶりになる。
 練習用のダンジョンクエは、簡単だが、本格的なダンジョンは苦しい。それこそ身動きが出来ないが、動かなければやられてしまう。
 ポーションを最初10個ほどあったが、すぐになくなった。雑貨屋には売っていなかったし、第一お金がない。
 モンスターに襲われて、逃げているだけでもダメージ受け、防具類が破損する。その減り方が早い。しかし、お金がなければ修理も出来ない。
 モンスターを倒しても、ドロップ品はない。あるのかもしれないが、今のところない。死亡すると、それだけ、叩かれたわけなので、防具類はかなり損傷している。さらにロスト品がある。
 目的地まで、走り抜ければ、モンスターを振り切れるが、結構遠くまで追いかけてくる。さらに、ダンジョン内の様子が分からないので、下手に走っても迷子になる。ダンジョン内マップはなく、死体などがマップの断片を持っていたりする。それでも、マップを見ながら、じんわり進んでいると、モンスターに襲われる。だから、立ち止まれない。
 そして、最初に作ったキャラは、お金がなくなり、防具の修理費もなく、回復薬もなくなる。これでは、クエストを果たせない。
 ただ、ダンジョン内に回復ポイントがあり、それに触れると回復するのだが、五回までとある。これは大事に使わないといけない。
 また、キャンプ用のテントがある。これが回復薬の代わりになるが、お金がないと、それも買えない。キャラクタを横に寝かせることが出来る。これで回復するかどうかは試していない。座るの他に、寝転ぶがある。これがいけると助かるのだが。
 最初のキャラで行き詰まったので、新規キャラを作るが、初心者サービスがない。それに、受けた覚えのない最初のクエストがでている。条件が悪い。持ち物のおまけも入っていない。ソウルポイントというのがあり、複数キャラと共有するようだ。
 簡単にすらすら雑魚キャラ退治というようなわけにはいかない。モンスターが強すぎるわけではなく、回復薬とか、お金が不足しているので、戦ってクエストを果たさないと、赤字になる。
 そのため、このゲーム、退路を考えた上で移動しないと、ぼんやり散歩できない。
 
 

■2011年11月11日 金曜日 15時43分
 
 昨日よりは少し早く起きる。空は曇っており、小雨。少し肌寒い。
 電気毛布を逆に敷いていた。裏表の逆もあるが、上下の逆もあった。まずは裏表を逆にしていたのは、差し込み口を足のほうに持って行くためだ。そうでないと、腰あたりに堅いものが来る。差し込み口とは柔らかい毛布に例外的に付着している電気器具だ。通常のコードの差し込み口よりも薄いのだが、寝返りを打ったとき、たまに当たる。毛布の端にあるので、それほど問題はないのだが、そのたまたまで、スイッチが切れることがあった。押さえつけたりするため、ずれるのかもしれない。
 それで、足下に持って行くため、裏返した。表のままだと、今度は電気コードが遠回りになり、延長コードが必要になる。
 最初は気のせいだと思っていたのだが、足下が寒い。足の裏付近が暖かくないのだ。寝ながら、足の裏を電気毛布に付けるのは難しいが、足のかかとや足首は着地している。その箇所の毛布が暖かくないのだ。そして、腰から背中にかけてが妙に暖かい。
 つまり、裏表で、しかも上下逆になったのだ。裏表だけなら、問題はないようだが、上下が問題のようだ。
 電気毛布には頭方向と足方向が記されている。同じように見えるのだが、足下のほうが熱を多くだし、頭方向のほうが熱が少ないのかもしれない。それで、足下が寒いのだ。熱が少ないと言うより、来ていないのだ。針金のようなものがしっかりあるのに。
 それで、正しい方法に直すと、足下が暖かくなった。そして、腰から背中にかけては、ほどほどの暖かさになった。
 だが、腰の横に来るゴロゴロはそのままだ。このゴロゴロの位置を変えようとしたのだが、結果的には足下が寒いと言うことで、変更しないほうが好ましいことが分かった。
 
 カシオから出るデジカメEX-ZR200が結構早そうだ。
 24ミリから300ミリの高倍率ズーム機で、旅カメラ系だ。
 早く感じたのは撮影間隔だ。連続撮影でなら、他のカメラも早いのだが、一枚撮りでの早さが大事だ。それは静物でも必要なのだ。少しアングルを変えて、数枚写す場合、すぐにシャッターが切れるほうが好ましい。そのシャッター間隔時間を具体的に明記されているため、自信があるのだろう。そこに自信がない場合、全く触れない。ピントが早い場合は、それに触れるが、二枚目を写すとき、待たされると、ピントが早くても相殺となる。二枚目に写す場合は、フォロー用が多い。または、気に入った被写体なら、もう少しアングルを変えたりしたい。さらにAFの失敗もあるので、一枚だけでは不安なので、二枚か三枚は念のための保険で写す。どうでもいいものなら、一枚でいいが。
 撮影間隔の早さは、一眼レフタイプが早い。一枚撮りでの撮影間隔での話だ。コンパクトデジカメで、カシオのように、これだけ早いと、素晴らしいと思う。数値だけで、実物で確認したわけではないが。
 さらに前から気になっていた二枚撮りでの階調合成機能だが、これがオートになっていた。以前の記憶では、そのモードに入れないといけない機種があった。だから、富士と同じで、普通のフルオートで、自動感知で階調拡大をしてくれると言うことだ。白飛びしそうだとかを考えて毎回写しているわけではない。そのたびに、そのモードに入れる手間が省ける。ダイヤルやボタンを押してそのモードに入れるタイプだと、使わないだろう。
 カシオの階調拡大は、二枚撮りなので、連続撮影となる。だから、オートで勝手にそのモードに入ってしまっても、何となく分かるかもしれない。
 また、このデジカメ、撮影前から情報を得ているようだ。つまり、普通はシャッター半押しで露出などが決まるのだが、メインスイッチを入れたあと、もう撮影情報を得ようと動いているようだ。そのいい例が、ピント追従だろう。これはどのデジカメでも、シャッター半押しでなくても、カメラを向けるだけで、レンズが動く。ピントを合わせようとしているのだ。今度のカシオは、ピントだけではなく、露出なども先に得ようとしているのかもしれない。
 別の例だが、シャッターを押すと、遡った分まで写るという機能があった。シャッターを押すまでの数秒間、既に写されているのだ。この場合、シャッター半押しからのか、向けただけかがきっかけになるのかは忘れたが。
 カメラの電源を入れてからの待ち時間も明記されている。これが遅いカメラは、明記しない。
 このカメラ、平凡な顔で、ごくありふれたコンパクトデジカメの形だ。実際ちょい写し程度なら、このカメラの実用性は非常に高い。ただ、カメラの姿を見て、これが欲しいというようなはまり方にはならないが。
 
 

■2011年11月10日 木曜日 17時17分
 
 起きると、昨日と似た時間帯。雨は降っていないが、曇っている。電気毛布で寝ていたが、寝る前暑かった。その後、寒くなってきたので、スイッチオンで正解だった。
 寝起きの喫茶店は閉店間際であることは、昨日と同じだ。そしてもう暗い。最近日照時間が短いのは、その時間帯寝ているためだろう。
 
