川崎フォトエッセイ  その356  何気なく    ←前 →次  HOME


 何気なくものを見ているとき、実際には何を見ているのだろうかとふと思う。現実の光景は、ドラマのワンシーンではないため、任意の表現として把握しきれない。

 そうかと言ってデータ的に把握するのも難しい。樹木の種類も調べないと分からないし、通行人の服も、どこのどんなメーカーで、いくらぐらいのものなのか……までは頭が回らない。

 現実の光景だけに、近づいて調べたり聞けば分かるのだが、何気なく見ている状態ではその気も起こらない。

 つまり、光景は、目に映ってしまったものなのだ。数時間後にはその記憶も消えるほどの儚さだ。そこに、こちら側が具体的に関わらないといけないものがない限り、漠然と、または呆然と眺めているしかない。

 いや、眺めるほどの集中力もなく、環境音楽のように、その映像も流れすぎて行くだけかもしれない。