川崎フォトエッセイ  その991  同じ風景       HOME

 どんな山奥でも人が多数住む場所には電気が必要だ。電気や電話があればネットにも接続出来る。ネット上での情報は限られているとはいえ、国内や国外の様子を知ることが出来る。

 似たような文化は似たような情報を共有しているように思える。同じような情報しか流れないからかもしれない。

 日本の田園風景は、非常に良く似ている。地名を言わなければ分からないほどだ。

 これは、同じような風景を作ろうとしている節がある。

 同じであると言うことは安堵感を与えるために貢献する。そして、ある文化をきっちりと受け入れていることの証しにもなる。

 確かに異文化というか、考え方も発想も異なる人たちと付き合うのは辛い面がある。それは理解し合わないと誤解や行き違いがあるためだ。

 しかし、我が村と隣村とでは違いがあって当然だ。同じ文化圏でも微妙な違いが生じる。

 最終的には一人一人が異なっており、人と人とは永遠に違いがあることが本来だろう。