 楽天が電子書籍販売の参入するようだ。というか、今も参入している。今度は販売プラス自社系端末を投入するらしい。既にパナソニックの端末を専用端末としているが、それほど安くはないし、中途半端なアンドロイドタブレット端末だ。
 今回はカナダのメーカーを買収したようで、ここが端末を作るメーカーでもあるため、それを使うと言うことだ。
 だが、詳細を見ると、アンドロイド端末だが、アンドロイドマーケットは制限されているらしく、プログラムを直接落とせないようだ。必要なプログラムは、端末側で用意するらしい。まあ、電子書籍端末なので、それ以外のプログラムはいらないのだろう。しかし、せっかくのアンドロイドOSで走っているのだから、スマートフォンの親方のような画面で、見たいものだ。
 楽天なので、その端末も、楽天のネット通販で、スムースに売れるかもしれないが、楽天を利用していても、楽天のトップページを見る人が、どれだけいるだろうか。
 楽天は電子書籍では出遅れている。楽天に近いのはアマゾンだろうか。そして、モデルにしているのもアマゾンかもしれない。
 楽天がカナダメーカーの端末を導入するにしても、来年春以降だろうと言われている。もう、これだけでも遅いのではないか。
 さらに、カナダメーカーの端末で、日本語表示が出来ると言ってもイーパブだ。縦書きできないではないか。イーパブが将来の標準フォーマットになるとしても、時間のかかる話だ。それで、仕方なくシャープ書式やドットブック書式が読めるように、カスタマイズする必要がある。これで、決まりというわけではなく、仮りだろう。
 そして、もうパナソニックを頼らなくてもいいと言うことで、自社製系端末を持つことで喜んでいるのだ。
 ただ、アマゾン式でやる可能性が高いとなると、端末に広告を入れて安く売るかもしれない。しかし、それらも将来の話で、今すぐ電子書籍端末を探している人には関係がない話だろう。
 楽天とアマゾンが似たようなやり方で並ぶとなると、安い方を選ぶかもしれない。
 日本での電子書籍端末は、シャープがひっくり返り、ソニーが残っているだけだ。シャープも決して撤退したわけではないが、思うように端末が売れなかったのだろう。ソニーとの違いは、値段だ。ソニーなら1万円台で買えるのだ。クリスマスの衝動買いで、家電店から持ち帰れる。シャープはネットから申し込まないといけない。ここで冷静になり、止めることが多いだろう。このワンテンポが、衝動買いや物欲を止めてしまう。持ち帰って、その日のうちに端末を弄りたいのだ。そして、それは明日では駄目で、また配達されてきてからでは、もういらないかもしれない。つまり、電子書籍端末など、どうでもいい非実用品のためだ。本が読みたければ、本屋へ行けばすむ話だ。
 シャープはおそらくそれで、失敗したように思う。申し込み販売ではなく、店頭販売でも、ソニーの端末と並べられると、値段で負けるだろう。
 それよりも岩波書店が電子書籍を出し始めている。あの岩波文庫は貴重だ。しかし月に何冊かなので、何千冊もある岩波文庫が揃うのは何年も先になるだろう。だから、まだまだ電子書籍コンテンツそのものが絶対的に少ない。当然岩波も新刊はすぐには出さない。それはいいから、古典だけでも十分だ。もう本屋にないのだから。岩波文庫はそれほど売れないのだから、電子書籍になっても売れないと思うが、こういうことが大事だと思う。
 端末で気になる動きは、2万円を切る7インチ端末だ。この値段なら、買えるだろう。何せ、アンドロイドなのだから、ウインドウズほどの実用性はない。だから、2万円以上は出せない。3万円になると、ウインドウズ7が走るネットブックが買えるからだ。
 ある雑誌を読んでいると、いろいろと、そういう端末を買っている人がいて、アンドロイド端末も、iPadも買っているらしいが、あまり使わないようだ。それで、結局よく使うのは、ウインドウズが走るモバイル高機能ノートパソコンのようだ。
 iPadやアンドロイドタブレットは、結局それほど使う機会がないらしい。この結局とは、買ってすぐはいろいろ試したり、弄ったりするのだが、それが過ぎると、特にやることがない。本当にしないといけないことは、普通のパソコンでやったほうが早い。これが「結局」の中身のようだ。
 しかし、外で使うノートパソコンがない状態では別だ。
 また、1キロ前後のノートパソコンを持ち歩くのが嫌だという事もある。それが、7インチタブレットになると、400グラムほどになる。それと引き替えの機能が、アンドロイド端末にあるかどうかだ。
 しかし、7インチアンドロイド端末の液晶比率を見ていると、これは、動画を見るときにちょうどいい。つまり、映画などをダウンロードし、タブレットに入れ、それを寝転びながら見るという使い方だ。つまり、アンドロイドタブレット端末とは、ビューワーのことではないかと思ったりする。サブモニターなのだ。
 7インチタブレットなると、常時持ち歩け、部屋の中でも近くに置ける。そういうモニター的使い方で、身近に置いておくタイプなら、いいかもしれない。
 しかし、ダウンロードした映画を、7インチのモニターで見るより、40インチで見たほうがいいに決まっている。 ダウンロードしたファイルにもよるが。
 こちらが使っているソニーリーダーの一番安くて小さいタイプは重宝している。しかし、本はほとんど買っていない。それは青空文庫が邪魔をしているためだ。さらっと読めない名作が多いので、次の本を買う必要がないためだ。新刊電子書籍で読みたい本はほとんどない。それは、本屋で売っている新刊書も同じで、読みたいと思う本が最近出ていないのだ。それに、下手に見つけると、本代がもったいない。
 
 

■2011年11月9日 水曜日 16時45分
 
 天気は回復しているようだ。夕日がうっすらと見える。
 寒いので、電気毛布をつけている。ホームゴタツはまだだ。
 寝起きの喫茶店は閉店間際に間に合う程度で、余裕はない。
 昨日は、切れていたサツマイモを買いに行く。しかし、目的の芋はなく、前回と同じ状態だった。前回は一本百円のを二本買っている。そして、この一個が百均のものより大きく。パックに入っているサツマイモよりも、百円の分量としては大きい。正確には90円代で売られている。端数は忘れた。
 しかし、数日間展示されていたため、大きいのがなくなっていた。早い者勝ちで、大きいものから先に買っていくのだろう。あえて小さいのを選ばない。だから、売れるのは大きい物順だ。小さくても形のいいものがある。それにこだわるのなら、パックに入ったタイプを買うだろう。それにこだわらず、量にこだわるわけだ。
 それで、大きいのがないので、満足感がない。安い満足感だ。それで、仕方なく、最終的には薩摩芋を買う。サツマイモの銘柄で、代名詞だ。サツマイモパック売り場とは、袋にパックされた数本組みを指す。例外として、一本だけのもある。こちらも裸ではなく、ビニール袋に入っている。だから、パックものなのだ。一本パックだ。
 その高いタイプは鳴門金時だ。同じサツマイモの一種だ。それは高いので、薩摩芋というサツマイモを買う。三本ほど入っているが、細長い。焼き芋には合わないが、蒸かし芋には合う。食べやすい細さで、蒸かし時間も短いだろう。
九州の火山灰の多いところで、米が作れないようなところで、サツマイモが栽培されていたらしい。サツマは薩摩のことなので鹿児島だろう。しかし、飢饉の時、食べるものがなくなるので、水田に適さないところでも育つサツマイモを全国的に栽培されていたように思う。
 山芋を主食とする民族もいるぐらいなので、サツマイモを米代わりに食べていても、問題はないかもしれない。
 その後のサツマイモの活躍は、戦中戦後の食糧難時、よく食べられたように思う。焼き芋ではなく、蒸かし芋だ。焼いている暇がないのだろう。弁当の代わりに蒸かし芋を持って行く感じだ。ここで、サツマイモから蒸かし芋へと名前が変わる。戦後しばらくして、米も闇米で多く手に入る時代になると、サツマイモはおやつとなり、町内で落ち葉拾いをしたときや、ゴミを焼くとき、生のサツマイモをその火の中に投げ込み、いわゆる焼き芋を作るのが、楽しみになったりする。たき火だ。それは、町内の公道でも行われていた。まだ、車が少ないというか、マイカーなど誰も持っていない時代の町内なので、車が入り込むというのは、まずなかったのだ。
 その焼き芋は、ほとんど黒焦げになるか、分厚い皮になるかで、中身はほんのわずかだった。おやつなので、真剣に焼いていたわけではない。また、真剣に食べるのなら、蒸かしただろう。
 そして、最近は、一本百円のサツマイモを千円出して、焼き芋屋から買う時代になっていたが、これもまた、高すぎると言うことで、不景気な時代に入ると、流行らなくなった。つまり、売りに来る焼き芋は高いので、買わなくなったのだ。
 サツマイモは、薩摩汁になる。サツマイモを煮るのだ。味噌汁で煮る。サツマイモそのものに味があり、調味料はいらないのだが、サツマイモをおかずとして食べる場合、味噌汁の具とするのだ。
 ここまで来れば、栗ご飯のようなものを作る道はすぐ来ている。
 そして、最悪なのが、サツマイモの天ぷらだ。一つで、満腹になり、エビの天ぷらがあっても、そこまで箸が行かなくなる。メイン殺しなのだ。だから、サツマイモの天ぷらを先に食べないことだろう。
 
