川崎フォトエッセイ  その587  彼岸      HOME

 この世のこともよく分かっていないのに、あの世のことなどさらに分かりようがない。しかしあの世を知ることで、この世を理解するという論法もある。

 この世から推測するあの世は、この世の中の一部かもしれない。あの世を思うのはこの世のためで、この世の中で必要な面があるためだ。

 この世から見たあの世は、実際のあの世とは違うものかもしれない。この世の中のものを使ってあの世の絵を書くことで、あの世にリアリティーが生まれる。たとえばあの世が抽象的で絵にも言葉にならないものだったとしたならば、とっかかりを失ってしまう。それは単にわかりやすいかどうか問題かもしれないが。

 想像的なものは、この世で生み出される。それがこの世で生きるために必要な場合もあり、その想像に便乗することで安定することもある。