川崎フォトエッセイ  その421 煉瓦       HOME

 同じ煉瓦塀でも、それがある場所によって趣がずいぶんと違ってくるが、そこだけを抜き出して表示させると、煉瓦塀だけが抽出される。その背景を見えないようにすれば、ただの煉瓦塀としてしか把握できなくなるためだ。

 煉瓦塀の表面だけを眺めていると、抽象イメージの世界が展開している。これは、もう煉瓦塀という具象から一歩踏み込んだ世界で、純粋にそれだけを見ていることになる。

 この感覚は、現実的なそれではなく、アート的なもので、煉瓦塀を見ていても、他のものを見ているような感じになる。
 それでも実物の煉瓦塀の前に立ち、それを見ている限り、塀の内側の建物も知っているわけで、決して煉瓦塀だけのイメージで、煉瓦塀を見ているわけではないのだ。

 その塀の内側が、廃墟であった場合、その煉瓦塀のイメージも変わってしまう。本当にアートになるには、現実的な情報をできるだけ省略するしかない。しかし、そうなると、アート性も単純なパターン画になってしまいそうだ。