川崎フォトエッセイ  その668  聖なる俗世      HOME

 聖なるものが聖なる状態を続けるのは難しい。それは現実に存在する物の形をとるためだろうか。物は聖も俗も平等に変化していく存在だ。形のある物が持つ宿命だ。

 聖なるものはそのままでは見えないので、造形される。このほうが分かりやすいからだ。分かりやすいものは取っつきが良いだけに、あらゆる触り方や弄り方が出来る。それが俗化を招くのは痛し痒しである。

 聖なる物は聖なる場所に置くことで、俗界からガードされる。それでも地続きの場所にあるだけに、災いは避けられない。

 日常の中にも聖なるものはある。それが個人の思惑だけの世界なら、他人は聖なるものであるという宣言を知らないため、見逃される。聖なるものが精神的な任意な境地であればあるほど、普遍性はない。それだけに個人の中では聖性は保たれ続けるかもしれない。

 人は聖なるものを必要とする傾向がある。それはこの世が俗で出来ているため、聖性という俗世が必要なのだ。