 ニコニコ動画で電子書籍を売るサービスが出来たようだ。
 ニコニコ静画で、漫画をスライドショーのように表示させるタイプではなく、見開き漫画を販売するサービスだ。アスキー系というか、角川が提供するようだ。
 角川の電子書籍はよく分からない。書式がよく分からないからだ。汎用性の高い書式、という感じで、中間書式で、何にでも化けることが出来るのだろうか。
 ニコニコ漫画電子書籍に類するサービスは太田出版もやっているようだ。
 要するに電子書籍販売サイトへ行く機会より、ニコニコ動画へ行く人のほうが多い。だから、目に付きやすいのではないかと思える。
 ニコニコ動画電子書籍はウェブ版で、動かしているビューワーはフラッシュだ。フラッシュファイルとして取り込まれるため、図形ソフトの塗りに変換されるのかどうかはわからないが、綺麗だ。
 角川は漫画以外にも、ライトノベルの主軸をほぼ押さえている。コンテンツが豊富にある。
 しかし、電子書籍版は、20インチ以上のモニターでないと見開きでも、台詞が読みにくい大きさだ。それに比べると、ニコニコ静画の漫画のほうが読みやすい。紙芝居のようなもので、スライドショーになっているため、クリックしないで、読める。動画を見ているのと同じだ。
 漫画を電子書籍にするのは、変換や取り込みだけですむが、スライドショーにするのは大変だろう。ケータイコミックのように切り取らないといけない。
 また、漫画のコマ割りと、スライドショーを意識してのコマとは違う。どちらかというと後者はアニメ作成に近い。
 スライドショーはこればこるほど見にくくなる。アニメが動けば動くほど見にくい。紙芝居のように動かないことが原則で、台詞を読む時間分静止し、次へ進むという感じだろうか。
 しかし、スライドショー的漫画の見せ方というのは、昔のマルチメディアコンテンツに近い。動く絵本のようなものだ。
 こう言うのは、最初から、電動紙芝居を意識した作り方をするか、漫画原稿から、上手く切り取って、映画ふうに見せるかだ。昔、大島渚が白土三平の忍者武芸帳をその方法で、映画化した。
 今は、そう言うのは、ホームゴタツ上で、ソフトで、個人的に作ってしまえる。だから、それらをデジタルコンテンツとして、ユーチューブなどで、公開しているのだろう。ただ、ユーチューブは長さに制限があるようだ。だから、映画一本分とかは、動画共有サービスの中でもFC2などに上げるほうがいいようだ。
 ユーチューブなどは、プロモーション用だろうか。
 どちらにしても、角川系がやっているニコニコ動画への配信は、ウェブ版だということだ。そして、それをダウンロードしても、ファイル的にはフラッシュ動画だと、それが動かない端末もあるだろう。
 しかし、ウェブ版電子書籍で、オンラインで見て、コメントなどがリアルタイムに入ったりすると、楽しいかもしれない。それがオンラインの意味だ。今、同じ時間に、同じものを見ている人がいるという感じなので。
 いっそのこと、ニコニコ静画でも、動画でもどちらでもいいが、小説のアップも考えら得る。


■2011年11月8日 火曜日 16時21分
 
 起きると、昨日よりも早い。そして、昨日に比べ、ぐっと温度が下がっている。そのため、電気毛布をオンにした。
 夕方前なのでよく分からないが、昼間は晴れていたようだ。久しぶりに夕日が見える。曇っていたかもしれないと思えるのは、雲が多いためだ。この雲が夕方前に減ったのか、増えたのかは分からない。見ていないので。
 そういえば、立冬だ。寒くて当たり前だ。しかし、今年の秋は暖かく、秋があったような気がする。夏からいきなり冬になるのではなく、秋があったように思うのは、暖かかったためだろう。これでもう寒い日が続いても、大丈夫だ。
 しかし、秋の入り口付近で、非常に寒い日があった。あれは何だったのか。
 さて、立冬で冬入りだが、今年の冬はどんな感じなのかを楽しみにしている。
 
 電子書籍ライカ伝をアップしたが、ウェブ版も作っている最中だ。
 ウェブ版とはオンラインで、ネット上で、IEなどのブラウザーで見るタイプだ。
 最近の電子書籍は、ネットでしか買えないはずだ。昔、CDで電子書籍ではないが、マルチメディアと言うことで、本のようなものを売っていたような記憶がある。この場合、そのCDはソフト屋か、本屋にあったように思う。今でもあるかのしれない。図鑑系DVD本だ。
 この場合は何で見ていたのかは分からない。買ったことがないからだ。それなりのビューワーがあったのかもしれない。
 今でも電子書籍はソフト屋で売られている。辞書だ。これは、専用ビューワーが入っており、いろいろな辞書を、このビュワーで見ることが出来る。その電子書籍である辞書は、広辞苑などだが、外付けで使うタイプもあった。つまり、自分のハードディスク内にインストールしないで、読むタイプだ。これは、フロッピー時代のパソコン環境で、ハードディスク容量も少なかった頃の話だろうか。
 さて、ウェブ版のオンライン電子書籍は、電子書籍らしくない。枠としてのIEが本らしくないからだ。
 しかし、本を読むというのは、そのハードに接することで、この場合のハードとは、紙の本そのものだ。ハードカバーの本が、そうだというのではなく、ソフトカバーでもそうだ。目に見え手に触れることが出来れば、それはソフトではなく、ハードなのだ。ハードとは手応えと言うことだろうか。デジタルものも、電気という物理的現象だ。だから、物理的に存在していないわけではない。
 電子書籍には手応えがない。だからハードではないが、手応えを提供するため、電子書籍端末があるのだろう。
 米国アマゾンが電子書籍らしいのは、キンドルというハードがあるためだろう。しかし、中身はあくまでもソフトだ。
 電子書籍らしくはないが、ネット上のページを見ていると、実際には読書をしているようなものだ。本を読む機会は減ったが、活字離れしているわけではない。昔より、多くの活字を見ているのではないだろうか。
 さて、ウェブ版ライカ伝だが、これはただのホームページだ。つまり、絵が貼られているウェブサイトページに過ぎない。その中でのインターフェースは、ブラウザーの機能も使われているが、こちらで作ったページ内でのインターフェースもある。たとえば、次ページとか、前ページとかのリンクだ。要するにハイパーテキストのようなものだ。
 だから、見せ方は、いくらでも工夫できる。
 IEなどのブラウザ側での操作は、画面の拡大や、戻るボタンで、前のページへ戻るとかだ。また、見ているページの枠を広げるのもブラウザー側というか、OS側の動きだろう。
 だから、パソコンの画面をデスクトップと呼んでいる。机なのだ。机をパソコンのモニター画面と見立て、その上に、ショートカットを置いたり、アプリケーションを置いたりするわけだ。
 机にしては、壁のように立っているが。
 ウェブ版の電子書籍、この場合ライカ伝の場合、オフラインで見るためには、ダウンロードしないといけない。これは、特に操作は必要ではない。
 ダウンローダーで、サブフォルダごと、引っこ抜くことが出来る。
 実際は、ページを見る行為そのものがダウンロードなのだ。ただ、開いたページのデーターは一時ファイルに保存され、これは、そのうち消える。ただ、ページ単位なので、面倒だ。だから、フォルダごと、ごっそり引き抜く必要がある。
 引き抜くと、200枚の漫画なら、200枚の画像がそのままばらばらの状態で、一ファイルずつ見ることが出来る。
 ウェブ版というのは、見る側もやり放題だ。
 ネット上で配信されている動画も、そのまま保存できたり、または、専用ソフトで、抜くことが出来る。ただ、抜けないタイプがあり、その場合は、そのためのツールがネット上にあったりする。また、リアルプレイヤーなどは、アルバムに保存できるようにアイコンが出現するタイプもある。このようにウェブ版というのは、晒されている。それだけに見る側の利便性は高い。
 だから、ウェブ版電子書籍で、IEなどのブラウザで見るタイプは、公園に野ざらしになっている本に近い。
 この解放感が、ウェブ版のよさだと言える。
 
