川崎フォトエッセイ  その713  絵画的原型       HOME

 妙な雰囲気のする場所がある。何か特別なものが、そこにあるのではなく、よくあるものが組み合わされて構図的に発生したような場所で、つかみ所がないのだが、ぴたりと何かが決まるのだ。

 それが、全て作られた構図であった場合、その罠にかかるだけで、自ら見出すとかの面白味がない。それは与えられた風景であり、与え方に沿って、こちらも受け取ることになる。

 ユングが集合的無意識とか呼んでいる世界があるとすれば、絵にもそれがあるのかもしれない。後天的なものではなく、最初から備わっている傾向で、その符帳に合えば、美的快感を味わえるという感じだ。

 ある散歩者が、何かを見て、絵画的印象を受け、感動していたとしても、その気持ちは他の人からは伺うことは出来ない。立ち止まってそれを鑑賞するようなこともないだろう。

 この種の「美」に対しての感受性を、常時持ち続けている人は、敢えて何も語らないのかもしれない。そこが日常の場であるため。