 

■2011年11月7日 月曜日 17時00分
 
 起きると、昨日よりも遅い。そして、昨日よりも温度が下がっており、ひんやりしている。さらに曇っているので、雰囲気が暗い。
 寝起きの喫茶店は間に合う時間だが、それほどゆっくりできない。
 やや寒いので、冬のブルゾンを着る。この上着は、中綿入りで、腰まである。しかし、ぱんぱんの中綿ではなく、かなり薄いので、入っているのかいないのかがわかりにくい。腸詰めウインナーのようなくくり方をしていないので、縫い目がない。よく見ると、中綿ではないようで、裏地を何枚か重ねているようだ。しかし、どう見ても作業着なので、着やすい。汚れの場でとなり、日常の場にふさわしい。晴れの上着ではないと言うより、そう見えないのだ。つまり、ゴミの日にうろうろしている人の服装と似ている。
 だが、実用性が非常に高く、着やすいので、愛用している。これで、真冬もいける。価格的には一万円を超えているのだ。イズミヤでそれを2500円で買ったのだが。
 
 先日買ったコンパクトキーボードは失敗だったようだ。今、外で使っている富士通ノートパソコンのキーボードが非常に打ちやすいので、それを部屋のパソコンでも使おうと思い、似たようなキーボードを買ったのだが、打ちやすいことは打ちやすいのだが、手が疲れる。
 その大きな違いは、手のひら置きだ。これがないと指を腕で浮かすことになり、それで疲れる。手首が空中にあるので、支柱にならない。デジカメで、ずっと手かざしをしているようなものだ。
 それで、前のにまた差し替える。
 次回はパーム置きのあるタイプを物色することにする。いいところまで迫っていただけに惜しい。
 
 マジックワールドというゲームは、レベル39に達したが、レベル不足で、次のクエが受けられない。それで、やる気を失った。
 このゲームでの狩りはそれほど楽しくない。クエなので、やっているだけで、クエなしの経験値稼ぎだけの狩りでは、実は避けたいところなのだ。しかし、そのやりたくない狩りがメインで、クエのほとんどがモンスターとの戦闘なので、この戦闘、何とかならないものかと思っている。戦闘が楽しくないのだ。
 モンスターの沸き方が早く、ほとんど板付きになる。戦闘中移動するようなことがないほど、すぐに湧くので、一掃したという感じがない。だから、退治した充実感がないのだ。
 
 

■2011年11月6日 日曜日 16時41分
 
 起きると少し昨日よりは早い。そのため、寝起きの喫茶店は閉店間際ではなく、まだ余裕がある。
 雨が降っているが、夕日は見える。もう日は沈んでいるが、夕焼けが残っている。ぎりぎり晴れてくるのだろうか。寝ているとき雨音がしていたので、一日雨でうっとうしいと思っていたが、傘を差すほどの雨ではなかった。
 
 電子書籍作成販売も出来るパブーを久しぶりに覗く。
 千字一話物語の数作を以前上げていた。パブーが出来た頃だろうか。ジャンル別一覧があり、ミステリーで登録した。何せ千字一話物語は短い。千字なので。だから次々と登録すると、あっという間にミステリージャンル一覧は自分の個室のようになりかけた。それで、遠慮してと言うか、マナー的にまずいと思い、アップを止めた。
 当時は、次々にアップされていくものと思っていたので、すぐに埋もれてしまい、目立たなくなると思っていた。
 それで、昨日見に行くと、あまり増えていない。小説カテゴリーの中でのミステリージャンルなので、小説すべての数ではないのだが、ミステリージャンルは大きな箱のはずだ。かなり読まれているジャンルのはずだ。
 しかし、増えていない。同じようなことをやっているサイトは他にもあるが、売れ線の同人誌販売サイトも結構潰れている。最近では「まぐまぐ!」のフリーマーケットが閉鎖されている。そして、新しく出来たのがシーサーで、こちらは起ち上がりから、凪いでいる。
 漫画投稿、共有サイトとか、小説投稿共有サイトは、結構昔からある。あまり人が来ないと、個人サイトに近いものになるのだろうか。そちらの方が、オーナーが趣味で、こつこつとメンテナンスするだけでいいので、何とか運営できるのではないかと思う。こういうところは無料なので、オーナーの利益はない。だから、出来るのだろう。下手に手数料を取り、経営規模で運営していると、赤字になると、閉鎖してしまうだろう。ほとんど個人でやっているようなサイトは、閑古鳥が鳴いている商店街でも、何となく店を開いているようなもので、生き残っている。決して儲かってはいないのだが、営業はしているのだ。だから、その店のオーナーは、それで家族を養っているわけではなく、趣味でやっているようなものだ。まあ、そういう喫茶店は怖くては入れないが。
 さて、パブーは黒字なのか、赤字なのかは分からないが、見たところ、儲かっているようにも、また人気があるようにも見えない。それは、アップされている本や、どれだけの人が見たかとか、ダウンロードしたのかで分かる。以前とあまり変わらないので、ぐっと伸びた感じがない。
 それでも、まだ続けているパブーはえらいと言うより、ここで尻を割るわけにはいかないのだろう。
 電子書籍には、そういう面がある。つまり、誰も儲からないと言うことだ。
 シーサーの似たようなサービスは、アップされている本が少ない。そして、あまり動いていない。これは、シーサーがそういうサービスをやっていることを知っている人が少ないためだろう。シーサーは、ブログで有名だ。だから、シーサーブログユーザーなら、バナーが見えるので、そう言うのがあるのかという程度で、見ている程度だ。それで、シーサーの電子書籍サイトの中から、漫画を一作覗いてみると、下書きのような作品もアップされていた。
 パブーも、利益を上げようと思えば、18禁ものだろう。そこは覗いていないので、もしかすると、ものすごく盛り上がっているかもしれないが。
 パブーは投稿時、審査がない。18禁ものオーケイで審査がないとなると、期待する人は、大いに期待するだろう。
 しかし、川崎サイトで、小説をアップしたときのアクセス数より、パブーに貼り付けたときのほうがアクセス数は多い。川崎サイトは限られた人しか見に来ないが、パブーは不特定多数の人が来ている。その違いだろう。
 パブーで売れるものを定点観測しているわけではないが、雰囲気的には実用書が多いような気がする。何かの豆知識や、マニュアル本のようなものだ。読書ではなく、メインは実用で、本はその助け程度だ。本を本だけで楽しむとかの小説やエッセイ本は、あまり売れないのではないだろうか。実用書の場合、それでお金に繋がるとなると、本を買うのは必要な投資だろう。その実用書を読んで、何らかのスキルを身につければ、元が取れる。だから、買うほうは趣味ではなく、ビジネスで買っているのだ。
 しかし、パブーで本を作るツールは改良されて、作る安くなっている。出来れば、生き延びてもらいたいサイトだ。
 
 
 

■2011年11月5日 土曜日 17時22分
 
 起きると、昨日よりも遅い。そして雨が降り出している。小雨だ。
 降りは弱いが、傘は必要だ。真冬、防寒防水上着を着ていると、傘はいらないだろう。分厚いので、何とかなる。
 気温は高い目で、寒くはない。
 そのため、冬物衣料が動かないようだ。例年なら、ある日、ぐっと寒くなり、冬物を買いに行く気になる。今年はそれがない。
 ユニクロを覗くと、ずらりと冬物上着が並んでいるが、7000円からだ。昔のユニクロは2900円から並んでいた。ダウンジャケットではないが、それに匹敵するほど温かいものもあった。去年の売れ残りなので、実際にはもう少し高いが。そう言うのが一掃され、オールダウンで、オール7000円からだ。いつの間に、ユニクロは敷居を上げたのだろうか。安いので買いに来ていたので、これでは買えない。ユニクロが安くないというのは数年前から起こっている。これではますます客が離れるだろう。
 そのユニクロ冬物だが、どれも同じようなデザインで、どれもポリエステルだ。多様性が消えている。だから、服を買いに行く面白さがない。意外なものが混ざっていて、それを見つけるのが、衝動買いの世界だ。まともに考えたのでは、買うとき面白くない。
 
 久しぶりにRPGツクールVXのサイトを見ると、まだ潰れないで、残っていた。バージョンアップしていないかと思い、見に行ったのだ。
 すると、素材集が出ており、本体とセット販売をやっている。また、素材集は単体販売もある。3000円ほどだ。
 素材集とは、マップチップだ。ゲーム画面内に絵を書くとき、床にしたり、壁にしたりする部品だ。それに和風が入ったようだ。お城とかもある。剣士もの、戦国ものが作れそうな雰囲気だ。そのため、キャラも侍などが加わっている。
 RPGツクールは640×480ほどの小さなステージだが、モニターフル画面の表示もある。ただ、それで見ると、マップが大きく見えるような感じになるが、拡大しているだけで、拡張されて見えるわけではない。また、モニターがワイドだと、比率が変わるのではないかと思うのだが、まだ、確認していない。正確な絵ではないので、気付かないだけかもしれない。
 キャラやマップチップは自作できるのだが、かなり面倒だ。キャラは、ちびキャラで、これが動く。だから、正面や側面などと共に、アニメさせる必要がある。その解説は出ているのだが、わかりにくい。キャラ作成ツールが、昔あったが、一から書くのではなく、既にあるものの髪の毛の色を変えたりする程度だった。
 サイズが小さいので、ドット絵になる。普通の絵より、こちらのほうが難しい。小さなサイズの中に、特徴を加えるのは大変だ。
 RPGツクールは市販ソフトだが、無料の似たようなツールもある。こちらは、三人組のちびキャラなら、三人のキャラが繋がって、金魚の糞のように移動する。
 こちらのフリーソフトWOLFは、バージョンが1から2に最近上がったようだ。
 ツクールとの違いは、よく分からないが、サンプルを見る限り、フィールド内での戦闘が可能なようだ。つまり、戦闘画面に切り替えなくてもいいのだろう。これなら、シューティングゲームも作れる感じだ。普通のフィールドタイプ、つまり、上から見た感じで、ちびキャラが動き、モンスターもちびキャラで登場し、戦闘すると言うことが可能だ。こちらのほうが、戦闘も簡潔で、いいかもしれない。ツクール側は、アクションツクールという別ソフトで、それが可能だが、結構難しいので、買ったその日に投げた。
 ツクールの場合、戦闘画面になり、雑魚キャラ相手では、キーボードを何度も押さないと、終わらない。勝つのが分かっている戦闘なら、手間だ。
 フリーソフトのほうはバージョンの1しか持っていないので、2をダウンロードしようと思っている。無料だ。ちびキャラ作成ツールも付いているので、お得だ。
 
 

■2011年11月4日 金曜日 16時13分
 
 起きると昨日より少し遅い。そして温度は昨日よりも高いのではないか。天気予報では、もうこんなぽかぽか陽気はないといっていたが、暖冬への入り口だろうか。つまり、秋がこんなに暖かいのだから、冬もきっと暖かめだと勘違いしてしまう。冬の気配が全く見えないため、冬が来ないのかもしれないと思うのは、言い過ぎだろうが。
 暖かい、暖かいと言いながらも、電気ストーブを用意し、電気毛布も敷いている。しかし、さすがに昨夜は電気ストーブが熱く感じた。当然電気毛布もスイッチオフだ。
 昼間は半袖の人もいたようで、確かにおかしい。しかし、それにもう慣れてきているのではないだろうか。気象の異常な変化が、日常化しており、見慣れた光景になっている。
 ただ、寒くなるより、過ごしやすい日が続くことに反対する人は少ないだろう。夏の暑さは別だが、秋は猛暑にはならないし。
 木々が冬支度するように、人間の身体も冬支度を始めようとしているように思える。年中常夏や厳寒の土地なら別だが、四季のある土地に長年住んでいる民族は、動植物と同じように、冬支度を始めめ、寒くならないと、調子が悪くなるかもしれない。
 今日は少し早く起きたので、閉店間際ではなく、まだ余裕のある時間帯に喫茶店に入る。珍しく満席近い。偶然重なったのだろうか。顔を見れば、いつもの客で、常連客だ。夕方時間帯に来ている客だ。
 しかし、最近閉店間際までいる客の姿がない。同じ客が同じ時間に常に来ているとは限らないようだ。
 
 昨日は久しぶりにスーパーへ行く。スーパーの激戦区のような場所で、近くに三店ほどある。その中でのナンバーワンの店だ。安いことと、特価日が多いためだろうか。客も多く、レジでは並ばないといけないほどだ。
 住宅が密集しているため、スーパーが乱立していても、それほど問題はない。近いところで済ませる人もいる。移動が面倒な人だ。しかし、面倒でない人は、人気スーパーへ行くほうが多いように思える。
 それで、昨日は、その流行っているスーパーで、バナナを70円で買う。包丁で切られていた。そのため、茎から離れている。カット果物ではない。賞味期限が近いためだ。かなりの本数が、パックに入り、底付きトレイで包装された状態で、積まれていた。腐りかけではないが、傷みやすくなっているので、生のまま展示できないのだろう。
 その台にトマトもあった。百円以下で、三つ入っている。やや小玉だが、トマトの相場は一つ百円だ。それが三つ入っている。長く売り場にあったためか、熟しかかっており、こちらも生では手で触りにくい状態だ。一個百円のトマトは、さすがに買う気がしない。
 このスーパーへ寄ったのは、サツマイモを買うためだった。しかし、パックに入ったタイプで、安い銘柄が消えていた。だが、入り口に裸のまま一つ百円で積まれていた。こういう品は自信があるのだ。手にとっても、大丈夫なためだ。
 サツマイモパックタイプは300円代だ。一つ百円のは大きい。パック入りの倍ほどある。それなら、一つ百円のを買ったほうが、得な気がした。それで、一つ百円のを二本買う。半分に切れば、四本分ある。百金のより倍ほど大きい。
 ポテチチップス一袋百円に比べると、五十円で、数倍のボリュームとなる。ジャガイモとサツマイモは違うが、おやつ相場としては、サツマイモのほうが百円あたりの量が多い。それに純生だ。
 蒸かし芋用に最近使っていた電気鍋が潰れたので、大きい鍋で蒸かす。穴の開いた中蓋のようなものは、電気鍋付属のもので間に合った。鍋との間に少し隙間があるが、上にのせられる。だから、鍋の上に積み上げる感じだ。鍋を焦がしてはいけないので、多い目に水を入れる。
 蒸かし芋のできあがりは適当だ。串で突き刺して、ふんわり刺さればできあがりだ。それ以上蒸かしても、あまり変化はないだろう。時間的には数十分だ。芋が太いと、当然時間もかかる。
 上新で電機鍋、つまり、調理鍋が、2900円か3900円かで出ていた。壊れた鍋より堅牢そうだった。ホットプレートだけなら千円ほどで探せばあるが、上新にはない。ホットプレートは、鉄板焼きや、お好み焼きを作るため、または大家族での鍋用で、これはでかくて重い。中を洗うのが大変だ。
 だから、小さいタイプの調理鍋がいい。その展示品を調べると、蒸かしは内蔵タイプだった。つまり、鍋の中に下駄を当て、その下駄の網の上に野菜などを入れる。しかし、下駄が低いため、水が入らない。わずかだ。そのため、湯豆腐の出汁コップのように真ん中に入れ、そこに水を入れるようだ。だから、鍋一杯に野菜を入れられない。サツマイモは長いので、入らないだろう。
 しかし、電気鍋で、おかずを作り、そのまま食べ残した場合、サツマイモを蒸かそうとしても、鍋の中の具を引き上げ、洗わないといけない。兼用鍋なので仕方がない。煮物は二食分以上は作るので、どうしても、残る。食べきってから、サツマイモを蒸かせばいいのだが、鍋、鍋と続くのを避けるため、鍋、サツマイモ、鍋、としたいのだ。だから、蒸かし芋はガスコンロでやるほうが、実際には理に適っている。
 それに、電気代は、上乗せだが、ガス代はそれほど使っていないので、基本料金内だ。もっとガスを使ったほういい。実際にはガスのほうが煮物も早い。
 
 
 

■2011年11月3日 木曜日 17時13分
 
 起きると、昨日よりも遅い。しかし、温度は昨日と同じで高い目のようだ。寒くないので妙な感じだ。
 桜が咲き、モンシロチョウが飛びそうだ。
 寝起きの喫茶店はぎりぎり間に合った。客はいないが、ある程度まで開けているようだ。客がいなくても、営業時間までは閉めないのだろう。これは客のためではなく、日課のためかもしれない。いつもと同じ時間に店を開け、いつもと同じ時間に店を閉める。これがずれると、一日が妙になるのかもしれない。
 
 昨日はパソコンのキーボードを買う。
 ホームゴタツの上にキーボードを乗せている。右側にペンタブレットやマウス。キーボードが身体の正面に来ない。やや左にずれている。しかし、キーボードが正面に来ても、実際には正面ではない。それはフルサイズキーボードは洗濯板のように長いからだ。実際にタイプするときは、英字キーなので、左側に偏っている。だから、正面に置くというのは、英字キーを正面に持ってこないと打ちにくい。
 それで、コンパクトキーボードを買った。
 フルサイズキーボードは上新では900円ほどで売っている。しかし、コンパクトキーボードは2400円とかの価格帯だ。
 キーボード売り場が狭くなっており、棚の下の方に詰め込まれていた。以前はずらりと並び、展示品がいくつもあった。マウスもそうだ。今はサンプルを置く場所がないほどだ。
 コンパクトキーボードの中で、テンキーがあるタイプを買う。
 これで、安心していたのだが、キーが少ない。ノートパソコンと同じように二つ押ししないと実現しないキーが入っていた。ページめくりのキーだ。、また、ホームキーやエンドキーだ。
 一番よく使うのは、削除キーだろう。それとバックスペースキーだ。これは文字を書くときだけではなく、絵を描くときや、ファイルを削除するときなど、何度も押す。それらは、当然無事なので、問題はない。
 それで、机がすっきりした。キーボードのスイッチに当たる箇所が、アルミ何とかバネとなっており、ノートパソコンのキーボードに近い、反発がある。ゴクンと来る感じで、シャープだ。カシャカシャとした柔らかいタイプもいいのだが、シャッター半押しのような状態になりやすい。つまり、タイプしたつもりでも打たれていなかったりする。だから、キーボードのストロークは浅いほうがいい。ただ、バネがききすぎていると、反発が結構ある。これは、強くタイプするときは気持ちがいい。
 もう一つ、やや安い目のタイプがあった。こちらはノートパソコンのキーボードのような感じで、テンキーがない。その代わり、矢印キーが飛び出していた。こちらでもよかったのではないかと思う。なぜかというと、今回買ったタイプも、結局は二度押ししないと出ないキーがあるためだ。
 しかし、キーボードがコンパクトになると、手首が疲れる。ノートパソコンの場合、手のひらをのせる台がある。それがないのだ。
 そう考えると、コンパクトキーボードではなく、大きなキーボードの方がよかったのではないかと、思ってしまう。
 今度は、キーボード手前に枕があるタイプが欲しくなった。

■2011年11月2日 水曜日 15時44分
 
 起きると昨日よりは早い。外はまだ明るいが、曇っているので、日差しはない。だから、夕方のように暗い。
 最近晴れている日が少ないように思う。晴れていても、寝ているので、分からないのかもしれないが。
 寝起きの喫茶店は、閉店間際ではないので、ゆっくり出来る。しかし、喫茶店滞在時間は年々減っているように思う。長く入っていると、逆に疲れる。どちらにしても、一時間ほど座っていると、立ちたくなるためだろう。
 モスやマクドで、二時間ほど滞在している人がいる。用事をしている人、勉強中の人は、長い時間ではないかもしれないが、何もしないで、ボーとしている状態で二時間は苦痛だろう。
 
 ライカ伝上下巻をアップする。この漫画本は、最初から上下巻もので、電子書籍にするため、分けたわけではない。上下巻とも、200枚前後ある。
 比率的には、結局本の比率でもあるAB版にする。電子書籍端末のことを思えば、4:3版が好ましいのだが、そのサイズでは、画像梱包というPDF作成ソフトでは、うまくいかない。用紙設定に、それがないためだ。
 今回の画像サイズは724×1024ピクセルだ。
 これを、ソニーリーダーで見ると、やや左右に隙間が空く程度なので、問題はない。ただ、ソニーリーダー5インチタイプでは、さすがに台詞を読み取るのは苦しい。新製品の6インチなら、何とかぎりぎり読めるだろうが、7インチは欲しいところだ。
 文章の本を読むには、5インチでも4インチでもいいが、漫画はネームを読み取るだけの大きさがいる。だから、7インチや10インチが欲しいところだ。
 PDF版電子書籍は、どんな端末でも読める。ただ、小さな端末ほど苦しい。メインはやはりパソコンで見るのがいいだろう。見開きページで読むことが出来る。
 サンプルのHTML版もアップしたが、こちらでいいのではないかと思ったりする。IEなどのブラウザで見るタイプだが、PDFより、見る人は操作に慣れているはずだ。
 ウェブ版は中身はネット上にある。電子書籍はそのコピーをダウンロードし、オフラインで読める。このコピーの配布が電子書籍なのだ。
 だが、HTML版電子書籍もある。この場合、ダウンロードすると、200ページの漫画だと、200枚のHTMLファイルと、200枚の画像ファイルが、丸見えになる。そのため、画像ファイルをスライドショーで見ることも出来る。ただの画像が入っているフォルダのためだ。
 これを電子書籍端末で見る場合は、写真を見るのと同じ事なので、画像ファイルを一枚一枚見ていくと言うことになる。それでもいいのではないかと思う。
 電子書籍らしい感じは、綴じているという感じだ。だが、フォルダで綴じているのだが、それは、電子書籍らしくない。
 不正コピー云々を考えると、裸同然だ。そのため、著作権保護などで普通の電子書籍では問題になるのだろう。
 また、ソースが丸見えなので、ダウンロード版ではなく、オンライン版のほうが、好ましい。だが、ネット上にあるのなら、それを簡単にダウンロードできてしまうので、同じ事だが。
 電子書籍と、ウェブ漫画とはどう違うのだろうか。枠が違うだけではないかと思ったりする。特に個人でやる場合は。
 以前同人誌サイトで、漫画を出したことがある。そのときの指定書式の中に、HTMLがあった。同人誌ダウンロードサイトだが、HTMLで作ったフォルダをそのまま使っていた。ビューワーは当然IEなどのブラウザだ、だから、ビューワーを同梱させる必要はない。フォルダは非圧縮で、解凍しないですむタイプにした。特に何もしなければ、非圧縮だ。圧縮すると、今度は解凍ソフトがないと、開かない。その説明が面倒で、また、解凍圧縮用フリーソフトの入手方法なども説明しないといけない。
 このファイル圧縮ソフトは、それはそれで、マニュアルがいるほど高機能なものから、簡単なものまである。解凍したのはいいが、そのファイルを、どこでぶちまけたのか、分からなくなったりもする。圧縮すると、転送が軽くなるが、解凍が手間だ。
 その意味で、ウェブ漫画のほうが、見る側の負担は少ない。昔のようなダイヤルアップ接続で、つなぎ放題の時間帯以外は、お金がかかり、さらに、画像を表示させるだけで、じんわりすだれが降りてくるような感じで、まどろっこしかった。今は、そんなことはない。
 今回のライカ伝も、ウェブ版をおまけに付けてもいい。サンプルの続きを加えるだけの手間なので。
 ウェブ上で、漫画を、どう見せるかで、いろいろ手法があったが、最近は電子書籍として、どう見せるかに変わっている。
 紙の本と電子書籍の距離は結構あるが、電子書籍とウェブ漫画の距離は至近距離だ。
 たとえば、PDFファイルのダウンロードの場合、リンク文字などをクリックすれば、ブラウザの中で、アクロバットなどが起動し、そのまま見てしまえる。または、ダウンロードするとき、保存ではなく、開くにしてもよい。ダウンロードされた場所を探して、ファイルをクリックする手間が省ける。PDFファイルをオンラインで見ているようなものだ。
 ウェブ漫画になると、HTML系のコマンドが使えるため、独自の枠が作れるし、ファイル形式も自由なのでアニメも出来る。リンクで、別窓を開いて、ヘルプを出したりも出来る。それらは、ホームページ作成ソフトで、簡単に作れる。
 そう考えると、先祖返りではないが、HTML帰りをしてもいいのではないか。HTML5になれば、縦書きや日本語禁則も出来るようだし。そして、電子書籍用イーパブも、元は同じらしいので、近いと言うより、一緒ではないかと思う。
 まあ、しかし、電子書籍たるところは、電子書籍端末で、読むと言うことにつきる。そして、オフラインで読めると言うことで、その電子書籍端末に保存してもらい、見てもらうための書式として、PDFとなる、ということだろうか。
 
 
 

■2011年11月1日 火曜日 16時57分
 
 日が見えなくなってから起きてきたが、まだ明るい。夏場ならまだ普通の昼間だろう。
 温度は平年より高い目のはずだ。11月にしては寒くないためだ。
 老婆の喫茶店には閉まる前までに入ることが出来た。やはり、寝起きの喫茶店は同じ店がいい。店と言うより、その道中や方角だろう。いつもの道をいつものように移動する。これはオートランだ。慣れていることで、変化している箇所は少ないので、落ち着きがある。
 初めて見るもの、久しぶりに見るものは注意を引く。落ち着きとは、あまり注意を引かない状態だろう。刺激が少ないのだ。
 その代わり、わずかな変化にも気付きやすい。
 
 電子書籍販売サイトのパブーを久しぶりに見ると、有料のものがある。無料本に対しての有料本ではなく、パブーで本を作るときの作りやすさで有料になる。
 その価格が月額今のところ350円らしい。たとえば、自分で作ったPDFをそのまま使えたりする。
 パブーではPDFとイーパブに変換されて本になる。
 作成はネット上で、ブログを作るような画面でやる。これを作るのが、結構面倒で、いろいろなボタンを押していかないと駄目だ。
 しかし、パブーのPDF変換は優れており、右綴じが可能だ。
 漫画をPDFで作る場合、右綴じが大事だ。見開きで見てしまうと、左右逆になる。
 パブーの漫画は、オンラインで見ることも出来る。この場合、スクロール型になる。ダウンロードしてみると、自分のパソコンの中にあるPDF閲覧ソフトで見ることになり、一般的なアクロバットで見ると、見開きで見ることが出来る。左右逆になる左綴じになっている場合は、単ページ表示に切り替えればいい。
 イーパブをダウンロードすると、同じアクロバットがつかみ取り、イーパブ書式が読めるが、単ページタイプとなる。動かしているのはフラッシュではないかと思える。
 さて、このパブーのPDF右綴じは、パブーで売らなくても、ダウンロードできる。作ったものを未公開のまま本人はダウンロードできるのだ。だから、PDF右綴じソフトとして使うことも出来る。
 PDFに変換するのは、簡単だが、素材を用意するのが大変だろう。パブーでは1024×724のサイズなら、ぴたりとはまるようだ。
 同じようなサービスを提供しているシーサーは960×640となっている。
 大は小を兼ねるで、小さいサイズから大きいサイズへの変換は駄目だが、大きいサイズから小さいサイズへはオーケイだ。
 さて、パブーの有料サービスだが、月に何本もアップする人向けだ。しかし、月額350円として、年間4000円ほどだ。年間売り上げ4000円に届く人が何人いるだろうか。
 だが、比較的エロ系が少ない自主制作電子書籍販売サイトとして、育って欲しいものだ。だいたいこういう販売サイトはグラビア本と電子商材本になる可能性が高いのだから。
 電子商材ではなく、特殊なマニュアル本、専門分野でのマニュアル書などが、有力だろう。制作本で、商材ではない。または、資格ものの教材本だ。そういう本は高くはない。電子商材ふうマニュアル書は、高額なので、すぐに分かる。値段を見れば分かる。
 
 

■2011年10月31日 月曜日 18時26分
 
 起きると、遅い。
 雨こそ降っていないが、曇っている。温度は低くはない。
 老婆の喫茶店が閉まる時間だ。そのため、別の店が寝起きの喫茶店となる。
 ショッピングモール内の喫茶店で、しばらく行っていなかった。
 しかし、いつもの店員がいるので、それほど変化はない。平日なので、よくすいているが、老婆の喫茶店ほどではない。
 セルフサービスの店は、長く行っていなくても、行きやすい。
 個人喫茶ではそうはいかない。しかし、雨が降ってくれば、傘の心配はしてくれない。人間関係が少し違うのだろう。一歩だけ、踏み込んだ関係だ。要するに、顔見知りで、知っている人。うちの店のお客さん。というランクになる。
 昨日は久しぶりにカレーを作る。ルーがまだ半分残っていた。ルーは百円で、板チョコのような感じで、切れ目が合計12個ある。6個一パックで封印されている。それを繋いで二つで一つだ。だから、封を切っても、半分は無事だ。半分に折れるようになっている。
 残っていたのは、半分で、6個分だ。1個一食分見当だが、一食分のカレーというのは逆に作りにくい。それで二食分から三食分となる。四食分となると、四食連続カレーになるため、これは避けたい。
 タマネギ、ジャガイモ、人参、この三種の神器が揃っていたので、カレーへの道は簡単だが、いつもは単に煮込んでいる。そこにカレールーを入れるか、炒り子出汁を入れるか、醤油を入れるかで、品物が違ってくるだけで、呼び名が違うだけで、中身は同じだ。味付けが違う程度の差だろう。
 野菜カレーだが、ちくわを入れる。これでシーフードカレーだ。
 いつもは、タマネギ、ジャガイモ、人参と一緒に厚揚げを入れる。肉を入れれば、そのまま肉じゃがだ。糸こんにゃくがないので、肉じゃがらしくは見えないが。肉じゃがなら、ジャガイモをもう少し大きめに切るほうがいい。しかし、早く作りたいので、煮えやすいように小さめに切る。筑前煮にも近いが、この場合は、糸こんにゃくではなく、普通のこんにゃくをサイコロ状で入れるのがいいだろう。筑前煮はたくさん炊いても、保存できる。鍋から皿へ移せばいいのだ。すると、数日はおかずとしての一品が冷蔵庫の中にあるとう感じだ。
 電気鍋が故障したので、普通にガスでカレーの具を煮る。目を離している間に、焦げていた。電気鍋よりガスのほうが火力が強いため、あっという間に行ってしまったのだ。幸い、鍋底に具がこびり付いているほどの焦げ方ではなかったので、事なきを得た。
 二食から三食分なので、ルーは二つにしたが、水くさい。やはり三つがふさわしい。
 ルーの分量を考えて、水を控えめにしたはずなのだが、逆に水気の少ないカレーになった。スープ状にならないので、ご飯が沈まない。
 カレーは二食目か三食目がおいしい。寝かせたほうがいいのだろう。
 
 マジックワールドの続き。
 レベル38で、止まっている。次のクエが受けられない。レベル制限があるためだろうか。
 それで、うろうろしていると、魔界というのを発見する。クエストでは出てこないマップだが、地図上には、記載されている。また、この魔界は突然現れたりする。長く同じ場所で戦闘していると、丸い輪が出てくる。
 魔界は背景がやや違うが、周囲の絵と近い。モンスターレベルは同じなのだが、倒すと経験値が倍ほど付く。つまり、狩り用のマップが魔界なのだ。その代わり、ドロップ品がない。
 これで、何とかレベル上げをして、次のクエが受けられるようになるはずだ。こういうゲームは次、何をすればいいのかが、分からなくなる。欲しいのは経験値であり、レベルアップであり、次のクエの場合、やはり、経験値が上がる行為をしたいものだ。
 
 フラッシュの塗りを続けている。
 フラッシュの塗りは、フラッシュで作った画像でないと、実際には使いにくいだろう。普通のビットマップの画像を読み込み、フラッシュでいじれるようにすることは出来るし、また、フラッシュのドロー画に変換することも出来るが、線が塗りになる。塗りでしか変換できないためだ。
 最初から、フラッシュでのペン入れを筆でやっていれば、すべて塗り図形の処理として、すんなりいくかもしれないが。
 または、ビットマップの画像の上にレイヤーを加え、そこで塗ることも出来る。しかし、領域指定が大変だろう。
 下のレイヤーに対しては、反応しない。そのため、下のレイヤーで、領域をつかみ、それを上のレイヤーでコピーして使うという感じだ。
 しかし、レイヤー分割塗りは、面倒だ。
 フラッシュのグラデーション塗りは、線タイプと、拡散タイプがある。その他、ビットマットタイプがある。これは、ビットマップ塗りのことで、漫画の網点などを拾えるようにすれば、それで塗ってくれる。
 フラッシュにはスクリーントーンのようなものはない。グレースケールで塗ればいいのだが、印刷には向かない。
 これをフラッシュで作ることが出来る。要するに点の集まりをグループ化すれば、それを任意の箇所に張り込める。ただし、トーンも普通の図形なので、切り取る必要がある。バケツで流し込めるわけではない。要するにフラッシュはウェブ用などのデジタルもので見るのがフィニッシュなので、印刷されたもので見るより、モニターで見るほうが、綺麗に見える。
 まあ、アニメを作り、紙に印刷しても、何ともならないのだから。
 どちらにしても、フラッシュは基本である描写エンジンだけで十分だ。これを超えるソフトは残念ながら、出てこない。
 
 

■2011年10月30日 日曜日 17時04分
 
 起きると夕方。昨日と同じような時間。違うのは雨が降っていること。曇り日があり、雨が降っていた日もあるのだが、偶然その時間寝ていて、雨に遭わないこともあるが、今日は降っているときに外に出た。
 雨で、肌寒いわけではない。温度は意外と高い。暑くはないが。そのため、電気毛布が暑苦しかった。
 同じ夕方時間帯でも、雨が降っていると夜のように暗い。いや、もう夜かもしれないが。
 歯が痛くなっている。痛くて寝てられないほどではないが。食べるのに往々する。しかし、痛みより、食欲のほうが勝るようだ。
 そのため柔らかな、湯豆腐を食べる。これなら食べられる。ご飯のオーケイだ。
 
 フラッシュ色塗りの続き。
 フラッシュはアニメやアクションスクリプトのマニュアル本が多いが、描写に関しては、それほど難しくないので、解説本もいらないのではないのだろう。アニメやウェブを意識しての書き方や絵になる。動かしやすい、またはアクションスクリプトを仕込みやすい絵の作り方になる。だから、フラッシュの絵というのは、そういう書かれ方をしている。
 たとえばイラストを書くとき、絵だけではなく、いろいろなタイトルや、文字などを、あとで誰かが入れる場合がある。その場合、多少絵を動かしても大丈夫なように、レイヤーにしたり、グループ化したりして、微調整できるようになっている。これはフラッシュに限らず、普通のことだろうが。
 こう言うのをオブジェクト指向と呼ぶ。ある部品が、他の部品を動かしたりする。メインの制御装置が命令するのではなく、部品側からも命令できる。ただ、これを作るには、階層構造とか、置き場所を考えておかないといけない。そして、定義したり、宣言したりしないといけない。何も考えないで、そーと書くという感じではない。
 それはアニメやウ